momoparco
  まだ秋じゃない
2003年09月18日(木)  

 「私はね、この秋にはもう生きていないよ」
友人の母上で今年72歳になるFさんは、夏の前にそう言った。
看護婦の彼女は、3年前に食道癌の手術をしてからも、その年齢や病気の重さからは考えられないほどの驚異的な精神力で、週に一度だけ仕事に出るまでに回復し、職場復帰を果たしてこの春先まで現役で仕事をしていた。
手術の後、何度かの辛い抗癌治療にも耐え、人前に出る頃にはとても病気をした人とは思えないほど元気になり、健康には重々注意しながら頑張っておられた。

 彼女は、物事がはっきりしていておよそ中途半場の嫌いな人であった。そのせいで、あちこちで衝突も多かったが、表と裏のない性格は無邪気とも言えるほどの人なので、何故かそれは彼女らしいことと周囲には暗黙の了解があり、大きな確執もなく通ってしまうことが多かった。
 口をきくといつも歯切れのいいチャキチャキの江戸っ子弁で、少しでも腑に落ちないことがあると、誰彼構わず啖呵を切る。まるで竹を割ったような、「てやんでぇ、すっとこどっこい」の人であった。

 抗癌剤投与の治療の時には、ひどい副作用に苦しみ、
「Fさん一緒に頑張りましょうね」という看護婦さんに
「『頑張るのはあたしだよ、あんたじゃないよ!』って言ってやったのよ。なーにが、一緒に頑張りましょうだよね。痛みなんか分からないくせに、最近の看護婦はさ」と言って首をすくめてクククと笑っていた。

 春が来て、定期健診の結果今までにない項目の数値が少しだけ上がり、それは他の病院ではなかなか気が付かないような子細な項目ではあったが、医師や何より彼女自身がとてつもなく不安にかられたようであった。

 シフラ・・・この項目を私の友人である彼女の娘がインターネットで調べても詳しいことは分からないが、新潟医大で一件だけその件に対するデータが見つかったと言う。
「娘に調べてもらったけど、分からないのよね。新潟医大での話は肺癌のことなんだけどさ、食道癌からのデータがないんだわ」
「でも、多分転移してる。若い人ならもっと早く病状が現われるんだけどさ、私なんかもう年だからさ、でも何がどこでどうなってるのかそれが知りたいのよ。はっきり分からないのが嫌よ」

 放射線治療の後は、食事がほとんど摂れなくなり、栄養失調と脱水症状を起こしていたので、ほとんどの水分や栄養は点滴からという状態で、体重は27キロになってしまったと言っていた。それでも言葉だけ聞いていると元気も元気、声だって少しも変わりなく威勢のいい江戸っ子弁は健在であった。彼女は他人に弱みをみせることはなく、実際に娘にすら、辛いとか苦しいとか泣き言を言わず、代わりに喧嘩を売っていた。

 「私はね、もう今までに沢山の人の死ぬのに立ち会って来た。そうして何百人って死んだ人の体も拭いて来たのよ。だから、死ぬってことは少しも怖くない。日常的なことだったからね。だけどね。痛いのは嫌。何があっても痛いのは嫌よ。それだけは絶対に嫌。だからドクターにもあんまりいじくり回さないでと言ってあるんだ。」

 夏の前に会いに行った時に、誰もいない家の中で彼女は私にそう言った。
それまで、週に一度か二週に一度、彼女を訪ねて少しだけ話しが出来ることがあったが、その時はそれまでになく自分の病気のことを語った。
プロ。・・・聞いている私よりそのことに詳しく、私の知らないような事を噛んで含めるように説明する彼女を何か不思議な気持ちで私は見ていた。

 その後、彼女は栄養の状態も含めて自宅では過ごせなくなり、入院をするがしばらくしてホスピスへと転院する。友人はほぼ毎日のようにメールで様子を知らせてくれていて、一度は退院する話になったが、肺炎を起こしてしまったので先送りになってしまったと聞き、退院出来るようなら少し様子を見てお見舞いに行こうと思っていた。

 ホスピスは治療をする場所ではなくて、出来るだけ苦痛を遠ざけ、心穏やかに過ごす場所である。友人からのメールで、彼女に投与されるモルヒネや麻酔の量が増えていることが分かった。
 痛みは知覚ではなく、感情だという。看護婦として長く働き、痛みに苦しむ患者を多く見送っていれば、たとえ死ぬことは恐れなくても痛みに対する恐怖はあっただろう。この病気に限って言えば、そこまでの痛みに耐えて元気になりました、という話は聞かない。その痛みは後々語れることとしては誰も味わうことはないわけで、それは想像を絶するものだろうと思う。
正気でいれば耐えられるものではない痛みのために、薬の量を増やしているのだろう。どれほど彼女が気丈に頑張っても、それはもう彼女の力ではどうにもならなかったのだろうと思う。

 先週は忙しくて時間が取れなかったので、今週中には友人と一緒に訪ねて行こうと思っていたのに、そしてそれほど差し迫った様子はなかったのに、一昨日の午後、突然のように彼女は亡くなってしまった。

 あまりにも活きの良い人は亡くなってもそれを信じさせないものがある。
私は、Fさんがホスピスに入ってから、一度も会いに行かなかったことに悔いが残ったが、反面どこかで信じられないような気持ちがあった。
通夜の席で、読経と焼香の匂いの中で彼女の遺影に会っても何故かそれはただの形のようでしかなくて、今日の告別式で彼女の顔を見て花を手向けても
「あたしさ、こうやってるけどさ、ホントはさ、・・・ククク」と笑っているような気がしてならない。

 沢山の苦しみから解放されて、心穏やかに静かに眠るようなFさんの顔を見ながら
「なにさ、今頃来たって遅いんだよ!」とあの歯切れのいいチャキチャキの江戸っ子弁でもう一度言ってもらえたら、と思った。



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