momoparco
  Sans toi mamie...サン・トワ・マミー
2005年02月06日(日)  

  二人の恋は 終わったのね
  許してさえ くれないあなた
  さようならと 顔も見ないで
  去っていった 男の心
  たのしい 夢のような
  あのころを 思い出せば
  サン・トワ・マミー
  悲しくて 目の前が暗くなる
  サン・トワ・マミー

           街に出れば 男が誘い
           ただ意味なく つきまとうけど
           このあたしが 行きつくとこは
           あなたの胸 ほかにないのよ
           サン・トワ・マミー
           風のように 青空をさまよう恋
           サン・トワ・マミー
           さびしくて 目の前が暗くなる
           サン・トワ・マミー

サン・トワ・マミー
日本語訳/岩谷 時子 作曲/アダモ うた/越路 吹雪




 神様が、もしも一曲だけ、とても上手にうたをうたえる力を下さるとしたら、私はこのうたをうたいたい。

 私の職場にはカラオケ好きな年配の方が沢山いらっしゃる。先輩たちは定年間近な年齢なのだが、何故かそれぞれの方の趣味は偶然にもカラオケで、ちゃんと先生に習いに行かれ(全然違うところで)、特に女性は、年に数回の発表会には素敵なドレスやウィグまで用意して望まれるという本格的な力の入れようだ。

 だから、というのではないのだが、職場の忘年会にカラオケはつきもので、毎年必ずそんな皆さまの歌声を聴かせていただくことになる。お一人お一人のレパートリーはそれほど広くはないのだが、それは本当にとても上手で、あとからうたう私たちは、なんだかもうとても恥ずかしくてヤケのやんぱちにならないとうたえたものではないのである。

 一人の方のレパートリーに、越智吹雪さんの曲がある。その方のうたううたは『ろくでなし』なのだが、越智吹雪さんは私の母がとても好きで、子どものころ、時々テレビでお見かけしたことがあり、なんだか馴染みがあるような気持ちだ。

 記憶の中の越智さんは、綺麗な両肩を出した華奢な体を、キラキラと光る白いドレスで包んで、斜めにつまむようにしてマイクを持って、少しだけ揺れながらときどき目を閉じて、だけどいつも甘く微笑んでいて、粋でせつなくて自然で軽やかだ。

 あのころ、越智さんがおいくつでいらしたのか知らないけれど、同じような年齢(らしき)の歌手を見ても、おばさんとしか思えなかったのに、歌詞のほかになにも鎧わない越智さんは、とても素敵な大人に見えた。

 テレビをうっとりと見つめる母の横顔のむこうで越智さんは、さながら天空の彼方からふわりふわりと浮遊しながらおりてくる真っ白い羽のようで、ああ、なんて素敵なんだろう、歌の意味などわからない子どもの私もなんだか魅入られていたのであった。

 ある年の忘年会で、私はどうしてもこのうたが聴きたくなり、その方にお願いしてうたっていただいた。あまり練習していないけど、と言いながらもうたってくださったそのひとを見ながら私は一緒になって口ずさんでみた。

 おや?と思った。始まりは微笑みで、途中まで軽やかに口ずさむことができたのに

  たのしい 夢のような・・・

 ここの部分になったら、ダメだ。どうしても顔がひきつり、そのうちにゆがんでしまい、口ずさむことさえできなくなってしまった。それは音程が苦しいとかテンポが難しいといった歌うことの技術ではなくて(テクなどもちろんないし、難しいには違いないのだが)、この部分になると一瞬にして涙がいっぱいにあふれて、顔がゆがむほどに泣けてしまうのだ。

 それから口ずさむのはやめて、ただそのひとを眺めていた。この感覚はなんだろうと思いながら。今まで生きてきて、このうたに何かあっただろうか。いくら考えても想いだせるのは、素敵な越智さんの羽のような軽やかさだけで、私自身に重なるものは何もない。それなのに一体どうしたことだろう。

 それから、ときどきこのうたをひとり口ずさんでみることがある。あれから何年たっただろう。ふといきなり口ずさんでみるのだが、心がどんな時であっても、同じ箇所に来ると顔がゆがんで涙があふれる。これってどういうんだろう。私はふわりふわりと舞いおりる柔らかな羽にはなれなくて、雨に打たれて泥水におっこちたぐちゃぐちゃの羽だ。ああ、とってもみじめなのである。

 そういえば、忌野清志郎がこの曲を歌ったことがあった。日本がまだ景気の良い頃、ノエビア化粧品という訪問販売の化粧品メーカーのCMがあって、女心が綴られた色々なうたを、その曲の持ち主ではないほかの誰かが歌うのが、ハイセンスなイラストの後ろに流れていた。歌い手はみんな男性で、歌唱力のあるダミ声やしわがれ声と、せつない女言葉はとてもよく合っていて、それはそれで斬新で愉しみだった。その中に忌野清志郎のサン・トワ・マミーもあって、おお、それはそれでナイスと思った。偉大な岩谷時子さん。だから私には歌えるのじゃないかと、安直な素人の私は脳細胞まるだしの単純さで思ったのだが、いつになってもやっぱりだめだ。ブラボー、忌野清志郎。一体なんだろうこれって、わからない。因幡晃の『わかって下さい』や、五輪真弓の『恋人よ』は、何とか最後まで口ずさむことが出来るのに。せめて口ずさむだけでもいいのだが、どうやったらできるようになるのだろう。これを書き終えて、歌詞を眺めながら口ずさんでもやっぱりダメだろう。明日もあさっても、おそらく来年もさ来年も顔がゆがんでしまうだろう。

 たぶん、こんなうたを越智さんのように微笑みながらうたえるようになるのには、うたそのものを習うよりもっと違う何かが必要なんだと思う。技術とは違う何か。そう、私にはまだ年季が足りないのだ。ひととして、女として、大人としての年季。この曲を口ずさむたび、ああ、まだまだなんだなあたしって、そう思い知らされるうたなのである。



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