見つめる日々

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2008年01月27日(日) 2008年。今年も1月27日がやってきた。
 2008年。今年も1月27日がやってきた。
 この日はまだ、私にとって特別な日に変わりはない(本当は早くなんでもない一日になればいいと思う)。
 正直、今年は憂鬱なことばかりだった。人に振り回され裏切られ尻拭いをさせられた一年だった気がする。

 薬が異常に増えた時期もあった。薬が定まらずあれやこれや飲まされた時期もあった。朝目を覚ますと体中が痛くて起き上がれず、布団の上で小一時間痛みにのたうちまわる時期もあった。何も食べることが出来ず体重が一気に減るばかりの時期もあった。唐突にリストカットの波に襲われさらわれることもあった。

 そういえば今年は入院した。短期間だったがこれは私に大きく作用した。入院する前の自分の異常さを私は殆ど覚えていないが、親しい友人達が一様に言う、もう限界だった、と。
 それが、短期間であれど入院したことで、笑うことをまず思い出した。笑えば自然に喜びも浮かんでくる。楽しみもやってくる。さまざまな感情が少しずつ戻ってきた。それは私にとって言ってみれば不思議な現象だった。感情が感情として感じられる。それが多少であっても感じられる。これは驚くほど私に影響した。

 確かに憂鬱な一年だった。でも、一方でたくさんのギフトを頂いた気がする。
 まず、同じ犯罪被害者の方々との共同作業。写真というフィルターを通しての共同作業を展覧会という形で発表することによって得たもの。これらはとても大きい。これを通して同じ時間を共有した、同じ時間を同じことを為すということで痛みや笑いを共有したという絆を持つ友人が一挙に増えた。この友人達の存在は、私がへこみそうになるとき彼らの顔が私の中をよぎって大きく私を支えてくれた。これほど力強い支えは他にはなかなかないだろう。
 今それを思い出しながら改めて思う。人は人によって傷つき、人は人によって癒される。これは多分きっと、どんな場面でもいえることなのだろう。間違いなく。
 
 時間は確実に過ぎていっているのだな、とも同時に思う。
 私は時折自分を消したいと思うことはあっても、前のように繰り返し繰り返し、四六時中自分を消したいという念は持たなくなった。
 阪神大震災のニュースやサリン事件のニュースが流れあれから何年が経とうとしていますなどとアナウンサーやリポーターがテレビで繰り返す時期にはテレビを完全に生活からシャットアウトすることもできるようになった。
 できることは、少しずつだけれどもちゃんと増えている。
 忘れることはできなくても、回避する術を少しずつ覚えてきている。

 病院は相変わらず通っている。でも、私の元々の主治医が病気で休みをとることになり、自動的に他の先生に診てもらわなければならなくなったときから、私は、医者を変に信じたり頼ったりすることはなくなった。むしろ、元々の主治医以外は私にとって最初敵だった。だからまるで全身針を立てたはりねずみのような形相で診察室に入っていっていたにちがいない。
 今ではそれももうだいぶ慣れた。諦めがつくようになった。また元々の主治医が戻ってくることがあるなら、別の関係を築けるような気さえする。

 それから、娘がずいぶん成長した。娘に余裕のあるときには、私にずいぶんと気を使ってくれるようになった。たとえば私が仕事や病気の苛々で夜ひとり机に向かって悪戦苦闘しているとき、彼女は私をじっと見守っており、私に危険なことがないかと目を光らせているのに気づいた。そういうときは必ず彼女は、眠りに落ちるまでの間、繰り返し私に声をかけるのだ。「ママ、がんばって」。「ママ、そこで寝ちゃだめだよ」「ママ、お仕事がんばって」。繰り返し繰り返し。
 これには負けた。
 これを繰り返し言われていると、そうだ、私は何よりも母なのだということを思い出す。どんなに具合が悪かろうとイライラしていようと、私は一人の娘の母なのだという責任をいい意味で思い出す。
 だから返事をする。「うん、大丈夫」「うん、がんばる」。
 そしてやがて寝息の聞こえるようになった娘のそばにいって、彼女の寝顔を眺める。それは私の至福のひとときになった。

 多分これまで同様、何とかなるのだと思う。いくらしんどい日が続いても、救いだってある。友もいる。それらが一あれば、他の百などどうってことないと思う。
 だから私は来年もまだまだ生きている。今年こうやってこの日を乗り越えられたように、来年だって乗り越える。そうしてしわくちゃのおばあちゃんになるまでしぶとく生き延びるんだと思う。


遠藤みちる HOMEMAIL

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