あららのつぶやき
DiaryINDEXpastwill


2007年02月06日(火) 運命の分かれ道

 母の葬儀にたくさんの人々が集まって下さった。
普段は疎遠の親戚の方もこの時は多く、
ずいぶん年を召されたネ〜〜(自分達も同じに年をとっているのに)

夏休みになるとよく遊びに来た
東京にいる従兄弟夫婦(叔父は亡くなっているので代理)。

この従兄弟の父親は、あららの叔父
つまりあららの父親の弟に当たる。
私たちは「東京の叔父さん」とよび
大人たちは「テルさん」と呼んでいた。
この軍人だった人の新しい話を聞き「へ〜」と思ったの

この「叔父さん」顔半分ほっぺたからあごにかけて
えぐられたような引きつり傷があった。
戦争で受けた傷という事は小さい時から知っていた。

戦後は銀行マンで、銀行の法律関係でよく地方へ講演に行く事があり
「『この傷でコワ〜イやくざ上がりかと思わんでください』
と講演の冒頭で皆の気持ちをほぐすんだヨ」と叔父の弁。

満州の中支で戦闘中に鉄砲が顔に命中!
病院に運ばれ、九死に一生を得られたが
このままでは治療がおぼつかない。

日本へ送り返された。
その直後に叔父のいた連隊は全滅!!!!
===これがまず一つ====

送られた先は日本の広島軍事病院。
父親(あららの祖父)は見舞いに行って
がっくりして帰ってきたとの事
「金はいらない、名誉が欲しい」と言って軍人になった叔父だから。。

その後、広島の病院から東京の病院へ移された。
そして一週間後、広島に原爆が落とされた。

背筋がゾーとするような運命の分かれ道を感じたに違いない。


あらら |MAIL