ニューヨーク俳優修行日記
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2003年03月31日(月)

また雪か?


映画”英雄(ヒーロー)”をみた。
良かったです。
日本でもやると思うので、お勧めです。

再び、とんでもなく寒くなって来た。
一体全体どうなっているのか?



2003年03月28日(金)

Bomb Scare


ブルックリンとマンハッタンを結ぶ橋の一つが閉鎖された。
どうやら、不審なパッケージが見つかったらしい。
朝のテレビニュースはその中継に忙しい。

多分、ただの間違い、多分ただの悪戯、多分。
今の世の中、アメリカ相手に核はいらない。
ほんのちょっとの不安があれば、
僕らは普通に暮らす事が出来ない。
戦争、テロへの恐怖。
それを持たせるだけで良いのだ。




昨日は足を挫いて稽古を中退。
日曜日まで久しぶりにのんびりできそうだ。
今日はこれから仕事だ。
そして、夜は友だちと食事。




2003年03月27日(木)

転送再び


下記は前回と同一人物からの転送。
彼は現役のテレビのカメラマンです。

ニューヨークから南へおよそ150Km、
米陸空軍の訓練基地、Fort Dixへ、
出撃前の予備兵が親族と最後のお別れをするセレモニーを
取材に行きました。

予備兵とは普段は民間の仕事をしていて、
有事の時に召集される登録兵で、召集後
3週間程の訓練を受けて戦線へ配属されす。
今、前線に出ている陸軍兵の約半数が予備兵で、
湾岸戦争時には26万人が動員され、
今回は現時点ですでに20万人が召集されているそうです。

代わる代わるスピーチする上官達は、
君たちはイラクの人民の自由の為に戦うんだと何度も繰り返し、
きれいなおねえさんがゴッドブレスアメリカを歌い、
牧師が祈りの言葉を読み上げます。
兵士達は無表情、家族は、どうしていいのかわからないよ
うなこわばった微笑みで、ただ呆然とながめたり写真をとったり、
いつか写真で見た太平洋戦争の出征祝いの光景が
目の前で起こっていました。

父親の兵士に抱かれた男の子、今日のセレモニーをどう思うかと
聞かれてはにかみながら「Cool!」かっこいい!と答えました。
黒人兵士の母親、ブッシュ氏の方針を支持するかとの問いに
「しないわよ、必要のない戦争だもの、でもどうしようもないわ、
今はただ生きて帰ってきてくれさえすれば。」と涙をこぼし、
白人兵の母親はただただ顔をゆがめて泣きつづけ、
私のカメラのファインダーも涙で見えなくなってしまいました。

帰り道、カーラジオはイラクからのリポートを流し続けていました。
アメリカ兵の死傷者、捕虜、ブッシュ氏の演説、
「彼等の犠牲に感謝し、祈ります。」

最前線に出る兵は18歳から25歳くらいが一番多いそうです。
私としては、38歳になった今でさえ日々間違いの繰り返しだ
というのに、20歳の頃の自分にどれほどのことが解っていただろうか。
ある意味では子供も同然です。
彼等はどんな気持ちで死んでゆくのでしょうか。
かつての日本兵の少なくない人たちが、死ぬまぎわに
「おかあさん、たすけて」と言ったという話を読んだことがあります。
それほど違わないのじゃないかと思うのは感傷的すぎるでしょうか?

彼等を死に追いやる責任は私達大人一人一人にあります。
私達はこの取り返しのつかない責任の重みを
十分に自覚した上で戦争をしようと決め、
支持すると言っているのでしょうか、
この人達を前にしてどんな顔で同じことを言えるのかと、
そんなことを考えていたら、残念で、また涙が出て来ました。
どうもこの仕事向いていないようです。


2003年03月25日(火)

税金


いよいよ税金の締め切りが近い。
今日はこれからレシートの整理をして、
明日は会計士と会う予定。
会計士といっても、一年に一度だけ
幾らかお金を払って、払い戻しの手続きをしてもらうだけ。

僕の場合は去年は翻訳と、役者の収入もあるので
本代、食事代の一部、映画/演劇などが
経費として落とせる。
でも、個人でやるのは面倒なので
専門家に頼んでいる。

今年もお金が帰ってくるといいなあ。

2003年03月24日(月)

The Quiet American


夕べはオスカーを見ずにこの映画を観に行っていた。
ベトナム戦争に入る前のアメリカを描いたもの。
結局この人たちは同じ事をしている。
あんなに歴史をほしがっている人たちだけど、
わずかに持っている歴史からは何も学ばないらしい。





2003年03月22日(土)

転送


以下は知り合いからきたメール。


親愛なる皆様へ、
まいど、またしても岩切でございます。
訂正です。
Stupid white men という本の邦題を「
バカでマヌケなアメリカ白人」と言いました
が、正しくは「アホでマヌケなアメリカ白人」
でした。本国でもベストセラーを続け
ております。映画「Bowling for Columbine」
もアメリカのジャーナリズムから無視されていましたが、
カンヌでの受賞と、ここのところのロングランとで
しぶしぶアカデミー賞(
これも日本レコード大賞並みかそれ以下だと思っていますが、)
のドキュメンタリー部門で受賞しそうです。
この本が売れていると言う事で、
アメリカの未来
にわずかな希望をみいだせるんじゃないかと思うのは
甘いでしょうかねぇ。

僕は明日の夜は開戦をにらんで支局に泊まり込みです。
アメリカが国連を振り切って、
世の中が突然まるでこの戦争を認めたかのような雰囲気
になってしまっています。
メディアは、世論操作にやっきになっている政府の道具
となって、イラクがいかにひどいことをやろうとしているかとか、
世界の45カ国がこの戦争を支持しているなど
という当局の一方的な発表をたれながしています。
どこかで聞いたような話しですね。
このまま短期決戦でアメリカのシナリオ通りにことが
運んで(圧倒的な力の差があるのですから、
おそらくそうなるでしょうが)
結局はブッシュが正しかったんだということになりかねない。
日本はかつて戦争に負けたからこそ学ぶこともできたけれども
アメリカは強いが故にいつまでも学ぶことができないとは
皮肉なことです。
小津安次郎の「東京物語」に、
笠智衆の「でも、(戦争に)負けて良かったじゃないか。」
というセリフがありましたね。

それにしてもCNNにでていた国防総省の「今回の戦争に
『砂漠の自由作戦』か『イラクの自由作戦』
という名前の候補があったが、『イラクの自由作戦』に決めた。」と
いう話しには、あまりの無神経さに震えるようないきどおりを感じます。いったい人の命をなんだと思っているのか。

戦争が始まったら、もしできるなら、
テロリストが一番ねらう時間帯だと思われる、
朝8時半から9時半と、夕方5時から6時の時間帯の電車、
バスは避けるようにしましょう。
これは日本に住んでいる方も例外ではありません。
なにせ、われわれ日本は
始めから無条件でこの戦争を支持している珍しい国ですから。
そんなこと国民の意志じゃないと言う人もいるでしょうが、
イラクの人々は同じ事を言いながら殺されるの
だからたまったものではないでしょうね。
いったいどれほどの日本人が自分達の罪を自覚しているのでしょうか?
他人の命に優先する我々の「都合」とは、
アメリカ人が自分のバカでかいハンバーガーが3分の2の
大きさになるのがいやで他人を殺すようなものではないでしょうか。
しかも3分の1は食べずに捨ててしまうのに。しかもハンバーガーだ。 ちょっと違いますかね?
はなぢが出そうなのでこのへんでやめます。
どうも失礼しました。



2003年03月18日(火)

戦争反対!


こんなに多くの人が望まないのに、
この国はどうやら本当に戦争へと突入するらしい。
母国ではないこの国に僕は自分の意志でいる。
多くの国の搾取の上に成り立つこの国にいる。
僕はここでの生活を楽しみ、手放せないでいる。
ナイーブなのは分かっても、何だか居心地が悪い。

戦争反対と声高に叫んでみても、
空しさが残る。

一体どこへいっちまうのでしょうか?

2003年03月17日(月)

その箱、故障につき


家のコンピューターが壊れた。
おかげでメールも何も出来ない。
今日は仕事先からこれを書いている。

最近は結構芝居を観たり、映画を観たけど、
どれも今ひとつかな。
ギャングズオブニューヨークを見たけど、
ふーんって感じだった。




2003年03月13日(木)

意地で書く日記


正直、今日はあまり気分が落ち着いてないけど、
意地でこれを書いている。誰に対するものか?
それは自分だったりするわけだけど。

稽古。
準備不足で散々だった。
怖がり、良い子しいと云う自分の嫌な部分が
稽古をしているともろに出てくる。
ただただ、じっと対峙して、少しづつ変えるしか道はない。

逃げない事。
まあ、これは何にでも言えるか?
Who says it's easy?


2003年03月11日(火)

ねむい


稽古が始まるといつもそうだけど、
とにかく眠い。
肉体的にしんどいわけではないけど、
演じる時は自分の思っている以上に
神経が張っているみたいだ。
終わるとどっと疲れが出る。
エモーショナルワークアウトと云った感じか?

今日もくたくたになりながらも台本を読む。
でも、不思議と読んでいるうちに元気がでてくる。
今日呼んだアエラによると音読は脳のはたらきに
良い刺激を与えるらしい。
たしかに声に出して読んでいるとだんだん元気になるし、
頭も冴えてくる。
一度お試しあれ。

インダストリアルのオーディション。
インダストリアルとは業界用のトレーニングビデオとか
トレードショウ用のビデオの仕事。
要は一般には見られない仕事です。
でも、かなりの仕事があるらしい。
僕はまだ一度もした事ないけど。

見に行きたい舞台がたまってしまった。
どうしよう。
ああああああああああ。
何だか毎度の時間が足りない現象だ。
もっとプランニングが上手になりたい。
誰か、マネージャーになって、ああしろ、こうしろ
と言ってくれたらどんなに楽か?




2003年03月10日(月)

静か


何もない1日。
ただ仕事行って、30分だけ稽古に行って、
よるはチャイナタウンで食事。
上海料理の店でとても安くて美味しい。

そして今夜はこれからすぐ寝る。

静かな1日だ。

2003年03月08日(土)

伊藤キム


ジャパンソサエティーでキム伊藤のダンス公演を観た。
ジャパンソサエティと云うのはその名の通り、
日本の文化をアメリカに紹介、交流をはかる場所。
その一環として日本のアーティストの招聘をする。

今回は伊藤キム矢、もう一人の舞踏家
そして、クナウカという劇団がくる。

ダンスの最初のピ−スはラジオをバックにした即興。
30分ぐらい観ていたけど、飽きなかった。
身体が語れるものってたくさんあるのだなあと
ただただ感心。自分ももっともっともっともっと
鍛えないとなあ。

2作目はは振り付け師である伊藤氏は出演せず、
女性四人のピース。
日常と非日常の隣り合わせが気持ちよい。
コミカルでキュート(ファニー)な中にも、
ある種(唐十朗みたいな)のグロテスクさが漂い、
とても日本的だ。

稽古の第一週が終わろうとしている。
けっこう楽しめている。
このままの感じで行けば、今までとはちょっと違った
作品になるような気がする。

オーディションは二つだけ。


2003年03月05日(水)

ミュージカル


何を間違ったか、マネージャーがミュージカルの
オーディションを持って来た。
しかも、広東語を喋る役。
断るわけにもいかず、しぶしぶ行って来た。
取りあえずシーンを読むだけだったけど、
何だか身がちじまる思いだった。

それとは別にCMのオーディション。
料理の鉄人のプロも。
料理の鉄人はこちらではかなり人気がある。
サタデーナイトライブで番組のパロディーが
でるぐらいだ。
あの加賀タケシの物まねまででている。
凄いです。

レストランノブも大反響だし、
日本食の浸食度はかなりのものだ。

稽古二日目。
楽しくなって来た。


2003年03月02日(日)

日曜の午後


何だか久しぶりにのんびりとした日曜日。
カフェでラッテとマフィン(3ドル50セント)
の朝食を食べながら、
稽古用の宿題をして、合間にサンデイタイムズを読む。
今は日曜版が3ドルもするので
カフェで見つけたものを拾って読んでいる。

暫くすると相方が立ち寄って、
そのまま、もう少し朝食を食べる。
そして、たまったランドリー(6ドル)を片付け
今はこれを書いている。

今日はこれからジムへ行って、
夕方はピアニスト(一人10ドル)を見る予定だ。

部屋の掃除もしたし、机の上も片付けた。
僕の書斎はキッチンなので、食卓が机となっている。
台所だと妙に頭が落ち着くのはなぜだろう。

何にせよ、これでしばらく片づけはしなくても良い。

このところ、オーディションの数が少ない。
多分、戦争の予感のせいだろう。
映画の撮影なんかも遅れているらしい。
日本は安保を理由にアメリカを支持するとの記事。
おいおい、大丈夫のか?
国連は日本を守ってくれないけど、
アメリカだって怪しいぞ。


2003年03月01日(土)

花金(旧いか?)


せっかくの金曜日だけど、
どこへ行かずせっせと学校の文集の準備。
作文なんて、ホントに下らないと思う反面、
これが良い思い出になったりするのかなとも思う。
自分が小学校4年生の時は何をしていたのか?

いじめられっ子だった。
水泳部と野球部とサッカー部。
そして、将棋クラブに入っていた。
成績は中の下ぐらいだったような。
担任の先生は野々村と云う女性だった。
あとは何だろ?

以外に思い出せないものです。
もっとも、僕はかなりいろいろな事を忘れる方なので
いつも友人たちが昔の話に花を咲かせている時、
途方に暮れてしまう。

来週からはいよいよ稽古が始まる。
少しずつ準備をする予定が、知らない間に時間が経ってしまった。
わくわく、ドキドキ、ハラハラ、ヒヤヒヤと云った感じか。



      

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