サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2009年12月22日(火) さようなら ぺぺ先生

 12月13日、ザ・ハプニングス・フォーのベーシスト、ぺぺ吉弘さんが癌で亡くなった。
 ぺぺさんとは2002年のハプニングス・フォー再始動以来のつきあいで、個人的にも親しくさせてもらっていた。去年の秋に神戸のホテルで開催されたディナーショウのサウンドチェック後、急に具合が悪くなって病院に行き、本番直前に戻ってきたことがあった。思えば、あの頃から本人はわかっていたのかもしれない。最後の最後まで、友人知人に病のことを知らせず、本人の意思により、お通夜も葬式もない。

 長崎の生まれで、1960年代前半に福岡でキャバレーバンド「サンライズ」を結成し(最初はギタリストだった)、嫌がるメンバーのクニ河内を説得し、上京して「ハプニングス・フォー」となったのだ。音楽的なバンマスはクニさんだったが、バンドを仕切っていたリーダーはぺぺさんだった。
 ハプニングス・フォーのシングル曲でもある「永田町への道」で、ぺぺさんの歌が聴けるが、スタンダードなボーカルものは絶品だった。渚ようこのアルバム「ギーナサドンバ・リサイタル」とオムニバス「昭和元禄NOW!第1集」で、二つの「べサメムーチョ」が聴ける。そして、ハプニングス・フォーで聴くことの出来る非常に独特なベース・プレイ。これはもっと評価されてしかるべきだろう。「何故?」とか「引潮満潮」とかすごい。
 布施明が録音する前は、ぺぺさんがステージで歌っていた「そっとおやすみ」をハプニングス・フォー・バージョンで制作する俺の夢は終わってしまった。ライブテープはいくつか残っているのだけど。

 70年代になってからは、プロデューサーの仕事もしていた。有名なところでは映画『八月の濡れた砂』のサントラを手がけている。ハプニングス・フォー末期と被っているバンド「羅生門」についてはインタビューをしたことがあり、「HOTWAX」誌1号に載っている。殆ど知られていないところでは、スリー・ダイアモンズ『ジャズ演歌・昭和男無情』(ワーナー・L6015A・71年8月発売)というアルバムがあって、羅生門にも参加していたポール・リーとともにぺぺさんの歌も聴ける。演歌を洒落たジャズアレンジでカバー。このレコードは本人のアイデアだったと言っていたが、確かにいかにもぺぺさんらしい企画である。
 10年ほど前にお亡くなりになっている奥様と静岡の清水に住むようになってからは、ご機嫌なバーを開店して、若者達に音楽を教えていたり「先生」と呼ばれていた。

 相手のことを「ユー」と呼ぶ。逆さ言葉は当たり前。あの時代のヤクザなバンドマン、根っからのギャンブラー気質。きつめのアルコール好き。本当におもしろい貴重な人だった。デビュー前の東南アジア巡業での武勇伝はもっと詳しく録音しておけばよかったと後悔している。

 先生、大変お世話になりました。またいつか会いましょう。

 


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サミー前田 [MAIL]

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