世界お遍路 千夜一夜旅日記

2022年06月25日(土) 長岡花火の魂が死んだ、ただのありふれた観光花火になった、残念

3年ぶりの長岡花火だが、今年は無料席がない。(無料席こそ、長岡花火の心なのに)

理由は「感染防止のため」

やれやれだ。

生まれも育ちも長岡市民の人たちは、理由はどうあれ、河川敷が全部有料になって、閉め出されるとは思ってもいなかったろう。

子どもの頃、近所の人達と花火に行って、川岸に敷物敷いて見た記憶のある人も多いはずだ。大人は、酒飲んでいたなあ・・・笑

観光客が多くなるにつれて、市民のための無料席が少なくなって、場所は悪くなって、と不評だったはず。

そんな市民感情を気にもせず(花火財団とかいうお役所,利権組織?)お金持っている人しか入れない花火大会になってしまった。

河川敷や河岸で花火を見たくても,市民の誰もが数千円出してチケットを買えるわけじゃ無い。

年金生活の高齢者はこの物価高、花火に回しているゆとりは無いはず。

中・高生は無料席があったから、子ども同士で楽しめた。そして、空を見上げて自分の町の誇りを受け止めた。長岡ラブ♥を育んだはず。



そもそも、長岡空襲の慰霊とか鎮魂と言っているのに、懐事情に関係なく誰でも座って祈りを捧げられる市民席を無くしてどーすんの。本末転倒。

有料席を埋める観光客に慰霊されてもな、って天空で思っている御魂もおられると思うよ。

私は8/1日の早朝の慰霊祭が終わった頃に一人で慰霊塔にお参りに行くが、いまだに経をよんでいると涙がでてきます。亡くなられた方々に「憑依されたような」不思議な涙。

まだ善き天界に昇っておられないというか、悲しんでおられるというか、空襲によって断絶した自分の命を、理不尽を感じておられるというか、そういう御魂はおられると感じている。

それなのに、こういうコロナにかこつけた金儲けに走る(やっていることをみればそうでしょう,だからテンバイヤーが出現する)といいことは無いと思う。

天知る、地知る、人が知る・・・で、天変地異、大雨降ったり、台風来て信濃川がとんでもないことになったり・・・みたいな天罰食らうかも・・・なって思って怖い。

ま、そういうことが無いことを祈りますけど。

コロナだから、コロナだから、を言い訳にするんだったら今年も止めればよかったでしょ。「慰霊」の本気を見せるために、長岡市民無料の席を少しでもいいので、つくるべきだった。そこの利用者は中高生や高齢者優先で。稼いでいる世代はチケットを買えばいい。かんたんに金銭的に弱い市民を切り捨てるのではなくて、どうやってコロナ前のように入ってもらうかの工夫をこそ、考えるべきだったんじゃないのか。

もはや慰霊の花火とはいいがたい。偽善的。「慰霊と鎮魂」という言葉の形骸化。

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今まで、祭り終了後は、市民ボランティアで、河川敷や河岸の掃除していたけど、市民無料席を止めた時点で、これもちぐはぐ。これもやめるべきだ。掃除してくれる中学生が入れる無料エリアがない時点で子どもをかり出すな、といいたい。感染防止のために当然そうなりますよね。

長岡花火関係者は、もう一度「原点」を考えていただきたい。

無料席が育てた「心」(慰霊とという敬虔で謙虚な心情・自分の町への愛着心やプライド)をつぶさないでください。

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チケットの高値転売、のニュースを見て,無料席がなくなったことで心中思っていたことをついに書いてしまいました・・・無料席が無くなった事にはあ?とか、市民を置き去り、とかうっすら感じている人は多いと思う。ただ、当地は人目を気にする穏やかで気がいい人が大半だから、私のように口にしたりこんなふうに書いたりはしないけど。

ちなみに、今年は、フェニックス募金箱に1円も入れていません。そういう気持ちになれない。毎年、大きい方のコイン1個かお札1枚(英世さんの方)くらいは入れるのですが。

(※注・フェニックス・・・名物花火の名称)

多分、私だけではないと思う、こういう気持ち。

こういう流れが出てきて、市民の間で疎外感や反感?のような気持ちが生まれて広がっていくと、長岡花火未の未来は明るくないでしょう。

数日中に、もう少し短く、論理的に上記の内容を書き直して、また市長への手紙にして送信します。

以上ブログ記事の転載・・・でした。
「経済回すため」で上げる花火。といったそうな、市長だったか財団のトップだったか。違うよね。


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