玉置神社の巨木たちに付着している着生木をどうするか、から村民と、宮司さんたちの対立が始まったらしい。 それは、ネットで検索したら、出てくるので詳細は省く。 宮司さんたちは、反対の声をほとんど無視するような形で、着生木を除去した。 神社の木に手を出すな、の言い伝えを遵守したい村民の怒りを買い。 でもって、例祭、地域の総代さんが半分以上出ていなかった。 いくら高齢化していても、自分たちの誇りとする神社のお祭りに出てこれないことはないはず。 心にいろいろあっての欠席と察せられた。 何しろ、宮司の顔色がよくない。晴れやかではない。 暗くて、人相悪かった・・・ さらに挨拶でボランティアの方が北海道から来てくださいました、ボランティアに感謝云々を3回も話された。 要するに、地元民に力添えをもらえなかったってことだ。 それと、気になったのは、今、神社の運営はは、地元からの「おかね」ではなくて、全国からの崇敬者のご祈祷、ご寄付等々から成り立っている・・地元は2%であると。 こういうことを,宮司さんが会報のようなものに書いておられる。 さらに宮司が例祭の日に話しておられるのをちょこっと耳にしたのだが「私は統計を取っています、全国に崇敬者は5000人はおられますよ」みたいなことば。 多分、もっとだと思うが・・個人的には。 しかし、会報に書いたことと併せて、それを口にして地元の方々を刺激するのはいかがなものか。 せっかく、地元十津川出身の方が宮司となられて、今度は和気藹々となるのか(今までの対立の根っこにはよそ者が俺たちの神社で宮司して勝手しているという感じのものが多かったような)、と思ったら、そうならなかったのが残念、と思った。 しかし、要するに玉置の地がそういう人の姿(魂)をあらわにする宿命を持った地なんだろうな、とも思うが。 木については、私も帰ってきてからずっと考えていた。 短期「科学的」にいえば、着生木をとった方が,樹勢回復かもしれない。 しかし、玉置の木たちに手を出すな、という言い伝えは何なのか。それはこの世の生きるもの(人間も含めてすべての命あるもの)の宿命に手を出すな、ということなのではないか、と思い至った。 命あるものは、絶対に亡びる。 それは確定的なこと。 数千年の命を持っている巨木たちにしろ、それは同じなのだ。 結論 木に手を出すべきではなかった、と私は思う。
考えて見れれば、どちらの立場の人たちもそれぞれ玉置神社のこと、巨木を思ってのことなのに、対立を深めているのが本当に残念。
以上、先日書いた玉置の木のお話とともに最近考えていたことの総括でした。 ・・・・ 花の都パリ、とんでもないことになっている。 射殺された実行犯の一人はシリアのパスポートを持っていたとか。 要するに、難民としてテロリストが入ってきているということ。 難民の流入は止まっていない。 ヨーロッパ、非常に危険な状況となっているのだと思う。 平和を謳歌して、旅できる時代は終わった。
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