さっきへんろ館をのぞいたら、妙絹さんが他界されたとめいおうさんが書いておられた. そうか…100歳近いか、すぎておられるはず. へんろみちのひとつの時代が、終わったかなあ. 宮崎さんが思いがけない形で彼岸に去られ、つぎは、妙絹さん。 なるほどな・・ わたしも期せずして、昨年で、「へんじょう」の執筆を辞退させていただいた。 読売の特集も、もうできません.今も、せめて1年に10日くらいお参りしているのだったらいいのですが・・と失礼した。 ぶっちゃけ、ここでいただいていた原稿料は塾の新学期宣伝費だったのでほんとにあり難かったのだが、お大師さんにもう自分でおやり、といわれているような気もしている。
愛媛の去る札所は、霊場会から抜けて自分でさまざま決めておられるらしい. 納経時間は、八時開始、昼休みありらしい。 抜けたということは、さまざまな義務からも逃れたということ、いやはや。 お遍路さんがきて(あえて参拝とは書かない)「お金」を落としてくださるのは受け入れますが(義務)は受け入れませんってことかいな. 欲のみじゃん.まさに、この世を写している気がするのだが… それとも もっと深い事情があるのだろうか。 こういう話を聞くと、やはり、ひとつの時代がおわった気がする。 でも、そんなわたしの思いは小さい. へんろみちは超然としてありつづけると思う. 人が悩み、想いをもつかぎり。 お大師さんではないが、涅槃つき、虚空つき・・・
今日は妙絹さんをしのびたい。 塾が終わってから、うちのお大師さんに祈ろう.
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