甘い煙
頭出し巻戻し早送り


2006年05月27日(土) なんなくすくい上げられた

もっと一緒にいられたらいいのにという想い。
だけどそれは、会う時を、時間を、もっと多くしたいということなのか、
一緒に暮らしたりして、もっと生活そのものを密着させたいということなのか、
どちらを望んでいるのか、自分でよくわからない。
いいけどねわからなくても。
なんら支障はない。

いまこの時、だけじゃなくて、もうちょっと先のことも考えちゃうからな。それって、時に後悔の残るやり方だよね。
いま、だったら、1週間の半分くらい会いたい。もしくは、同じ空間で生活したい、かも。
でも、先を考えると、今まで通りに1ヶ月に数回会うくらいが、毎回ある程度の新鮮さも感じられるしいいかな、なんて思っちゃう。
これは、恐れなのかな。よくわかんない。

ちょうど1週間前、気持ちが不安定な時に彼と電話をした。
声が聴きたいと私が言って電話をしてもらったのに、話すことは特になくて沈黙が多くて、彼はたぶん眠くて、それは心地の良くない沈黙だった。電話したいなんて言わなきゃ良かったと思った。

その時は、コミュニケーションをとりたいけれど、気持ちが落ちやすいという、困った時期。
月に一度、巡ってくることを、今回やっと理解した。女って厄介。
だからその電話のあと数日は、あれで愛想を尽かされちゃったらどうしようとか、彼の中でマイナスポイント30くらいかなとか、普段の私だったらありえないくらい後ろ向きな考えが浮かんできて、約束をしていた金曜に、会うのがこわいと思ったくらいだった。
でもやっと、会う前日、一昨日くらいから、会えることが楽しみになってきて。
そしてやっぱり、会って、私の不安や懸念は、全く根拠のない、勝手な暴走だったんだということがわかった。わかってたけど、どうしようもなかったんだもん。

今回のイチくんは、素、なかんじ。いいと思う。
落ち着きを得て、そこからどうなるか、だよね。


2006年05月24日(水) だって欲しいんだもん

書き留めておきたいことも吐き出したいことも、強い気持ちで残しておきたいほどには形になっていないのに、ここ数日、何かを書きたい心持ち。
形になっていないからこそ、文字にしたいのかな。

昔つきあっていた人に、つきあってるっていっても他人だよ、みたいなことを言って、冷たいと悲しまれたことがあった。
なんで冷たいと感じられるのか、汲み取ることはたぶんかろうじてできたけれど、理解や同調はさっぱりできなかった。
でも今は、少しわかる。

もう少し我慢や気遣いができたら、イチくんが今よりもこの関係にいいものを感じてくれて、しいては私にも何かしらのいいものとして返ってくる気がする。
気がする、けれど、その少しの我慢や心遣いができないことがちまちまあって、イチくんには、私のそういう面が強く感じられてきているかもしれない。
そういう流れをつくってしまった自分の一面は、良くないなと感じている。

わかってるのにね。
わかっている部分もあれば、きっとわかっていない部分もある。

薄い、な。なんだか。
さらさら。

もっと、なにかを形作れるくらいの濃度でつながっていたいのに。
逢っていない時も、昼も夜も、
揺るぎない、とはまだ言わないからさ、
お互いの気持ちはちゃんとつながってるなって、なんとなくいつでも感じていられるくらいには
って、それを“揺るぎない”っていうのか。
じゃあ、揺るぎないものが欲しい。

最近こんなのばっかり。


2006年05月16日(火) もっと

もう。複雑だよね。
彼のことは知りたいけれど、知るとモヤモヤが増えちゃったりして。

この春から、彼と一緒にいられる空間が、ひとつ減った。
私が、そこから抜けて、別の場所へ行くことになったから。

彼の方が不安な立場のはずなのに、彼は全然そんなそぶりを見せない。
つきあっていて、私が先にそれまでの場所から離れて、相手はそこに残って、って、どうしてかいつも一緒の順番。

私は、相手への心配なんて、ほとんど感じたことがなかったのに。
その理由はいくつかあって、
信じていたから。
じゅうぶんに愛されていると感じていたから。
好きだからつきあっていたけれど、いずれ別れる時がくる気がしていたから。

ひどいかな。みっつめ。
好きだったし、続くなら続くのでいいと思っていたけれど、どこかで不思議とそんな気持ちがあった。

でも、イチくんにはそれを感じていなくて。

こんなに相手の気持ちが欲しいと感じたことなんてない。
実はもう、欲するだけ得られているのかもしれないけれど。彼の心の中では。
そう思いたいけれど。

時々、ささいなことで、こんな風に彼の気持ちが欲しいスパイラルに陥ってしまう。
だいたいは、抜け出すのも、ささいなことをきっかけにできるんだけれど。

もっと一緒にいたい。


2006年05月14日(日) 負の方向への努力

気持ちに応えられない相手に、告白をされないようにする努力も、時には必要。
ごめんなさいを言った相手や別れた相手が、気持ちを断ち切れるようにする努力も、必要。
後者は、別れを告げた側の、ある程度の義務だと思う。

ある程度、ね。


つきあっていて別れたとすると、たいていは片方が離れたいと思っていて、片方は離れたくないと思っているんだから、例えばいくら言葉のやりとりをしても、お互いに納得しあえることは少ないだろう。
だからあるラインまでは聞くし話すけれど、そこを越えるほどに求められたら、もうばんと離れて遮断するしかないんだと思う。

相手がもうあまり積極的に近づいてこなくて、距離を置けるなら、こちらからはほぼ絶対に連絡しないようにする。
だって、好きな人からだったら、事務的なメールだって嬉しい。
それに、好きな人と何かしら接触ができたら、自分にいいように、捉えたくなるものだから。
相手と、相手とのそれまでの関係によっては、とてもストイックな、自分にもつらい状況となってしまうこともあるけれど。
でもきっと、相手の方が痛くて苦しくてつらいから。


相手に断ち切ってもらいやすい下地を、しっかりとつくるために、気持ちを告げられて断る時、もしくは別れを告げる時に、言うことはきちんと言う。
当たり前のことだけれど、心が痛むから、言えないという声もよく聞く。
でも、それは優しさじゃないだろう。
だって、応えることができないのに。


相手に、優しさと感じられる優しさでもって、納得してもらうことは、可能なんだろうか。
私には、まだできない。


2006年05月12日(金) 大丈夫。元気。

昨日の夜は、ひとり乙女モードで、ラブだラブだと浸っていた。
今日、電車に乗っている時にふと冷静になって、どこがどうそんなに好きなんだ?と考えてみた。
今夜、会えるはずだったのに会えなくなって、急降下して少し泣いて、電話がきて、明日会うことになって気持ちが持ち直して、話している間浮いたり沈みかけたりぷかぷかして、今に至る。

とにかく、好きみたいだよ。
だからこそ、楽しいことが近づいてくるのは何よりも心躍る満たされた時だけれど、
それが終わった時の淋しさといったらない。

電話を終える時だって、会ってお別れする時だって、いつも明らかにトーンダウンしてしまう。
彼が淋しそうなそぶりを見せないから、なおさら淋しい気持ちに拍車がかかったりする。
私だけ淋しいみたい。私がこんなにさよならしたくないのに、あなたはそうじゃないの?って。
よくそう思うし、そのことはよく彼に話す。
その中で時々垣間見えるところによると、どうやら彼も、淋しいとか会えない間に会いたいとか思うことはある様子。
「そう思うこと、あるんだ!」と嬉しい驚きの気持ちを込めて言ったら、「あの、俺だって人間ですから」と。

んー、でもね、わからないからね表に出さないと。
頭では思うよ。彼も淋しいとか会いたいとか思うことがきっとあるはずだ!って。
でも、あまりにそういうものが見えないからさ。
この人はそう思うことなんてないんじゃないだろうかと、思えてしまうよ。
そのあたり気に入らないので、「これからもたまにちくちく言うかもー」と言ったら、「そしたらまた同じこと答えるかもー」と返ってきた。
くっ。かわいいやつめ。こにくらしい。

でも、言うと受け入れて変化してくれているところも実はけっこうあって、その柔軟さと適応力は驚くほどの素晴らしさ。
自分の中での動機づけや、ものごとを捉えることが、とてもしっかりできているんだと思う。
そうじゃないと思っていたのにそうだったり、私が何もないと思っていた道で石を拾ってみせてくれたりするような、どこかアンバランスだけど均整がとれていて、大胆なのに慎重な、私とは確実に違う視点も持った、不思議な人。


亜子 |MAIL