玉置神社のご神木等々を巡って人間界ではいろいろとあったよう、というか いまだあるようです。 あそこは、あの地のエネルギーや空気が人間という生き物の卑小さを露呈するのか、なにやらいつも争っているような。 凄いところなのです。 だから、人はその心根というか魂を試されるというか。 そして、えらく恐ろしい(縄文的エネルギーに満ちた)カミサマにNGを突きつけられた人(宮司さん)は下界へ去る、あるいは霊界へ去るということになる・・・・ そんなことを10月の玉置神社例祭参拝で思いました。 例祭の次の日の方「後の祭り」の方が私としては気持ちよかった。 思いもかけず、後の祭りの正式参拝をしてきた。 もしも、来年もよんでくださるなら、また参拝したい。 と思う。 でもって、玉置から帰ってずっと考えていたことをお話にしてみました。 子どもたちの文を直すようになって、なんだか赤ペン先生になってしまって、長いことお話は書いていませんでしたが・・・神代杉に着生木が揺れていた頃の玉置を想って、生まれたお話です。。 今日はとりあえず、ここまで。 昨日六本木まで出張った付けで、やることたくさん、更に家の中も汚い汚い、チヨ?多分不在時にあちこちに吐いていたわ・・・それを発見してお片付けしないと。そこそこにはやったのですが・・まだありそう。チヨちゃん、ストレスです、まだ猫かわいがりが不足らしい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「お山の大きなスギの木は」
山のおくの、そのまたおくに大きな木たちが生きていました。スギという木です。でも、木たちは自分の名前なんて知りません。ただじっと立って生きている、生きてきた。それだけです。 立っているところは、お山のてっぺんちかくです。てっぺんから、はれた日には海が見えます。でも、木たちは知りません。だって、動いて見に行くことができないのですから。知らないまま、千年、二千年と生きてきました。 あるとき、木たちの森へニンゲンたちがやってきました。ニンゲンは、木をおそれました。そして、何本かに名前をつけました。大きな木にカミサマがおりてこられると信じて、そばにお社をたてました。おまつりもしました。 そうして また 長い時間がすぎました。 お社ができてから、いろいろなニンゲンたちが来ます。木たちをかまいもせず、でもそれなりに 大事にしてくれました。 木たちは、思っていました。 ニンゲンは風のようにいなくなる、と。動き回り、走り回り、あっという間に失せていく。木たちの中にできるネンリンというワが、百にならないうちに雲隠れしてしまうのです。 でも、それはしかたないこと、それがニンゲンという生き物なのですから。 木たちは、わかっていました。でも、話しかけてくるニンゲンたちのイノチが風のように、通りすぎていくのがさびしい気がするのです。話しかけてくるニンゲンたちにことばを返してやることができないのがさびしい気がするのです。 木たちは、ささやきます。 お社ができるまでは、こんな心持ちにならんかったなあ。 今日も一人のニンゲンがやってきて、いいました。 「ジンダイスギさんよ、こまったことになった、あなたにくっついている木をひっぱがすということだ」 ジンダイスギ、というのは、ニンゲンがひときわ大きな木につけた名前です。お社のうらにどっかりと立っている1本です。その大きな木のまわりには、他の木々がとばしてきた種が芽を出して育っていました。その子どもの木たちは大きな木をお母さんと思っています。ゆれながら、ときどき風が運んできたうわさ話をしてあげているのです。 「むかしから、木に手を出してはいかんというのが、ここのおきてだというのになあ」 どうやら、ニンゲンたちは争いをはじめたようです。小さな木たちをぬきとってジンダイスギを元気づけるか、おきて通りに手は出さないとするか。 ジンダイスギは、風にゆれながらいいました。 「このままでいいのだよ、小さな木たちは子どもだ、子どもを育てるのに親が元気をあげるのは当たり前だ、わしらとて永遠ではないのだから」 ほかの木たちも、こっくりこっくりうなずきました。 しかし、木の声は、ニンゲンたちにはとどきませんでした。 お山の木々がきれいな色にそまりはじめたころに、ジンダイスギの子どもたちはぬかれて、どこかに連れて行かれてしまいました。 大きな木は、なきました。 冬が来て、寒い寒いとぐちりました。そうなのです、小さな木は、大きな木にくっついて温めてくれていたのです。 そのとき、大きな木にカミサマのことばがひびきました。 かれて去るもよし、毛虫のようなニンゲンたちが去ってのち、また子どもを育てるもよし。すべては、おまえしだい。子どもを連れていったニンゲンは やがて 去るだろうよ。あれら いつもおろかし、イノチ,いつも はかなし。 お山に、大きな木たちよりもはるかむかしからいるカミサマの声でした。 ジンダイスギは、カミサマに聞かされたはかないニンゲンのイノチになきました。自分にくっついて育っていた小さな木たちを 思い出して なきました。そのかなしみに、ほかの大きな木たちもなきました。 お山は、そのとどろくようなひびきにおどろくあまり、お社の水を止めました。森にすまう けものたちも 耳をそばだてちぢこまりました。ざんねんながら、ニンゲンたちには聞こえなかったようでしたが。 また長い長い年月がすぎました。 ニンゲンたちにジンダイスギといわれたスギは いちだんと老いました。でも、大きな幹には、また子どもたちをくっつけています。風の運んできたうわさを子どもたちから聞いています。 風のように来ては去っていくニンゲンたちは、やっぱりまだおろかなようです。
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