momoparco
  今日も富士山が良く見えるようだ
2006年12月28日(木)  

 昨日は仕事納め。
一昨日の豪風雨が嘘のように晴れ渡り、麓ちかくまで白く雪を被った富士山が良く見える一日だった。気温は高目で年の瀬とは思えないほど。仕事はスッキリと綺麗に終わり、また新年は気持ちよく仕事始めを迎えられるだろうと思う。

今日も引き続き好天で暖かい。今年もあと少し。一年を振り返るというより、よくよく考えるとこの数年は、季節の感覚や折々の行事もフィルターを隔てて眺めていたような気がする。古いダイアリーを繰ってみても、2年くらい前から更新の数が随分と少ない。こうして長い目で見る事が出来るのは、長い事この場所にいるからだろうけれど、年単位で見ると顕著だ。

 とても忙しい年月だった。常に何かに追われ追われしている日々だったように思う。そんな中で、少しずつ、見えないくらいに少しずつ、自分の感性が別の何かに侵食されたように鈍磨して行ったような気がする。そんな風に思う事が出来るようになれたのもこの数日なのだけど、侵食されていたのか、別の自分が芽生えたのかはわからない。特に年の後半は、まるで別の人間だったかも知れない。
 
 長い間に沈殿し澱のように固まっていた出来事が、何かの力で急に攪拌されて一気に踊り、目の前には時間軸を無視して次から次へと忘れているとばかり思っていた過去のシーンがコマ送りのように浮かんでは消え、ひとつひとつが鮮やかで、ひとの記憶の確かさと不確かさを思い知る。目の前が濁ったまま、視界を閉ざされたような中にいると、くすんだ記憶以外何も見えなくなる。そして生まれ出る様々な感情に支配されて、自分というものが見えなくなる。生まれて初めて出会う自分も、過去に出会ったことのある自分も、そのどれもが同じ自分自身。

 人生には色んなことがあると思う。心と体がこれほどに結びついていると感じた年もなかったように思う。物事を全て後ろ向きにしか捉えられなくなるというのは、悲惨で苦しいものだ。私は濁った水の中をゆるゆると堕ちて行き、最も深い場所に足をついたようだ。そして、静かにかすかに底を蹴り、今また少しずつ少しずつ浮かび上がっているところなのだと思う。


 大好きなお友だちのえるぜさんの言葉をお借りして・・・

*穏やかなテンポで歩きたい*

そう思う2006年の年の瀬である。



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