見つめる日々

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2010年01月31日(日) 
昨夜からずっとプリンターを回している。細かな設定のせいで、スピードはこれでもかというほど遅い。真夜中帰宅してからずっと回してほぼ四時間、それでもまだ必要な分量は終わらない。埒が明かないと途中で諦め、横になってみたものの、インク交換だったり紙の補充だったりと結局私もプリンターとともに夜通し起きていた。まぁそんなもんだ。任せっきりにして何か失敗したのでは、後悔しようがない。
濃い目のカフェオレを飲む。疲労を少しでも解消するため黒糖を溶いてみたが、どうも体の調子に合わない。迷った挙句、コーディアルティーに切り替えることにする。
ステレオから流れるのは、先日選曲した今聴きたい80曲のうちの一曲。一期一会。口ずさみながら私は今夜何度目かの窓を開ける。ベランダに出、空を仰ぐ。うっすらとした雲が全体にかかっている。その雲の向こうに満月が凛々と浮かんでいる。その白さといったら、青白いといっていいほどの澄んだ色で。私はうっとりする。「忘れないよ 遠く離れても 短い日々も 浅い縁も 忘れないで 私のことより あなたの笑顔を 忘れないで」。早朝からこんな歌詞の歌を歌うのも何かもしれないが、それでも、私は曲に合わせて歌う。この月とはまさに一期一会かもしれない、なんてことを思いながら。空に向って闇に向って歌ってみる。
足音を忍ばせてハムスターたちの小屋に近づく。ミルクは砂浴び場でごろんとひっくり返って眠っている。この無防備な姿。私は笑ってしまう。ココアはいつものように小屋の中で眠り、ゴロは砂浴び場でちょこねんと座って目を閉じている。私と同じように彼女も夜通し起きていたんだろうか。でもせっかく目を閉じているのだからと思い、声を掛けるのはやめておく。
身支度を整え終えて、プリンターを見る。まだまだかかりそうだ。出掛ける時間を調整しなければならないかもしれない。私はあれこれ考えながら、朝の仕事に取り掛かる。

高円寺の百音での二人展。パーティの日。料理とお酒を間にあれやこれやとおしゃべりをする。途中、実際こうして会ってみて知るあなたと写真からだけ抱くあなたのイメージは違いすぎて、と笑われる。あぁやっぱり、失敗した、黙ってちょこねんと座っておけばよかった、なんて思ってみるもののもう遅い。いつもながらのがはは笑いで最後まで通してしまう自分。こうだから豪快なイメージをもたれてしまうのだろう。本当は私、甘えん坊で繊細で寂しがりやなんです、なんてことは、口が裂けても言わないが、本当はこういう場は緊張してしまっているのです、と、口の中、もごもご、みんなに聴こえないように言ってみる。今更そんなこと云ったって誰も信じてはくれないだろうから、こっそりと。
こじんまりしたパーティだったが、でも集まってくれた面子は素敵な女性たちばかりで。これを縁にしたいなぁと思わせてくれる人たちばかりで。嬉しくなる。この年になってもこうした関係が広がっていくのは、本当に幸せなこと。嬉しいかぎりだ。

途中で娘に電話を掛ける。ちょうどご飯を食べ始めたところだったらしく、もぐもぐという音が受話器越しに響いてくる。ママ、社会のテスト、百点かもしれない。すごいじゃん。うん、まぁ「かもしれない」だけどさ、自信はあるんだ。すごいね、ママ、社会なんて全く自信ないよ。娘がかかかと笑う。じゃぁ明日、うん、明日。電話はあっという間に切れる。
明日は娘にとりあえず一人で家に帰ってきてもらわなければならない。ちゃんと夕飯の用意をしておかなければ。私は心の中のメモにしっかり記す。

午後の陽光はあたたかで。窓際の席に座っているとついうとうとしてきてしまう。まるでそこだけ時間が止まったかのような空間。そして夜は満月。澄んだ月が浮かぶ夜空は適度に冷えて、心地よい。
乗り継ぎの駅、終電を逃さぬようダッシュする。こういうとき、学生時代さんざん走っていてよかったとつくづく思う。ぎりぎりセーフで車両に乗り込む。これで安心して乗っていられるというもの。
がたごとがたごと、夜の街を通り過ぎてゆく車両。街はまだ明るい。あちこちに点る灯りがどんどん流れてゆく。
あともう少し、あともう少し、自分に呪文をかける。

さて、遅くなったが餌をやらなくてはと籠を覗き込むと、ミルクもココアもゴロも、全員が全員、入り口に立って待っている。あちゃ、ごめん、と言いながらぱっぱと餌を用意すると、餌が籠に入ったにも関わらず彼らはこっちを見ている。仕方ない。端から順に、と、まずココアを手に乗せる。ただいま、ココア。声を掛けながら撫でてやる。娘が言っていた通り、ココアの腹を撫でてやると、うっとりしたような顔をする。次にミルク。ミルクは背中の、耳の後ろの辺りが好きらしい。これも娘からの言葉なのだが。私が撫でてやると、それにお構いなしといった具合に鼻をぐいぐい私の手に押し付けてくる。ただいま、ミルク。そうして最後ゴロを手に乗せる。ゴロは遠慮がちに私の手の上、ぴくぴく背中を震わせながらじっとしている。ただいまゴロ。声を掛けながら撫でてやる。鼻筋をくいくいとくすぐってやると、恥ずかしそうな顔をする。
さぁ、お食べ。と声を掛けるまもなく彼女らはみんな一斉に餌箱にとてんと座り込む。そして次々餌を口に運んでいる。これで安心。

お湯を沸かすのもそこそこに、PCの前に座り、プリンターを稼動させる。今展覧会で販売しているポストカードを補充しなければならない。それなりの量になる。
煙草をふかしながら、次々データを送り出す。あとは待つのみ。でもその待ち時間が長い。とんでもなく長い。私はゆっくり吐いた煙が開けた窓の隙間からゆらりゆらりと流れ出てゆく。

朝の仕事も終え、しばらくして、ようやくプリンターが止まる。それまでかたかたと揺れていた棚もぴたりと止まる。ポストカードをチェックし、袋につめ、急いで家を出る。
月の姿もすっかり消えて、陽光溢れる朝。なんだかやけに空気がぬるい。やってきたバスに飛び乗り、駅へ。
さすがに日曜日のこの時間の電車は空いている。窓際に立ち、外を眺める。空気中の細かな塵に当たって乱反射する陽光が目に眩しい。光の洪水だ。
さぁ今日もまた一日が始まる。朝聴いた娘の元気な声を思い出しながら、私は自分に気合を入れる。渡る川面もきらきらと煌いている。


2010年01月30日(土) 
午前五時。腰を庇いながら起き上がる。鈍い痛みが右側に走る。ここ数日この場所が痛む。姿勢でも悪いんだろうか。起きて早々、腰にサポーターを巻いてみる。
ゴロが砂風呂の中でじっと目を閉じている。私はコンコンと指先で扉を叩いてみる。一向に目を開ける気配は無い。眠っているんだろうか。こんもりと丸くなって目を閉じている姿はまさに毛玉のようで。こんもりとした毛玉。私はそっとしておくことにする。
お湯を沸かしお茶を入れる。友人のくれたハーブティがなんとも私の口にあっており、今朝もそのハーブティを選ぶ。じっくり茶葉を開かせ、お湯からそっと上げる瞬間、草の香りがふわんと広がる。匂いに鈍い私が分かるほどなのだから、きっと今部屋の辺りがこの草の匂いに包まれているんだろうなと想像する。乾いた草原の匂い。いい香り。
ママが起きる時間に私も起こして。昨日娘がそう云っていた。私は一応声を掛ける。びくともしない。もう一度。やっぱり反応は無い。もうしばらく寝かせておこうか。私は三十分後にアラームをセットし、身支度を整える。
窓を開け、空を見つめる。闇はまだみっちりと詰まっており。でもこの冷気が闇を凛とさせている。目を閉じて耳を澄ますと、風の音が聴こえる。ひょう、ひょひょう、と街を渡ってゆく風。なんとなく、今日はいい日になる。そんな気がする。
髪を梳き終え、もう一度娘に声を掛ける。もぞもぞっと布団が動く気配。ママ、ミルク連れてきて。おもむろに娘がのたまう。仕方なく私がミルクを娘の横に連れて行くと、ミルク相手に布団の中、おしゃべりをしている。サンドウィッチ食べる? 私が声を掛けると、うん、そうする、と返事が返ってくる。私は先日作っておいたサンドウィッチを、皿に切り分ける。
二杯目のお茶を入れながら、私は今日持って出るものを鞄に詰め込む。今日は一日展覧会会場に詰める予定。これまで売れた分のポストカードの補充を今日持っていかなければならない。これを忘れたらパートナーに迷惑がかかる。絶対忘れるわけにはいかない。
あっという間に朝の仕事の時間へ。

授業の日。共依存症についての講義だ。共依存については自分なりに調べたことがあったのだが、授業はそこからはるかに広がりを見せ、私はその内容にぐいぐい引き込まれてゆく。依存症者と共依存症者との関係、嗜癖と過程嗜癖と。共依存症者のもつ障害と。進めば進むほど引き込まれ、しかしいっぺんには頭に詰め込めない状態に陥った。ノートをとるのが精一杯だった。
ひとつ、過程嗜癖の先に、講師が矢印をつけ更なる深刻な病状を記す。それが目に留まり、私は手が止まる。そこをさらに越えたら。そう考えると胸が痛くなった。今は考えるのはよそう。意識がそう云った。考えると涙が出てきそうだった。
来週は共依存からの回復を学ぶ予定だ。そこで分かち合いも行われるという。分かち合い。一体何をどう分かち合うんだろう。

授業の後少し休んで、帰宅。今催している二人展で販売しているポストカードの補充をしなければならない。プリンターをフル稼働させる。かたかたかたかた、かたかたかたかた。ひっきりなしにプリンターの音が部屋に響く。プリンターを載せている手作りの棚も一緒にかたかた揺れる。私はその揺れをぼんやり眺めながら、お茶を飲む。
人権会議なるものに出ていたのだと娘が三時半を過ぎてようやく帰ってくる。四回も発言したんだよ、と自慢げに鼻を上に向けている娘。人権会議とは一体どんな会議なんだろう。私が小学校の頃にはそんなものは存在しなかった。月曜日にはその会議結果を放送で流すのだという。人権会議。そういうものが必要な時代なのか、とふと思う。不思議な時代になったものだ。
ねぇママ、鉛筆が欲しいんだけど。鉛筆? うん。もうなくなっちゃったの? いや、まだあるんだけど、もう半分は使ったから。うーん。何本要るの? 五本か六本。じゃぁ学校の勉強の復習だけ終えたら、駅前の文具店まで出ようか。うん!
こうなると取り掛かるのが早い娘は、早々に理科の教科書を机に広げ、なにやらぶつぶつ呟いている。暗記しているらしい。ちらりと教科書を見ると、ちょうど星座のところ。あちゃ、下手に声をかけないほうがいいなと私は用心する。私は星座などの課題が苦手だった。星座にまつわる物語を調べるとか、そういったことは大好きだったのだが、どの季節にどの星座が見えるなどは、本当に大まかなことしか覚えていない。私は声を掛ける代わりに買っておいたお煎餅をひとつ、娘の手元に差し出す。娘は無言のまま、ぱくりとそれを食べる。
その間もプリンターはかたかたかたかた。小さな音を立てて動き続けている。

日ももうすぐ堕ちるという頃、ようやく私たちは自転車に跨る。坂を下り、角を曲がり、大通りを横切り。十分ほど全速力で走れば駅前へ。
郵便局に寄ってから文具店へ。鉛筆のコーナーに来たものの、娘が渋い顔をしている。どうしたの、と声をかけると、うーんと唸っている。私はもう一度声をかける。どうしたの? あのさ、絵の鉛筆、ないのかな? 絵の鉛筆? 模様のついた鉛筆。あぁ、そういうことか。うーん、ここにはないみたいだよ。…。どうする? 今日は買うのやめておく? …いいよ、ここで買う。
鉛筆といえば、無地の鉛筆。昔ながらの無地の鉛筆。私はそう思い込んでいた。しかし。娘にとっての鉛筆は、絵柄のいっぱい描かれた、賑やかな鉛筆だったのだ。せっかく買ったものの、なんとなくすっきりしない。今度鉛筆を買うときは、別の文具店へ行こう。私は心に決める。どうせする買い物なら、娘の喜ぶ顔が見えた方がいい。
帰り、地下街の隅にあるアイスクリーム屋で、小さいカップをひとつずつ注文。娘はカシスのシャーベット。私はシナモンのアイスクリーム。久しぶりに食べるその味に、私たちはようやくにっこりする。

駅をこちら側から向こう側に歩くときに気づいた。娘が私を大きく庇って歩くこと。私の背中に左手を当て、右手で人波を避ける。その日私があまり具合がよくなかったから、といえばそうなのかもしれないが、娘のこの気遣いに、私は思わず赤面してしまった。そんなに庇ってくれなくても大丈夫だよと心の中思ったのだが、しかし、ここまで庇ってくれようとしている娘の厚意を無駄にするのは、もっとしてはいけない気がして。私は彼女がしてくれるままに任せる。なんだか、どちらが親なんだか分からない、つくづくそう思う。君はまったく不思議な娘だね、私は彼女に聴こえないようにそっと呟く。

ようやくプリンターが一仕事終え、棚の揺れも終わり、私は横になる。久しぶりに一緒に横になったせいなのか、娘がどーんとその足を私の体に乗せてくる。ねぇねぇ、くすぐりしてよぉ。えー、今日疲れてるから勘弁。えーーー、やだよぉ、くすぐりしてよぉ。だからぁ、今日は勘弁してよぉ、今度するからさ。やだやだ、構ってよぉ。
あまりの駄々っ子ぶりに私は笑い出してしまう。おいおい、何年生だよと思うのだが口には出さない。私は寝たふりをして布団を被る。しかし娘はめげない。私の頬にキスをしたり、それでも動かないとミルクを私のおでこに乗っけてきたり。何とかして私を動かしたいらしい。根負けした私は、くそっと言いながら娘の脇腹をくすぐる。ひゃーと云いながら笑い出す娘。これでもか、これでもか、と私はくすぐりを続ける。気づいたときには布団がぐちゃぐちゃになっており。私たちは、布団を整え直し、ようやく床へ。
灯りを消した部屋の中、ミルクのがららっという回し車の音が響いている。

じゃぁね、じゃ、日曜日ね。娘と手を振り合って別れる駅の改札。娘は左へ、私は右へ。電車に乗ろうとしたところで娘からのメール。私は早速返事を返す。日曜日までのしばしの別れ。その間に私は私でやれることをやろう。娘だっていっぱいいっぱい頑張っている。
電車に乗り、ことこと揺られ、川を渡る。川岸にたくさんの鳥が集っているのが見える。伸びてくる陽光が目に眩しい。
そうして今日もまた、一日が始まってゆく。


2010年01月29日(金) 
目を覚ます午前五時。なんとなく頭がすっきりしなくて、いつもの倍の時間をかけて顔を洗う。化粧水をしつこく叩き込み、日焼け止めを塗って口紅をひく。ただそれだけのことなのだが、あぁ起きた、という気がする。軽やかな回し車の音に振り向けばゴロの姿。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女は遠慮がちながらも鼻をひくひくさせ、私を見上げる。ココアと体重が同じゴロ。後から産まれた子なのにココアと一緒ということは、ちゃんと育っているってことなのだろう。それを考えると、ココアの食の細さがちょっと心配になる。それを友人に話したら、豪快に、おまえの財布事情をよく分かってるんだろうと笑われた。それを言われるとやり返す言葉がないのだが。
お湯を沸かし、ハーブティを入れる。先日友人がプレゼントしてくれた、アメリカ先住民に伝わるハーブなのだという。一口飲んで、これは、と思った。私の口に非常に合う。そのせいか昨日から立て続けにこのハーブティを飲んでいる。何度飲んでもおいしいのだ。今度何処かの店で見つけたら必ず買おうと決めている。
ベランダに出、天空を仰ぐ。闇に覆われながらも、すかんと晴れた空。昨日の雨雲は何処へ消えたのか。地平の辺りに漂うのがその雲なのだろうか。
パスカリとミミエデンが新芽を出し始めた。パスカリは土替えをしないといけないのかもしれない。新芽が微妙に粉を噴いている。うどんこ病の兆しかもしれない。私なりに摘んでやってはいたけれども、どこかに摘み残しがあったのかもしれない。その粉が多分、土に落ちたのだ。だからようやく出た新芽も病に冒されている。近々土替えだ。私は心の中そう決める。ミミエデンはまだ固い固い芽だが、間違いなく出てきた。じき開いてくれるだろう。ずっと待っていたんだよ。私は話しかける。君が咲くところを見たくて、ずっと芽が出るのを待っていたんだよ。咲いておくれ、咲いておくれ。遅くなってもいいから。待っているから。
部屋に戻りPCのスイッチを入れると、友人から声がかかる。昨夜はよく眠れたらしい。よかった。私はほっとする。彼女も私と同じく睡眠が短い。起きる時間はたいてい私より早いくらいだ。そんな彼女が、久しぶりに眠れた。よかった。

海と対話した後、行きつけの喫茶店でしばし時間を過ごす。しばらく迷って、今神戸にいる友人に電話を掛ける。友は今妊娠しており、ようやくつわりがおさまったところだ。いくら親元とはいえ、その親との関係が微妙な彼女にとって、毎日はどんなに不安だろう。妊娠というだけで不安なのに。私は自分の妊娠時期を改めて思い出す。
こんな状況で産んで子供を心から愛せるかどうか。それは、私も常に思っていた。果たして自分が子供を愛し慈しんで育てることができるんだろうか、と。自分の置かれた状況を繰り返さないで済むだろうか、と。自分が望んでも届かなかった叶わなかった環境を自分はこの子に与えてやれるんだろうか、と。
ありとあらゆることが不安だった。不安に押し潰されるかと思いながら毎日を過ごした。彼女と話していると、あの頃のことがありありと思い出される。
彼女は阪神淡路大震災の被災者であり、同時に、性犯罪被害者でもある。それを経て、今、妊娠というものを抱えている。それがどれほど不安であるか、手に取るように分かる。似通った体験を経ているからなおさら、彼女の不安が伝わってくる。
生まれて来る子は男の子だと分かったのだという。でも、まだ何の準備もできていないのだと彼女が申し訳なさそうに言う。私が子供の下着やらなにやらを準備し始めたのは、彼女を産むことになる二、三週間前だった。二月に産んだが、つまり、準備を始めたのは一月も半ばになってからだった。それでも何とかなるもんだ、と私は笑う。大丈夫だよと彼女に笑う。そう、なんとかなる。大丈夫。
不安を数え出したらきりがない。どうやっても押し寄せてくる不安なのだ。何のハンディもない人にとってだって妊娠は不安を伴うものなんじゃなかろうか。それが、ハンディを幾つも背負っていれば、不安は倍増するにきまってる。だから。
今はできることをやっていけばいい。できないことは棚上げすればいい。まだ時間はあるんだ。六月上旬が予定日である彼女。大丈夫、まだまだ十分に時間は、在る。それに、産まれてしまったらもう、毎日があっという間に過ぎてゆくに違いない。迷っている暇はなくなる。だから今のうち、思う存分不安とつきあってしまうといい。
また電話するよ、と声を掛け、電話を切る。どうか少しでも彼女がゆっくり過ごせますよう、そう祈りながら。

母に電話をする。ふたりとも新型インフルエンザの予防接種を受けたらしい。とりあえず二人とも何なく過ごしていると聴いて私は安心する。来月は母の大きな検査がある。正直今、そのせいで気が抜けない。もし再発していたらと考えると、たまらない思いがする。そんなこと考えても仕方ないこと、と分かっているのだが、それでも、もし母にこれ以上何かあったらと思うと。
インターフェロンの治療ですっかり年をとった母。それまでは、同い年の女性と比べると十や十五は若く見える人だった。それが一気に老けた。髪は抜け落ち、色が変わり、頬の肉は削げ、顔色が悪くなった。いつも青白くなってしまった。あれほど健康的な、ぷりんとした母の顔はもう、何処にもなくなってしまった。年齢相応になったといえばそうなのかもしれないが、それはあまりに一気にやってきたから、きっと彼女の心に大きな影を落としたに違いない。
薔薇の挿し木の話になると、母は生き生きと話し出す。うちの、マリリン・モンローの挿し木がうまくいっているかもしれないと話すと、薔薇は三ヶ月くらいは枯れないし、そもそも根がなかなか出てこないから油断は禁物だと言う。それは分かっているのだが、でも、マリリン・モンローは母の為に挿したのだ。枯れてもらっては困るのだ。私は母の話を聴きながら苦笑する。
この、微かな毒を含んだような、母の語りが、何処までも続きますよう。私は祈る。あと半月で、母はまたひとつ、年をとる。

安売りしていた白菜と豚肉、久しぶりにきくらげも買って、夕飯は丼にする。そういえば娘にとってきくらげはどうなんだろう、嫌いだろうか。私は器によそう折、ちょっとどきどきする。果たして、彼女はきくらげばかりを先に食らい、私の分にまで箸を伸ばす始末。ねぇママ、おなべにまだこれ残ってる? ん? 食べたい。ちょっと食べすぎだよ。ひととおり全部食べてからにして。娘は勢い込んで丼を平らげる。おかわり!
夕飯の後、残ったごはんは梅干を入れたおにぎりにして冷凍庫へ。それから娘に注文を受けてサンドウィッチ作りにとりかかる。卵は茹でておいて、その間に玉葱と胡瓜をみじん切り。そこにツナを入れて塩胡椒で軽く味付けして、マヨネーズをさらに。茹で終わった卵を娘に剥いてもらうことにする。薄皮がなかなかうまく剥けなかったらしい娘の卵は、微妙にでこぼこな形をしており。それを大きなフォークの背で、粉々に崩してゆく。これでもかというほど細かくしたら、そこにも胡瓜一本分のみじん切りをいれ、マヨネーズで味付け。ちょっとだけ娘に見つからないようにマスタードを入れて。
そんなこんなであっという間に夜は更けてゆく。

じゃぁママ、そろそろ行くよ。あぁ今日授業なんだ。うん、そう。頑張ってね。うん、そっちも頑張ってね。何時頃帰ってくる? ちょっとまだ分からない。わかった、じゃぁ電話ちょうだい。うん、そうする。
娘の掌の上ぺたんと乗るココアの背中を、こにょこにょと撫でてやる。ママ、ココアはお腹のあたりを撫でてもらうのが好きなんだよ。そう云って娘が見本を見せてくれる。確かにココアは、気持ちよさそうな顔をしている。こういう観察力は何処からくるんだろう。私は少し嬉しくなる。
階段を駆け下りるとちょうどバスがやって来たところで。私は飛び乗る。陽光が燦々と降り注ぐバス内はひどく暖かく、私は顔が上気するのを感じる。ようやく駅に着き、私は一番にバスを降り、深呼吸。やっぱり冬は、寒いこの冷気がいい。一気に体が引き締まる思いがする。
駅の向こう側まで歩き、川へ。川にはちょうど陽光が降り注いでいるところで。高速道路が上に建てられてしまったせいで、この川が煌くのはこの時間帯のみ。私は立ち止まってその川面を見つめる。中学の頃、この川はどぶ川だった。その頃に比べたら水はずいぶん綺麗になったんだと思う。でも。
コンクリートで固められた川筋。どこか寂しい。煌いても煌いてもそれは、なんとなく、泣いているかのように見える。
今日授業でやるのは、共依存症だったはず。私は川に埋もれそうになる意識を切り替えてみる。二、三回に分けてそれは行われる。ひとつも洩らさずこの耳に入れておきたい。そう思う。
空を仰げば。青く青く澄んだ色が広がっており。鳩がすぐそこに舞い降りる。私はそれを避けて先へ進む。
今日がまた、始まってゆく。


2010年01月28日(木) 
目を覚ますと、ミルクとゴロがそれぞれに回し車をしながら遊んでいる。ミルクの豪快な音にゴロの軽快な音が重なり合ってまるで合奏のようだ。おはようミルク、おはようゴロ。私はふたりに声を掛ける。ミルクはこちらをちらと見たものの、どうもおなかが空いていたらしい。回し車から降りるとそのまま餌箱の中にどかっと座り、一心にひまわりの種を食べ始める。代わりにゴロが、こちらをちらちらうかがい、抱いて、といった仕草を見せる。私はちょっとだけよと掌に乗せてやる。昨日娘が計量器で体重を量ってみたら、ミルクが38グラム、ココアとゴロが31グラムだった。ミルクが重いのは当然といった感があるが、ココアとゴロが同じ体重だとは思わず、二人して驚いた。今ゴロは私の掌の上、ちまちまと顔を洗っている。
お湯を沸かして中国茶を入れる。大きめのカップを両手で包んで椅子に座る。私が起きるときに起こしてくれと娘が云っていたことを思い出し、彼女に一応声を掛ける。微動だにしない。私はちょっと考え、まだ寝かせておくことにする。後で文句を言われるかもしれないが、まぁそれはそれでいい。まだ早い時刻だ。
中国茶を飲みながら、ずっと同じことを考えている。考えても多分、行き着くところは同じと分かっていて、それでも考えている。

強い人。
それは昔から、私が云われ続けた言葉の一つだ。あなたは強い、あなたは強いから。そう云われ続けた。云われ続けてここまで来た。
強いからそれができるんだ、強いからそれが可能なんだ、強いから。
云う人は、どんな気持ちでその言葉を吐くのだろう。

強いだけの人間など、いない。

私は。
弱いから、弱いことが分かっているから、必死に足掻くだけだ。努力して足掻いて、また努力して足掻いて、それを繰り返しているだけだ。自分には努力して足掻くしか能がないことが分かっているから、なおさら必死に足掻くだけだ。
でも云われることは、努力してるなんてさらさら見えない、ぱっとやれば器用になんでもこなしているようにしか見えない、実際そうやってるじゃないか、といった言葉だった。もう子供の頃から、そう云われ続けた。
何を努力しても、努力を努力と評されたことなんてなかった。そう受け取ってもらえたことなど、本当に数えるほどだった。
でも人は云う。あなたは強い人だね、と。あなたは強いからそうできるんだよね、と。だから私は黙る。黙るしかもう、術がない。
そうせざるを得なかった、それしか選択肢がなかった、それしか! 生き延びるためには、それしかなかった。でも、たとえそうであっても、人は云う、そうできるのはあなたが強いからだ、と。とてもとても強いからだと。そう云われたらもう、黙るしかない。
何度ひとりで泣いただろう。どうして強い強いと云われなければならないんだろう。どうして私はそんな言葉を受け取らなければならないんだろう。どうして、どうして!
私はただ必死に生きているだけだ。みんながそうであるように、私もただ、一瞬一瞬を必死に生きているだけだ。なのにどうして? 何が違う?
だから私は、人に「強いね」と云うのが嫌いだ。自分が云われてこれほどに厭な言葉だから、他人に云うのはもっと厭だ。
それでも。それだから。
云われたこと、相手にそう云わせたことは、忘れないでおこうと思う。相手にそう思わせた、そう云わせた自分のことを、忘れないでおこうと思う。覚えておこうと思う。

ぐるりとそう考え巡らし、私は立ち上がり窓を開ける。ぬるい風がぶわんと私を包み込む。今日は雨が降るらしい。天気予報がそんなことを告げている。できるならこんな日は、洗濯物がしたかった。何も考えずにがっと洗えるものを洗って、きれいさっぱりしたかった。そんなことを、空を見上げながら、思う。
テーブルの中央に飾ったベビーロマンティカの、明るい煉瓦色の花びらが窓から吹き込んだ風にぷるりと揺れる。小さな小さな花びら。中心に行くほどに明るい黄色になってゆくその花。滑らかなグラデーションが、私の目の中で揺れる。
ようやっと起きてきた娘は、さすがにばつが悪かったらしく、おはようございます、と言う。私はおはようとそっけなく返す。私の視線から隠れるようにあたふたと支度を始める娘。それがおかしくて、私は少し笑う。
…ママ、あのね、お小遣いが900円貯まったんだけどさ。うん。本、買っていい? いいけど、漫画はこの前買ったからだめだよ。うんうん、分かってる! 何買いたいの? モモかゲド戦記の続き。そかそか。分かった、じゃぁ今度本屋さん行こう。やったー!
そうしてお握りをはぐはぐ食べる娘を眺めながら、私はぼんやり考える。娘を産んでからの日々を、ぼんやりと思い巡らす。それはまさにジェットコースターのような日々で。私が一番具合が悪くなったのは、離婚をし、娘と二人暮しを始めてしばらくしてからだった。あれが多分一番、しんどい日々だった。そこを潜り抜けるために、一体どれほどの人たちの手を借りたろう。どれほどの人に迷惑をかけてきただろう。その助けがなかったら、私たちは一体どうなってしまっていただろう。
そこでいなくなっていった人も大勢いる。数えるときりがない。同時に、こうして今も残っていてくれる人たちもまた、在る。
どちらにも感謝しよう。去ってゆくことで私に何かを教えてくれた人たちがいたこと、残ってくれることで私を今も支えてくれるこの貴重な存在のありがたさのこと、どちらにも私は感謝していたい。覚えていたい。決して忘れたく、ない。

今朝は朝練があるらしく、登校班に集まる子供たちは半数ほど。その子供たちを見送り、私は自転車を漕ぎ出す。空模様が気になりはするが、このところ乗っていなかった自転車に乗れることは、心地よい。ぬるい風を切って、私は走る。
公園の池は小さな波を描きながら風に揺れている。その水面に映るのは幾重にも折り重なる灰色の雲と裸の枝々。何処からか飛んできた枯葉が中央に、ぷかりと浮いている。鳩が何処からともなく舞い降りてきて、土をつついて回る。私はそこから逃れるように、そっとその場を離れる。
高架下を潜り、埋立地へ。真っ直ぐに海まで伸びる道をひたすら走る。途中モミジフウの樹を見上げ、健在であることを確かめてから先へ進む。
海は暗い暗い、どす黒い色でもってうねっていた。何処までも何処までもその色は続いているかのようで、私は息を呑む。まるで唸っているかのように見える。何が苦しいんだろう、何がしんどいんだろう、何を吐き出したいのだろう。私はただ、真っ直ぐに立ち、そんな海を見つめることしかできず。強い風が私の髪を煽ってゆく。


2010年01月27日(水) 
阪神大震災のニュースが流れる。そのたび、「十五年が経とうとしています」とリポーターの誰もが繰り返す。私はそのニュースをぼんやり眺めながら、自分の時間をどうしても振り返ってしまう。
まだ十五年だったか。あれから十五年だったか。と。
何だろう、長かったのか、短かったのか分からない、そんな時間だ。十五年というのは。十年、十五年というものを区切りの年と捉え、まるですべてを清算できるかのように言う人もいる。それどころか、三ヶ月単位で人の細胞は生まれ変わるのだから、人はその三ヶ月という単位で生まれ変わることができると言う人もいる。しかし、それができれば苦労は無い。
忘れられない、どうしようもなく忘れられないから、人は苦しむ。受け容れようとしてもとてもとても受け容れられないから人は息切れする。
体験によっては、そういうものが、ある。

正直、今、原稿用紙を目の前にしても、一体何から書けばいいのかが分からない。何を書き、何を記せば、私の今をここに残すことができるのか。それがよく分からない。
慌しく過ぎた一年だった。そう思う。

折々に襲われるフラッシュバック、パニック、自傷衝動、過食嘔吐への衝動。そういうものは確かにあったが、なんだかもうそれらも日常茶飯事で、特別なことではなく。
何というかこう、私は或る意味、諦めたのかもしれない。それらがないのが日常であった頃に、戻りたいとずっと思ってきた。でももう、戻ることはできないことも、わかってきた。そのところで折り合いをつけるには、私が「諦める」ことがいい気がした。それが一番、今の時点では早道なんじゃないか。
そう思って、ふっと諦めてみると、気持ちがずいぶん楽になった。パニックがあって当たり前、フラッシュバックが起きたってそれが当たり前、自傷衝動が起きるのもまた当たり前。私にとっての当たり前は他の人にとってどうか分からないが、でも少なくとも私にとってはそれが、当たり前、と。
そう受け止めてみることで、私のスタンスはずいぶん変わった。気持ちがずいぶん楽になって、それに陥ったときも、慌てふためく分量がずいぶん減った。それが過ぎ去った後に残る罪悪感も、ずいぶん軽減された。

どうして自分はこんな病を抱え込んでしまったのだろう。どうして自分はこんな目に遭わなければならなかったのだろう。どうして自分は。
と考え出すと、はっきりいってきりがない。いくらでもどうしてが出てきてしまう。でも、どうして、と問うたからとて、何も解決しないのが、現実だ。
だからどうしてか分からないが、どうしようもなくそうなってしまったのだ。という、そのことを、自分に納得させてみる。納得してみることで、知る。今の私の現実は、どういうものであるか、ということを。

父母がそれぞれに病を患い、それは少なからず私たちの関係に影響を与えた。彼も彼女も、病気らしい病気をまだしたことのない人だったから、最初はそれに抗い、それが私にも飛び火し、いがいがとした、ざらついた関係が続いた日々があった。それを越え、父母もそれぞれに病を受け容れ始めることで、彼らと私の関係もまた、変わった。なんというかこう、落ち着いてきたとでもいうのだろうか。
焦っても抗っても、どうにもならないことというのがある。そういうことに対しては、でーんと構えて過ごす方がずっと楽だ。彼らと私の関係もまた、それに似たところがある。もうここまで来たのだから、焦っても抗っても仕方が無い。できることから始めよう、というような。そういう位置に立つことで、初めて、ほんのちょっとかもしれないが、互いに思いやりを持つことができるようになってきた、そんな気がする。

娘はぐいぐいと成長している。こんな私のそばにいても、動じることなく、自分の道を歩いている彼女に、私は憧れすら感じるほどだ。一ヵ月後には十歳を迎える彼女。その間に一体どれほどのことがあっただろう。
彼女を見ていると、私もしっかりせねば、と思う。しゃんとしなければ、ちゃんと歩かなければ、と思う。
娘が夏から育て始めたハムスターは三匹。その三人が三人とも、性格が異なる。なんにでも興味を示し、自分からがばっと圧し掛かってくる子がいるかと思えば、何処までもおとなしく、じっと観察している子。同じ種類の、同時期に生まれた子であっても、こんなにも違う。
その様を見つめながら思う。人の顔がそれぞれ異なるように、人の人生もそれぞれ、違う色合いを持っているということ。

何だろう。やっぱりまだ、まとまらない。言葉が上滑りする。そんな感じだ。十五年がもう経ったのだといわれても、あぁそうなんですか、としか応えようがない。

夜が来て、月がのぼり、星が瞬き。そうして夜が明けて朝がやって来る。太陽は東からのぼり、西へ沈む。その、繰り返しのように見える毎日は、実は決して繰り返しではなく、唯一無二の、たった一日しかない日の繰り返しであり。
その堆積が私を作っている。
私の歩いてきた道にいつか花は咲くだろうか。

同じ樹から咲く薔薇でも、決して同じ花はなく。一輪一輪異なる姿を見せる。
私だって異なっていいんじゃないか。多少違ってたっていいんじゃないか。そう思う。

同じになりたかった。みんなと同じでいたかった。パニックもフラッシュバックも何も無い、そんな日々が欲しかった。でも。
それが私の当たり前なのであれば、それを受け容れるしか、もう術は、ない。まず受け容れた上での次だ。受け容れた上での次がある。
そういえば、私の腕の傷を見、そういう傷が欲しいと言った子がいたっけ。
持ってみれば、分かる。それがどれほどの重石になるかを。消えないということが、どれほどの重石になるかを。私がこれから先生きている限り、この腕は、この傷は、消えてはくれない。なくなってはくれない。それがどれほど大きいことか。私を縛りつけ、遮り、足をひっぱることか。
でも、何だろう。それもそれでありなのかもしれない。今ふと思った。私はこの腕をもはや当たり前と受け容れ。自分の腕として受け容れており。そして私の一番そばにいる娘もそれを当たり前として受け容れており。
それはそれで、ありなのかもしれない。確かに、消せるよといわれても、それはそれで私は困るのかもしれない。こうやって当たり前として受け容れたものを、さぁなくしていいんだよ、と言われても、それはそれで確かに困る。いまさら何を、と思うんだろう。
ならば。
そんなに傷が欲しいなら、つければいいのかもしれない。私があの頃、そうでもしなければ夜を越えられなかったように、その子がそうしなければ生きていけないというならば、そうすればいいんだと思う。
ただ、忘れて欲しくないのは、それを消そうと思うことがあっても、もう二度と消えない、ってことだ。

あぁ、そういう日々があったな。確かにあった。すべての、すれ違うすべての人間がのっぺらぼうに見えて、世界が色を失ってモノクロになり、その只中にあって悲鳴をあげずにはいられない日々があった。
徐々に徐々にではあるけれども、私の世界は色を取り戻し、すれ違う人の顔も現れ。そうやってまた変化していっている。
そして。分かるのは。
唯一はっきりしていることは。
私が、生きることをやめはしない、ということだ。
私は生きることが好きだ。だからやめない。どんなになってもやめることはない。

私の歩いてきた道には、これでもかというほどの屍が横たわり。指先で触れればそれはもう乾いた音を立て。しゃらしゃらと笑う。しゃれこうべがそうして風に乗って笑い。
私はだから歩き続ける。
ゆけよ、ゆけよ、と笑うしゃれこうべの歌に乗って、私は歩き続ける。自分がどれほどのものを踏んで歩いているのかを噛み締めながら。
そうして、今日もまた、生きる。


2010年01月26日(火) 
午前四時半、目を覚ます。まだ眠る街に向かってからりと窓を開ける。冷たい冷たい風がふわりと部屋に流れ込む。ふと見れば、ゴロがこちらを向いて立っている。おはよう、ゴロ。私は声を掛ける。ゴロは鼻をひくひくさせながら籠の入り口に近づいてくる。ちょっとだけよと断って私は彼女を抱き上げる。おとなしいゴロは、ぺたんと私の掌にくっついてじっとしている。私は指先で彼女の頭と腹を交互に撫でてやる。
お湯を沸かし中国茶を入れる。ゆっくりと口に含み、こくりと飲み込む。ほっくりとした味が体にすっと溶け込んでゆく。しばらく窓を開けているとじんじんとしてきそうなほどの冷気。私は窓を半分閉めて、お茶の続きを飲む。
ホワイトクリスマスのなくなったテーブルには、今、ベビーロマンティカが咲いている。ホワイトクリスマスの何分の一ほどの、小さな小さな花だ。明るい煉瓦色が中心に向かって黄色に変化している。多分咲けば咲くほど色が変化してゆくのだろう。小さい花だから、その変化を見落とさないように見つめていないとと思う。
そういえば昨日の夜、娘がこの窓から星座を観察していた。理科の宿題なのだという。三十分おきに空を見上げては、ノートにそれを記してゆく。私も昔々、そんなことをやっていたなぁと思い出す。星の色、瞬き方、傾き方、すべてが新鮮だった。不思議なもので、その最中は夢中で、冬の寒さなんて全く感じないほど。そうしてあっという間に星座は西に傾いてゆく。

普段なら病院のある日。カウンセリングの予約が取れず、ぽっと空いた月曜日。友人と会う。普段の彼女に比べると食欲が無い。訊いてみれば、ちょっとダイエットが、と返事が返ってくる。ダイエットをするような体型じゃぁなかろうにと思うのだが、それでも友人は普段の半分以下しか食べない。それに反するように、私はいつもより食べなくてはいけないような気持ちに駆られ、やけにぱくぱく食べてしまう。

搬入は火曜日。まだちゃんと最後の荷物の確認を終えていない。なんとなく延ばし延ばしにしてきてしまった。今日帰ったらちゃんとやらなければと思う。

そして27日は自分の或る意味での命日。事件のあった日。今正直、それをどう捉えたらいいのかが分からない。言語化することができないでいる。いつもならどわっと溢れ出る気持ちがあるのだが、それがもやもやと、混沌としていて、なかなか言葉にならない。
胸と胃の辺りに溜まったこの混沌。それが、やけに重い。

空がぐいぐい変化してゆく。塵に溢れていた朝方、雲のひとつもなくなった昼間、そしてすとんと日が堕ちてからはくっきりと横たわる闇色。
その中を駅まで友人と歩く。半月がぽっかり、空に浮かんでいる。

ママ、ママ、二問ミスだよ。何、それ? だから、算数のテスト。二問しか間違えなかった。おお、頑張ったじゃん。うん、先生にも褒められた。先生からね、鉛筆もらったよ。へぇ、よかったじゃん。うん、だからね、みんなで、クラス分けテストの時使おうって約束した。そうなんだ、じゃぁしっかり削って使わないとね。うん!
そういえば、今日もママ、ミルクに噛まれたよ。ちょっとだけど。あー、最近私、噛まれないように、ミルクを籠に入れるときは、タオルとかでぎゅっと包んで掴むようにしてる。へぇ、そうだったの? うん。ママもそうすればいいよ。分かった、今度からそうするよ。
月の光を浴びながら、自転車の前と後ろ、声を大にして私たちは話を続ける。たまには自転車もいい、と思うのだが、もうさすがに娘を乗せて走るのはしんどい。それでも途中で降りるのは諦めたようで、それがいやで私は意地を張って必死にペダルを漕ぐ。娘が後ろで掛け声を上げる。ママ、行け、ママ、行け! ただそれだけの言葉なのだが、間違いなく私は力をもらう。

他愛ない会話、他愛ないやりとりが、私をほっとさせる。混沌としているものがあるから余計に、ほっとする。
どうしても頭が心が向こうへ向おうとしてしまうから、せめて意識できるところでは、そこから外れていたい。そう思う。

中国茶を飲みながら、仕事を始める。毎朝の仕事。仕事があるだけありがたいと思う。これまでもがなくなってしまったらどうしよう。いつも、そう思う。
仕事をしながら、起きてきた娘に話しかける。ごめんね、今日授業参観なのに行けなくて。いいよ、ママいつも来てくれるもん。それに、今日、帰ってくるの、ちょっと遅い。勉強見てあげられない。うん、分かってる。チンすればいいようになってるからさ、この前の煮物。うんうん。ちゃんと食べるんだよ。分かってるよぉ。
そうして娘とココアとに見送られ、私は玄関を出る。アメリカン・ブルーの一本が、枯れ始めている。少し前からおかしかった。でもできるなら、と残しておいてあるのだが。もうやっぱりだめなのか。私は気にかかりながらも先を急ぐ。
搬入の日はやはり緊張する。無事に展示し終えられればそれですべて肩の荷が下りるのだが。それまでは、この緊張は続くんだろう。ウォークマンのヘッドフォンを耳に突っ込んでも、今日は上の空。とことことことこ、バスは進む。
それでも空は晴れており。南東から伸びてくる陽射しに手を翳しながら、同時に冷気に足をぷるぷるさせながら、私は先を急ぐ。さぁ、あとは電車を乗り換えて友人たちと合流すればなんとかなる。
明日はまた、明日、考えればいい。
そうして今日が、始まってゆく。


2010年01月23日(土) 
目を覚ますと午前四時半。腰の様子をうかがいながら起き上がる。寝ている間に寝返りをあまり打たなくなったのはいつ頃からだったんだろう。寝返りを適度に打つのは必要なことなんだと、改めて知る。でないと体が一晩中その姿勢で固まっていることになる。体が元気なときはそれはどうってことのないことなのだけれども、どこか傷めると、こうして支障が出てくる。
起き上がり、お湯を沸かそうとしてふと気づく。ゴロが回し車を回している。でも音はほとんどしない。彼女はまだ体が軽いからだろうか、それともそういう性格なんだろうか。軽やかに軽やかに回る。そして私に気づき、前足をちょこっと上げてこちらを伺う。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女はひくひくと鼻を動かし、そしてまた回し車を回し始める。
ホワイトクリスマスはもうまさに終いの頃。どっしりとした花をぶらさげた付け根が重たそうだ。花びらもすっかり開いた。でもこの香りは最後まで続いている。涼やかな涼やかな、少し甘い香り。
窓を開けてベランダに出る。今朝の冷え込みは思ったほどではなく。そんな中、ベビーロマンティカが花をつけている。でもこちらはとても小さな、実に小さな花で。私の薬指ほどの花びらが、何枚も折り重なり、上を向いている。香りはほとんどない。明るい煉瓦色の花弁が、闇の中、すっと浮かぶ。
お湯を沸かし、紅茶を薄めに入れる。そこにコーディアルのエキスを垂らし。出来上がったコーディアルティは少し甘くしたレモンティに似ている。私はそれを口に含みながら、椅子に座り、作業を始める。

遊びに来た友人が、娘に尋ねる。ねぇ、私、もてないんだけどどうしたらいいの? 娘が、なんで私にそんなこと聞くの? と頓狂な声を上げる。うーん、そうだなぁ、まず、髪の毛を結んで、お化粧はさっとやって、颯爽と歩くといいよ。ほんと? 友人と娘とのやりとりに、私は思わず笑い出しそうになる。だからさぁ、まず髪の毛結んであげるよ! 娘がやにわにブラシを取りに行き、ゴムとピン止めも持って戻ってくる。結局、彼女は髪を結ばれ、そうして二人でゲームに興じる。私はその背中を、笑いながら眺めている。
いつの間にかゲームから風船へ移行したらしく、布団の上で風船をばしばし投げ合う二人。娘の容赦ない攻撃に、友人もひゃぁひゃぁ言いながら応じている。
夕飯はひっぱりうどん。私が葱をたっぷり入れすぎたらしく、娘が、涙が出るよぉと苦情を叫ぶ。私は知らん振りしてうどんをひっぱり上げる。ここ数日食欲がまったくない友人は、それでも納豆を平らげてくれる。
さんざん友人に遊んでもらったおかげか、娘はすとんと眠りに落ちる。それを待って、私たちはこっそり布団から抜け出し、二人で酒を酌み交わす。友人は焼酎、私は梅酒。ちびりちびり、やりながら、あれやこれや話す。

授業はインナーチャイルドセラピーワークの最後。私は一番最初に本人役を済ませてしまったおかげか、気持ちはずいぶん楽だ。できることは、相手の話に心を込めて耳を傾ける、それに尽きる。
こうして話を聴かせてもらっていると、本当に、人の表面に出るものはその人の経験してきたことのほんの一部に過ぎないのだなということを知らされる。自分が今見えているものは、その人の氷山の一角に過ぎないということを、だから忘れてはならないんだと思う。自分が見ているものがどれほど一部に過ぎないか、ほんのひとかけらに過ぎないかを、忘れてはならないんだと思う。
次週の授業は共依存症に入る。正直、楽しみにしている。早く学んでみたい。そう思っている。

家に辿りつくと、友人から手紙が届いている。何だろうと開けてみると、友人が、娘さんの受験を待つ間に記してくれた手紙が入っていた。
「寒くなって震災のTVを観る度にあなたは大丈夫だろうかと思い出す。でも日記を読んでいると、やっぱり人間はすごいなぁと思うよ。少しずつでも良い方へ進んでるんじゃないかなと思う。すべてのことにおいて。ご両親との関係も含めて。変わってきた事、今だから分かるこ事、学んで見えてきた事など…」。そして最後、こう結ばれていた。「いつかおばさんの庭の写真を撮って見せてください」。
友人と知り合ったのはもういつのことだったろう。十年以上も昔になる。その当時、自分の体験を綴ったサイトを営んでいた。今それを読み返すと、よくもまぁここまで赤裸々に綴れたものだ、と我ながら呆れる代物だ。それを彼女が見つけてくれた。そうして知り合い、子供も含めた付き合いが始まった。こんなこと言っていいのか分からないが、私にもしママ友というものがいるとしたら、それは彼女くらいかもしれない。
彼女に何度、私は助けられたろう。数知れない。住む場所は西と東、大きく離れているというのに、それでも彼女は私の支えだった。そして、今だから言える。彼女は私の憧れでもあった。どんな苦境に立たされても、必ず這い上がってくる。そんな彼女に、私は憧れていたんだ。
彼女の手紙を繰り返し読みながら、私は少し、泣いた。
ありがとう。覚えていてくれて。だから私は少しだけ、泣いた。私の目の中で、彼女のやわらかな文字が滲んでいた。

あと数日で、十五年になる。あとほんの数日で。正直、よく分からない。どう受け止めていいのかがよく分からない。
この十五年という時間は長かったのか、それとも短かったのか。それさえ今は定かではない。あっという間といえばあっという間だ。でもとてつもなく長いといえば、それもまた真実。
今思えば、よくその途中で子供を産んだものだと思う。そして苦笑する。十年前の今頃、私は毎日のようにやってくる微弱陣痛に、恐れ苦しみ、どうしたらいいんだろうと泣きそうになっていた。まだ早い、まだ早い、もうちょっと頑張ってくれと、お腹に向かって言い聞かせていた。ようやっと産んでみればみたで、生まれた子供に慄き、一人泣いたっけ。
子供を産んでから、何度波に襲われただろう。リストカットが止まらず、血だらけの腕をぶらぶらさせて夜を越えたことが何度あったろう。ぶっ倒れ、救急車に運ばれたことが何度あったろう。
それでも。生きてきたんだなぁと、思う。
生きるということが、そんなに大変なものだとは。生きることがこんなにも、しんどいものだとは。もし最初に知っていたら、人は生きていけないのかもしれない。

私が昔の写真を引っ張り出し、整理していると、娘が後ろから覗き込んでくる。ねぇこの人、誰? 覚えてないかなぁ、ママがぶっ倒れたとき、飛んできてくれて、あなたの相手をしてくれたんだよ。そうなの? うん、そうだよ。この人は? この人もねぇ、今はもういなくなっちゃったけど、その時やっぱり飛んできてくれて、ママとあなたを助けてくれたんだよ。ふぅぅん。
どうして写真なんか残っているんだろう。不思議でならない。このシャッターを切ったのは間違いなく私なんだろうが、どうしてこんなときにシャッターを切ることができたのか、全く覚えていない。
でも、そのおかげで、彼女たちはここに在る。もう会うことはないのだろうけれど、それでもあの時彼女たちはここに在てくれた。私は覚えている。

あと数日。私はどう過ごすんだろう。過ぎてみればきっとあっという間なんだろうが。だからこそ、一刻一刻、噛み締めていたい。十五年という月日はやはり重く。
でも、それに押し潰されない程度には、私も頑丈になってきているのかもしれない。そんなことを思い、私は少し笑う。

南東から伸びる陽光は私たちを包み込み。微かにそよぐ風は冷たく肌を刺すけれど、それでもこの陽射しは恵みだ。ほんのりあたたかいその温度に、私は目を閉じる。
どれほどの人にこの十五年支えられ、そうして私はその日を迎えることになるんだろう。ありがとう、ありがとう、ありがとう。もういなくなった人たちへも、今残ってくれている友たちへも、みなへ、ありがとう。
だから私は生きることをやめない。これでもかというほど血に塗れ、土に塗れ、どろだらけになって、それでも、生きることを、やめることは、ない。


2010年01月21日(木) 
まだ灯りを点けない部屋の中、ミルクたちの小屋に近付く。するとちょうどミルクもココアもゴロも餌箱に張り付いている最中で。私は思わず笑ってしまう。そして声を掛ける。おはよう。彼女らは一心に餌を頬張っている。
窓を開けて驚く。雨が降っていたのか。いつの間に降っていたのだろう。全く気づかなかった。窓を開けると、思った以上にぬるい空気がぷわんと私を包み込む。しっとりと濡れた空気。街はまだまだ雨の気配を残しており。通りを見下ろせば、黒光りするアスファルト。
私は空を見上げてみる。じっと見つめる。ぐいぐいと流れてゆく雨雲。西の空にはぽっかり穴さえ開いており。あぁ今日一日降っているというわけではないのだな、と納得する。この雨は、もしかしたらあの子の涙雨だったのかもしれない。そんなことを、思う。
テーブルの中央のホワイトクリスマスの花弁、外側が少しずつ乾いてきた。乾いて微妙な皺が現れ出した。花の芯はまだ見えるわけではないけれども、花は確実に終わりが近づいてきているのだなと私は知る。
窓を開けたまま、私は洗面所にゆき顔を洗う。水までもがぬるい。ぬるい水でばしゃばしゃと洗う。でも何だろう、どうもすっきりしない。やっぱりこの、水の温度のせいだろうか。
お湯を沸かし、紅茶を入れる。黄金色がふわりと硝子のカップの中、広がってゆく。そこにコーディアルのエキスを入れて軽くかき混ぜれば出来上がり。私はそれをゆっくりと口に含む。どこかレモンティを思わせる味。ほんのり甘い。

友人と待ち合わせて西荻窪へ。そこのどんぐり舎という喫茶店に二人展のDMを置いてもらえることになったため、早速出かける。この縁は書簡集で得たもの。書簡集での「あの場所から」の展示を見てくださったどんぐり舎の店員さんの御厚意だ。本当にありがたい。
扉を開けると鳴るからんからんという鈴の音。私たちは窓際の席に座る。あたたかな日差しがテーブルに降り注いでおり、私たちはもうそれだけでほっくりした気持ちになる。
注文した珈琲は、酸味がほとんどない、私にとっては格好の味で。一口一口、楽しんで飲んでゆく。友人の話を聴きながら一口、返事をしながら一口。
数日前から、友人は全く食欲をなくしている。いつも私より早く、まさにあっという間にご飯を食べてしまう彼女が、何を頼んでも、一口も口に入らないといったふうにスプーンを持て余している。なんとかして彼女に、一口でもいいから何か食べてほしいと私は頭をひねってみるのだが、それでも彼女は食べることができない。
心がいっぱいになってしまっているのだ、今。心がいっぱいで、ぎりぎりで、だからもう何も入ってくれないのだ。痛いほどそれが伝わってくる。
眠りを誘うほどにあたたかな日差しの中、だから私たちは話し続ける。そうして吐きだせるなら吐きだしてしまえ。私はそう思いながら、彼女の話に耳を傾ける。

夜、その友人からメールが届く。今日はごめんなさい、反省してます、と書いてある。だから私は返事を返す。何を反省するの? 弱音を吐ける場所ではいくらだって弱音を吐いていいんだよ、と。
そうして思う。私にはそういう場所が一体幾つあったろう、と。
あの事件に遭い、病んでゆく私から、離れてゆく人たち。そういう人たちの中に、残ってくれる人も、いた。その、残ってくれた僅かな友人たちが、私をどれだけ支え助けてきてくれたろう。
私の叫びに耳を傾け、私の嘆きに耳を傾け、私の罵りに耳を傾け、私が泣いても暴れてもどうやっても、つかず離れずそばにいてくれた友人たちが在た。間違いなく、在た。
そのおかげで、私は今こうしてここに在る。

落ち込めるなら、そのときはとことん落ち込めばいい。落ち込むだけ落ち込ん
で、そうして、落ち込みきったなら、次は這い上がってくればいい。
這い上がってきたときに、ありがとうね、と、笑顔を見せることができれば、それでいい。
私は、友人たちから多分、そう教わった。別に、言葉に出してそう云われたというわけではない。云われたことは、ない。でも。
多分友人たちはそうやって、私を見守ってきてくれた。そのおかげで今の私が在る。
だから、私は心の中、もう多分酔っ払ってベッドの中眠っているはずの彼女に話しかける。いいんだよ、落ち込めるときは落ち込めば。落ち込むだけ落ち込んだら、這い上がってきてね。待っているよ。

こんにちは、ありがとう、ごめんなさい。
言葉なんて、本当にシンプルで。多分この三つがあれば、たいていのことはやっていける。その言葉たちを忘れなければ、ちゃんと使えたなら、多分ほとんどのこと、越えてゆける。
シンプルだから、だからこそ、丁寧に使いたいと思う。気持ちを込めて使いたいと思う。心をこめて。

ママ、家に帰ってきたらね、ミルク、小屋の外に丸くなって、小さくなって寝てた。きっと反省したんだよ。そうなの? うん、きっとそうだよ。だからね、仲直りすることにしたの。そっか、よかったねぇ。うん、もう大丈夫だよ、きっと。
娘はそう云って、ミルクのクリーム色の背中を丁寧に撫でている。ミルクもおとなしく、為されるままになっている。

雨雲は途切れたりくっついたりしながら、流れてゆく。バスも通りを行き交い始めた。まだ濡れたアスファルトが、黒く光っている。
娘が朝から、昔々録画したテレビドラマを見ている。それは子供のいる夫婦の、離婚をめぐる話で。朝からこんな番組よく見ることができるなぁと私は半ば感心して彼女を眺めている。すると突然、彼女が云った。
ねぇママ、ママはどうやって離婚したの? ど、どうやってって? どうやって別れたの? うーん、どうやって…。そうだなぁ。うーん。
私が返答に困っているうちに、娘は再びテレビに夢中になっている。私は改め
て、どうやって別れたのかを思い返す。そして小さく苦笑する。

じゃぁママ今日行くね。あ、ちょっと待って。そうして娘がココアを連れてやってくる。はいはい、ココア、行ってくるね。私はココアにも声を掛ける。
玄関を出ると、さらにぬるくなった空気が私を包む。陽光はまだ見えない。雲は空全体を今では覆っており。でもその雲はぐいぐいと流れゆく。こんな日は手袋なんていらない。素手でハンドルを握り、自転車を漕ぎ出す。氷の張っていない池はしんと静まり返り、流れゆく雲の様をありありと映し出す。豆腐屋の前、鳩と雀が集っている。青信号になった大通りを二本、一気に渡り高架下を潜って埋立地へ。この辺りにもずいぶん、通勤の人の姿が多くなった。
湿り気を帯びた風が私の髪を揺らして流れ去ってゆく。港のずっと奥の方、風車が回っている姿が微かに見える。
さぁ今日もまた一日が始まる。私はペダルを漕ぐ足に一層、力を込める。


2010年01月20日(水) 
目を覚ます午前四時半。腰を庇いながら体を起こす。がしがしというミルクの籠を齧る音が薄暗い部屋に響いている。私は灯りをつけずにその籠に近づき、声を掛ける。おはおう、ミルク。なんとなくちょっとおかしい。何がおかしいんだろう。私は彼女の様子をじっと見つめる。いつもよりずっと興奮している。何故こんなに興奮しているんだろう。それが分からない。分からないから、声だけかけ、抱き上げるのはやめておく。
お湯を沸かしながら窓を開ける。闇がのっぺりと広がる空。今朝の闇は乾いていない。ぐんと湿っている。いや、湿度が、ではなく、色が湿っているのだ。どうしたんだろう。こちらでもまた私は首を傾げる。みんなどこか、ちぐはぐな気がする。
顔を洗い、鏡を覗く。自分の顔が好きなわけじゃないが、毎朝必ず一度だけ、鏡をじっと見つめる。おはよう、自分。そうして化粧水を叩き込み、日焼け止めを塗る。最後口紅をすっと塗って、出来上がり。至極簡単。
今朝飲もうと思っているのはコーディアルティ。茶葉にお湯を注ぎ込み、一分半ほど待つ。ゆっくり茶葉を上げて、それからコーディアルのエキスを混ぜる。それだけ。口に含むと、自然な甘さと酸味とが口の中ゆったりと広がる。
テーブルの上、ホワイトクリスマスが、重たそうに咲いている。本当に重いだろう。私の握った拳に近い大きさをしている。ここまで大きく開くとは。しかもぼんぼり型。もう上を向いてはいられないといったふうに、首を傾げている。昨夜一枚、一番外側の花弁がはらりと散り落ちた。花の芯はまだ微妙に隠れているが、もうそろそろおしまいの頃なんだろう。それでも真っ白な花弁は瑞々しく。私はそれをそっと指でなぞる。
ベランダの外、ベビーロマンティカの三つの蕾。ひとつが綻び始めたが、二つはまだもう少しかかりそうだ。ここにきて、花びらの色味がぐんと明るくなった。それは明るい煉瓦色。一時期病気に罹っていたその名残が、花びらにも残っているのが分かる。それでも、いつ咲いてくれるか、それが楽しみでならない。
風が吹いた。イフェイオンの長く伸びた葉がさややと揺れる。ムスカリは土に這い蹲るように葉を広げている。今朝は、朝焼けが思うように見られないかもしれない。私は空を見上げながら、そんなことを思う。

やわらかい写真。
そんなことを言われたことは、これまでなかった。硬派な写真といわれることはあっても。だから吃驚した。
でも、その人からの手紙はとても穏やかで。写真とテキストとで綴ってもらえませんか、というその人の言葉もすんなり、私の中に落ちた。
でも。続けられるんだろうか、という不安があった。週に一回でいいとしても、それを私は続けてゆけるだろうか。
私は基本、写真に言葉を添えない。タイトルさえ、展覧会の折に作品群にひとつ、付すだけだ。
写真に言葉は必要なんだろうか。多分、必要ないんだと私は思っている。写真が語ればいい。写真から伝わればいい。私はそう思っている。写真で伝わり切らないのなら、それはもう、その写真を撮った焼いた私の責任であって。それよりほか、何もない。
そんな私が、彼女の申し出に応えられるんだろうか。
でも、何だろう、やってみたいという気持ちが生じているのも確かだった。そうして何度か彼女との手紙をやりとりするうちに、心が決まった。やってみよう。
それは多分、彼女の佇まいにあったのだと思う。決してこちらに押し付けない、押し付けないけれどもすっとこちらに入ってくる、そんな佇まいが。
せっかくやらせていただくならば、できるだけ長く続けたい。そう思いながら、第一稿を上げた。言葉と写真との共存。侵し合うことなくどこまで存在していられるのか。やってみようと思う。

新型インフルエンザの予防接種費用免除の手続きを終え、早速指定の病院へ娘を連れて出掛ける。もうだいぶ日が傾き始めた頃、私たちは自転車に跨って埋立地を真っ直ぐ走る。辿り着いた病院で、手続きがうまくゆかない。入れ替わり立ち代わり、受付の人がやってきては書類をあたふた書いている。私はこういう時間がとても苦手だ。責められているような気持ちに陥ってしまう。何故そんな気持ちに陥るのか分からないが、こうしてあたふたされるのは自分に原因があるのではないかと思えてきてしまうのだ。そのせいで私は、私と娘しかいない待合室、うろうろしてしまう。娘に声を掛けられても、おとなしく座っていることができなくなる。
結局病院の手違いということが分かり、二回目の接種もちゃんと受けられることが確認される。ただそれだけに三十分もかかった。私はぐったりしてしまう。娘に少し笑われながら、私たちは一休みにと、喫茶店へ場所移動する。
喫茶店で、私は持ってきた本を読み、娘は書きかけの作文を清書している。こっそり盗み見ると、それは「朝食を何時に食べるか」なる調査をした結果の作文らしく。最後、「私もみんなのように、六時半から七時の間には朝ご飯を食べるように早起きしたいと思います」と結ばれている。なるほど、それで彼女は最近、六時やら五時半には起きたがるのか、やっと理由がわかった。
ママ、見ないでよっ。その声ではっと我に返る。娘が左腕で下書きを隠し始める。ごめんごめん、そんなに嫌なら見ないよ。…見てもいいけどさ、でも書いている間は見ないでよ。分かった分かった。
娘も、そういうお年頃らしい。私は見えないように横を向いて、ちょっと笑う。
店を出ると、もうとっぷりと夜が広がっており。私たちは慌てて家路を辿る。今日の夕飯はスープにコロッケ。食後に苺。

痛い! 娘の声で振り向けば、娘は泣きべそをかいている。
どうしたの? ミルクが噛んだ。あぁ、なんかちょっと今日はミルク、様子がおかしいよ。血が出てきたよ。二箇所も噛まれた。あれまぁ。ママ、ママが今度ミルク抱いてみて。分かった。うわ、痛いっ。ママも噛まれた? うん、噛まれた、ほら。ほんとだ。うーん、今日はミルク、そっとしておくのがいいかもしれないよ。…うん。もしかしたら月のものとか? そうなの? うーん、分からない。ハムスターに月のものがあるのかどうか分からないけど、子供を産むんだからあるんじゃない? そうなんだぁ。いや、分からないけどね、何となくそうなのかなぁって思っただけ。だから気が立ってるの? そうかもしれない。
ミルクはそれでも、籠をがしがし噛んで、必死に噛んで、外に出してくれと言っている。でも私たちは籠の前にしゃがみこみ、じっと彼女を見つめている。とても今、外に出してやれそうには、ない。
じゃね、ママ、そろそろ行くよ。うん。娘はまだ涙目だ。大丈夫大丈夫、ほら、もう血、止まってるよ。うん。ママも噛まれたからお揃いだ。うん。じゃ、行ってくるね。行ってらっしゃい。
薄く雲のかかった太陽が、南東の空、のぼり始めている。私はそれをしばし見つめ、そして階段を駆け下りる。駆け下りながら、携帯電話を取り出し、部屋に電話を掛ける。
もしもし。ほいほい、ママだよ。どうしたの? バス行っちゃうかも。ミルクのせいだー。娘が笑う。だから私も笑う。ほんとだよ、ミルクのせいだ、うんうん。もう大丈夫だね? うん。じゃ、頑張ってね。うん、あなたも頑張ってね。
バス停に立って空を見つめる。何となく空気が澱んでいる。そのせいで陽光はあちこちで乱反射し。ぼんやりとした明るさ。街路樹がしんしんと立っている。少しずつ少しずつ、人の行き交う姿増えてゆく。
今鳶が空を渡る。ゆるやかな線を描いて空を今、横切ってゆく。


2010年01月19日(火) 
体を起こそうとして、ずっしりとした腰の痛みに呻く。腰を酷使した覚えはない。娘の足に絡みつかれるようにして体をじっとさせていたせいだろうか、そのせいだけならいいのだが。私はかつてなった関節症を思い出しぞっとする。産後の無理が祟って骨盤がずれてくっついてしまった。そのせいで半年一年、不自由な思いをしたことがある。ほぼ毎日のように鍼に通って何とか治療したものの、それから三年は、骨盤の補強ベルトを外すことのできない毎日が続いた。もともと関節に血が溜まりやすいらしく、ちょっと無理をするとすぐに血の瘤ができた。今またあの当時のように治療しなさいと言われても正直困る。今毎日医者に通うなんて術は到底できそうにない。私は腕で体を支えながら、そっと体を起こし、少しストレッチしてみる。骨盤を触って、とりあえずまだ大丈夫ということを確認する。
ハーブティを入れながら私はテーブルの中央で咲いているホワイトクリスマスに手を伸ばす。こんもり、こんもり。咲いている。なんだかいつものホワイトクリスマスの花とはちょっと違う。まるでぼんぼりのような花の形になっている。これでもし仄かに色がついていたりしたら、まさに、灯りのついたぼんぼりだ。鼻をそっと近づければ、ほんのり甘くて涼やかな匂いが鼻をくすぐる。
ハーブティを入れたカップを片手に窓を開ける。雲がきれいになくなった空は、すかんと抜けている。まだその空の色は暗い暗い闇色をしているが、きっと今日はきれいな朝焼けが見えるに違いない。そんな気がする。地平の辺り、僅かに漂う雲はゆっくりとゆっくりと流れ。私はその様子をしばし見つめる。

病院の日。調子はどうですかと問われ、あまり良くありませんと応える。何かありましたか、と言うその後の先生の問いに私は呆然とする。カルテに書いてないのか? 前にそのことを問われて一月は事件のあった月でもありしんどいのだと私は訴えた。その記録は残っていないのか? 私はだからもう一度同じことを繰り返す。すると、あぁそれじゃぁしんどいですねぇと言われ、がっくりする。何だかもう、何も言う気を失い、そのまま黙り込む。
普段は大量の薬を分包にしてもらうまで薬局で待つのだが、それも煩わしくて、シートのまま受け取る。大丈夫ですか、と薬剤師に問われるが、何も返事できずにその場を後にする。
そんなもんだ、と思う。そんなもんだ、本当に。私にあった出来事などというのは砂粒にも満たないたったこれっぽっちのもので。だからこんなもんだ。そう思う。それでもどこかで傷ついている自分は一体何なんだろう。

唐突に髪を切りたくなる。ばっさり切ったらどうだろう。そう思った直後、私は苦笑する。髪を切る、多分それはできない。私にとって多分髪は、唯一のものだ。長く伸ばし整えることで、ほんの僅かだけ自分を主張できるもの。だから、切りたいと一瞬思ってみても、結局ばっさり切ることなんて、できやしない。
後ろに長く束ねた髪を、指で切る真似だけしてみる。じょきっという音がして、でもやっぱり、切ることなんて、できそうにない。

友人が会おうと言ってくれるのは、もしかしたら、いや、多分、私があまり調子がよくないと知っているからだろう。今月がどういう月であるのか、彼女が知っているからなんだろう。電車に揺られ、彼女との待ち合わせ場所に向かいながら思う。口に出さないだけで、彼女はそれをよく知っている。だから少しでも、私の気が紛れるようにと、誘ってくれるのだろう。声に出すことはできなくて、だから、心の中でそっと、ありがとうと私は言ってみる。
先日石屋さんの作ったという小さな小さな石の美術館で見つけた一輪挿しを、彼女に手渡す。石なのだけれどもぬくみのある色合いで、彼女の好きなガーベラだったら二輪くらい飾ることができるサイズ。彼女がわぁと喜んでくれるのを、私はじっと見つめている。彼女はどちらかというと、もっと可憐な、かわいい感じの人だ。ほんわり柔らかな色がとてもよく似合う。そう、暖色系の、やわらかな色が。
花に譬えるならどんな花だろう。私は彼女を見つめながら思う。あぁ、菜の花畑かもしれない。一輪ではなく、ばぁっと一面に咲いている菜の花畑。そんな感じがする。日が燦々と降り注ぐ中に広がる菜の花畑は、どんなにあたたかく、人の心を喜ばすだろう。
夕方、お酒の好きな彼女につきあって、ちょっと一杯。彼女はビール、私は梅酒を飲む。お酒を口にした途端、彼女の顔がさらにぱぁっと明るくなる。おいしいおいしいと言ってお酒を飲む彼女を私はまた、見つめている。
そして思う。分かってもらえない、というのは多分、傲慢だ、と。分かってもらうことができない、それはそれで確かにそうかもしれない、でも、こうやって寄り添ってくれる友が私には今在るということも、真実で。そのことへの感謝を、忘れてはいけないと、私は心の中思う。自分にくっきりと刻み込む。

それでも勝手に、マイナスの方向へ滑り出しそうになる自分を、どうやって引き上げたらいいんだろう。
あの時が私の中から無くなってしまえば変わる? あの場所がこの世からなくなってしまえば変わる? 何か、変わるか?
あの時を私の中から消去するということは、その後生きてきた私の時間も無かったことにする、ということになってしまう。それはできない。ここまで生き延びてきたことまでもを否定することはさすがにできない。
あの時以前に戻りたいとも、残念ながら私には思えない。ここまでようやっと生き延びてきたのに、もしまた戻ったりなどしたら、その時またここまで生き延びてくることができるかどうか、そんな自信は、ない。
私は生きていたい。

一駅分歩こうと店を出たところで、細い細い月に出会う。それは本当に細くて、爪の先のように細くて。それでも煌々と輝いていた。月の隣にひとつ、明るい星が浮かんでおり。
しゃんとしなければ、と思う。ひっそりとでいい、立っていたいと思う。自分の足で、しゃんと立っていたいと思う。まだまだこんな、不安定な足だけれども、それでも、立っていたいと思う。

ママ、ココアってさ、お腹のちょっと下のところと耳の後ろを撫でてやると喜ぶんだよ。そうなの? うん、ほら、見てて。娘が小さな指先でココアの下っ腹をこにょこにょと撫でる。ココアは気持ちよさそうに鼻をひくひくさせる。ね? うん、ほんとだ。
そうして朝だというのに娘が踊り出す。何をやってるの、と私が問うと、ココアと一緒にダンスしてるんだ、と平然と応える。そうして彼女は、MJのPVに合わせ、見よう見まねで踊り続ける。私はそれを、後方から、ちょっと笑いながら眺めている。
じゃぁママそろそろ出るね。うん。私は彼女が差し出す彼女の掌の上のミルクの頭を撫でてやる。じゃ、また後でね。うん、また後でね。
自転車に跨って走り出す。池に立ち寄れば、今朝も池には薄氷が張っており。私は爪先でそれを突付いて壊す。ぱり、しゃり、しゃり、と辺り一面に響く音。氷は薄いながらも、それでも日毎厚くなってゆくのが分かる。それだけ冷え込みがきつくなってきているのだろう。私はコートの襟を合わせ、再び自転車に乗る。
救急車とすれ違う。私は自転車を止め、それを見送る。何事もありませんように。すぐよくなりますように。サイレンの音が空を劈くように響いてゆく。
高架下を潜り抜け裸の銀杏並木を走り、一気に通りを渡る。点滅する青信号。それでも私は一気に渡る。
プラタナスが立ち並ぶ通りを選んで走る。いつの間にか奥まで通りが開けており。これまで埋立地の端っこに隠れるようにしてあったヘリコプターの発着場がすぐ近くに感じられる。
そうして今海は、上り始めた太陽の陽光を一身に受け。ざぁざざざぁと囁きを繰り返す。白い漣が濃暗色の波の先で弾けてゆく。
さぁ今日もまた一日が始まる。私はくるりと方向転換し、そうしてまた、走り出す。


2010年01月18日(月) 
テーブルの上、ホワイトクリスマスがこんもりと咲いている。週末留守にしている間にこんなにも綻んだ。私の拳よりひとまわり小さいくらいのその大きさ。真っ白に輝いて、仄暗い、明かりを殆どつけていない部屋の中でもそこだけが明るい。花びらは開くほどに柔らかくなってゆく。鼻を近づければ涼やかな香りが鼻腔の奥をくすぐる。
午前四時、ふと目を覚ます。まだずいぶん早い時刻だということは分かっていたが、せっかく目が覚めたのだからと体を起こす。娘の足が大きく布団からはみだしている。私は布団を彼女の体に寄せて、その足を包む。
窓を開け、空を見上げる。しっとりと濃い闇の中、雲がずっしりと浮かんでいる。いつの間にこんな雲が現れたのだろう。昨日の夕までこんな雲は片鱗もなかった。私はどんよりとした雲をじっと見つめる。今朝は朝焼けを望めないかもしれない。風の殆ど無い、けれど底冷えのする朝。
ベビーロマンティカの蕾のひとつが、ほんの少し、綻び始めた。一番外側の花弁は濃煉瓦色をしているのに、開き始めたその内側はずっと明るい煉瓦色だ。それは大輪のホワイトクリスマスの花と比べたらもう、何分の一、という小さな小さな花で。それでも真っ直ぐ天を向いている。まるでそこに何か、信じるものが待つとでもいうように。

ニュースが震災から十五年、というニュースを繰り返し流している。被災地で捧げられる黙祷の様子が映像で流される。私はそれをじっと、じっと見つめる。
あの朝、私は地震が起きる十分ほど前に目を覚ましたのだった。いや、当時一緒に暮らしていた猫に起こされたといった方が正確だろう。彼はひどく興奮して、窓の辺りをうろうろし、前足で窓を叩き、襖を叩き、うろうろと動き回っていた。私はそんな彼の様子に少しの不安と疑問を覚えながらテレビをつけた。まだ暗い部屋の中、テレビの灯りは煌々と部屋を照らし。そのテレビから、地震のニュースが流れ始める。時間が経つほどに酷くなってゆく被害。その只中に、恐らくは、私の友人が在た。
そしてその日から十日後、私は事件に遭った。
私はじっと見つめている。十五年、十五年と繰り返される言葉がそのたび、私の胸を小さく抉る。十五年だから何だというのか。
不謹慎なことを承知の上で告白すれば、少し羨ましい。少なくとも一緒に、「あの時」「あのこと」を悼む人がいるのだ。それが本当は少し、ほんの少し、羨ましい。
私の事件は至極個人的なもので、だから体験も酷く個人的で。たとえば十年を迎えようと十五年を迎えようと、それは私の中でのことでしかなく。
何処までもそれは、たった一人の体験であって。
共有されるものは、ない。

友人の誕生日だ。私は朝一番に友人に手紙を送る。おめでとう、おめでとう。また一年、生き延びようね、と。
生き延びる。私たちには本当にそんな言葉が似合う。
生きていることは決して、当たり前のことなんかじゃなく。むしろ生きているということがとてつもなく奇跡で。
あの頃、毎日のように電話をしていたね。海の向こうとこちら。電話を通して泣いたことが何度もあった。泣いて泣いて、それでも生きなければならないことを見つめ、一瞬一瞬はまさに針の筵で。それでも私たちは、その時間を越えてここまで生きてきた。
友よ、本当にお誕生日おめでとう。あなたと会える機会は一年に一回あるかないかだけれども、それでも、今何処かであなたが生きているということが、私を支えている。あなたの体験を私は聴くことしかできないけれど、耳を傾けることしかできないけれど、そんな体験を経てもなお生きていてくれるあなたを、私は誇りに思う。
おめでとう。お誕生日おめでとう。また一年、踏ん張って生き延びてくれ。

北海道の友人から留守電が入っている。血が止まらないよ、救急車呼んだ方がいいのかな。ただその一言で留守電は終わっていた。私は電話の前、しばし佇む。そして、一回だけ彼女の電話を鳴らす。
今は親元で暮らす彼女は私より年上だ。誕生日が同じで、同種の被害に遭った。離婚という経験もお互いにしてきた。
東京から北海道に戻り、少しでも状態が落ち着いてくれればという気持ちがあったけれど。折々に届く彼女からの手紙やこうした留守電は、まだまだそれが遠い道程であることを私に知らせる。
悲しいかな、今は、飛んでゆくこともできない。こうした留守電を聴いても、飛んでゆくことはもうできない。ただ祈ることしかもう、私にはできない。

昔聴いたことがある。ありとあらゆる色を混ぜ合わせるといつか白になる、と。本当かどうか知らない。試したことはない。でもそれが本当なら、どんなに素敵だろうと思う。
だから私は白が好きだ。白い花が好きだ。ありとあらゆる色の果てに生まれたというその色が好きだ。
血反吐を吐いてしか越えられない時間があった。血に塗れて塗れて、それでも腕を切るしか術のない時間があった。これでもかというほど喰らいそしてそれを嘔吐してしか過ごせない時間があった。鏡の中映る自分が恐ろしく粉々に割って砕いてそれでもたまらなくて膝を抱えて過ごすしかなかった時間があった。耳を塞いでも目を閉じても世界のありとあらゆるものが突き刺さって突き刺さって、もうどうしようもない時間があった。
そうした時間を過ごしても、その時何色に染まってしまったとしても、その果てに白があるなら、そうであるのなら、救われる、そんな気がした。
だから白が好きだ。ありとあらゆるものを受け容れた果てに在るという、その白い色が好きだ。

ねぇ、この日授業参観なんだけど、ごめんね、ママ、搬入があるからどうしても行けないんだ。うん、分かってる、いいよ、ママいつも来てくれてるから、大丈夫。いっぱいいっぱい来てくれてるじゃん。ごめんね。それとさ、この日はこの日で搬出だから、あなたにひとりでお留守番していてもらわないといけなくなっちゃうんだけど。大丈夫、心配なのはじじばばだよ、ばれないようにしないと。うん、そうだよね。じじばばに知られると、ママ、また何か言われるよ。うん、分かってる。私は大丈夫だから、ミルクもココアもいるし。一緒に遊んで待ってるよ。うん、ごめんね、ありがとう。

私は祈る。どうか私の周りにいる人々が幸せでありますよう。
私は祈る。どうか私の周りにいる人々がこれ以上傷つきませんよう。
私が祈ったって何をしたって、どうにもならないことがあることも、十分に分かっている。
分かっているから、分かっているからこそ、だからこそなお、祈らずにはいられないのだ。
どうか、どうか、と。
それでも、と。
だから祈る。私は祈る。
一瞬一瞬、空へ向けて。

じゃね、ママ今日病院だから早く出るよ。うん、あ、ちょっと待って。そう言って今朝娘が連れてきたのはミルク。恐らくさっきまで眠っていたのだろう、それを娘に連れてこられたのだろう、寝ぼけ眼のミルクは、娘の手のひらの上、きょとんとしている。私はその鼻先を撫でてやる。じゃぁね、行ってくるよ。うん、行ってらっしゃい。
運悪くバスはちょうど行った後で。私は仕方なくバス停で次のバスを待つ。ちょうど南東の空を雲が大きく覆っており。陽光はその空の向こう、溜まりに溜まっているのが分かる。
バスに乗り、電車に乗り。渡る川は朗々と流れ。重暗い色合いはそれでも朗々と堂々と流れ続け。
そうして一日がまた、始まってゆく。


2010年01月15日(金) 
夢に襲われることもなく、朝を迎える。目を覚ませばミルクのがらがららという回し車の音。私は近づいて彼女に挨拶をする。彼女は途端に籠の入り口にまっしぐら。籠の入り口のところにがっしと齧り付き、がりがり、がりがりとやっている。私はしばらく彼女を見つめ、指でちょんちょんと籠の扉を叩き、もう少し後でね、と声をかける。
お湯を沸かし、紅茶を入れる。今朝は、手作りのアプリコットジャムをその紅茶の中に入れてみることにする。お砂糖を一切使っていないジャムだから、そう心配することもないだろう。匙ひとつ分入れてみる。途端に変化する紅茶の色。濃い茜色からまろやかな茜色へ。
カップを左手に持ちながら、窓を開ける。濃い闇がまだ横たわる時分。通りには行きかう人も車もなく、しんと静まり返っている。その通りを街灯が煌々と照らし出している。吐く息が白くなる。今朝点いている窓の明かりは五つ。白い白いその光は、闇の中の目印になる。
部屋に戻れば、テーブルの真ん中にホワイトクリスマス一輪。昨日より綻んできたとはいえ、まだまだ閉じている。一番外側の花弁だけが、ぺろり、と、翻っている。暖房を殆どつけないこの部屋では、ちゃんと咲いてくれるのはまだまだ先になるのかもしれない。

待ち合わせした時間よりずっと早く友人がやって来る。どうしたのと尋ねると、こちらに用事のある友達と一緒に早く出てきてしまったと笑う。私は頷く。私たちにとって、電車に乗るのは一苦労なのだ。私自身、電車の中で何度倒れ救急車に運ばれたことがあるか知れない。誰にも助けてもらうことができず、倒れたまま終点まで辿り着き、そこで職員に発見され救急車を呼ばれる。思い返すと少し、それは寂しい。
娘二人との生活が、軌道に乗り始めた彼女は、子供たちの話をたくさんしてくれる。それまで閉じていた彼女の殻のどこかに、ふっと風穴が開いた、そんな感じがする。その窓は多分ふんわり丸くて、外の世界をちゃんと覗ける高さにあるのだろう。彼女の世界は、娘たちとの関係の変化によって、がらりと姿を変えた。
話していて、つくづく思う。私たちには、基盤、と呼べるようなものが、ない、と。子供時代があまりに凍りつきすぎていて、また、かけ離れすぎていて、重なり合わないのだ。自分がされてきたことと、自分がすることとが違いすぎて、だから実感というものがなかなか持てなかったりする。
たとえば娘をいとしくて抱きしめる。ふと思う。抱きしめられたことが殆ど無い自分。在るのは空洞の部屋か、背中を向けている親の姿のみ。だから戸惑う。自分がやっていること、自分がやろうとしていることは、果たしてこれでいいのだろうか、大丈夫なのだろうか、と。
戸惑い、そしてその果てに彼女が一時期自分の扉を子供たちに対して閉じてしまっていた気持ちが、痛いほど分かる。伝わってくる。私は彼女の話に耳を傾けながら、自分を省みる。
そして思い出す。十年ほど前、彼女と病院で再会した折のことを。それは私にとって苦い出会いだった。だからもう二度と彼女と会うことはあるまい、と思った。それがまた出会った。
もしあの時彼女が、ごめんね、という言葉を用いなかったら。私は彼女をこんなふうに受け容れることはできなかったろう。苦い記憶に何かがさらに上塗りされるだけの、そんな再会になっていたのだろう。でも彼女は言った。私が思ってもみなかった、私が知る彼女からは出るはずのなかった言葉を。

ACという言葉は、私たちにはとても親しい言葉だ。親しすぎて、手垢がついているかもしれないと思うほど。でも、授業を受けて知った。私たちには親しいが、そうではない人がこんなにも在るのだ、ということを。
正直最初驚いた。こんなにも、ACなどという言葉からはかけ離れて生きている人がいるということに、私は驚いた。多かれ少なかれ、みんな何処かでこの言葉に親しんでいるのではないかという、妙な先入観が私にはあったのだろう。
でもそれはあくまで、私の尺度であったことを、改めて知った。
そして思う。知らないで済むならば、知らないでいい言葉があるのだ、と。

話していて、笑ってしまう。妙なところで共通項があったものだ、と。彼女が話してくれる母親の手料理が、我が家のそれと重なり合うものがあって。
私の母は、決して料理が下手な人ではないと今なら思う。最近食べた煮物などは、とてもおいしかった。でも。あの頃、私や弟がまだ幼かった頃、もしかしたら彼女は追い詰められていたのかもしれない。その頃の彼女の手料理の記憶といえば、それは、温度はあたたかいけれどとても冷ややかで乱雑なそれだった。味があるのかないのか、よく覚えていない。そういう代物だった。
自分は料理人になるのだと言い出した。私はただ淡々とそれを食べて育ったが、弟はそれがいやで、料理人になるのだと言い出したほどだった。
いつの頃からか、食卓、というものがしんどい場所になっていった。食べるという行為がしんどいものに変わっていった。楽しいものなどでは、決して、なかった。
おいしいもおいしくないも、なかった。味が感じられない料理を、ただ黙々と胃に運ぶ。それが食事だった。それが食卓だった。
気づけば、我が家では、食卓というものがなくなっていった。テーブルはしんと静まり返ってそこに在った。
それは昼間はそうでもないのだが、夜見ると、たまらない代物だった。ここでわいわいがやがやみんなで食べることができたらどんなに楽しいだろう。そんなことを思いながら何度、テーブルを見つめたことがあったか。
過食嘔吐を繰り返すようになってからは、私はその食卓いっぱいに食べ物を並べた。とにかく並べ、広げ、テーブルをいっぱいにした。そして、片っ端から食べた。食べて食べて食べて、そして嘔吐した。
白い便器の中にはぼんやりと、母の顔が浮かんだ。私はその母の顔に向かって吐くのだった。それがまた、哀しかった。
今私と娘の暮らす部屋は狭くて、そのせいもあって、食事をする小さなテーブルは折りたたみ式のものだ。食事ができあがると開き、終われば閉じてテーブルをしまう。本当は、テーブルがでんと部屋の中央にあってくれたら、なんてことを思う。それは多分私の憧れだ。テーブルがあってみんなが集って。そんな場所があってくれたら嬉しいと思う。でもまだ、そんな部屋は、遠い。

それじゃ、ママそろそろ行くよ。あれ、早くない? 今日学校だもん。あ、そうか。ちょっと待って! 私が玄関で靴を履いていると、娘がミルクを連れてやってくる。あらあら、起こされちゃったのねミルク。私は笑いながら娘の掌に乗るミルクを撫でる。右手の人差し指と親指とで胴体を挟んで持ち上げると、きょとんとした顔をこちらに向けてくる。それがおかしくて、私は娘と一緒に笑う。
じゃぁね、うん、じゃぁね、頑張ってね! 娘の声に見送られ、私は玄関を出る。いっぱいの陽光が辺りに溢れている。私は階段を駆け下りてバス停へ。ちょうどやってきたバスに飛び乗る。
今日もまたインナーチャイルドの授業。どんな授業になるのだろう。どんな話が聴けるのだろう。少し、緊張もあれば、少しの楽しみもある。
バスはとんとんと進み、駅へ。私は駅の反対側まで歩く。そして差し掛かる、川の流れる場所。
川は東から伸びてくる陽光を必死に浴びて、きらきらと輝き流れる。こんな街中の川だというのに、水は朗々と流れゆき。
私の横を何人もの人が行き交う。私はその姿をしばし見送る。そしてまた、歩き出す。


2010年01月14日(木) 
いつの間に寝入ったのだろう。電話を握り締めたま眠ってしまったらしい。開いてみれば、不在着信が二件。あぁやっぱり。思いながら電話の主を確かめる。出るつもりで電話を握っていたのだ、それが電話が来るより先に私が眠ってしまったのだ、恐らく。申し訳ないことをした。一握りの後悔に苛まれる。
それにしても寒い。しんしんと冷え込んでいる。私は体を起こし、早速お湯を沸かす。今朝はハーブティではなくレモネードを作ってみる。蜂蜜を少し多めに入れたレモネード。甘いけれど、その分体の芯があたたまる。
カーテンを開け、窓を開ける。こっくりと横たわる漆黒の闇。とろりとした黒蜜のような濃密さ。今朝点いている窓の明かりは四つ。平行四辺形を作るようにして並んでいる。街灯の灯りは濃橙色の輪をアスファルトに落とし、しんしんとそこに立っている。
振り返ればテーブルの真ん中、ホワイトクリスマス。部屋に入れたというのに、まだまだ開いてこようとしないその花の形は、ちょうど滴の形をしており。滑らかなその輪郭は、闇の中、凛として浮かんでいる。指でそっと触れてみる。柔らかな、けれど張り詰めた感触が、ありありと私の指先に伝わってくる。鼻を近づけてみれば、仄かに香るその香り。少し甘く、でも涼やかなその香り。

友人と会う。指に怪我をしている彼女を手伝って、書き物をする。しこしこ黙々と続けられる作業。あっという間に時間は過ぎて、ようやく仕事も仕上がる。あとは投函するのみ。
彼女に、今年の二人展に飾る作品を集めて作った作品集を手渡す。彼女の絵には本当に色が似合う。それはほぼ暖色系の、あたたかでやわらかな色合いで。私の写真とは正反対といってもいいかもしれない。それは、寂しがり屋で甘えん坊な彼女に、ぴったりな色合いでもある。私はちょっとそれが、羨ましかったりする。かわいいなぁと思ったりする。

彼女と話をしていてふと思い出す。去年、受取拒否された年賀状があった。受取拒否というものを私はそれまで知らなかったから、ひどく吃驚した。今でも思い出すと、そこまでするものなのかなぁと思う。それまでしょっちゅううちに泊まりに来ていた友人に、突如そういう態度を取られ、私はかなりあたふたした。けれど。
諦める、手放す、ということも、必要なことなのだなぁと思う。縁を手放すというのはとても悲しいことだけれども、それでも、それが必要な時というのも、やはり、在る。それがたまたま今この時というだけのことであって。
似通ったことが今年もまた一通、在った。だからこんなことを今になって思い出すのだろう。でも大丈夫。もう大丈夫。そういうことも、今ならもう、受け容れられる。

今月が一月であるということもあってか、気持ちがぶれやすくなっている。あれやこれや思い出すことが多い。でも何だろう。十数年経っているということが一番大きいのだろうか。ほんの少し、ほんの少しかもしれないが、「大丈夫」になってはきている。気がする。
無理をしていない人なんて多分いない。多少なりみんな気を張って無理をして、それでも笑ってる。それができないと放って泣くことはできるけれど、それをしたって何も始まらない。
そんなことを思っているうち、一月も半ばを過ぎようとしている。事件に遭った日に刻一刻、近づいている。
もしかしたら後で反動が出るかもしれないが。なんとなく。越えられる。そんな気がしている。それが去年までとは、多分大きく違う。

ねぇママ。なぁに? やっぱりココアってかわいそうだよね。どうして? だって、指が一本足りないんだよ。あぁ、そのことかぁ。うん、かわいそうだよね。うん、でも、ココアにとっては多分、指がないことが当たり前なんだと思うよ。そうなの? だってココアの場合、生まれたときから指が無かったわけでしょう? 無いことは不自由かもしれないけれども、それを受け容れていかなかったら、生きていくのが余計に大変になるよ。ふぅん、そういうもんなんだぁ。いや、わかんないけどさ、もしママがココアだったら、そうかなぁって思っただけ。ふんふん。
娘はココアの左手を撫でながら、それでもまだ何か考えている。
ママ、私、ちゃんと腕とか指とかあってよかったなぁ。本当だねぇ、よかったよねぇ。うん。

当たり前のことなんて、多分、ひとつもないんだと思う。私が或る日突然、強姦というものに出会ったように、生きていれば、思ってもみない出来事にぶつかったり襲われたり、するもんなんだと思う。
腕ひとつとったってそうだ。当たり前にこの腕が死ぬまでここに付いていてくれるかどうか、それさえ疑問なのだ。腕を持って生まれてくることができたのが奇跡なら、腕を持って死ぬまで生きられるかどうか、それもまた奇跡のようなものだ。
だからせめて、気づいた時だけでもいい、感謝する気持ちを持っていたい。ありがとう、ありがとう、と、言える心を持っていたい。

ねぇ娘よ、おまえは多分、奇跡の子なんだよ。妊娠発覚から一週間で切迫流産、入院、父母との確執、夫(父親)の不在、子宮頚管無力症、破水その他様々な事を経て、いやそもそも、PTSDの症状がまだまだ強く出ていてパニックやフラッシュバックに襲われるのが当たり前であった頃におまえは私のお腹に宿った。病院に通っていて、何度待合室で呼び止められたことか。病気であっても子供は産めるのか、薬を飲んでいても健康な子供は生まれるのか、産む自信はあるのか、大丈夫なのか、と。ACであっても子供を育てられると思うか、とも。
そんな中を潜って、こんなにも健康で生まれてくることができたこと、今育つことができていること、奇跡なんだよ。
まだたった十年弱しか生きていないおまえの身の上にも、本当に様々な出来事が降ってきた。もうだめか、と思うこともあった。でも。
それでもおまえはこうして、今、生きている。
そのことにどうか、感謝して欲しい。そしてまた、自分を褒めてやってほしい。その気持ちを、どうか忘れないでいてほしい。
生きているそのことに、感謝する気持ちは、どうか、失わないでいてほしい。

行ってらっしゃい、行ってきます。登校班の子供たちを見送って、私は自転車に跨る。澄み渡る空を映し出す薄氷は、池一面を覆っており。そうして私はまたさらに走る。高架下を潜り埋立地へ。一気に視界が開け、ビルの窓という窓に乱反射する朝の陽光。眩しくて私は思わず手を翳す。娘にどうしてもと言われて買った手袋が、光を受けしゃらしゃらしている。
さぁ、今日もまた一日が始まる。私にできることは一歩また一歩、歩き続ける、ただそれのみ。


2010年01月13日(水) 
最初に目を覚ましたのが午前一時半。そして次に目を覚ませば三時半。あぁもうこれが今夜の睡眠の限界だなと私は起き上がる。それはまだまだ真夜中といっていい時間帯で、だからココアもゴロも起きて、しこしこ何かをしている。ゴロは自分の巣箱の隣に、木屑で山を作っているところ。ココアは回し車と噛み枝の間を行ったり来たりしている。おはよう、ココア。おはよう、ゴロ。そしてミルクは、と見れば、ミルクはぐっすり寝入っているらしく。巣箱の中彼女が持ち込んだ木屑が、煙突のところで小さく上下しているのが見てとれる。
私はカーテンを開け、アスファルトを見つめる。雨はいつの間にか止んでくれたらしい。しっとりと濡れてはいるが、街灯の灯りの中、雨筋は見えない。それにしても昨日の雨は冷たかった。雨の中自転車で走っていると、雨がちりちりと指に突き刺さった。もうそれは冷たいというものではなく。ちりちりという痛みで。その雨の中私は、役所と郵便局とを行き来したのだった。
だからといっては何だが、その夜の夕飯はひっぱりうどんにした。葱をたっぷり入れ、納豆をこれでもかというほど粘るまでといで、お酢を少し入れてみた。甘めのつゆの味をお酢が引き締めてくれて、ちょうどいい加減だった。あっという間にやわらかめに茹でたうどんはなくなり。最後、茹で汁を残った納豆と葱に注ぎ、とろろ昆布を入れて飲み干した。暖房を殆ど入れない寒い部屋の中、私たちははふはふ言いながら食べつくし、おかげで体がぽっぽとあたたまった。
葱を切るところで、娘が指の先を切ってしまった。噴き出す赤い血。でも娘は何も声を上げない。あら珍しいと私が黙って見ている。彼女は自分で指を押さえ、私が買ってやったキース・ヘリングのイラストの入った絆創膏を貼ってゆく。ひとりでずいぶんできるようになったものだなぁと私は感心しながら、それでも黙って見ていた。いつ私が倒れても、彼女がひとりでやっていけるように。できることがあるならそれはひとりでやってもらう。それがうちにある、唯一といってもいい方針。
そんなことを思い出しながら、私はお湯を沸かす。今朝は何を飲もう。久しぶりに中国茶でも飲もうか。いやいややっぱり。迷った挙句、結局ハーブティに落ち着く。

久しぶりに、石に呼ばれている気がして、石の詰まったケースを開ける。呼ばれるまま、石を選ぶ。プラシオライト、シトリン、アクアマリン、ブルーレース、レピドライト。その他いくつかの石を、順々に繋いでゆく。繋ぎながら、あれ、とひっかかったものは横に寄せ、指にしっくりくるものをさらに選び出す。
石を見つめていると、自然、目が閉じられてゆく。実際の目は閉じて、心の目、心の耳で見、聴く。そうすると、じんじんと石のエネルギーが伝わってくるのが分かる。囁く者、呟く者、笑う者、みんなそれぞれだ。
石を繋いでいるところに、娘が帰ってくる。ママ、久しぶりだね。うん、そうだね、今日は石に呼ばれてる気がしたからね。そうなんだ、ねぇ手伝ってもいい? うーん、まず手を洗って。はーい。
そうして彼女が手伝ってくれたのは、ブレスレットに出来上がった品に、名前を付してゆく作業。私が口で言うのを彼女が書き取る。そしてブレスレットに添えてゆく。いつも乱雑な字を平気で書く彼女なのに、こういう時は必死で、きちっきちっとした字を書こうと努力してくれる。どんな作業であっても、投げやりにやっていいことはひとつもないことを、彼女なりに分かっている。
ねぇママ、この石はどういう石なの? それはね、プラシオライトっていうんだけど、別名グリーンアメジストっていうのよ。アメジストって紫じゃなかったっけ? そうだよ、紫に熱を加えてゆくと、こうした透明な、薄いグリーンの石になるの。えぇっ、そうなの? そうなんだよ。変なのぉ。ははは、そうかなぁ。ねぇママ、私が大きくなったら私にも石のブレスレット作ってくれる? いいよ。ちゃんとお小遣いで買うから! ははは。楽しみにしてるよ。
そうして出来上がった品々は、水晶の上に寝かせられる。そうして撮影を待つ。

私が続けて仕事をしていると、勉強をしていた筈の娘がこちらを覗きこんでくる。何? 私が問いかけると、娘が、ママは何してるの? と言う。今、校正してるの。校正って何? うーん、間違っているところとかおかしなところを見つけて、赤いペンで印をつけるの。どうして間違ってるとかおかしいとか分かるの? どうしてだろう。そうだなぁ、書いているときはおかしいと思わなくても、改めて読んでみると文法がおかしいところってあるものなのよ。字が間違ってるときもあるしね。そういうのを直すの? うん、そうだよ。納得したのか、彼女はふぅんと言いながら席に戻ってゆく。
彼女が戻り勉強を始めたのを確かめて、私は今度、自分の原稿に移る。それは今年六月に予定している個展に折に、作品の脇に添える予定のテキストだ。書きたいことはだいたい決まっているのだが、それがうまくまとまらない。気づくと白い紙の上、たくさんの赤い印が記されてしまっている。いっそのことここを大きく削ろうか。そうだ、削ってしまおう。
結局、二段落分、削ることにする。少なければ少ない方がいい。写真に添えるテキストなのだから。言葉はあくまで添え物、だ。
よほど私の気が変わらない限り、六月の個展のテーマは決まっている。「祈々花々」。モデルになってくれたのは、私と同じ性犯罪被害者の一人の友人。彼女は被害の折、カメラを向けられたという体験を経ており、だから最初、カメラと向き合うことがとてもとても怖かったという。それなのに、私のカメラなのだから、と、私のファインダーなのだから、と、向き合ってくれるようになった。本当にありがたいことだと思う。
彼女とファインダーを挟んで向き合いながら、シャッターを切りながら、私の中におのずと浮かんできたのが、祈々花々という言葉だった。それが辞書に載っているかといったら、載っていないんだろう。でも、その言葉以外、もう無かった。
私は、それなりに形になり始めたテキストに、タイトルを打つ。「祈々花々」。そうして閉じる。あとはしばらく寝かせて、また時期が来たら開いてみよう。時間はまだ、ある。
切花にしたホワイトクリスマスが、テーブルの上、ふわりと咲いている。不思議だ、マリリン・モンローの花には重さがしっかり在る。一方このホワイトクリスマスには、そうした重さというものが、殆ど無い。益子焼の一輪挿に挿されたホワイトクリスマスを見つめながら、私はそんなことを思う。そして手を伸ばし、そっと花びらに触れてみる。ひんやりとした感触。
少し長めに切った枝の残りは、早速土に挿してみた。さて、どうなるだろう。春まで持つだろうか。持ってくれるといい。せっかくの命なのだから。

母から電話が入る。父が熱を出したという。お母さんは大丈夫なの、と私が尋ねると、今のところ鼻水だけよ、と返事が返ってくる。
治療の結果が出るのが二月。二月までどうか、何事もありませんように。そして検査の結果がどうか、いいものでありますよう。
今頃母の庭では、ラヴェンダーが花盛りのはず。この寒風に晒されても見事な花を咲かせていたあのラヴェンダーたち。どうかどうか、母を守ってくれますよう。私は祈るように思う。
この正月、親しい親戚から連絡が来た。おじさんが癌で倒れた、と。今車椅子の生活なのだという。その癌の名前は、あまり耳慣れない名前で。私と母は電話を挟んで顔を見合わせる。またか、と何処かで多分、思っていた。私たちの家系は、どうしてこうも癌に好かれているのだろう。癌になったことがない人が数えるほどしかいない。
そうして思い出す。祖母の最期を。祖母よ、あれほど生き急ぎ、懸命に時間を過ごしたあなたは、今何処でどうしていますか。どうかおじさんを、見守っていてください。そして白血病で死んだ大叔母よ、大叔父をどうか、守ってください。

昨夜の娘の指先の切り傷は思ったより深く。今朝になると、洋服を着替えるのも難儀しており。娘が、今日の体育は球技だから休んでもいいかと尋ねてくる。私はちょっと考え、いいよ、と言う。連絡帳にその旨を記し、彼女に渡す。そして、着替え終えた彼女の指先に、薬を塗る。
じゃぁね、ママ、そろそろ行くよ。うん、あ、ちょっと待って。そして娘が連れてきたのはミルク。あれ、ミルク起きてたの? ん、起こした。ははは、かわいそうに。私は指先でミルクの頭を撫でてやる。じゃぁね、ちゃんと鍵していくんだよ。うん。いってらっしゃい。いってきます。
玄関を開ければ、南東に上った太陽が燦々と陽光を伸ばしているところで。私は思わず目を閉じる。再び目を開けて空を見れば、まだ残る雨雲がくっきりと濃淡を描き。空はせわしげに動いている。
バス停に立てば、陽光がこれでもかとその場所に降り注いでおり。私は体が少しあたたまってゆくのを感じる。風が吹いているにも関わらず、確かに体はぬくみ。太陽の光というものが、どれほどのエネルギーを湛えているのかを私は思う。
バスがやって来た。信号が青に変わる。さぁ今日もまた、一日が始まる。


2010年01月12日(火) 
起き上がり、窓を開ける。いつもの闇色よりも暗灰色がかった闇色が垂れ込めている。じっと空を見つめていると、それがどんよりと浮かんだ雲のせいだということに気づく。空一面を覆いつくす雲。これっぽっちの隙間もない。気になって天気予報を見る。曇りのち雨。あぁ、雨雲なのかこれは。私は納得する。どうりで、重たげで、そしてどこかめいいっぱいという感じがする。
横に伸びた枝の先に咲くホワイトクリスマス。そろそろ切花にしてやった方がいいかもしれない。ここまで長い間花芽をつけ続けているのは樹にとって相当な負担だったろう。私は花びらを撫でながら思う。今日帰宅したら早速切って生けてやろう。そう決める。隣のベビーロマンティカはその色をますます濃くしてゆく。明るい煉瓦色から暗い煉瓦色へ、そして濃い紅色へ。咲く頃にはどんな色味になっているのだろう。
部屋に戻りお湯を沸かす。今朝は何を、と思っているとおのずと手がコーディアルの瓶に伸びていた。私は紅茶葉を入れたカップにお湯を注ぎ、薄めに紅茶を入れる。そしてそこにコーディアルのエキスをぽとり。
昨日の夜、娘が載せたのだろう、私の椅子の上には何通かの学校からの手紙が載っている。その日のうちに出せばいいのに、彼女はしょっちゅうこういう手紙を出すことを忘れる。私は苦笑しながらそれを広げて見やる。
後方ではココアの軽い回し車の音が響いている。

大家族の生活ぶりを追ったテレビ番組を、夢中になって娘が見ている。ねぇママ、切迫流産って何? ん? 切迫流産だよ、それって何? 子供がおなかから堕ちてきそうになっちゃうんだよ。まだまだ生まれる時期じゃないのに、滑り堕ちて流れて死んでしまいそうになるの。じゃぁ流産って何? 流産は、子供がまさに滑り堕ちてしまって命がなくなってしまうことを言う。ふぅぅん。そういうあなたは、最初切迫流産だったんだよ。え? そうなの? そうだよ、妊娠が分かって一週間目で、切迫流産になった。だからママは即入院になった。へぇぇぇぇ。その後どうなったの? 大丈夫だったの? うん、大丈夫だから今あなたがいるんでしょ? あ、そうか。入院して、どうしたの? 入院して、その後一応退院したんだけれども、すぐに、子宮頚管無力症だということになって、絶対安静だった。それって何? うーん、子宮口っていうところが開いてそこから子供が出てくるんだけれども、その子宮口が普通は閉じてるんだよね、だから子供が滑り堕ちないでおなかのなかにいられるの。うんうん。だのに、その子宮口が緩んできちゃうことがあるんだよ。緩んできちゃうの? うん。開いてきちゃうの。それで、子供がちゃんと育つ前に子供が堕ちてきちゃうの。また堕ちてくるの? そう。ママは何度も陣痛に襲われて、そのたんび、怖い思いしたよ。どうしよう、今生まれたら子供はまだ自分で生きていけないかもしれない、どうしよう、って。ふぅぅん。子供の頭が、子宮口より大きくなれば大丈夫なんだけれども、それまでは本当に、下手に動けない生活だったなぁ。へぇぇ。
思い出せば、異常続きの妊娠だった。母に何度、もう堕ろしなさい、と言われたか知れなかった。これで健康な子供が産めるわけがない、と母は繰り返した。それを私は頑として受け容れなかった。何が何でも産んでやる、と思っていた。と同時に。
怖かった。死なせてしまったらどうしよう、というのももちろんだが、それ以上に、私は連鎖させてしまうのではないか、ということが。父や母から私が受けた仕打ちを、私も同じように産まれてくる子供に為してしまうのではないか、ということが。怖くて怖くて、どうしようもなかった。今では或る意味懐かしい、しんどくて仕方なかった時期のひとつだ。
父親からも見捨てられ、じじばばからも見捨てられたこの命、私が守らなくてどうする、と、ただそれだけを必死に思った。他の誰から祝福されなくとも、私だけはこの命を受け容れて抱きとめてゆくのだと、そのことをひたすらに思った。恐怖と戦いながら、そのことを必死に思った。
ねぇママ、子供を産むってどういう気分? へ? 突然の娘の質問に、私ははてと首を傾げる。どういう気分。それはどういう気分なんだろう。とてつもないものをこの世に生み出す、そんな気分、か? うまく返答ができない。嬉しいとも違う、喜びとも違う、ただただ私はその偉大なモノに恐れ慄き、圧倒された。そのことがありありと思い出される。そう、圧倒されたのだ。その命の大きさに。命という代物の大きさに。
幸せではない、死合わせだった、と、改めて思う。

私が原稿を書いている横で、娘が折り紙をしている。何を作っているのかと思ったら、家を作っているのだった。一枚の折り紙は寝室、一枚の折り紙は玄関と風呂場と居間。ベッドや椅子、テーブルも彼女は作っている。そしておもむろに、彼女は劇を始めた。奴さんの大きいのが父と母、小さいのが子供、という具合。これは折り紙遊びというんだろうか、それともお人形さん遊びというんだろうか。私はくだらないことを考えながら、それをちらちら横見する。
いつの間にか居間は美容室に代わり。何故か母親ではなく父親が、母親の髪の毛を洗って染めてやっているところらしく。水がじゃぁじゃぁ流れる音を彼女が口ずさむ。その脇を子供役の奴さんがちょこちょこ遊び回っている。
大家族に憧れながら、同時に、大家族は大変だということも思っている娘。それでいながら、手の皺を数えて、私は子供を三人産むらしいよ、と言う娘。その前に結婚しないと子供育てるの大変だよ、と突っ込みたくなるのだが、結婚にはあまり関心がないらしい。それは当たり前にするものとでも思っているのだろうか。
そんなことをあれこれ思い巡らしていると、娘が突如話しかけてくる。
ママ、私が子供産んだら、ママ、何処に住むの? はい? 子供の世話してくれるなら、一緒に住んでもいいよ。・・・。

前夜作ったサンドウィッチは、卵よりツナの方がおいしかったらしく。娘が私の分にまで手を伸ばしてくる。まだ卵もツナも一枚分残ってるよ。私が言うと、それはまた別の時に食べるからと主張する。小さなツナ缶二つ、胡瓜一本、玉葱一個の割合。そこにマヨネーズと、塩胡椒を少々。また今度作ってやろうと思う。胡瓜も玉葱も、細かく細かくみじん切りにするのがコツらしい。ついでにスライスチーズを挟んだことも忘れずに。頭の中にメモしておく。

私がゆったりとお茶を飲んでいると、おはようございますともそもそ起きてきた娘がいきなり、がばりと体を構え、スリラーを踊り出す。朝から一体何をしようというのか。私は唖然とする。ひとしきり踊り終えると、彼女はすっきりしたらしく、あぁご飯食べよう、とお握りを取りにゆく。今朝のお握りは、薄い味付けご飯に鮭をまぶしたお握り。
ねぇママ。ママはひとりで私を産んだの? ん? 誰もそばにいなかったの? うーん、その時はパパがいたけど。パパ、役に立たなかったの? うーん、役に立つというか立たないというか、まぁそこには居たよ。私がそう言って笑うと、彼女は納得したようにお握りをはぐはぐ食べ始める。そして言う。ママ、私が産むときはママがそばにいてね。
天気は曇天。もしかしたら予報どおり雨が降り出すのかもしれない。窓際に寄って私は空を見上げる。いつ降りだしてもおかしくない雲の重さ。
それでも私は自転車で出掛ける。それじゃぁね、じゃぁまた後でね! 手を振り合って娘と別れる。
池にはやはり薄氷が張っており。私はそれを壊す代わりに指で触れてみる。指に伝うちりちりするような冷たさ。空と枝とをくっきり映し出す鏡のよう。
高架下を潜り埋立地の方へ。通勤してくる人がこの辺りにもずいぶん増えた。ビルが新しく建つたび、人が増えてゆく。誰もが寒さに首を竦め、足早に去ってゆく。
私は信号が青に変わったのを合図に、足に力を込める。くいっと進み出す自転車。そうしてスピードを上げ、一気に海まで。
青さを何処に失ったのかと思うほど重鈍い色が広がっている。漣も今朝はどこかどんよりとした飛沫を上げている。一羽の鴎の姿も見えない。みなきっと、海と川とが繋がるあの場所で休んでいるのだろう。
その時ぱっと目の前に飛び跳ねる魚。銀色の腹を翻し、再び海へ飛び込んでゆく。
さぁ今日もまた、新しい一日が、始まってゆく。


2010年01月11日(月) 
何かの気配で目が覚める。何だろう、と横を見ると、まさに真横に娘の頭があり。それは彼女の呼吸がそのままこちらに伝わってくる距離で。私は彼女のぺちゃ鼻の頭をちょんっと指で突付く。びくともしない彼女は、下半身を布団の外に出している。私は起き上がり、彼女に布団を掛け直す。
そのままミルクたちの小屋の前へ。今朝はココアがちょうど砂浴びをしているところ。おはよう、ココア。私は声を掛けながらカーテンを開ける。広がる闇色は澄んで。私はそれを胸いっぱいに吸い込む。闇の匂いがそのまま胸に広がってゆくような気がする。綻び出したホワイトクリスマスが、闇の中、浮かんでいる。一番外側の花弁はこれまで外気に当たってきた分白さがくすんでいるけれども、内側のこの白さといったら。この闇の中でも神々しいほどだ。月の白さとはまた違う、ぬくみを持った、とくんとくんと脈打つ白さ。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ハーブティを入れ一口啜ってみる。体中を一気に駆け巡る温度。私の体が内側から、とくんと脈打つ。
一息ついたところに、突然音が鳴る。慌てて電話を拾い上げると、旅行中の友人からの電話。まだ夜明け前だというのに私たちは、ひとしきりおしゃべりに興じる。

明るい日差しの中、作業を続けていると、とん、と音がする。郵便受けを見るともう長いこと声を聴いていなかった友人から。私は慌てて封を切る。すると、彼女独特の香りが漂ってくる。それは、とてもたおやかな、ゆったりした匂い。
どうしているのだろう。ずっと思っていた。でも、今声を掛けていいものかと、ずっと迷ってもいた。そんな彼女からの手紙。私はその手紙の最後に添えられていた電話番号を早速回してみる。
程なくして彼女の声。淡々とした、それでいて通る、穏やかな声。いろいろなことがあったろうに、それでも訥々と彼女は語る。勢い込んで話す私とは全く異なるその喋り方に、私は思わず耳を傾ける。
耳を欹てたくなる声、というものがある。こう、体をすっと寄せて、うんうん、と相槌を打っていたくなる声。彼女の声がまさしくその声だ。
彼女と知り合ってそれなりの年数が経つが、それまでの間、彼女が声を荒げるという場面に出くわしたことがない。ただの一度も。そして、どんな出来事を語らせても、彼女に語らせるとそれは、穏やかな流れになる。ひとつの川の流れになる。
どうしてなのかしら、どうも私は、ひとりで置いておいても大丈夫だと思われてしまうみたい。彼女がぽつりと言う。そう、彼女のそのたおやかな姿は、すっと立つ芯がある。その芯は、すっと立っているがゆえに時折誤解を受ける。まるでそれが当然であるかのように受け取られ、彼女はひとりで放っておいても大丈夫なのだという印象を与えてしまうことがある。しかし。
それがどれほどの血反吐の上に立っているか。どれほどの体験の上に立っているか。それを省みたならば、その土壌がどんなに彼女によって耕されてきたものかが分かるというもの。彼女がその内なる琴線をどれほど丁寧に扱って培ってきたのか、それにこそ耳を澄ませていたいと私は思う。
そう、物事を受け容れていきながらも芯がある。その姿はまるで、葦のようだ。風が吹けば風を受けて揺れる。日が降ればそれを一身に浴びながらまた揺れる。けれど、その根はしっかり、己の大地に結びついている。
昔々のことになるが、彼女をカメラで追ったことがある。その時に知った。彼女の雰囲気はファインダーの中には収めきれないのだな、と。下手に切ってしまうと、彼女の雰囲気がそこで断たれてしまう。断たれてしまうと、彼女は不安定に画の中で漂ってしまう。泳いでしまう。彼女の輪郭は決してくっきりしたものではない。周囲に溶け込んで、広がってゆくものなのだ。だから下手に区切ることができない。そのことを、ファインダーを覗いて彼女を見つめて改めて、私は知った。
彼女の周りの空気はだから、とても静かに動いている。途切れることなく、静かに静かに動き続けている。風もそれは微かな風で、嵐を経てきているにも関わらず彼女が身に纏うとそれは鎮まり。彼女に語られるとそれは漣のようで。大海原に漂う笹舟のようで。
再会を約束し、電話を切る。気づけば窓の外、日が傾き始めている。

午後の日差しの中、二人展のためのテキストを打ち出す。A3ノビの用紙は版画用の紙。テキストに添えた色味はくすんだ緑色。ベースは去年の展示と同じ。
去年末に用意された彼女と私とのテキストを配置し終え、プリントする。ただそれだけの作業なのだが背筋が伸びる思いがする。そんな二人展も今月末には搬入だ。きっとあっという間にその日がやって来るだろう。たった二週間の展示だけれども、悔いのないものにしたい。

娘がじじばばの家から帰宅すると、途端に私の周辺は賑やかになる。彼女はテレビを見ながらころころと笑い、それは私が洗う食器の重なり合う音と共に部屋中に広がってゆく。一度二度、部屋の温度が高くなったような、そんな気配。
ねぇママ、ばばと朝散歩したとき、霜柱、踏んで歩いたんだよ。そうなの? さくさくってね、いい音がした。そっかぁ、ばばの家の近くにはまだまだ土がたくさん残っているからねぇ。でも栗鼠はいなくなってた。あぁ、冬眠しているのかなぁ、どうなんだろう。その代わり、狸に会ったよ、さっといなくなっちゃったけど。うんうん、そっかぁ。
私が幼かった頃に比べたら、裏山は半分以下になった。それでもこうして娘の中に世界を与えてくれている。手付かずの場所など、もう失くなってしまっただろうに、それでも山は生き物をふんだんにその腕に抱き、周りに棲む人々へ山ほどの恵みを与えてくれる。
突然娘が言い出す。ママ、カメラ作れる? 折り紙で? うん。作れるよ。作り方教えて! 私は彼女の差し出した折り紙を受け取り、昔小さかった彼女に作ってやったのと同じ動作でカメラを作ってゆく。なぁんだ、それだけだったのかぁ。うんそうだよ、簡単でしょう? 自分で作ってみる。そうして彼女は自分の好きな色の折り紙を選び取り、折り始める。ママ、できたよ、こっち向いて! はい? ほらっ。シャッターを切る真似をする娘。そういえば私は、写真に撮られることなど、ここ何年なかったなぁと苦笑する。
折り紙に興じる娘に声を掛ける。サンドウィッチ作ろう。卵を潰す担当は娘。玉葱と胡瓜をみじん切りにし、ツナと混ぜ合わせるのは私。そうしてパンに薄くマーガリンを塗って、それぞれパンに具を乗せてゆく。あぁチーズがあったと思い出し、最後にスライスチーズも乗せて、簡単サンドウィッチの出来上がり。明日食べようと約束する。

友人との朝早くからの電話は結局、長く続いて。気づけばもうすっかり夜も明けており。私たちはようやく電話を切る。
そうして私と娘は玄関を出、自転車に跨る。今日はどっちに行く? まぁ海の方じゃない? そう言って走り出す二人。残念ながら空は雲っており。すっかり曇天で、日が差す隙間もありはしない。
最初に立ち寄った公園の池はやはり薄氷が張っており。娘が嬌声を上げながらその氷を割ってゆく。私はそれを眺めている。しゃくしゃくしゃく。娘が割る氷の音が、空高く響いてゆく。
そしてまた冷え切った大気を裂いて二人で走り始める。休日だというのにまだまだ人気はまばら。高架下を潜り、ちょうど青になった大通りを渡る。多分また新しくビルが建つのだろう。綺麗に雑草を抜かれた土地がのっぺりと広がっている。その角を曲がり、私たちは先へ先へ。別に目的地があるわけではない。ただ走る。走って見る。感じて見る。
ママ、鳶! 突然娘が後ろから声を上げる。私は咄嗟に自転車を止め、空を見上げる。ちょうど海の方、ビルの谷間を鳶が渡ってゆくところで。伸ばされた羽はまるで一本の線のように美しく。
それを見送って私たちはまた走り出す。何処へ。そう、今日に向かって。


2010年01月10日(日) 
ミルクの、がしがしと籠を噛む音を聴きながら窓を開ける。軽い闇が広がっている。すっきりと澄んだ闇。ベランダに出てゆっくりと深呼吸する。体がすっと軽くなってゆくのが分かる。一枚分服を脱いだときのような軽さ。
ミルクを手に乗せながらお湯を沸かしにかかる。ミルクは本当に、ひとときもじっとしていない。ゴロがじっと掌に乗っているのと全く反対だ。ちょこまかちょこまか、いや、彼女の場合もっとこう、ちょこちょこちょこちょこと、ひっきりなしに動き回る。手から落ちそうになる彼女を何とか止まらせ、私は陶器のカップにハーブティを入れる。レモングラスから染み出す色は相変わらず清んだ檸檬色で。また後でねとミルクに声を掛けて籠に戻し、私はカップを口に運ぶ。含んだ一口が、あっという間に体中を駆け巡る。
娘が留守な上、ここ数日朝の仕事は休んでいるから、今日は本当にゆったりしている。正直、どうやって時間を過ごしたらいいか、迷うくらいだ。私は本を開く。小川洋子のあの小説を本棚から引っ張り出し、頁を捲る。そのタイトルはそのまま、小川洋子の文章を言い表している。密やかなる、結晶。もし指で触れたら、きーんという音がしてきそうなほど凛と澄んで緻密な。そんな文章を、私はじっと読む。
一通り読み終えて次に開いたのはクリシュナムルティ。「あなたはそれを見るのです。そして見ることは観察に干渉する〈私〉という感覚が存在しないときにのみ可能なのです。」「あるがままのものとは事実です。」「人がなすべきことは何なのでしょう? なすべきことは事実の観察―――いかなる翻訳、解釈、非難、評価もなく観察すること―――ただ観察することだけです。」。彼の言葉を読みながら、私は振り返る。
ちょうど窓の向こうは空が緩み始めたところで。南東の地平線、ほんの僅かに暗橙色に染まった地平線から伸びるグラデーションは、決して人が描き出すことのできそうにない色合いをもって広がっており。
私はただ見入る。今まさに新しい日が始まる瞬間を。

先生に会いに行った。先生の風貌は、手塚治虫の描くお茶の水博士の、あのでっぱったおなかがないといったもの。もう何年会っていなかったろう。覚えていない。思い出せない。そのくらい長い間、時々交わす書簡だけだった。電話で「分かるよな?」と先生は言い、私も「分かるでしょう」と笑ったが、実際すぐに分かった。先生は相変わらずお茶の水博士で、ただ髪が真っ白に変わり少し顔色が悪いということだけで。
先生は会ったそばから、ひたすら喋り続けている。私はただその声に耳を傾けている。私は先生の声に耳を傾けているのが好きだ。余計なことは何もなくなり、ただ声だけが耳の奥に響いてくる。そういう時間だ。
先生の声がふと止まる。どうしたのだろうと思っていたら先生が、「日常の話をすることなんて本当にないからなぁ、おまえと会って何を話したらいいんだろうと考えていた」と言い出す。私はちょっと可笑しくなる。そんなこと考えなくていいのに、と思う。でも、人の前に出ると格好つけてしまう先生だから、そうやって自分を奮い立たせてくれているのだろう。先生はもう八十歳だ。考えてみればうちの父よりもずっと年上である。私はふと心の中思う。先生と会うことができるのはあと何度あるだろう。もしかしたらこれが最期になるかもしれない。もし最期だとしたら。
私は直接先生に担任してもらったわけではない。高校時代一時期、たった一単位の授業で見ていただいただけだ。その最初の授業で先生は「本を読むな」と言った。そのときの私にはそれは衝撃だった。冗談じゃない、と思った。本を読むな? 国語教師が何を言っているんだ、と思った。いや、国語教師だからじゃなくてもいい、本を読むなとはどういうことだ、と。そのときの私は思ったのだ。最初に行った高校を辞め、再度受験して通い直し始めた高校での出来事だった。その頃の私には友人らしい友人もなく、言ってみれば本が友人だった。本だけが私の、存在を赦された世界のように思っていた。だから、本を読むななんていわれても困る。とんでもない。そう思ったのだった。だから私は先生に手紙を書いた。どういう気持ちで先生は本を読むなと言うのか。それはどういう意味なのか。教えてくれ、と。
そうしたら数日後、放送で名前を呼ばれた。先生のところへ言ってみると、先生がぐいっと、一冊の詩集と原稿用紙八枚もに渡る長い手紙をくれた。先生の字は達筆すぎて、一瞬何が書いてあるのか迷うほどだった。しかし、一言一句逃してはならない、そう思えて、私は齧り付くようにして読んだ。
先生とのつきあいは、それから始まった。大学へ行っても、私は折々に先生を訪ねた。笑うにしても泣くにしても、先生の元でならできた。まっさらになれた。
今もあの手紙と詩集は、私の本棚の中、ひっそりと佇んでいる。私は時々それを開く。
先生が言う。「おまえは人が好きなんだなぁ。俺は人が大嫌いだけれども」。それを聴きながら、先生は大嫌いといつも言うけれども、先生ほど人の中に在て必死になっている人はいないと、私は思う。もし先生の「人嫌い」が私が思うところの意味であるなら、私も人嫌いだ。
先生の話の中で、幸せという言葉が明治以降出てきた言葉であることを私は知る。そして、もともとは、死合わせであったということを。
死合わせ。死んでもいいほどの死んでもおかしくないほどのモノ・コトと出会うこと。それをしあわせと言うのであれば。
私はどれほど幸せだったろう。これまでの人生。

先生は台風のようにやってきて、台風のように去っていった。来るときも呆気ないならば去るときもあまりに潔くて、私はちょっと笑ってしまった。私は先生の後姿をちょっとだけ見送り、そして歩き出した。
先生。私は、先生によってあの頃生かされていました。あの時先生との出会いがなかったら、私は窒息して、倒れていたに違いありません。友人の死を経て、謂れ無き罪を背負って、もうどうにでもなれと思っていた私を、ひょいと救い上げてくれたのは先生でした。先生の授業は、あの頃の私にとって唯一、呼吸できる場所でした。一週間にたった一時間、それが在るかないかは、大きな、そう、大きすぎるほどの差でした。そしてまた、大学になって、或る日突然指が動かなくなり、ピアノが弾けなくなったあの時、ただそばにいて私を泣かせてくれたのも先生でした。先生は、「おまえは俺のカウンセラー役だったからなぁ」と言うけれども、それは逆です。先生はいつもそこに在て、振り返ればそこに在て、それは私の、指針でした。先生が在る、そのことだけでもう、私は支えられていました。ありがとう、先生。ありがとう。
だから先生、もう少し生きていてください。死んでしまわないでください。先生の声をもうしばらく、聴かせていてください。
冬の只中。空は高く高く高く。残酷なほど高く。そして痛いほど眩しく。私の上に広がっていた。

涙が零れるのは何故だろう。朝から一人、泣いているのは何故だろう。それでも涙が止まらない。何度拭っても零れてくる。

ベランダでようやくホワイトクリスマスの蕾が綻び出した。ほんの僅かだけれども、でも間違いなく綻び始めた。芯の方の色の白さがただそれだけでもう私の目には眩しく。私は一瞬目を閉じる。
自転車に跨り、走り出す。眩い朝の光が街に溢れている。一方影の部分のなんと暗いことか。なんと冷たいことか。こうして走っているとその違いがありありと分かる。なんと正直なこの体。でもこの体があるからこそ、感じられるモノがここに在る。
冷気に刺され千切れそうになる指先を擦り合わせながら、私はそれでも走り続ける。多分今頃、左腕の傷跡が紅く紅く浮き上がっているに違いない。もう痛みも何も感じないけれども、それでも腕はそこに在り。私を黙って助けてくれる。
走る私の脳裏を過ぎるのは「死合わせ」という言葉。その意味。一体幾つの死合わせが、私を構築してきただろう。私の今は、それらの上に立っている。
大通りの信号。待つことももどかしく、私は思い切り信号無視して渡ってしまう。休日の朝ゆえにできること。すいすいとそのまま走れば美術館の隣、モミジフウがすっと立つ場所。ひとつだけ落ちていた実を拾い上げ、握ってみる。冷え切った実が私の掌の中。私はそれを握り海まで走る。そして。思い切り投げてみる。瞬く間に海に落ちる実。そして。海は。
呑み込んで呑み込んで。還してゆく。世界へ。


2010年01月09日(土) 
目を覚ますと、いつもより一層深い闇の中だった。私は窓際にゆきカーテンを開ける。何だろうこの暗さは。空を見上げても一寸の隙もないほど闇に包まれており。それは見事なほどの闇で。まるでそれは夜が、終わることを忘れてしまったかのような闇で。私はしばし呆然とする。本当に朝は来るんだろうか。そう思わせるほどの色合いで。昔々読んだ小川洋子の小説を思い出す。もうタイトルは思い出せないが、確か、世界が何かしらひとつずつ、忘れてゆく、そんな世界を描いた話だった。或る日世界は季節を忘れ冬で止まったままになり、というような。
そんな朝だから私は、ほっくりくるコーディアルティを入れてみる。カップを両手で支えながら口へ運べば、やわらかな少し甘い味が口の中広がる。ゆっくりゆっくり口に含めば、それだけゆったりと、体中にあたたかさが広がってゆく。
かさかさ、と、足元で音がして、私は籠を見やる。ゴロが小屋から出て、木屑を山ほど集めたその真ん中で丸くなっている。ヒーターの温度が高かったのだろうか。それとも単に、気分なんだろうか。私は彼女に、おはよう、と声をかける。少しこちらを向いて、そうして彼女は再び丸くなる。
私は椅子に座り、煙草に火をつける。ゆっくりと吸いながら、私は昨日のことを思い出す。スピーカーからはジョシュ・グローバンの声が、流れ出す。

授業の日だった。フォーカシングの授業を終え、次はインナーチャイルドセラピーワークなる内容。インナーチャイルドやアダルトチルドレンに関しては、自分なりにひととおり、勉強を終えていたはずだった。
だから、何を尋ねられても、もう私なりに答えられるはずだった。大丈夫なはずだった。もう揺れることなく、ぶれることなく、答えてゆけるはずだった。
あれは何だったんだろう。突然ばっと現れた。私の中の泣いている子供。それが露になってしまった、突如。私は慌てた。こんなはずじゃなかった、と思った。
でも、一度彼女の泣き顔を見たら、もうどうしようもなくなった。その彼女に寄り添ってやるしか術はなかった。そのくらい、彼女はさめざめと泣いていた。
彼女の記憶は、母親の、あんたなんかいなければ、という言葉から始まる。あんたさえいなければ私は。そんな言葉から記憶は始まる。
彼女の吐露は、あっちにふらり、こっちにふらり、揺れながらも、続いた。私は父に対する確執の方が強いのかと、最近は思っていたが、眠っているものは何故か、母に対するものばかりだった。そして気づいた。
理解し合えない、ということが分かり、理解し合えないということをお互い分かり合うことから始めた、そのことによって、私たちの関係は今営まれている。そうすることで、過去を乗り越えようと私はしていたのだ。ここからまた始めればいい、と。そう思っていた。今もそう思っている。でも。
眠っていたのだ。まだまだ泣いている子供が。置き去りにされていた子供が。眠っていたのだ、私の中。愛されるにはそんなにも理由が必要なのか、と、愛されるにはそんなにも条件が必要だったのか、と、悲しんでいる子供が。
一体幾つのハードルを越えてきただろう。越えてほっとするのも束の間、即座に次のハードルが在った。用意されていた。そしてまた私は必死にそのハードルを越えようともがく。努力する。そして越える。そしてまた次なるハードル。その繰り返しだった。
あんたさえいなければ。その言葉は呪縛だった。私を捕らえて離さなかった。あんたさえいなければ。そんな私だから、両親に愛されるには条件が必要なのだと思った。差し出されるその条件を次々乗り越えてゆかなければ、いつまで経っても愛されることはないのだと、思っていた。だから必死だった。毎日が戦いだった。
子供はそれゆえに無条件に愛されるものだなんて言葉は、私にとっては紛い物だった。それは、私には決して当てはまらない、我が家では在り得ない、いや、私と父母との間では在り得ない、代物だった。
どれほど愛されたかったか。どれほど愛して欲しかったか。ただ笑いかけて欲しかったか。知れない。でもいつでもそこに在るのは、母の背中だった。そっぽを向いた背中だった。父の、異様なほど威厳を持った、こちらを跳ね返す背中だった。
私は今、娘としょっちゅう抱き合う。娘がそれを求めてくる。私はそれに応える。応えながら、ふと思う。私と母はいつ抱き合ったことがあるのだろう、私と父はいつ抱き合ったことがあるんだろう、と。記憶が、ない。
私が今為している、娘と為していることの、どれひとつとっても、記憶がなかった。だから娘との日々は懐かしいものはなく、毎日がだから、新しかった。そして、切なかった。
私は、父母に、ごめんなさいと言ってほしかったんだろうか。いや、違う。
それを私が言いたいのだ。ごめんなさい、お父さんごめんなさい、お母さんごめんなさい、だからもう私を、解放して、と。もう赦して、と。
もし父母にしてほしいことがあったとしたらそれは。
ただただ、抱きしめてほしい、そのことだった。笑いかけてほしい、それだけだった。
ワークを終えて、最初に感じたのは、疲れた、ということだった。本当に疲れた。次に思ったのは、あぁまだこんなにも、眠っていたのか、ということだった。
本当に。
こんなはずじゃなかった。もう平気なはずだった。大丈夫なはずだった。でも。
私は自分で自分を置き去りにしていたのかもしれない。必死に今に対応するために順応するために、泣いている子供を置き去りにして、閉じ込めて、きたのかもしれなかった。多分、きっと。
今できることは。ケアしてあげることだ。手を差し伸べてやることだ。置き去りにして、いやむしろ閉じ込めてきた子供に。そして、いつか、一緒に歩いてゆけるように。

画材屋へ行って帰ってくると、恩師から封書が。久しぶりの先生の字だなぁと思いながら封を開ける。入っていたものは先生の文章。私はそれを読む。私は樺太という場所を知らない。樺太で生まれた先生の、だから思いがどれほどであるか、想像しきれない。しかし。生地の消失がどんな意味をもたらすかは、分かる。
私なりに先生の言葉を受け止めながら読んでいると、最後の最後に、先生が一行、私宛に書いてくださった文章を見つける。
「ふしぎな女だなぁ君は。そう思っています」
ただそれだけの一行だった。が、私は思い切り笑ってしまった。先生らしい一文だなぁと思ってしまった。自分がふしぎな女なのかどうかは分からない。が。先生しか書けないと思った。
久しぶりに先生に会おう。私は心に決める。

闇はやがて徐々に徐々に、本当にゆっくりと緩んでゆき。朝がやって来る。まだ地平の辺り漂う雲の向こう、太陽が燃え出し光がこちらまで伸びてくるのが分かる。朝日の中、花びら一枚だけ、ぴろんと綻ばせたホワイトクリスマスが輝き。私はそれを指で撫ぜる。
そろそろ出るよ。娘に声を掛ける。娘はもう支度を済ませており。私たちはバス停へ向かう。じじばばに怒られるからと、娘はマスクをつけて。
そして駅で別れる。じゃぁね、と私が手を振ろうとすると、娘がやにわに抱きついてきた。そして、じゃぁねーと笑う。うん、それじゃぁ日曜日にね、またね。うん、メール頂戴ね。分かった。ばいばーい。
土曜日ゆえ、人もまばらな駅。私たちはそうして、それぞれの方向へ。今日もまた、新しい一日が待っている。


2010年01月08日(金) 
からららららら、からら、からららら。軽い回し車の音で目が覚める。あれはココアだ。私は起き上がって籠に近づく。するとココアがくいっと首をこちらに向け、ひょこっとした目つきでこちらを見つめてくる。おはよう、ココア。それにしても、同じ籠、同じ回し車だというのに、三人三様、どうしてこんなにも回す音が違うのだろう。ミルクが勢いの良い豪勢な音だとしたら、ココアはそれを半分にしたような軽やかな音、そしてゴロはさらに小さな、遠慮がちな音。ココアはそのまま砂浴びにかかるらしい。私はそれを確かめてから立ち上がり、窓際に寄る。カーテンを開け、窓を開け。一気に滑り込んでくる冷気に一瞬身を竦めながら、私はベランダに出る。
空をじっと見つめていると、濃紺の闇の中でも雲の姿がはっきり分かってくる。地平に漂う雲たち。多分朝焼けの折には煌々と燃え出すだろう。私はそんなことを思いながらプランターの脇にしゃがみ込む。挿し木を集めた小さなプランターの、ひとつの枝から新芽が出始めた。しかしまだ頼りない。このまま伸びてくれるか、それとも枯れてしまうか。どちらだろう。他のものたちはまだ、萎れた葉をつけたまま、土に刺さっている。葉が萎れた以外の変化は、まだ見られない。その中に、母に頼まれた、マリリン・モンローの挿枝もある。それだけでもどうか、根をつけてくれるといいのだけれども。
多分これは、濃い桃色の花が咲く薔薇の樹、その様子が先週辺りからおかしい。もしかしたらこのまま立ち枯れてしまうのかもしれない。そんな気配だ。正直、あまり手をかけてこなかった。放っている樹のひとつでもあった。だから余計に私は申し訳なくなる。私が目をかけてこなかったことを知って枯れてしまおうとしているんじゃないか。そんな気さえしてくる。でももう多分、遅い。
その横でパスカリは、新芽を出している。何度も病葉を摘んできたが、それを何とか越えてくれたのかもしれない。でもまだ油断はできない。今度出る新芽が病葉だったら。それもまた摘まなければならなくなる。病いの連鎖が止まるのは、一体いつだろう。
お湯を沸かしながら茶葉を選ぶ。ペパーミントの葉を買い足すのを忘れた。私はレモングラスの葉だけをカップにいれお湯を注ぐ。いつもより一層淡い檸檬色に染まるお湯。それを一口、一口啜りながら、私は机に向かう。

連鎖。その言葉に恐れ慄いた時期があった。子供ができた頃だ。虐待連鎖。その言葉はもういやというほど聴いてきた。それがもう当然のように。
そして私は、自分がされてきたと同じことを、これから生まれてくるだろう子供に自分が為してしまうのではないか、その恐怖に晒された。このおなかの中で今、刻一刻育っている命に対して、私が為してしまうかもしれない行為。それに私は恐れ慄いた。どうしたら逃れられるのだろう。どうしたら。
いくら考えても分からなかった。恐怖だけが、生命とともに大きくなっていった。私は膨れてゆく自分の腹に恐怖した。自分とその生命の未来に恐怖した。
諦めてしまえれば楽だった。何度もそう思った。割り切ってしまえと思った。でも。そんなことができるわけもなかった。私の脳裏に、何度も何度も、自分が親からされてきた行為が蘇った。そして私は知らぬうちに何度も、ごめんなさい、ごめんなさいと言っていた。お父さんごめんなさい、お母さんごめんなさい。いい子にするから、だからもう私を解放して。私はいつの間にかそう叫んでいた。心の中で。
この世にその生命を産み落とす瞬間まで、それは続いた。私の神経はすっかり参っていた。すっかり参ってしまって、もう何も考えられないところまでいってしまっていた。
彼女がこの世に生まれ落ちた瞬間。私はそれが、私とは全く異なるものであることを知った。私ではないモノ。私とはかけ離れたモノ。私の命を継いでいるかもしれないが、でも私には、それは全くもう、別個のもので。
あぁ、違うんだ。私とは異なるモノなのだ。そう思ったとき、ほっとした。あぁ、虐待は連鎖する必要などないのだ。そう思った。虐待が連鎖される必要など何処にもなく。私はこの私とは全く別個の命を、ただ受け入れ、見守ってゆけばいいのだ、と。そのことを知った。
虐待連鎖。その言葉がもたらす威力はあまりに大きく。私はすっかりそれに呑み込まれてしまった。しかし。
私は父母ではなく。娘も私ではなく。そこにはまた新しい関係が待っている。その可能性がこんなにもたくさん、在る。
そのことに、私は救われたんだ。

確かに、連鎖するものでもあるのかもしれない。実際そういう例が多々あるだろう。でも同時に、断つ可能性がこんなにも在る。それが断たれる可能性を、新たな生命が持っていた。持っていてくれた。そのことに、私は救われた。
私は確かに父母に虐待されたけれども。私は父母の子供で、父母の命を受け継いでいるかもしれないけれども。それはそれなんだ。私とこの新たな命の間には、そこにはそこで、新しい関係が生まれるんだ。そのことを、私は見た。
かつての私ではない。新しい命は間違っても、かつての私ではない。そのことが、私の背中を押した。押してくれた。新しい命は新しい命であって、決して私ではない。そこにかつての私はいない。そう、全く別個の、新たなる生命。
今思っても、あの感覚は不思議だ。何故私は産まれて来た命に、かつての自分を微塵も感じなかったのだろう。もしも、もしもの話でしかないが、もしも私がそこに、かつての私を見てとってしまっていたならば。そのときはどうなっていたのだろう。それを思うと背筋が寒くなる。ぞっとする。
でも。
新しい命はもう、私の手を離れ、私とは全く別個のところで呼吸していた。ほんの一瞬前まで私と臍の緒でつながっていたのかもしれないが。それはもはや断たれた。私と命を繋ぐものはもう、何もなかった。
そのことが、私を泣かせた。だから私は彼女を生んだ夜、病室に一人になって、さめざめと泣いた。ただ泣いた。嬉しくて泣いた。泣きながら、寝入った。
もちろん、育ててゆく過程で、何度か、脳裏を「虐待」という文字が過ぎった。そのことは否めない。けれど。
それは多分もう、私が父母に虐待を受けて育ったから、などという理由からではなく。もし私が娘を虐待するのだとしたら。それは、もう、私個人の責任であるということを、私は思った。連鎖しているわけではない。連鎖されてゆくわけではないのだ。もはや。

今だって、もしかしたら私は、と思うことがないわけではない。その言葉はあまりに強烈で、だから私の脳裏にしっかり刻み込まれていて。だから私はその呪縛にとりつかれていて。時折過ぎる。脳裏を過ぎる。その言葉が。
そしてそのたび、背筋を伸ばすのだ。己を省み、襟を正すのだ。またここからだ、と。その繰り返しだ、多分。
それでも。命は一刻一刻大きくなり。私の隣で息づき。今日もまた新しい一日を、一瞬を、越えてゆく。

じゃあね、ママもう出掛けるよ。うん、分かった。あ、ちょっと待って。
そうして娘はココアを連れてくる。ほら、見て、変な顔! そう言った彼女の手の中で、ココアがぶちゃむくれの顔をしている。私は笑いながら、彼女の鼻先を撫でてやる。
玄関を出るとちょうど、朝日が昇ってくるところで。私は立ち尽くす。まさに今生まれ落ちた太陽。この世に、今日という日に生まれ落ちた太陽。四方に伸びる陽光は瞬く間に街を染め上げ。
黄金色に染まる街。私はバスに乗り。川を渡る。川面に反射する陽光も黄金色で。それはもうきらきら、きらきらと輝き。
落ち込みそうになっていた私の心を少し引っ張り上げてくれる。正直、泣き出したかった。朝日の中で泣き出してしまいそうだった。でも。
泣き出したからとて、何を得られるわけでもない。心は少しもしかしたら軽くなるかもしれないが、今私の中に在るものは、それだけで軽くなるわけでもなく。
行くしかない。またここからやっていくしかない。のだ。
私は歩き出す。朝日は何処までも澄んで、空気は何処までも澄んで。私を包んでくれる。


2010年01月07日(木) 
がらら、がらららら。ミルクの威勢の良い回し車の音で目が覚める。起き上がり籠に近寄ると、途端に入り口に齧りついてくるミルク。私はおはようと声をかける。金魚たちはゆるやかな線を描きながら水の中漂う。私はカーテンを引いて窓を開ける。
一気に部屋に流れ込んでくる冷気。街景は闇の中沈んでいる。そして今朝点いている灯りは五つ。凛と張り詰める冷気でその光はよりくっきりと浮かび上がる。街灯はしんしんとアスファルトを照らし出している。まだ誰も何も行き交うことのない大通り。
久しぶりに娘が隣で寝ていたせいか、私の体はずいぶん火照っていた。彼女の体は相変わらず人間湯たんぽだ。これでもかというほど熱い。だから布団を剥ぐ。蹴る。私はそのたびその布団を引き上げる。その繰り返しで夜はあっという間に過ぎていった。
ホワイトクリスマスの蕾は相変わらず。しかし、一番外側の花弁が、ほろり、零れ出してしまっている。もういい加減蕾も綻びたいのだろう。でも寒さがそれを赦さないのかもしれない。私は蕾を撫でてみる。まだまだ締まった体つきだ。一方、隣のベビーロマンティカの蕾はかなり膨らんで。濃煉瓦色が、いつのまにか濃紅色になっている。これは咲いたらまた色が変化するのだろう。どんな花の姿を見せてくれるのだろう。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ダージリンの茶葉をカップにいれ、お湯を注ぐ。そこにコーディアルのエキスを垂らす。
流れ来た音楽はシークレット・ガーデンのCelebration。朝の始まりにはちょうどいい。

搬出のため、朝早く家を出る。搬出と同時に或る意味搬入でもある。四枚の、半切の額をカートに括り付け、私はそれを引いて歩く。待ち合わせ場所に一時間も早く着いた、と思ったら、今回搬出を手伝ってくれる友人もちょうど着いており。二人して、いいタイミング、と笑う。
中央線に乗って下っていると、窓からこれでもかというほど澄んだ富士の姿が。私たちは思わず声を上げる。真っ白になった富士は、まさに窓の向こう、そそり立っている。長い道程も、その富士に見惚れていたら瞬く間に過ぎていった。
国立に着くと眩しい陽光が街に溢れかえっており。私たちはその陽光を浴びながら歩き出す。影の場所と陽光降り注ぐ場所とのこの温度差。でも、カートを握る掌はいつのまにか汗ばんでおり。私は手が滑ってしまわないように、さらに力を込める。
書簡集に着くと奥さんがすでに店を開けて待っていてくれた。私は新たに今年飾っていただく額を広げる。そうして展示。今回展示して頂くのは二、三年前に撮影した森林での写真を選んだ。よく見ると風景の中人影が写っている、そんな具合の写真。長く飾っていてもできるだけ違和感をもたれないような、穏やかな写真。
展示が終わり、年末まで飾っていただいていた十二枚の額をまとめた頃、マスターもいらしてくださった。奥様の入れてくださったフレンチブレンドを飲みながら、あれこれとおしゃべりする。あぁこうしてマスターとゆっくり話すのも久しぶりだ。そんなことを思う。今思えば、展覧会中は、私も多分気が張っていたのだろう。今日は、体の力もいい具合に抜けて、他にお客さんもいないということもあり、話はあちこちに飛ぶ。
ひとしきりおしゃべりを終え、立ち上がるマスター。今年もよろしくお願いします。改めて挨拶を交わし、別れる。
友人は、怪我しているにも関わらず、重たい額を持ってくれ、そのおかげで無事に搬出も終了する。ほっとしたのも束の間、私たちは次の作業に入る。
彼女とは今月末から二週間、二人展を催す。ここからはもうその準備だ。今日はこの足で額装に行かねばならない。二人展で彼女が展示する作品は二点、私は三点、その他それぞれにポストカードを数十枚飾る。
きっとあっという間に展覧会はやってくるだろう。それまでの間気を引き締めていかなければならない。

娘が帰って来た。第一声は、レコード屋さんに行こう、だった。お年玉をもらう前から、もしお金があったらとある歌い手のDVDが欲しいと言い続けていた娘。私たちは小走りにレコード屋へ向かう。
家に帰り、私が夕飯のために高野豆腐を煮詰めている間、娘はそのDVDに齧り付く。そしておもむろに踊り出す。見よう見まねだから少々たどたどしいが、彼女が真剣なのはその後姿からひしひしと伝わってくる。あぁ体を動かすことが好きなのだなぁと思う。彼女がバレエを習っていたのはたった三年、四年だった。でも踊り出すと、その仕草がいたるところに出てくる。家計が赦すなら、もう一度習わせてやりたいと思う。しかし今それは無理。申し訳ない。
DVDがインターネットの映像で何度も見ていた踊りを流し出すと、ママ、見てて!と声が飛んでくる。私は手を止めて彼女の姿を見つめる。頑張れ、娘。母は踊りは一切教えることができない。自分で体で覚えてゆくんだよ。心の中、私は彼女にそう声をかける。

本当は。しんどい。時間が刻一刻、あの「時」に近づいてゆくのが怖い。まさかまた同じ日同じ時刻に同じ出来事が起きるわけはない。そんなことは分かっている。分かっているのだが、体が勝手に反応する。そして心が引きずられる。
でも。
しんどいなんて言っていられないのが現実だ。しんどかろうと辛かろうと、時間は過ぎてゆく。私の間近で娘はその間もひとつひとつ呼吸している。私に関わる人たちが、それぞれに動いている。私自身も、動いていかなければならない。
ただ日々生きていく、それだけで、もう多分人は、或る程度無理をしているんだと思う。人に会う、何かを為す、ただそれだけで、自分にすでに多少なり無理をかけているんだと思う。
だからそれを逃げ道にしたくない。あの「時」を逃げにはしたくない。失敗しようと何だろうと、転ぼうと泥まみれになろうと、そんなことは構わない。とにかくやるだけだ。私は懸命に、ここを走り抜けるだけだ。できることを、ひとつひとつやっていくだけ、だ。それ以上でもそれ以下でも、何でも、ない。
弱音を吐いたらきりがない。上を見たらきりがないし、下を見てもきりがない。自分に今できることを、自分の手でひとつずつ、積み重ねていく。ただそれだけなんだ。
しんどいと泣くのは、自分ひとりでもできる。だったら。

じゃぁね、じゃぁね、行ってらっしゃい! 行ってきます!
手を振って学校に入ってゆく娘。一方私は自転車に跨って走り出す。池には今朝も薄氷が張っており。そこに映し出される空は白く煙っている。
高架下を潜ると一気に視界が開ける。私が中学の頃まだ土が丸見えだった埋立地は、今ではもうビル群に埋まり。それでもまだ次々新しい建物が建てられる。私はその埋立地にひかれた道を走ってゆく。赤信号で止まりふと空を見上げれば、白く白く輝き。私はそのあまりの眩しさに思わず目を閉じる。
臨港パークの近くに立つ風車が輝きながらくるくると回っている。ちょうどイヤホンからは、シークレット・ガーデンのMovingが流れてくる。私はさらに走り続ける。海は濃紺色に広がり、白く細かい波がひっきりなしに寄せては引いて。
いつかまた潮風を、潮風と鼻で感じられるくらいになりたい。そんなことを走りながら思う。大型船が埠頭に止まっているのを斜めに見ながら、私はさらに走る。
陽光は燦々と降り注ぎ。今日もまたこうして一日が始まってゆく。


2010年01月05日(火) 
がりがり、がり、がりがり。私は目を覚ます。あの音はミルクだろう。いつものように籠にがっしと齧りついているのだろう。私は体を起こして籠に近づく。おはようミルク。ミルクは、そんなこといいから遊んでくれ、といったふうで、私は苦笑してしまう。今はちょっと無理だから、また後でね。そう声を掛けて、私は窓際に寄る。昨夜雨が降っていたのだろう。アスファルトがしっとりと濡れている。空気も凛と澄んでおり。爪で窓を叩いたら、その音が何処までも何処までも響いていくようだった。西の空には月がかかっており。白く白く、いや、青白く浮かぶ月は、闇の中煌々と輝いている。まだ地平の辺りに残る雲が、ゆったりと動いており。それは永遠に続く帯のよう。
お湯を沸かしながら茶葉を用意する。今朝一番のお茶はレモングラスとペパーミントのハーブティ。とくとくとお湯を注げば、檸檬色の海がカップの中広がる。
カップを右手に持ったまま、ベランダに出る。イフェイオンとムスカリの葉が僅かに雨に濡れている。ホワイトクリスマスの蕾はいまだ開かない。白くぱんぱんに膨らんだ蕾は、そのぱんぱんに膨らんだ姿のまま止まっている。白い花びらには縁から紅い脈が流れ始めている。私は隣のベビーロマンティカの蕾に目を移す。このままだとこちらの方が先に咲くのではないか。そう思えるほどの勢い。濃煉瓦色の蕾は、この闇の中でも真っ直ぐに天を向いている。月光を受け闇の中浮かび上がる。そこだけがまるで色を持っているかのような鮮やかさ。
私は早々に朝の仕事に取り掛かる。いつ失ってもおかしくない仕事。いつ無くなってもおかしくない仕事。だから余計に私は焦る。

病院。診察の日。待合室はがらんとしていて。私はほっとして端っこの椅子に座る。誰もいない待合室はいい。何の気兼ねもいらない。
名前を呼ばれ、診察室に入る。いつもと変わりない診察。その中で唯一、新たに言われることがあった。それは私にとっても気がかりなことのひとつで。でも、今すぐどうこう答える術が無い。時期を見てやってみます、とだけ答える。
重たい扉を押して外に出ると、ようやく息を吸うことができた。全身の力が抜ける。何も考えず、薬を受け取りに薬局へ足を向ける。そこにもまだ誰の姿もなく。淡々と時間が流れてゆく。

フォーカシングの本を貸した友人と会う。早速試みたという彼女。でもまだ深いところにまではいけないと言う。そんな、最初から深みに突っ込む必要はないんじゃないだろうか、と返事をする。徐々に徐々に、試みていけばいいことなんじゃないか。私はそう思っている。せっかくだから、フォーカシングの別の著書も読んでみたいと思うと彼女。少しでも興味を持ってくれて、それが今の彼女の役に立つのなら嬉しい。
スパゲティを食べ、お茶を飲み。そうして時間が過ぎてゆく。地下から出、全面ガラス窓の席に座ると、一気に視界が開けた気がする。空はここからでは小さすぎてよく見えないけれど、それでも陽光を湛えているのは伝わってくる。私たちは小さなカップでお茶を飲みながら、またぼそぼそと言葉を交わす。

家に帰ると私は風呂場に暗幕を垂らす。そうして作業に入る。焼くのは昔のネガから選び出した三点。この頃私は粒子の粗い、コントラストの強い画がほしくてほしくて仕方が無かった。今も多分その基本はあまり変わってはいない。でも。焼けば焼くほど、以前とはもう異なる自分を感じる。今私が立っているこの位置はどんな位置なんだろう。そのことを思いながら必死にプリント作業を続ける。
ネガは楽譜、プリントは演奏。本当にその言葉通りだ。気持ちひとつで音色は変わる。トーンは変わる。現れ出る画はがらりと変わる。
気づけばもう夕飯の時刻は過ぎており。電話のベルに気づいて私は作業の手を止める。

電話は友人からだった。あけましておめでとう、という間も惜しいといったふうに彼女が話し始める。
彼女が訴えてくるものは痛いほど私に伝わってきた。それがどれほど彼女を混乱させたかも手に取るように分かった。でも。
でもだから、敢えて私は彼女に言う。今あなたの直に関わっている人たちをこそ、大切にすべきなのではないのか、と。
それをされて、言われて、どれほど辛かったろう。どれほど痛かったろう。どれほど。でも。
哀しいかな、人は、自分しか見えていない時がある。自分のことしか考えられない頃がある。そうして一方的にボールをこちらにぶつけてくる時が、ある。

私にとっても一月はしんどい。怖い。だから思う。今私の立ち位置は、と。過去でも未来でもない、今の私の立ち位置をこそ、しかと見、掴んでおかないと、私は滑り堕ちてしまうから。あっけなく滑り堕ちてしまうと思うから。
そうして浮かぶ娘の顔。友人との電話を一旦切り、娘に電話を掛ける。
娘が、じじばばに聴こえないように小声で言う。生ハム、どうしてる? 生ハムというのはハムスターたちのこと。ミルクは暴れてるよ、ゴロはおとなしくしてる。ココアはなかなか巣から出てこないよ。私は報告する。ちゃんと巣から出して時々様子見てね。分かった、じゃぁ後で様子見ておくね。うん。じゃ、今漢字の練習してるから、また明日ね。分かった、じゃぁまた明日。
友人にもう一度掛け直すと、ずいぶん落ち着いたらしく。私はほっとする。お互いしんどいよね、しんどいからこそ、しっかり立っていたいよね。声には出さなかったけれども、私は心の中、そう、友人に呟く。

暗室というのはどうしてこうも落ち着くのだろう。私は再び風呂場に戻ると、床にしゃがみこみ、ふと煙草を吸いたくなって火をつける。天井に吸い込まれるようにして立ち上る白い煙も、この部屋では、赤い光を受けて染まっている。私は水洗中のプリントをじっと見つめる。納得できるものは一体いつになったら生まれるのだろう。見つめながら、自分に問い直す。今の私がこのネガから引き出せるものは、何だろう。

ままならぬ朝の仕事を切り上げ、私は自転車に跨る。今日は三つ向こうの駅あたりまで出掛ける。坂を上り、横断歩道を渡り、そして一気に坂を下りようとしたところで私は思い切りブレーキをかける。そして、行くべき道から逸れ、急坂を一気に駆け上がる。
そこは丘の上で。まさに街を一望できる場所で。今、雲の向こうで太陽が轟々と音を立てて燃えているところだった。雲の向こうから伸びる陽光は、これでもか、これでもかというほどに雲を燃え立たせていた。なんという光景なんだろう。私は息を呑む。
地平に漂う雲は、重たげに垂れ下がり。ちょうど太陽の在る位置に滞る雲はもう、陽光に侵食されるが如く燃え上がり。真っ直ぐに四方に伸びてゆく陽光。
私はそうしてもう一度急坂を下り、もとの道筋へ戻る。川を渡るところで再び自転車を止め、しばし川を見やる。所狭しと止まるボートの屋根には、鴎たちがじっと、首を竦めて立っている。みな一様に同じ方向を向いて、吹いてくる風にじっと、耐えている。
何処まで行けば、赦されるのだろう。何処まで走れば、赦されるのだろう。突如、そんな言葉が心に浮かぶ。あぁ私は、もう赦されたいんだ、解放されたいんだ。そのことを、痛いほど感じる。
ペダルを漕ぐ足に力を込める。歩道を走るのがもう面倒になって、私は車道の端を走る。こんなのもう厭だ。こんな状態、私はもう厭なんだ。そのことを、思う。
赦されるなら、何だってする。そう思ったとき、はたと気づく。赦すのは私なんだ。誰より何より私を赦せないのは私自身なんだ、ということ。
そう、私は自分が赦せない。まだ赦すことができない。だから解き放つことができない。涙が出そうになる。一体私は何処まで、自分を赦せないままでゆくのだろう。
それでも生きてる。それでも私はこうして、生きて、在る。

もうひとつ川を渡る。山の向こうが燃えている。まだ時間はある。あの山の上まで上ろう。私は決める。そして急坂をまた上り始める。
まだ残る雨の匂いが、私をくわんと包む。この坂は何処まで。


2010年01月04日(月) 
夢に気圧されて目を覚ます。それは実に厭な夢で。生活が今より貧しくなってどんどん心が堕ちてぼろぼろになってゆく夢だった。体のあちこちが裂け、孔が開き、零れる血で塗れ、それはもう本当に厭な夢で。だからさっさと手放すことにする。
思い切り冷水で顔を洗い、お湯を沸かす。何を飲もう。私は、今朝はレモンとジンジャーのハーブティを選ぶ。お湯を入れるときに気づく。また手首が痛む。腱鞘炎はまだ治っていなかったらしい。私はモーラステープをまた手首に貼り付ける。
カーテンを開け、街景を眺める。今朝点いている灯りは四つ。闇の中に沈んでいる。一番手前の灯りが突然消える。これから眠りにつくのだろうか。私は消えた灯りの辺りをじっと見つめる。あの家にあの部屋にどうかおかしな夢が訪れませんように。
ハーブティを飲んでいると、早速ミルクが巣から出てきて籠に齧り付く。おはよう、ミルク。私は声をかけ、そっと籠を開けてやる。途端に飛び出してくるミルク。私は慌てて手を伸ばし、彼女を抱き上げる。おまえは本当にすばしっこいねぇ。私は笑いながら彼女に話しかける。そうしている間にも彼女は、私の掌から掌へ乗り移り、腕に上ってきては私のシャツを噛んでいる。だめだよ、噛んじゃ。一応声をかけてみるものの、言っても無駄なんだろうなぁなんて心の中で思う。そんな私にお構いなしに、彼女はひっきりなし、動き回る。
仄かにゆるんできた地平線を私はじっと見つめる。何となくだけれど、今朝の朝焼けは白っぽいような気がする。何故そんな気がするのかは分からないが。私はまだ色の変わらない西の空を見、もう一度東方を見やる。雲が空に散在している。地平線に溜まる雲は多分濃い灰色をしている。いつの間にこんなにいっぱいの雲が現れたのだろう。
街灯が大通りを照らし出している。裸になって、枝も払われた街路樹はしんしんとそこに在り。私はしばし、まだ車も人も通らないその通りを、じっと見つめる。

それはもうどうしようもなかった。すべて吐き出したい。吐き出すならもっと詰め込んでずどんと吐き出したい。その衝動は止められなかった。でも今家にある食料なんてたかが知れている。作り置きのおにぎりやおもち、ブーケレタス、ブロッコリー、あとパンが三枚。私は衝動に抗って、何とかブロッコリーのスープを作ってみる。しかし。
それが呼び水になってしまった。気づいたら、目に映るものを次々口にねじこんでおり。苦しくて苦しくて仕方なかった。苦しさが限界に来て、私はトイレに駆け込んだ。便器に向かって思い切り吐いた。吐いて吐いて吐いて、胃がひっくり返るまで吐いて。
そうしてしゃがみこんだ。何をしてるんだろう、私は。馬鹿みたいだ。つくづく思った。何でこんなことをしなくちゃならないのだろう。何でこんなことになるんだろう。私は自分を呪った。でも呪ったって、吐いたことが帳消しになるわけもなかった。歯の跡がくっきり残った手を、私はごしごしと水で洗い。何度も洗い。何とか机まで戻って椅子に座った。とりあえず今できることは何だろう。私はおのずとお湯を沸かし、ハーブティを入れていた。
でも何故か飲むことができず。飲んだらまた吐いてしまいそうな気がして飲むことができず。私は立ち上る湯気をじっと、見つめていた。

以前から気になっていた展覧会へ、友人と共に出掛ける。美しいモノクロのプリントがびっしりと並ぶ白い壁。湿り気を帯びたモノクロ写真と、乾いた空気に包まれたモノクロ写真とを、私はそれぞれ見つめる。当たり前のことだが、撮り手によって同じモノクロでもこんなにも温度が違う、湿度が違う、風が違う。それにしても、モノトーンのなんと美しいことか。私の写真とは全く異なる。
それにしても。羨ましくなる。今街中で雑踏に向けてシャッターを切っていると、下手をすればフィルムをもぎ取られてしまう。ほんの一瞬の表情を、ごくごく自然な表情を撮りたくてそっとシャッターを切っても、抗議されることもある。これは時代の違いなんだろうか。次々と街中の人を追って切られたのだろうシャッター音が、耳の中、木霊する。

友人が、自分には妄想癖があったんだ、という話をしてくれる。物語を読んでいたりすると、気がつくとその物語の登場人物の一人に自分もなっており。まさに物語に入り込んでしまって、なかなか現実に戻ってこれなくなることが多々あるのだ、と。
一方私は、常に自分を俯瞰している自分がいたことを思い出す。何をしていても、何かをしている自分をもう一人の自分が俯瞰している。そんな構図があった。物語を作るのは好きだったが、それを作っている自分を俯瞰している自分が在た。
そんな話で笑い転げながら午後を過ごす。楽しい時間はきまってあっという間に過ぎるもの。気づけば辺りはすっかり暗くなっており。日はもうとおの昔に落ちた後で。私たちはそのことでもまた笑いながらようやく席を立つ。

何だろう、今日は貧血気味なのだろうか。座っていても何度も何度もくらりと体が揺れるのを感じる。くらりと揺れるだけではない、かくんと全身の力が抜けて、だから何処かで支えないとそのまま床にぺしゃんと座り込みそうで。私は何度も体の位置をずらす。誰かと一緒にいるとき、できるなら自分のそういった具合の悪さは見せたくない。だから何度も腕で体を支える。かくんと落ちてきた頭を体を支える。
帰りの電車の中、念のため、頓服を飲んでおく。

娘に電話をかける。ねぇねぇ、誰から年賀状が届いてる? えぇっとね、あみちゃんでしょ、めいちゃんでしょ、それから、これってなんて読むんだろう、分からないけど、結構たくさん届いてるよ。あ、先生からも届いてる。学童の指導員さんからも届いてる。わぁわぁ、よかったぁ。帰ってきたら、出していない人にお返事書かないとね。うんうん。ね、ママ、生ハムたち、どうしてる? みんな元気だよ。っていうか、ミルクは特に元気すぎて困る。いや、寂しがってるのかなぁ、しょっちゅう籠に齧りついて、遊んでって言ってるよ。早く会いたいなぁ。うんうん、そうだね。

飛び乗ったバスはまだ結構空いており。私は席に座って駅へ向かう。電車に揺られていると、橋へ、川へ。白く煙った陽光を受け、輝き流れる川。流れ込んでくる塵芥をもろとも抱え込んで流れ続けるその様。私はじっと見つめる。空の所々に大きく浮かぶもくもくとした雲。濃い灰色のものもあれば、白っぽく薄い雲も在り。ひとつとしてそこに同じものはなく。
今、車窓を流れる街景は灰白く煙っている。まるで街のあちこちから湯気がたっているかのようだ。動き始めようとしている街。人。空。雲。そして私は。
今私の目の中を鳶が横切る。風を受けて広げられた美しい羽の形。その輪郭線はゆるむこともたわむこともなくまっすぐに伸び。街の奥へ奥へと、それはやがて消えてゆく。
そうして電車は病院の最寄り駅へ辿り着き。私は改札を抜ける。今日もまた、一日が始まろうとしている。


2010年01月03日(日) 
夢も何もなく、眠ったと思ったらぱっちりと目が覚める。午前四時。部屋はからんと静まり、ミルクたちの音も何も聴こえない。しんと、しんしんと静まり返っている。
私は起き上がり、顔を洗う。こんなにぱっちりと目が覚めたのだからと、丹念に洗う。久しぶりに眠った、そんな気さえしてきそうな、そんな目覚め方だった。背中と首の辺りに凝りは残るものの、酷く痛むわけでもない。体がすっきりしているというのはとても気持ちがいい。
お湯を沸かしながら、何を入れようか考える。ジンジャーミルクティをいれようか、それともいつものハーブティにしようか。迷った挙句、ジンジャーミルクティを選ぶ。朝から甘いものはどうかと思ったが、ジンジャーを多めに入れれば、ぴりりとした味が効いてなかなかおいしい。
昨日やり残した、頂いた年賀状への返事を書く。転居して住所を知らなかった方や、久しぶりの方へ。この人との間にはこんな思い出があったっけ、この人との間にはあんな思い出が…。そんなことを思いながら書いていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。
玄関を出て南東の空を見やる。僅かにぬるみ始めた空の色。地平線の辺りがほのかに。そうして私はアメリカン・ブルーとラヴェンダーのプランターの脇に座り込む。ラヴェンダーは元気だ。ちゃんと生きている。しかし、アメリカン・ブルーが微妙におかしい。葉が茶色がかってきている。ちゃんと緑色を保っている葉もあることはあるのだが、それでも私は心配になる。大丈夫だろうか。母に分けてあげるつもりのこの株たち。何とか無事に育ってほしい。

実家へゆく。娘と二人手を繋いでバスに乗る。私が小学四年生の頃なんて、母と手を繋ぐことなどもうなかった。自分から手を差し出すなんてことは、もはや在り得なかった。でも娘はまだこうして手を伸ばしてきてくれる。あとどのくらいだろう。こんなふうにしていられるのは。本を読み耽る娘の横顔をちらりと見やる。あと一年、いや半年、あるだろうか。月のものでも来た日には、もう手など繋いでくれなくなるかもしれない。今年はもしかしたら、そういう年になるのかもしれない。そんなことを、思う。
そのとき娘が嬌声を上げる。ママ、ママ、見て、すごい人だよ。それはちょうど、駅伝の選手の走りを見ようと集まってきた人たちで。みな、今か今かと待っている。私たちはバスの中から、その様子を呆気に取られながら見つめている。
駅に着けば着くで、こちらは駅ビルや地下街がすごい人手。行列だ。ママ、これは何なの?! 娘が吃驚している。私も吃驚はしたが、あぁ、そうか、セールだよ、セール、と娘に言ってみる。セールって何? お店が安売りするの。福袋とかもあって、それでみんな並んでるんだよ。すごい人だね、それにしても。そうだねぇ、みんなすごいねぇ。ママって福袋とか買ったことあるの? うーん、昔々、一、二度あるけど。行列に並ぶことはしなかったなぁ。どんなものが入ってるの? いろいろ。だから、要らないものも入ってたりする。だからママはもう買わない。ふぅん。
娘と少し早めに駅に出てきたのは、本屋に寄るためだった。クリスマスプレゼントの図書カードと、お年玉を合わせて、買いたいのだという。私たちは人ごみを避け、早々に珈琲屋に入ることにする。娘はぶどうジュース、私は珍しくココアを注文し、それぞれに本を読みながら時間を潰す。
時間になって本屋に行くと、娘は、散々迷った挙句、若草物語とゲド戦記を買うことに決める。本当はもっと欲しい本があったらしいのだが、本屋には見当たらず。でも買いたい、といったところか。私は、ゲド戦記っていう本はとてもおもしろいんだよ、と頁をぱらぱらめくってみせる。ママも読んだの? うん。昔さんざん読んだ。へぇ。でも文庫が出てるとは知らなかった。じゃぁママは大きい本で読んだの? そうだよ。ふぅぅん。

実家へゆくと、じじもばばも待ってましたとばかりに孫を出迎えてくれる。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。いつもより一回りは小さい声で娘が挨拶する。私は挨拶を終えると、母の庭を見にゆく。
母の庭では今、ラヴェンダーが花盛りで。四種類ほどのラヴェンダーすべてが、それぞれに菫色の花をつけて風に揺れている。これらはみな、母が旅先で取ってきた種から育てた代物だ。よくまぁここまで育つものだと思うほど、それらはみな茂り。私はその茂みの間に座り込んで、しばし目を閉じる。陽光がさんさんと降り注ぐこの庭。土地を選ぶ時、母と父は意見が分かれたらしい。そして最後、母の意見が通って、この場所になった。母は最初からこの陽光の在り処を知っていたのだろうか。そう思えるほど、庭は光に溢れ。庭に植えられているありとあらゆる植物がみな、ゆったりとしていた。母の病気のせいで世話が行き届かなかった去年だというのに、それでも庭はこうして在る。母を励ますかのように。もちろん枯れたものもあるだろう。それでも。
この庭はあとどのくらい生きてくれるのだろう。ふと私は不安になり、慌ててそれを打ち消す。不安になっても仕方が無い。今そんなもの抱いても何にもならない。私は母の無事を祈るだけだ。来月はもう二月、それは母の誕生月であると同時に、検査結果が出る月でも、ある。
今は信じるだけ、だ。

弟家族もやって来る。が。私は弟の変貌に胸を鷲掴みにされる。外見がどうこう、ではない。彼の醸し出す空気、張り詰めていつ切れておかしくないほどの空気。その空気にあてられて、窒息しそうになる。母はそんな私を見、転職してからこうなのよ、と呟く。義妹は黙って、弟に従っている。
この暴君ぶりはどうだろう。弟の、反抗期絶頂の頃よりも殺気立っている。私はなんだか見てはいけないものを見てしまった気がした。
それでも、子供の相手をする弟。何とかしようとしている弟。しかしそれも空回りしており。私はどうしていいか分からなくなる。
大丈夫なの、と声をかけることさえ憚られた。とてもできそうになかった。何を言っても、ずばんと撥ね付けられてしまいそうだった。
弟は。どこまで持つだろう。

夕方、友人と会う。その友人はこの春には何処かへ転勤していってしまうかもしれない友人で。多分無理に時間を割いてくれたのだろう。私は心の内で感謝する。
彼とのつきあいはずいぶん古い。高校時代、そう、私が映画制作に参加した辺りからのつきあいだ。だから私が散々な時間を過ごしてきた、そのときの姿も知っている。彼に何度助けられたことか。薬を飲みすぎてぶっ倒れているところを助け上げてもらったこともあった。多分私の血まみれの腕も、彼は見たことがあったに違いない。
それでも、つかず離れず、見守ってくれる。そんな彼が言う。一時期は、吹けば飛ぶような様相だったけれども、もうだいぶ頑丈になってきたな、と。これなら何かあっても跳ね飛ばせるか、と私に問う。だから私は笑って返す。もうこれ以上何かあってはほしくないなぁ、と。二人で笑う。
彼はこれまで何度、娘の相手をしてくれただろう。私がしんどいとき、何気なくやってきては、娘の遊び相手になってくれた。娘にとっても大事な友人の一人だ。そんな友人が、もしかしたらもうすぐ、遠くへ行ってしまうかもしれない。
私は、なかなか言葉が継げなかった。それでも。
これが別れというわけじゃぁない。また会える。そう信じる。

夜、友人と話しをする。一年の中で彼女にとって一番しんどい月を乗り越えたせいか、彼女の言葉ははきはきとしており。私は安心する。よかった。これなら大丈夫。
また今年も撮影しようと思うけれど、今年は大丈夫? 私は彼女に問いかける。うん、もちろん、そのつもりだよ。勢いよく返事が返ってくる。あぁよかった。本当によかった。そこまで彼女は戻ってきたのだ。それが分かって、私は心底ほっとする。

朝の一仕事に区切りをつけて、私はベランダに出る。なんという冷気。私はぶるりと体を震わせる。風も吹いているせいか、余計に体温が奪われる。そんな中、ホワイトクリスマスとベビーロマンティカはそれぞれ、蕾を湛え、風に揺れている。イフェイオンやムスカリも、今日はちょっと寒そうだ。そうして私がベランダを見つめていると、後ろでからから音がする。近づいてみると、ミルクもココアもゴロもみな、籠の入り口に顔をくっつけて、こちらを見ている。私はその全員揃った姿に思わず噴き出してしまう。ひとりずつ順番に掌に乗せて、撫でてやる。三人三様。まさにその言葉通り。それぞれの反応に、私はまた笑ってしまう。
それじゃぁね、行ってくるね。私は、娘のいない部屋に向かってそう挨拶する。そして玄関を出、自転車に跨る。なんと冷たい風。私の手は瞬く間に冷たくなって、痺れてゆく。私は時折指に息を吹きかけながら自転車を漕ぎ、池の方へ。池にはやはり氷が張っており。私はそれをまた足先でしゃかしゃかと割る。晴れ渡る空を映し出すその氷は美しく。裸の黒褐色の枝が影絵のようで。私はじっと見入ってしまう。
鳩が三羽、公園の中ほどに集っている。ちょうどそこは陽光の溜まる場所で。私は彼らを驚かせないように、少し大回りして公園を抜ける。高架下を潜り、埋立地へ。途端にぱあっと開ける視界。世界が一段明るくなったような、そんな気配。
空は何処までも澄み渡り。私は冷風に首を竦めながら走り続ける。さぁ今日もまた、一日が、始まる。


2010年01月02日(土) 
いつもの時間に目を覚ます。そして真っ先に電話の着信履歴を見る。やっぱり、連続で残っている。悪いことをした。どんな時間であったとしても、彼女は追い詰まって電話をしてきたはずなのに。私は疲れ果てて眠った後で、何とか起きたものの、まともに返事ができなかった。どんな言葉が彼女の胸の中在ったのだろう。心が痛む。元日早々、電話をかけずにはいられなかった彼女は、今頃夢の中だろうか。そうだといい。せめて眠ることができているといい。
起き上がりお湯を沸かす。その音に気付いたのか、ミルク、ココア、ゴロ、全員が巣から出てくる。そして後ろ足で立ち、前足を上げて、こちらをひくひく見つめている。おはよう。私は声をかける。
レモングラスとペパーミントのハーブティを入れる。ゆっくり蒸らして茶葉を引き上げると、薄い檸檬色が広がっている。この間ペパーミントを買い足すことを忘れてしまって、今多分茶葉の比率が狂っている。レモングラスがとても多い。そのせいか、お茶の色味もいっそう檸檬色。
娘に云われたのは五時半。時計を見、私はハムスターたちの小屋を見やる。ちょうどゴロが出てきてくれていた。ゴロ、ちょっとつきあってね。そう声をかけて抱き上げる。抱き上げたゴロを、娘の頬に乗せる。むず、むずむずっと動き出す娘。そして突然むくっと起き上がる。ちょ、ちょっと。私は慌てる。娘は全然気づいていない。ねぇ、ゴロは、ゴロは? 私は慌てる。そして、娘の手の先に、ゴロを見つける。娘が起き上がるより先にゴロはここに来ていたらしい。よかった。勉強するんでしょ? あ、それね、昨日のうちに全部終わった。なぁんだ、じゃぁこんな時間に起きなくてもよかったんじゃない。でもいいや、起きる。
気づけば少しずつ空がぬるみ始めている。昨日娘と一緒に見た夜明けが、ちょっと懐かしい。

五時半に起こして。云われた通り、私は娘を起こした。確かココアにつきあってもらった。ココアはおとなしくて、娘の頭を動き回ることもなくじっとしており。娘はそんなココアをすぐ手のひらに乗せ、起き上がる。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。お互い、ちょっと照れながらも、挨拶を交わす。
娘がテレビをつけると、ちょうど富士山を映し出す映像。雲の上、富士山の山頂が映し出されており。これから日の出を映し出すという。
私は、早速玄関を出る。南東の空がちょうど燃えだしているところで。地平線に僅かに残る雲が、煌々と照らし出されている。これなら日の出がここからでも見れる。そう思い、私は娘に声をかける。多分あの辺りから出てくるよ。私は指を指す。
寒い寒いと云いながら、踊り始める娘。そして彼女は突然小声で歌い出す。今、わたしの、ねがいごとが、叶うならば、翼がほしい…。彼女の声に合わせて私も歌う。これが新年最初の歌か。新年の歌ではないはずだけれど、でも、何故だろう、妙に今この場に似合っている。
丘の上の建物とこんもりした茂みの間が、どんどん燃えてゆく。娘が、サングラス持ってくる!と部屋に駆け込む。私はその間も日の出の方向を見つめる。ママ、目を細めるとね、太陽の場所が分かるんだよ、理科の実験でやった。そうなんだ。なるほど、目を細めると分かりやすいね。うん。サングラスをした娘は、そうしてじっと、その方向を見つめている。
やがて僅かに、太陽の欠片が見え始め。そこからはあっという間だ。ぐいぐいと盛り上がってゆくその形。そうして全身が露わになり。それまで眠っていた街が一気に目覚める。校庭の隅のプールは今、黄金色に燃え盛っている。
おはよう、太陽。娘がそう云う。私は黙って見つめている。さぁ、明けた。そろそろ部屋に入るか。うん、おもち食べよう! ははは、そうだね。

家を出るとちょうど派出所に人が。どうしたのだろうと覗くと、迷子らしい。私が扉を開けると、飛び出してくる泣きじゃくる男の子。慌てて男性がその子を抱き上げる。今おまわりさんが来るから。それまで待ってようね。でももうどうしていいか分からないらしい、男の子は必死に抵抗し、泣き喚き、床に突っ伏す。娘が、男の子の背中を撫でて、大丈夫だよ、大丈夫だよと言っている。私は外に出て、今か今かとパトカーの到着を待っている。
ようやく到着したパトカーからはおまわりさんが二人。どうしたの。お名前はなんていうの。おまわりさん、怖いかな? 一生懸命話しかけるのだが、男の子は泣いたまま。もう何も答えられない。そうして、一緒にお母さんを探しに行こうとパトカーに乗せようとするのだが、まるで拉致される子供のよう、全身で抵抗する。私たちはそれを見守る。
パトカーが走り出し、私たちも神社の方へ歩き出す。と、ほどなく、母親らしき人が、通りを走ってくる。あぁ、あの子のお母さんだよきっと。娘が云う。その通りだったらしく。私はほっとする。
神社は去年よりずっと込み合っており。私はその込み合いに閉口しながら、必死に人ごみをかき分け列に並ぶ。順番が来て五円玉を投げ、願い事。私が目を開けた時にはもう娘は顔を上げており。私たちは急いで列を抜ける。
何処までも続く人の波。私たちは急坂を下り、埋立地の方へ。

娘のリクエストで、今日も映画を見る。オオカミの子の物語だそうで。しかし、朝飲んだ薬がやけに効いてしまった私は、何度も娘に起こされる。そして気づけば物語は後半。ようやく意識もはっきりし始めた私は、ちょっと驚く。娘がわんわん泣いているのだ。映画を見て泣くなど、殆どない子だった。それが今泣いている。映画館で泣くのは私だと思っていたが。私はハンカチを取り出し、娘に差し出す。
映画を見終えた私たちは、駅までそのまま歩くことにする。途中渡る川は、陽光を受けてきらきらと輝いており。ちょうどこの橋が、海と川とを繋ぐ場所。私はしばし立ち止まる。空は青く青く澄み渡り、浮かぶ雲片は真っ白で。そして川は輝き流れ。まるでそれは一枚の画のようだった。

何時に出る? 九時頃だな。でないと本屋さんやってないよ。今日はお年玉を持って本屋さんに行く。そしてその足でそのまま実家へ。
ふと窓の外を見れば、ちょうど夜明けの時刻。私たちはまた玄関を出、廊下で待つ。今年二回目だね。娘が云う。そうだね、二回目だ。昨日の月、綺麗だったね、ママ。くっきり黄色く浮かんでたね。そうだね、まん丸だった。澄んでた。
そうして見つめる先は太陽。私は何となくプランターの脇に座り込み、アメリカン・ブルーとラヴェンダーを見つめる。ラヴェンダーは元気なのだが、アメリカン・ブルーがどうもおかしい。少し前からおかしい。元気がないのだ。いつでも元気なわけはない、とは思うのだが、少し先端が枯れてきている。根がついて、そうして先が枯れているだけならいいのだが。それが心配だ。秋、根っこをコガネムシたちに丸ごと喰われて以来、私は根の行方が心配でならない。
ママ、そろそろだよ。娘の声に私は立ち上がる。二度連続して娘と一緒に日の出が見れるとは。私の脳裏を昨夜の友人からの電話の声がよぎる。深く深く沈んだ声だった。私は疲れ果てていて、殆どまともに返事ができなかった。本当に申し訳ないことをした。今度改めて電話しよう。そう決める。
そして日が昇る。ちょうど空を横切る鳶。すぃぃと東へ飛んでゆく。私たちはその様をただじっと、見守る。


遠藤みちる HOMEMAIL

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