| 2016年01月12日(火) |
ちら ちら ちら・・雪 |
終日、風情のあるふり方をしている。 寒の内だから降るのは当然としても、積もるふり方ではない。 いいのか、新潟の雪のない冬、怖いです。 地震もあちこちである。 昼のニュースだかで、大災害のあった地方自治体の首長のサミットで、それぞれの体験から得た知識や経験の交流・環流を、とか言っていたが。 サミットができるほど平成は災害が多かったんだね。 昭和に、そのようなモノがあった記憶はないし。 平成は・・・戦後レジームからの脱却が課題。 安保関連法案もその一つ。 決していいものとは思わないが・・「流れ」というモノかもしれない。 平成という元号になってからの災害の多さ・・・天皇の祈りがたりないと書いているブログもある。私もそうかもしれない、と思う。 占領下にアメリカ人の家庭教師がついた現天皇。 アメリカ的合理性を身につけて、祈れるのか、身を捨てて。 実に疑問だ。 皇后は、聖心女子大を首席だったという話、しかし、あのガッコは、洗礼を受けていないと首席にはしないらしい。 洗礼を受けたクリスチャンが、神道的祈り理解して実践できるのか? 戦後の占領時代の名残がまさに「平成」ではないか。 破磐神社の宮司さん、祈祷の前、お葬式や不浄があったときに海で裸で船をこいで汚れを祓う 身を清められる、亡くなった奥様の真理子さんが話しておられたが。 そういうこと、「平成」のお二人にはむずかしいかもしれないと思う。 それがこの異常に多い災害につながるというのは、オカルトだが、なんだかわかる気もするのだ。 祈りは力だから。 弟が危篤の時に、大勢の方々に祈ってもらった。 今生き延びている。 私は祈りの力がかなりあったと思う。 亡き弟が、お彼岸に一気に体調が悪くなって入院となったときに、やっぱりこの子の寿命はここで切れるんだな・・と覚悟をしたが、でも2ヶ月あまり生き延びた。 それは、私も含めて弟の親友だった御嶽山の宮司さん、友人や知人が祈りをくれたから、と思う。
アメリカでした実験がある。 患者AとB。 同じような病気。 Aは回復の祈りあり。Bはなし。 Aは回復が早かった。 だから、私は弟危篤の時に、ネット上で誰かのために祈る、という団体にまでお願いをした。(おぼれる者はわらをもつかむ)
だから「祈ること」は人間にしかできないとてもとても重要な行為なのだ。 千年来、この国の祭祀を司るおうちで心込めた祈りがなかったとしたら、この惨状は想定内ではある。
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