アルの日記
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2001年11月30日(金) 背中の哀愁と奥ゆかしさ

今日はなんかな〜んもやる気せんので1日中読書していた。
最近は起きた瞬間から疲れていたりする。
う〜ん・・・毎晩酒飲み過ぎてるからかなぁ〜・・・。
いや、飲みすぎてるってほど飲んでいるわけではないと思うんだけど・・・。
休肝日を作らなきゃと思うんだけど最近はもう1日の終わりに酒を飲むことが唯一の楽しみになってしまっていたりするのでなかなか難しい、涙。
酒が恋人状態・・・・・悲しすぎる、笑。
まあいいさっ、独りでとはいえ楽しく飲んでるし・・・って開き直るのもなぜか虚しさがこみ上げてくるような感じがする、涙。
きっと今、俺の背中からはかなりの哀愁が出ていると思う、笑。

さっきNHK教育テレビで十二時から放映されている英語ビジネスワールドを見ていたらアルバート・エリスのインタビューをやっていた。
アルバート・エリスは論理療法という心理療法を提唱してきた人で、現在88歳、70年もの間心理療法を続けてきて未だに現役だということを知ってびっくりして食い入るように見てしまった。
昔、國分康孝という人の著書で論理療法を知ってかなり自分に合いそうだったのでこのアルバート・エリスとハーパーという人の共著、「論理療法」の日本語翻訳版(國分康孝とその奥さんが訳している)を4、5千円の大金(←当時の自分としてはかなりの大金だった、笑。っていうか今でもか・・・涙。)を払って買ってきたことがあった。
この國分康孝というカウンセラー自身の著書はどれも素晴らしくてかなりお世話になったのであるが・・・・・その本の翻訳は災厄だった、涙。
それゆえ途中で読むのをやめてしまったのだった。

何ていうんだろう・・・原書を見たことはないのだが、英語で多用される大げさな美辞麗句をそのまま訳してしまっているので読んでいて疲れてしまうのだ。
あまりよく覚えていないのだが例えば、「この素晴らしい論理療法を持ってすればあなたの人生は夢のようなものに生まれ変わことは間違いないでしょう。さあ、一刻も早くこの論理療法を始めて幸福をつかみとりましょう!」っていうようなノリで延々と訳してしまっているので何だかうさん臭さを感じてしまったのだった。
英語だと例えばFantastic!とかMarvelous!とかいったような大げさな表現を普通に連発したりするけどやっぱり日本語に訳す時は日本人らしく奥ゆかしい表現にしないといかんのだなぁ〜って知って勉強にはなった。
が、金返せぇ〜、笑&涙。
う〜ん・・・せっかく素晴らしい内容なのにもったいないなぁ〜・・・。
でもこういうちょっとしたところから文化の違いみたいのが垣間見れるのが何だかすごい楽しく感じたりする。
う〜ん・・・翻訳ってやっぱりただ機械的に言葉を置き換えたり語の位置を変えたりするだけでは駄目で、その文化の中ではどう言うのが一番適当なのかっていうのを探す作業なんだなぁ〜って改めて思ったりした。

さあ寝よっと。





2001年11月29日(木) 今日の反省

う〜ん・・・いかんなぁ〜・・・いかん!(←最近「いかん」という言葉が気に入ってしまい口癖になってしまっている、笑。)

今日は友人が来てまた飲みに行ったのだが・・・また悪い癖が出てしまってちょっと反省しているのです。
はぁ〜・・・これ言ったらまずいだろうなぁ〜ってことをついポロっと言ってしまった・・・。
う〜ん・・・自分の心にも少ししこりが残ってしまっているし、その友人の心にも残ってしまっているだろうなぁ〜・・・。
あの発言はやっぱりちょっとした悪意からきているものだと思うし・・・。
まあ、親しい友人だからこそ何でも言えてしまうってこともあるんだろうけど・・・。
しかしやっぱりもうちょっとコントロールせねばならんなぁ〜。
俺のそういう一言ってかなりキツイみたいで今までに沢山の人を傷つけてきてしまったし・・・涙。
結局、それは何らかの形で自分に帰ってきてしまうっていうのも良くわかってるのだが・・・涙。
っていうか今もう既に自己嫌悪という形で帰ってきてしまってるわけで・・・涙。

う〜ん・・・まあ彼は心が広いからすでに許してくれているとは思うのだがその気持ちに甘えてしまうのもいかんしなぁ〜・・・。
ふぅ〜・・・修行がたらんな、反省してこれからは気をつけねば。

とりあえず今日はもう寝よう。


2001年11月27日(火) コンプレックスの処理

突然だがコンプレックスを上手く処理できなかったために泥沼状態に陥ってしまったり精神的・神経的な病にまで発展してしまったという人は意外に多いのではないのでしょうか?
かく言う私自身もその中の一人でありました、涙。
今、振り返ってみると昔の私はコンプレックスの塊のような人間であったような気がしていて、さらにそれは甘やかされて育ったことによる根拠のないプライドの高さにより助長されていたように思うのです(深く追求していくと親・親戚、友人、教育、日本社会・文化などなど際限なく繋がっていってしまうのでここではあまり言及しないことします)。
誰でもコンプレックスはあるものだし、今でも私はその影響下にあるわけですが、何て言うんでしょう・・・コンプレックスに対するアプローチの仕方が変わってきたことによってかなりより良く生きれるようになってきたなぁ〜っていう感じがしているのです。
結論から言ってしまうと、コンプレックスはその人自身が真面目に向き合うべき課題であり、人生の目標みたいなものにもなり得るんじゃないかなぁ〜・・・って思ったりしています。

よく言われているように、陥りやすいものとして3つのコンプレックスの処理の仕方がありますよね。
他を引き下げる心理、自己卑下の心理、反動形成ですね。

他を引き下げる心理と言うのは例えばひがみのようなもので「あいつはモテるがルックスが良いだけで性格は災厄だぜ〜」とか言ったりして自分の本心である「くやしさ」(=コンプレックス)を満足させようとする心理ですね。
でもこれは例えば、たまに居酒屋で上司の悪口を同僚と言い合ったりして溜まったストレスを発散させたりするようなモデレートなレベルでなら問題ないと思うのですがやっぱり行き過ぎてしまうとまずいような気がするのです。

自己卑下の心理と言うのは自身をなくして自分を責めてしまうわけですね。「あ〜、私は駄目な人間だ〜、人が簡単にできることが自分にはできない〜」(←かつての私、笑)とか生まれてすいません状態や鬱状態になってしまったりしてしまうのですね。
極端な人というのはこの「引き下げの心理」と「自己卑下の心理」を病的に行き来したりしてしまう傾向があると思うのです(←これもかつての私、笑)。
うまくバランスを取ることができずに逆の極端を走り続けてしまうのですね。

そして反動形成。
たとえば本当は大嫌いなのに大好きな「ふり」をしてしまったりすることですね。
これは厄介でした、涙。
世間知らずで無知で井の中の蛙であったのにいっちょ前にプライドだけは高く、素直になれなかった私はこの処理をしてしまって大変な目に会いました。
人を欺いているつもりが結局は自分をも欺いてしまうということになってしまうのですね。
そう、行きつく先は分裂なのですね。
あ〜、つらかったぁ〜・・・・・・あんまり良い思い出ではないので詳しくは語れないのですが・・・・・やっぱり素直が一番ですね、笑。

う〜ん・・・たかがコンプレックス・・・されどコンプレックス・・・処理の仕方によってずいぶん人生って変わってきてしまうもんだなぁ〜・・・なんて考えちゃったりしています。
以上、ふと思ったことを書き綴ってみました。
チャオ〜!






2001年11月25日(日) 英語コンプレックス

あぁ〜・・・ショックだ・・・。
今日はかなり落ちこんでいる。
はぁ〜・・・もう駄目だ・・・気力がない・・・。
あぁー・・・あぁあ〜・・・うっうっうっ・・・涙。

はぁ〜・・・今日はTOEIC受けてきた。
英語にはかなりのコンプレックスがある。
そのコンプレックスの元を辿ると昔、アメリカ留学時代にケチョンケチョンのボコボコに完膚なきまで打ちのめされていたからだろう(やや遠い目)。
帰国後数年間、旅&友人との手紙のやり取り(←ごく稀)以外はまったく英語に触れることなく過ごしてきてしまったが最近はまた勉強を再開していたのだった。
それゆえ資格試験なんて受けたことがなかったが勉強を推進するバロメーターとしてちょくちょく受けるようになったのだが・・・今日のTOEICで撃沈してしまったみたいなのだ、涙。

ふぅ〜・・・でもけっして英語が苦手というわけではないと思う。
一応、前に受けたTOEICでもAランクだった。
しかし、前彼女もそうだったが自分の周りには英語ができる人が多いのだ。
それゆえずっと自分の駄目さに引け目を感じてきたのだった。
しかも勉強すればするほど自分の駄目さに改めて気付かされてしまう。
英語力なんてそんなにすぐUPするわけではない。
結局は地道にずっと勉強し続けるしかない。
それはわかっているのだが・・・はぁ〜・・・・・(←溜息)。

英語ができる友人達は口をそろえてTOEICは簡単だと言う。
彼ら(彼女ら)は実際、試験終了二十分前くらいにはもう問題を解き終わってしまい、ほぼ満点近いスコアを叩き出している。
確かに語彙力もそんなにいらないし、色々なレベルの人を対象にしているため、簡単な問題もたくさん含まれているとは思う。
しかし自分は決して20分も時間が余らない。
っていうか前回は多少余ったが今回は足りなくて全部は終わらなかったのだ。
全然集中できなくて試験中ふと違う事を考えてしまったりしていた。
それゆえ今、かなりのショックを受けているのです・・・。

う〜ん・・・最近日記書き始めたりして頭の中がずっと日本語モードになっていたからだろうか・・・でも一応昨日は日記を書かずにあえて英語漬けになっていたのに・・・。
あぁぁ〜・・・・・駄目だ・・・・・いい歳してたかが資格試験ごときにここまで落ちこんでしまうとは・・・・・泣。

ふぅ〜・・・まあいいさっ、今日だけ落ちこんでまた明日からまた新たな気持ちで頑張ろうっと。
しかし・・・・・はぁ〜・・・・・。
(↑さっきからずっと落ちこんでは自分を励ましてを繰り返している、笑。)












2001年11月24日(土) 不器用であるということ

ふぅ〜・・・食った・・・・・そして飲んだ。
あとは寝るだけか・・・と思ったが日記書いてなかったのを思い出してしまった。
書かねば。

今日も突然、友達から電話がかかってきて飲みに行った。
三ヶ月ぶりに会った友人であったがかなり楽しい時間を過ごせた。
なんか最近、友人ラッシュのようでちょっと孤独症だった俺には喜ばしい日々が続いている。
友達少ないなぁ〜って思ってたがそれは自分の思い込みだったみたい。
自分から連絡するということはほとんどなくなってしまったがちょくちょくメールや電話をかけてきてくれる人もいる。
う〜ん・・・結局、自分の内側にエネルギーを注ぎすぎて奥に奥に入りすぎていたのかな・・・そんで勝手な思い込みや妄想で切り捨ててしまっていたのかもしれない。

自分にはそういうところがある。
何か心の奥底でやりたいことを抱えているとそれを実現するために敢えて入ってくる情報を遮断してしまうのだ。
もともと神経が過敏にできているせいかあらゆる情報を拾ってしまうため、そのままではその「何かをやりたい」という衝動に従うことができないのだ。
っていうか遮断しなければその正体が何なのかさえもわからなかったりするのだ。
もともとあれこれたくさんのことを一遍にフレキシブルに遣り繰りすることができる性格ではないのである。

前の彼女と別れた原因も恐らくそのことが関係している。
あの時は「やりたい」というよりは「やらねば」って感じだったと思う。
そしてその心の声を実現させるために自分にハードなメニューを課していくようになって周りのことから離れていってしまったのだ。
う〜ん・・・相変わらず極端な人間だ・・・バランスとるのが難しいよ。
このプロセスは恐らく音楽やってたことが関係しているように思う。
つまり、普段は情報にさらされていて生活している→何か感じてそれがだんだん大きくなっていく→情報を遮断して余分な情報を削ぎ落としていき、感じた感覚を浮き彫りにしてそれを形にする。

う〜ん・・・俺ってエゴイストなのかなぁ〜・・・・・う〜ん・・・思いやりのない人間なのかなぁ〜・・・・・う〜ん・・・・・わからん・・・よくわからん。
あぁ〜・・・「あっち」の世界と「こっち」の世界を縦横無尽に行き来できるような器用さが欲しい、涙。

もう寝るっ!



2001年11月23日(金) ティーンの頃

ふぅ〜、今日はちょっと自分が10代だった頃のこと(かなり昔)を簡単に振り返ってみようと思う。
今の自分とはちょっと断絶しているような気がするんだけど、やっぱりルーツはあの頃にもあるはずなので整理する意味でちょっと書いてみようと思う。

まず、小学生時代。
う〜ん・・・・・あんまり覚えてないんだけど、小学校高学年の頃は・・・何て言うんだろう・・・まあ、かなり外交的でやんちゃな少年だったと思う。
クラスのリーダー的な存在でいたずらばかりしていた。
授業中は発表魔でよくわからんのに手を挙げてはくっだらないジョークばかり飛ばしていた。
でもちょっとシャイで赤面症だった。

そして中学生時代。
・・・思えば悩みはここら辺りから始まったように思う。
思春期に突入して自意識過剰になり、性格も内向的になっていった。
パソコンをゲットしてゲーマーになり、音楽にのめり込んでいったのもこの頃。
で、悩みというのは女性恐怖症。
いっちょまえにスケベ心は人一倍あったのだが自意識過剰であったので女の子を意識しすぎてうまく接することができなかった。
自意識過剰というのは他意識過剰でもあるのでとにかく意識し過ぎてしまうのだ。
原因は・・・まあ、母親に殺されていたというか過保護にされすぎていたというか・・・う〜ん・・・それもあったのかもしれないけどあんまりしっくりくる理由ではない。
ん〜・・・未だに理由はわからないっていうのが本当のところだ。
そしてその女性恐怖症には二十歳過ぎまで悩まされることになる。
でも、中学三年生の頃に何故か彼女ができた。
話したこともなかったんだけど突然、告白されて付き合うことになった。
う〜ん・・・何でだろう・・・・。
高校生の頃もそうなんだけど何故かクラスの女の子の中のリーダー的存在の子にどうも好感を持たれるみたい。
自分は女性恐怖症でシャイで赤面症なのだが、多分、そういう女の子って人一倍母性本能が強そうだからなんか駄目駄目で可愛い〜とでも思われたのだろうか・・・う〜ん・・・謎だ、笑。
その彼女とは高校に入ってからも付き合ってたんだけど結局は半年くらいで破局。
もちろん振られた、涙。
あたりまえだよ、だって女性恐怖症なんだから・・・・・。

余談だが、だいたい中学生くらいから友人達はH本やビデオを買っていて、もちろん俺もたまに買っていたのだが、よく行ってた古本屋で厳選(!?)した本をレジに持っていくと、店のオヤジがニヤリと笑って「・・・ほどほどになっ・・・」って毎回言われながらも売ってくれていた。(←あぁぁあああ〜、はずかし〜・・・しかし真実に目をそむけてはならんのだ!笑)

そして、高校時代。
学校はそんなには休まなかったのだが朝起きれんのでだいたい遅刻していって途中で抜け出して近くの溜まり場の店に入り浸ったりパチンコ行きまくってたりしていた、笑。
もちろんクラブ活動などやらずに音楽漬けだった。
そんなわけで勉強もできるわけはなく、赤点四天王の一人であった、涙。
友人も数人高校辞めちゃうし、あの高校行ってなかったらもっと良い人生を生きていたはずなのだが・・・・・まあでもそれも運命として潔く受け入れることにしよう。
そして相変わらず女性恐怖症に悩まされていたがまた三年の時に彼女できた。
あの時は友人が勝手に話を進めちゃっていてもう俺が告らなきゃならないような状況になってしまっていた。
勇気を出して初めての告白であった。
う〜ん・・・でも全然話したことなかったのに・・・・・。
彼女もやっぱりクラスの女の子のリーダー的タイプだった。
そして案の定、半年で破局。
あたりまえだよ、だって女性恐怖症なんだから・・・・・・。

ふぅ〜・・・急ぎ足で書いてしまったがだいたいこんな感じのティーンだったと思う。
これ以降の事はまたそのうち振り返って書きたいと思う。
さあ寝よっと。

※軽〜い感じで女性恐怖症と書いてしまったが、今までの人生の中で道を踏み外すきっかけとなった出来事はすべて女性関係であったので自分にとってはかなりの悩みだったのだ。この辺のことを書くのはかなり勇気がいるがそのうち書けたら書きたいと思う。自分のためにも。










2001年11月22日(木) 酔っ払いのたわごと

ふぃ〜〜〜・・・酔った酔った・・・。
いやぁ〜〜〜エネルギー充電!!!
今日は友人と飲んでた。
う〜ん・・・世の中上手くできてるもんだなぁ〜〜〜まったく。
昨日までエネルギー低下してたと思ったら今日は久々に会う友人が突然訪ねてきてくれた。
いやいやいや〜、やっぱり音楽や本や映画やペットや植物や旅行でも癒されるけど人間による癒しはそれらをはるかに凌駕している!
って実感した一日だった。
う〜ん・・・最近心を入れ替えて日頃の行いを改めていたからかなぁ〜〜〜・・・う〜ん・・・やっぱり神は俺をまだ見捨てていなかったぁ〜〜〜笑。

はうっ!!
いかんいかん!
ここで気を緩めてしまっては元の木阿弥だ。。。
明日からはより一層気を引き締めていかねばならん。
神は自ら助くる者を助くのだ!
人に優しく自分に厳しく・・・。
ただ精進あるのみ・・・。(頑張れ、自分!)

今日はお好み焼き屋に行った。
そこのお好み焼きは美味い上に焼肉も食える。
しかもそこのハラミ(塩)はメチャクチャ美味い。
しかも安いのだ!
自分としてはもんじゃの方が好きなのでお好み焼きはあまり食わないのだがそこのは美味いのでつい食ってしまう。

もんじゃ・・・もんじゃと言えば月島が有名だが最近は全然行ってないなぁ〜。
一時期は大きめの有料駐車場があったので良かったんだけどあそこも潰れちゃったみたいだし。
車止めるの苦労するんだよなぁ〜、あそこは。
まあ、都内はどこでもそうだけど・・・。
駐車料金も高過ぎだよ、まったく。(←じゃあ電車で行けよっ!!!)

今日会っていた友人は高校時代の親友。
う〜ん・・・今思うとあの頃の俺って友人多かったような気がする。
あんまり昔の事って覚えてないんだけどそうだったような気がする。
まあ、その大半は、ろくなことしない連中だったが・・・。
休み時間は教室でくわえタバコで賭けトランプやってたり、必ず朝は遅刻してさらに途中で学校抜け出して近くの溜まり場の店にたむろするかパチンコの新装開店に行ったり・・・。
う〜ん・・・そうそう、クラスの男15人くらいで学校休んで前日の夜からスロット屋に並んで全員大勝して飲みに行ったあとストリップ行ったり・・・笑。
ほのぼのとした平和な時代だったなぁ〜・・・。
でも俺、過去の記憶ってあんまりなかったりするんだよなぁ〜。
何でだろ・・・?
う〜ん・・・薬ってのもあるかもしれないし・・・あまりにも自分にとってトラウマチックな事が多かったので抑圧してしまったのかな・・・。

ちょっと明日の日記で振り返ってみようっと。
今日はもう寝なきゃ。
じゃっ!


















2001年11月21日(水) エネルギー低下

あ〜ぁ〜・・・しんどい・・・。
なんだかエネルギーがなくなってきている。
午前中に派遣会社から前聞いていた仕事のオファーの電話がかかってきたのだが気力がなくて出れなかった。
あんまり興味ない内容だったので断ろうかと思っていたのだがその断るためのエネルギーすらなかった。
なんだか居留守使ってしまって先方に申し訳ない。
でもやっぱりこの不況下でも妥協はしたくはないなぁ。
まあ、そんなこと言っている立場ではないのはわかっているんだけど・・・。
とりあえず対人関係的にあまり負担のない、できればごちゃごちゃした雰囲気でないところでないと性格上難しそうだし。
あ〜あ〜、どこかきれいな自然がある所ででっかい温泉着きのログハウスに住みたいなぁ〜・・・早朝はイワナ釣りに行って庭で有機野菜とか作ったりしてスタジオ兼オーディオルームも作って仕事場は書斎、みたいな・・・←ひそかな目標。

今日は一歩も外に出ていない。
起きた瞬間から疲れていたので少しネットやってから毎日こなしているメニューを休んで本読んだり音楽聴いていた。
う〜ん・・・やっぱり音楽は癒されるなぁ〜・・・。
今日、聞いていたのは主にブラジルのもの。
例えば、
Marisa Monte(マリーザ・モンチ)のAinda lembro(アインダ・レンブロ)
Itamara Koorax(イタマーラ・コーラックス)のMenina Flor(ミニ−ナ・フロール)
Arto Lindsay(アート・リンゼイ)のNobody in bed
パトリシア・マークスのショランド・ノ・カンポ
他いろいろ。

あとはフレンチボッサのディディエ・シュストラック。
そして今年のフジ・ロックにも来ていたと思うんだけどリッキ−・リー・ジョーンズの十年くらい前のアルバム「Pop Pop」。
このアルバムはいいねぇ〜・・・カバーばっかりなんだけどすっごいアルファー波が出てきちゃう。
気持ち良い。うとうとしてしまう。
他のアルバムも何枚か聴いたことあるんだけどこのアルバムがベストかな・・・っていうかこのアルバム以外良くなかった。
やっぱり新旧国籍関係なく良いものは良いのです。

そういえば昔大好きだったFree soulシリーズの橋本徹氏が編集してるカフェ・アプレミディも十枚くらい持っているけど全然聞いていない。
良い曲も結構入っているんだけど、なんていうかあの手の六十、七十年代の音って昔大好きだったから聞き過ぎてしまっていてなんだか飽きてしまったのかな・・・。
う〜ん・・・音楽話しだしたら止まらなくなる上にきりがなくなってしまうのでこの辺で止めておかねば・・・。
はぁ〜・・・なんかいいエネルギー溜める方法ないかな〜・・・。
まあとにかく明日のために寝なければ。





2001年11月19日(月) 思考停止

う〜ん・・・今日は停滞気味だ。
さっき読書中うとうとして眠ってしまった。
本読んでても全然ページが進まない。
文字を追っててもすぐ頭の中で違う事が浮かんでしまってあれこれ考え込んでしまう。
いかんいかんと思ってまた読み始めてもすぐにまた違う事が浮かんできて考え込む。
集中力が散漫になっていて意識が低下している。
頭がぜんぜん回らない。
仕事探しもここのところ停滞しているし・・・。
でも思考を停止してしまってはいかんので頑張って日記を書こうと思う。
支離滅裂でわけのわからない文章になってしまったらごめんなさい(To:読んでくださっている皆さん)。

思考を停止していた時期があった。
考えることを止めてしまえば楽になれるかもしれないと思った。
人に合わせてただ流されて流されて自分を消してしまえば楽になれるかもしれないと思っていたのだ。
周りの人すべてが羨ましかった。
みんな普通のことが普通にできるのに何で俺はできないんだろうって。
自分だけ何でこんな駄目人間なんだろうって思っていた。
親のせいにしたこともあった。
人のせいにしたこともあった。
社会のせいにしたこともあった。
日本のせいにしたこともあった。
でも、心の奥底で「なんか違うぞ、なんか違うぞ。」っていつも思っていた。
そう、やっぱりその心の声は正しいのだ。
前付き合っていた彼女に「アル(HN)はあともうちょっと、ほんのちょっと考え方を変えられたら楽になれるのに・・・。」って言われたこともあった。
しかし、自分の抱えている問題は人にはわかり難いのです。
いくら人から普通に見られていてもやっぱり自分は問題を抱えているのです。
そしてその抱えている問題に直面していかないかぎり状況は好転しないのです。

そう、やっぱり自分に課された課題から逃げちゃ駄目なのだ。
心の声に耳を傾けて、考え、実行していくという試行錯誤のプロセスを繰り返し行っていくしかないのです。
そして個性、独自性というのはその過程の中で生まれてくるものなのだと思うのです。
けっして自分の感覚(心の声)を離れて生まれてくるものではないと思うのです。
それゆえ少なくても自分は思考を停止してしまってはやっぱり駄目なのです。

フロイトもユングもそれぞれ神経症、分裂病という問題を抱えていてそれを治そうとして試行錯誤を重ねてそれぞれの理論を確立した。
僕は分裂症的だったのでユングの方に共感を覚えるんだけどやっぱり人それぞれの個性によって合う合わないの相性があると思う。
内観療法やら、森田療法、論理療法、来談者中心療法、箱庭療法、音楽療法、ゲシュタルト療法etc etc・・・カウンセリングの理論はいっぱいあってどれもある程度の効果は自分に与えてくれるけどやっぱりそれ以上は行かないのです。
一人一人の個性は枠を作ればくくることはできるかもしれないけど似ている人間同士でもやはりどこかが違うのです。
だから結局は僕はそれらを参考にしながらも自分で自分の治療法を確立するしかないのです。
他力本願だけではいけない。
だから僕はこれからもずっと心の奥深くに眠っている自分の声に耳を傾けて考えて、悩んで、試行錯誤を繰り返さなきゃならんのです。

う〜ん・・・まあでも結局はただ悩んでるのが好きなのかな・・・俺、笑。






2001年11月18日(日) 温泉の水と良い事

いか〜ん!
毎日欠かさず更新していたのに一日空いてしまったぁ〜〜〜。
う〜ん・・・まあでも忙しくて書けない時だってあるのだ!
俺は気にせん!気にせんぞぉ〜!極端はいかん!(←解説:完璧主義・キッチリズム・強迫観念に支配されていた昔の自分を思い出しながら格闘している、笑)

昨日は本屋に行った。
家の近所には中規模の本屋が5、6軒あるのだがそれでもやっぱり品数が少ないので大きい本屋にちょくちょく行く。
よく行くのが神田の三省堂(近くの楽器屋もついでに寄る)、日本橋の丸善(洋書の数が多いのだが売り場面積が小さくなってしまったようだ。あと、近くにある居酒屋のランチメニューであるマグロのヅケ丼定食がお気に入りだったりする。味もボリュームも値段(680円)もエクセレントだ。)、あとは川口の書泉。
昔、渋谷で働いていた頃はブック1stに寄ったりしていたが最近はめっきり行っていない。

で、昨日は車で川口の書泉に向かった。他の二件よりも多少家から近いのだ。
川口に着いてからデパートの商品券を持っていたのを思い出して予定を変更してそごうの中にある本屋で本を三冊買った。
車に戻って助手席の上に置き忘れていた携帯電話をみるとメッセージが一件入っていた。
「・・・温泉の水いらな〜い?・・・」
う〜ん・・・シンプルでストレートなメッセージは友人Mからだった。
Mは山の中で自然に囲まれて生活したいらしく、ここ1週間くらい場所探しに奔走していて長野に行っていたらしい。
そしてその夜会うことにした。

「温泉の水か〜・・・もしかしたら風呂桶一杯分持って帰ってきたのか?う〜ん・・・Mならやりかねん・・・。」
と思っていたのだが500ccのペットボトルに汲んだ飲める温泉の水だった。
何度か飲める温泉の水を飲んだことがあるがこのMが持って帰ってきた物にはかなりびっくりした。
何ていうかレモン水の味がして後味が少し渋くてしびれる感じ。
たまにそういう味のする温泉があるらしいのだが俺はその存在自体知らなかったので感動してしまった。
色は無色透明なのだが熱すると赤くなり、緑茶にほんの少し垂らすと緑茶が黒くなる。
何に効くのか忘れてしまったが、毎日少量しか飲んじゃいけないらしい。
しかも寝る前は駄目で朝飲むのが良いみたいだ。
今日もさっき飲んだのだが何か効いてる感じがする。
おいしい・・・・・がほんとに飲んで大丈夫なのか!?

そして旅の写真の現像が終わっていたのでMに見せてもらった。
Mはどこの国だかわからないが前々回くらいの旅で知り合った日本人の彼女と一緒に今回はアジアの国々を1年ほど回ってちょっと前に帰ってきたのだった。
写真とはいえMの彼女を見るのは初めてだったが・・・う〜ん・・・可愛い・・・Mの好きそうな繊細で純粋で性格の良さそうな感じがにじみ出ていた。
「ちくしょうめ〜」
俺はつぶやいた(←もちろん心の中で、笑)。
他の写真はまあ風景やら生き物やらバカやってる写真(ネパールの山で刈ったBudsガンガンのいかにも効きそうな大量のハッパやら色々な種類のマッシュやら)。
ん〜・・・・・相変わらずフリークだ・・・笑。
そういえばあの彼女の明らかにハッパで浄化されたような目や表情を俺は見逃さなかった・・・。

まあ、そんなことはどうでもいいとして、今回彼らは鉛筆をバックパック一杯に詰めて持って行き、各地の小学校などで配っていたらしい。
草の根的なところで良いことをしている人は結構多いのかもしれない。
けっして変な観念を持って押し付けがましくやってるのではなく旅の数ある目的の一つとして楽しんでやってるところがいいね、って思った。
そういえば俺も昔インドのカルカッタでボランティアをしようとしてサダル(←安宿街のある通り)から徒歩でマザーテレサの家に向かったことがあったのだが結局たどり着けずに終わってしまった。近かったはずなのに・・・。
う〜ん・・・俺は好奇心+自慢できそう、みたいな心が多少なりともあったのでこの世界を司る見えない何物かが俺がたどり着くのを阻止したのだろうか・・・笑?
はははっ、それはないか・・・。
結局、人間なんてそんなピュアできれいな生き物ではないのだ。
一人の人間の中に良心も悪意も混在するのが自然なことであり真実なのだ。
まあ、一部の聖人は別なのかもしれないが・・・。
要はバランスの問題。理性の問題。

思うんだけど自分が八方塞で苦しくてどうしようもなくなっている時はせめて自分の回りにいる人に自分ができることを考えてしてあげるっていうことはかなりの効果があるように感じる。
自分の内側にエネルギーを注ぐのではなくて外に向けてみることも必要なのだと思う。
Pay it forwardって映画があったけどあの中で誰か3人に自分ができることをしてあげてさらにその3人がそれぞれまた3人の人にできることをしてあげてどんどんその恩を回していくっていう、あれはやっぱり現実には無理なのかなぁ〜・・・。
最後ちょっと悲しかったし・・・。
う〜ん・・・・・結局、悪いことをしたら悪いことが何らかの形で帰ってくるし、良いことをしたらまたそれも良いことが何らかの形で帰ってくるっていう当たり前のことが実は凄い重要だなぁ〜ってつくづく思うんだけどその当たり前のことってほんとに難しいのかな・・・。
う〜ん・・・・・悩みは続く・・・・・笑。







2001年11月16日(金) 過去との連続性

ふぅ〜、今日は朝起きれた。
しかもそれからずっと起きている。
さらに夜にはランニングまでした。
一見完璧な一日のように思える。
がしかし・・・自分に課しているメニューがこなせていないのだ!
こんなんではいかん。もっと頑張らねば・・・。
まあでも前進はあったということでとりあえずは自分を褒めてあげることにしよう。
ということですでにビール三本目に突入している、笑。

十一月ももう半ばになってしまった・・・。
時が経つのは早いなぁ〜。
二十歳を過ぎてから時間の進み方はだんだんと早くなり二十五を超えるとまたさらに加速されていく・・・。
しかし、周りは順調に歳を取って行き、自分だけが取り残されているような感覚を覚える・・・・・・っていうような感覚は最近なくなってきた。
何でだろう・・・開き直ってしまったのだろうか・・・。
まああんまり人に会わないような生活をしているからかもしれない。
う〜ん・・・もっと焦らないとならないかもしれないがまあ焦ってしまったら逆に状況が悪化してしまいそうなのでしばらくはこのままのペースでいいかなっとも思ったりする。
こんな状況にいられる自分はやっぱり幸せなのかもしれない。

自分の価値観、そう、自分の価値観。
自分がいて家族がいて社会があって日本があって世界があって地球があって宇宙があって・・・そこまで範囲を広げるかどうかはともかく全体の中における自分を意識できるかどうかが大切なような気がする。
現代の日本は「個」と「公」が分離してしまっている(小林よしのり談・戦争論1&2←両方お勧めです)。
「個」が完全に孤立してしまうと現実感覚を失い狂ってしまって残忍な殺人者になってしまったり自殺してしまったりどうしようもない状況に陥ってしまったりする。
日本も個人主義化してるとは言え欧米のそれと日本のそれとはまったく別種のものなのです。
自分は明らかに日本人なのに何故か昔から日本人であることに誇りを持てなかったのです。
そんな人間にやれグローバルだぁ〜、インターナショナルだぁ〜・・・そんなことは無理なのです。
ナショナルからインターナショナル・・・これはやっぱり正しいと思う。
だから自分の国の文化を大切にすることは重要だと思う。
それは自分自身をも大切にするということに繋がってくるのだと思う。
過去との連続性・・・・・そう、自分も日本も過去と断絶してしまっている。
やっぱり失ってしまった何かを取り戻さなければこの国は本当に危ないと思う。
自分は現在ちっぽけで無力で四面楚歌出口なし泥沼状態なのだがずっとそういうことを考えてしまっている。
う〜ん・・・自分はどうやって社会と、日本と、世界と、地球と、宇宙と、繋がっていったらよいのだろう・・・・・。
う〜ん・・・悩みは尽きない・・・笑。













2001年11月15日(木) 心の声を聞く

う〜ん・・・今日も朝起きれなかった・・・。
と言ってもまぁ一回八時半に起きることは起きた。
でもベッドに入ったまま日課にしようとしている千葉テレビのBBCニュースを英語で見た後、ベッドから出る気力が沸かずそのまままた昼過ぎまで寝てしまった。

朝早く起きると普通はすがすがしいものなのだが自分は「人々が活動し出す音」を聞くのが嫌だったりする。
無職である自分に焦燥感と絶望感を与えるからだ。
しかしそんな感覚も歳を取るにつれ、無職歴を重ねるにつれてどんどん薄れてきているように感じる。
要するに現実逃避度が増しているのかな・・・。
う〜ん・・・このままの勢いで逝ってしまうと社会復帰ができるのかどうかが不安だ・・・。

独りでずっといると自分とずっと向き合わざるを得ないのでうまくバランスを取らない限り精神がおかしくなってきてしまう。
自分とずっと戦い続けても勝ってこない。
まあ、即身成仏できる人は別だろうけど・・・。
やっぱり社会の中での自分の居場所を持たないとずっと駄目なままのような気がしている。
その居場所を手に入れるのは自分のような精神に問題を抱えている人間には難しい。
しかしやらなければならん・・・早くアイデンティティを確立せねば・・・。

思うんだけどまだネットや携帯のメールがあって人と繋がれるだけ良いのではないかと思う。
もしネットや携帯がなかったら独りっきりで篭って悩んでいる人はどうなってしまうんだろう・・・?
自殺者の数ももっと増えてしまうのではないだろうか?
同じように悩んで頑張っている人がいるのを知るだけでも症状はいくらかは軽くなるはずだと思う。
ここにこうして日記を書かせてもらってるけどこのHPには自分自身かなり救われてきている。
他にも自分の様にこのHPに救われてきた人ってかなり多いんじゃないかな?
そういう意味でもぱぴさんは凄いと思う。
引き篭もり100万人といわれるこの時代にかなりの人々を救っているのだから。

いい歳してやっと自分には何ができて何ができないのかが少しずつわかってきたような気がしている。
まあ、「自分にできること」というのは圧倒的に少ないのだが・・・笑。
自分にどんな才能があるのか(またはないのか)というのは実際に何かをやってみて初めてわかることだと思うのでとりあえず駄目元でもいいからチャレンジを続けていけばそのうち自分の居場所もできてくるのかなぁ〜と思っている。
でも年齢制限や学歴制限があったりするのはきついな〜。

まあいいさっ、ポジティブにポジティブに・・・本来ネガティブな人間である自分にいつもそう言い聞かせている。
人間いつかは死ぬんだからそれを常に意識した上でこれからどういう価値観を持ってどうやって生きていったら良いのかを自分で選択していこうと思っている。
死を意識したほうが生が充実する・・・自分の中のかなり奥深いところに住んでいる何物かがそう言っているのだ。

明日こそは早く起きねばならんのでもう寝よう。


2001年11月14日(水) 普通の楽しみ

ふぅ〜・・・今日は一歩も外に出ていない。
いつもはコンビニ行ったり車で当てもなくそこら辺をさまよったりするのだが今日は何故か出ていない。
う〜ん・・・朝起きようとしても起きれなくなってるしどうしたものかな・・・。
まあでも明日は図書館にでも行こうかと思っている。

話は変わるが車に乗っている時間が好きだ。
好きな音楽を大音量で聴きながら景色が流れていくのが好きだったりする。
最近唯一俺のストレス解消法かもしれない。
どこかドライブにでも行きたいが彼女もいないしお金もないので行けなかったりする、涙。
あ〜あ〜、温泉行きてぇ〜〜〜。

この前、ランニングした後に近くの銭湯に独りで行った。
銭湯とはいってもサウナもついてるしちょっとした露天風呂もあるし薬湯もあるし数種類のジャグジーも付いていて銭湯と同じような値段なのだ!(たしか四百円くらいだったと思う。)
しかも軟水なのでお肌スベスベ、笑。

それにしても何で薬湯に入ると男の急所が痛くなるのだろう?
なんだかヒリヒリしてくるのだ!
よく観察していると他の人の表情を見てても「痛そう」な表情をしていたりする。
う〜ん・・・女性は痛くならないのだろうか?
しょーもないことだがふと疑問に思った。

今年は行けなそうだなぁ〜、温泉・・・。
理想を言えば彼女ができてドライブしながら山奥の温泉宿に泊まって貸切の露天風呂に一緒に入って酒を飲みながら美味いもんをたらふく食ったりしたいなぁ〜。
あ〜〜〜
あああ〜〜〜〜〜
あぁぁぁぁぁぁあああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

そういう普通の楽しみが必要だ。

明日こそは早く起きねばならん。
そろそろ寝るとしよう。


2001年11月13日(火) 音楽話

友人のバンドが今月メジャーデビューする。
ずっとインディーで活動していたがとうとうメジャーに移るらしい。
ここ数年会っていないが、ネットサーフィンしていたら偶然彼らのHPを見つけてその情報を知った。

嬉しい。
確かに嬉しいんだけど正直言って半分悔しいという気持ちがある。
高校時代からずっと音楽仲間で一緒にバンド組んだりしたこともあった。
つい3、4年くらい前にもレコーディングするから手伝ってくれないかというオファーがあり、何回か一緒にスタジオに入った。
結局、ボツになったんだけど・・・。

彼らはずっと同じメンバー(三人とも知り合い)で地道に活動していたので数年前に久しぶりにライブ見に行ったら明らかに昔よりうまくなっていた。
音楽性は自分とは違うけど着々と成長している姿を見て俺は羨ましかった。

う〜ん・・・俺は一体何をやっているのだろう?
自分もずっと音楽をやっていた。
なかなか音楽性や気の合う人がいなかったので長い間一人で全てやっていた。
でも、歌だけはどうしようもないレベルなのでボーカルを募集してユニットとバンドを数年前に結成したりしていた。
とんとん拍子にとあるレコード会社のディレクターに気に入ってもらいメジャーからCDリリースの話を持ちかけられたこともあったが、精神的にかなり参ってしまっていて曲も創れなくなっていたし他のメンバーともうまくやっていけそうもなかったので脱退してしまったのだった。
それから聞いてはいるのだが全然音楽をやる精神状態ではなく今に至ってしまった。
でも今でも音楽やりたいと考えている。
メジャーでやりたいとは思わないがそのうち生活&精神状態が安定したら自主制作でCD出したりしたいなと思ったりしている。

独りで音楽を製作していると楽しいことは楽しいのだが自分とずっと向き合わなければならないのでかなり精神が疲労する。
時には危険なゾーンに入りこんだりしてしまうこともある。
でも、完成したときの喜びは凄く大きいし、自分の創った物を人に聞いてもらって感動したり、泣きそうになったりしてくれると言葉にならない自分の思いが100%伝わっていることにものすごく感動したりする。
あの感覚が今でも忘れられなかったりする。

う〜ん・・・彼ら売れるといいんだけどなぁ〜。
メジャーに行っても売れない限り生活は楽にならないかもしれないけど頑張ってほしい。

そう言えばもう一人の知り合いもアルバムを発表するらしい。
あの人はインディーでかなりマニアックなことをやっているが演奏は恐ろしいほど高度だ。
北欧から来日したアーティストのバックバンドも勤めたりしていた。
それも大成功だったらしい。
聞いたことはないのだが・・・。
彼らのやっていることは観念的過ぎるので自分には合わないが(かなり暗黒な雰囲気を醸し出している)同じ音楽を愛するものとして頑張って欲しいと思っている。

やっぱり自分は体で聞く、もしくは感覚に自然に入りこんでくるスピリチュアルな感じの音楽が好きなのだ。
リズムや気持ちのいい音が大好きなのだ。
最近はほとんど癒し系の物しか聞いていない。
自分で良い曲だけを詰め込んでCDを焼いて友達にあげたりしている。
嬉しいことにかなり好評みたいだ。
日本の物は無駄に音が入っていたりするので聞いていて疲れてしまったりする。
でもこの前友人に送ってもらったMariMari rhythmkiller machinegunはなかなか良かった。
ああいうのもっと聞きたいなぁ〜。

さてっと、明日からちゃんと朝起きる癖をつけないとならないのでそろそろ寝るかなっ。
って、もう2時半過ぎてたりする・・・涙。








2001年11月12日(月) 友人T

今日、家の電話の留守電に変な声が入っていた。
何か、助けを求めているようなうめき声が一分くらい続いているのだ。
日本語なのかどうかもわからない。
完全に舌が回っていないし一つの単語も聞き取れない。
まったく何を言っているのかわからないのだ。

十五秒くらい聞いたときにふと衝撃が走った。
「もしかしてTか・・・?」
一瞬聞こえた独特で微妙な息使いがTの顔を思い起こさせた。

Tとはしばらく会っていなかったが共通の知り合い(Tの親戚)から
原因不明でほとんど植物状態で入院していると聞いていた。
植物状態といっても脳死というわけではなく、ただ寝たきりでまったく動かないので点滴で栄養を送っているということだった。
言葉もほとんど発することがなく、ごくたまに一言二言意味のわからないことを言ったりするらしい。
その共通の知り合いが一度、御見舞いに行った時は一瞬Tの口元に笑みが浮かんだらしいがそれ以外は言葉も発することなくピクリとも動かなかったらしい。

「とうとうそこまで行ってしまったのか・・・」
かなりショックだったがそれが俺の正直な感想だった。
Tとは幼なじみで家も近かったのでちょくちょく彼の家に遊びに行っていた。
精神分裂病という診断を受けて初めて入院してから入退院を4、5回繰り返していたのだった。
初回以降は分裂病という診断ではなかったらしいが退院してきてもすぐに調子が悪くなってしまって息使いも常に荒く「薬が合わない、薬が合わない・・・」、それがTの口癖だった。

Tの部屋に入るとTはよくごみ箱を抱えていてそこに吐いていた。
吐き終わるとすぐにテーブルの上に置いてある飲みかけのビールをゴクゴク飲み、またすぐにごみ箱に吐く。
それをずっと繰り返していた。
入院前の2、3ヶ月は酒はやめれていたみたいだが、ひどいときは朝5時に起きた瞬間に酒を買いに行って飲んでいたらしい。

俺にはどうすることもできなかったがせめて話をして少しでもよくなってくれたらと思い、ちょくちょく遊びに行っていたのだ。
っていうかまあ自分も友人が少なく寂しかったので話相手が必要だったのだ。
調子の良いときはそうでもないが、調子の悪いときは話しかけても「あ〜」とか「う〜」というような返答しか帰ってこないし、正直に言って俺自身も精神に問題を抱えていたため何度も引き込まれそうになっていたのでたまに怖くなった。

「君といると不快だ。もう来ないでくれ」
っていうメールを突然Tが送ってきたのでびっくりしたが頭に来てそれ以降絶縁状態だった。
俺の態度や発言がTに不快を与えていたのか・・・確かに幼なじみで腐れ縁ということもあり、Tのためになるかもしれないと思いながら少々きついことも言ってしまっていたかもしれない。
そしてしばらくしてから共通の友人にTが植物状態だということを聞いたのだ。

今日留守電に入っていた声がTのものであるということがまだ確実にはわからないが、もしそうだとすると、植物状態からは抜け出すことができたのだろう。
あの「何か助けを求めているような」うめき声から判断すると俺に対してかなりの罪悪感を感じているのかもしれない。
御見舞いに行こうかと思うがまた同じ事の繰り返しにならなければ良いのだが・・・。
でも、ある意味行くところまで行ってしまったような気がするので後は上昇してくれるのを祈るのみ。
もっと行くとすれば死しかないのだから・・・。










2001年11月11日(日) 感謝

今日は久々にビデオを借りてきた。
週末だというのにまったくなんの予定もないからだ!涙。
う〜ん・・・いかん!いかん!いか〜ん!!!!!
このままじゃいかんのです、号泣。
ずっと篭りっぱなしだ。
彼女がいた頃はまだ救われていた。
思えば現実世界との唯一の接点だった。
よく俺みたいな男と4年間も付き合ってくれたよ・・・。
大変だっただろうなぁ〜・・・俺と付き合っていくのって・・・。
自分でもわかってるんだ、自分のどこが駄目なのかってね。
いっぱいありすぎて全部はわからないけどね。
自分の悪い所を変えたいと何度も思ったよ。
必死に考えて努力もしてきたつもりだ。
でも、人間はそんなに簡単には変われんのです。
結局はあるがままの自分を受け入れて生きていくしか自分には道がないのです。

最後の1年はあんまり会えなくてすまなかった。
でも俺にはああするしか方法はなかったんだよ。
たぶんわかってくれてたと思うけど・・・。
いろいろと傷つけてしまって悪かった。
まあでも・・・それはお互い様だね、笑。
今の自分があるのは君のおかげだよ。
俺を狂気の世界から救い出してくれたのも君だ。
本当に君はいい女だと思うよ。
特にその底の無いやさしさが好きだった。
だから早くいい男見つかると良いね。
正直言って想像すると感情掻き乱されるけど
それが俺の本心です。

やばい・・・本当に涙が出てきそうだ・・・。
別れてからもう五ヶ月。
自分は時間が止まったままだ。
「アルは過去に生きてる」
確かにそうだ・・・俺は過去に生きている。
君と出会ってからも出会う前も俺の中の時間は止まったままなんだ。
わかってるよ、よくわかってるんだ。
でも消費と生産だけをただ無機的に猛スピードで繰り返していくだけの社会が耐えられないんだよ。
感情までただ無機的に消費していかなければならない事に耐えられないんだ・・・。
わかってるよ、わかってる。
他の人には簡単にできることが俺にはできないってこともね。

う〜ん・・・・・結局、俺は今でも包み込んでくれるような母性愛を求めているのかもしれない。
やっぱり男はみんなそうなのだろうか?
よく、「おまえは俺が守る!」っていうセリフを聞くけど
あれは社会的に(経済的に)男が女を守るって事なのだろうか・・・?。
そんなセリフが言えればいいが俺にはその能力もない・・・今のところ社会不適応者だ。
なんだかんだ言って結局は男よりも女に守られてるっていう方が俺にとってはリアリティーが感じられる。
弱弱な男だ・・・・・でもこれがあるがままの自分。
だから受け入れるしかない。
受け入れた上でどうにかしようと思う。

最後に一言言わせて欲しい。
感謝・・・・・・そう、本当に感謝の一言に尽きる。
本当にありがとう。



2001年11月10日(土) ビール

ふぅ〜・・・酔った・・・。
今日はビールを飲んでいる。
ビールって言っても発泡酒なんだけど・・・。
なにも好き好んで発泡酒を飲んでいるわけではありません。
できればビールを飲みたい・・・しかし・・・・・・まあ要するに金を節約しているのだ!(←節約するなら飲まなければいいのだが飲まずにはいられない精神状態なのだ!)
ケチってケチって店にあった一番安い発泡酒を買ってみた。
その名も「粋生」。
失敗だった。クソまずい!
いくらなんでもこれはないだろう。
「サッポロか?アサヒかな?」
どこの会社か調べるために缶をよく見てみると書いてないのだ。
さらによく見てみると「原産地 香港」
はうっ!なるほど・・・香港で作ってるのか・・・安いわけだ・・・。
しかし香港のビールはこんなにまずいのだろうか?
ふと疑問に思った。

中国に行ったことがあるが、中国のビールも最低だった。
すごく味が薄いのだ。
青島ビールはまあ飲めるほうだったが他のビールは(三種類くらいしか飲んでないが)マズイことマズイこと。
まあマズイマズイ言いながらがぶがぶ飲んでたんだけど・・・。
ただ、値段がかなり安かった。
たしかニ、三十円で大瓶一本が買えるのだ。

ビールといえばやっぱりドイツのビールは美味しいんだろうけど隣国のチェコビールもかなり美味いらしい。
そして、忘れちゃいけないのがベルギービール。
友人がベルギービール専門の店で働いているのでたまに行くんだけどこれが美味い美味い。
ちょっと値段が高めなので最近はご無沙汰なのだが味が濃くて種類がかなり豊富なのだ!
ドクターペッパーみたいな味のするものまであったりする。
ワインみたいにコルクで栓がされているのもいい感じだし、アルコール度が高いので三杯くらい飲んだらかなり酔ってしまう。

あ〜あ〜・・・なんか書いてたら飲みたくなってきてしまった。
しかし今はそんな高級な物を飲める身分じゃないので「あの味」を想像しながら粋生を飲むとするかな・・・涙。
粋生はおいしいよぉ〜是非試してね。



2001年11月09日(金) 自己嫌悪

自己嫌悪・・・・・・そう、自己嫌悪だ。
自分は自己嫌悪が強い自虐的な人間だった。
今でもその気はあるけど昔ほどではなくなってきたと思う。
昔は自分を責めるあまり酒や薬で自分を破壊しようと思っていたのかもしれない。
しかしやっぱり極度の自己嫌悪は人を無力にしてしまうのだと思うのです。

今日は見逃してしまったが、木曜夜九時から村上龍原作の最後の家族というテレビドラマが放映されている。
現代の日本に生きるある家族を描いたドラマだが、さすが村上龍・・・内容が詰まっていてうまく現代の日本を描写していると思う。
先週か先々週、そのドラマを見ていて思ったことがある。引き篭もりの息子がキレて父親に対して暴力を振るってしまう。次の日、二階にある自分の部屋から降りてきて冷蔵庫からジュースを取り出し、飲みながら近くにいた母親に、かなり心配してソワソワしながら「父さん、大丈夫かなぁ」っと聞く。母親が大丈夫よと答えると息子は安心する。暴力を振るった後は必ず言うセリフだと母親は心の中でつぶやく。っていうシーンがあって、「あぁ〜〜〜わかるよぉ〜〜〜その気持ちぃ〜」っと独り言を言ってしまった。
自分でもどうにもならないある種の感情のエネルギーがちょっとした事で爆発してキレてしまい、その後どうしようもない自己嫌悪に襲われるのだ。
まったく自分の事を言われているようでドキッとしてしまった。
引き篭もりは自己嫌悪が強い人が多いように思う。
自己嫌悪が強すぎるからこそ、その原因になりうると思われることすべてから逃れるために、自分を何とか保つことができる世界に閉じこもる。
繊細で過敏でモラルも高く、人を傷つけるのを人一倍恐れる。
どうにか社会の中でうまくやっていこうと思っても自分ではどうにもならないのだ。
自分の場合はそういう感じだったと思う。っていうか今もちょっと引き篭もり的であるが。

思うんだけど、徹底的に逃げる時期ってあって良い思う。
そういう時期を経ていろいろと自分や社会を見つめ直す時間は必要だと思う。
しかし、社会の風当たりは厳しい。
今自分は無職なので仕事を探しているが、面接の時などに特にそう感じる。
履歴書の空白の所を突っ込まれても「引き篭もってました」とは言えない。
「悩んでました」とも言えない。
「哲学やってました」なんて言えるわけがない、笑。
一応、やりたい仕事があってそのための努力もしているが、会社側としては自分の会社の利益になる人を採用するので、そういう意味では自分の履歴は社会的にまったく信用がないから社の利益になるとは考え難いだろうと思う。おまけに対人恐怖的で目つきも悪かったりするので面接はきつい。
しかも運悪く人を傷つけるような発言を平気でするような面接官に当たったりする、涙。ああいう人格の人って多いんだろうなぁ〜。
う〜ん・・・もっと自分みたいな状況にある人達に対して理解を示して欲しいし、もっと精神的に気持ち良く生きれる社会になって欲しいと思う。
道を踏み外したことがない人が圧倒的多数なのでそういう人は自分は絶対的に正しいと信じきっていたりするので道を踏み外した人間のことがわからないのだろう。っていうか自分のことで精一杯なのかもしれない。
う〜ん・・・・・・どうにかせねば・・・。
まあでも「落ちてもまた次があるさ」っと考えて自分をあまり追い詰めないようにはしてる。
努力しても必ず報われるわけではないが努力ぐらいしかすることがないので一応している。

因みにそのドラマでは赤井秀和演ずる父親はこの大不況の中で何とか「会社の再建」のために頑張るサラリーマンで、家庭では「飯は必ず家族そろって食う」というポリシーを持って子供を育ててきた。会社の同僚と飲み屋で「会社のために今俺たちが頑張らねば」と熱く語っていて近くの席で飲んでいたサラリーマンに「今どきそんな古い事〜」と陰口を叩かれる。
う〜ん・・・なんかリアルで悲しくなったりするが、松浦亜弥が可愛かったりするので来週は見よっかな〜。

(そういえば父親(赤井秀和)が救急車で運ばれてからどうなったんだろう・・・松浦亜弥と元引き篭もりの宝石デザイナーの行方も気になったりする・・・。)







2001年11月08日(木) 薬、友人、自分

今日は友人Mから電話がかかってきた。
この前の日曜にも電話がかかってきて約一年ぶりに会った。
彼はこの一年間ずっとアジアに行っていたらしい。
具体的にいうと、タイ・マレーシア・インドネシア・ネパール・インドを旅してきたらしい。
呼び鈴が鳴って玄関のドアを開けると何とも怪しげな雰囲気を醸し出したMがニヤニヤしながら立っていた。
その後、俺の部屋でしばらく雑談した。

Mとはもう十数年の付き合いで久しぶりに会っても時間の経過によるギャップをまったく感じない。気心が知れている。
しかしそんなMと自分の関係はこの数年間、かなり冷えきったものだった。
原因はいろいろあるが、今考えると一番の理由はドラッグ仲間でもあったことだと思う。
今はもう何の好奇心も魅力も感じないが、数年前まで俺はドラッグの虜だった。あまり詳しくは語れないけど国内外でありとあらゆる物を嗜んでいた。
ずっと、音楽をやっていたので薬との相性は抜群だった。また、その手の音楽が大好きだった。薬によって聴く音楽も変える・・・そんなバリエーションを楽しんだりもしていた。
最初に言っておくけど自分はドラッグ反対論者ではありません。また、賛成論者でもないです。

始まりは、アメリカだった。
当時、自分はカリフォルニアに留学していた。今から考えると親の援助できているのに何て申し訳ないことをしていたのだろうと思うが当時は自分も若かった。それに、もともと対人恐怖的で神経が過敏だったので文化のギャップに苦しみ、いつのまにか引き篭もるようになり大好きな音楽と薬に明け暮れていた。
住んでいたアパートはサンフランシスコのほぼダウンタウンにあった。冬は少し寒いけど一年中気候も温暖で坂の多い良い町だった。
ただ、変態が多い、笑。
なにしろ、今はどうかわからないが人口70万人中15万人が同性愛者だ(←アメリカ素描、司馬遼太郎著で知った)。
外に出ると必ず女装したオカマやら目がやたらキラキラしたかっこいい男を目撃する。
しかしみんな陽気で明るい。ホームレスまで陽気だったりする。笑顔を向けると笑顔が返ってくるし、知らない人でも目が合うと挨拶を交わしたりもする。そういう点は凄く良かったと思う。日本人は自分も含めて目が死んでいる人が多いし、そういうのって周りの人の気分も暗くさせると思う(しかし自分は決して手放しのアメリカ好きではない)。
日本のように四季もないから気分のメリハリもなくなっておかしくなってしまっているのかなぁ〜とか初めは思っていたがそんなギャップもしばらくすると当たり前になってきてしまって刺激がなくなってくる。

脱線してしまった・・・あの頃の事で書きたいことがたくさんあるんだけどそれはまたいつか書くとして話を元に戻そう。
友人Mとのことだ。
結局、数年前自分は精神的に徐々におかしくなっていく過程でMと罵詈雑言の言い合いをしてしまったのだ。薬でぶっ飛んでしまっているので言ってはいけない事までブレーキをかけずに言ってしまっていた。今から考えてみると本当に友人や他の大切な物をたくさん失ってきてしまった。しかし、自分はこれを薬のせいだとは思っていない。結局、自分が、自分の心が弱かっただけなのだ。
友人Mとはある時期は悪友だったが今はうまくやっていけそうな気がする。お互い歳をとって成長したのかなぁとも思うが元々は親友だったし二人とも相手に対して申し訳ないことしてしまったと思っていたのだろう、口には出さないが・・・。
しかし数少ない友達が戻ってきてくれて嬉しい。
雑談した後、Mは昔中米を旅している時に買ったジャンべというアフリカの太鼓を持ってきていたので(Mはボリビアで十年間アフリカに居たというドイツ人にジャンべを習っていたらしい)一緒に河原に行って太鼓を叩いた。自分はボンゴを持っていった。お互いあんまりうまくはないが何か良いバイブレーションを醸し出しているように感じた。河原で散歩していたおじちゃん・おばちゃんが不思議そうに見ていた。う〜ん・・・やっぱり浮いていたのだろうか・・・。






2001年11月07日(水) 悩みと自分

う〜ん・・・悩みは尽きない・・・。
思えばここ十数年間ずっと悩み続けている。
しかも年齢を重ねるにつれてだんだん悩みは深くなり、複数の悩みが複雑に絡まりあって、そのうち何で悩んでいるのかその元の原因すらわからなくなってしまっている。
これだけずっと悩んでいるといつのまにか悩んでいる自分が本当の自分になってしまっていて悩みがない状態に陥ると逆に不安になってしまう。

よく、本を読んだりしていて、自伝のような感じで自分の歴史を冷静に振り返って自分の心の動きを正確に読み取り、何が問題でどうしたら良いかを考えて実行し、うまく問題を解決していったというような内容を見ると「凄いな」と思ってしまう。
人間、誰しも悩みはあってこの過程を繰り返していきながら成長していくんだろうなぁとも思うが、成長するということがどういうことでどういう意味を持っているのかもわかっていない自分が居たりもする。
まず、自分の心を冷静に読み取っているのが凄いなと思う。
自分はそれができないのだ。
ある事が起こったとして、自分の場合は自分の中の欲求や偏見、プライド、トラウマなどにより歪んで受け止めてしまったりすることが多い。
だからその後の過程、つまり問題を分析して解決策を考えてもうまくいかないのだ。
これを繰り返していくから悩みが泥沼化し、四面楚歌出口無しの状態に陥ってしまうのかなと思ったりもする。
でも、その本を書いている人も時間が経ったからこそ冷静に振り返ることができるのだろうなぁとも思う。実際、ある事件が起こっている時に自分が取り囲まれている状況を常に冷静に感知するなんて至難の技だし、そこまで感情を殺して生きていても面白くないだろうと自分では思ったりする。
だからこの日記では自分の過去を今、冷静に振り返って見たりするような内容もちょくちょく書いていけたらなぁ〜と思っています。

この前、小林よしのりの戦争論2が出ていて読んでみた。パート1も面白かったがこれも面白かった。
やっぱり自分が住んでいる国についても自分についても過去を否定するということは現在の自分をも否定することに繋がってきてしまうと思う。
自分自身は自分の過去を肯定して自分を許してあげようと努力したりしてみるがこれが結構難しい。
自分が良くても社会や会社やその他自分を取り巻く環境が許してくれなかったりする。
こう情報が氾濫してくると何が本当で何が嘘なのかがまったくわからなくなり、情報に押し潰されて精神病んでしまう状態になってしまうことも多いと思う。
自分もその中の一人で、これからどうすればより良く生きれるのかを頑張って模索していかなきゃと思う。
もういい歳だし・・・涙。

なんだか堅い内容でさらに長くなってしまったけど実はヘラヘラしててチャランポランだったりもするのでどうか大目に見てやってください(←自分を許そうとしている、笑)。AB型なもんで、笑。
さ〜て、寝るかなっと。


2001年11月06日(火) 初日記

はじめまして。アルと申します。つぶやきチャットでひたすらつぶやいているのもなんなので日記を書くことにしました。

う〜ん・・・基本的に日記というよりは独り言というかエッセイというか・・・どんな内容になるかは自分でもわからないのですが、その日自分に起こった事はもちろん、過去の体験談やふと感じたこと、考えたことなどをなるべく放送禁止用語を用いないように(笑)書いてみたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。


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