認知症の終末期ケアという新聞記事で興味深い内容を読んだ。 ガン患者で認知症の人は、末期であっても痛みを訴えないということ。 訴えないというより、「感じなくなっている」というのが正しいのか。 これもまた、神の采配?
用があってコンビに行ったら、臓器提供カードがグリーンになっておいてあった。 前は確か、ピンクだったら、イエローだったか。 で、1部いただいてきて、臓器提供をしないに丸つけ。 延命処置も希望しないと付け加え。 で財布に入れた。 わたしの年だと、すでに提供臓器に制限があるのではないか、と思うのだが、それでも希望しない。 わたしたちの存在自体が、天地神仏(永遠なる絶対者たち)の大いなる計らいで存在している。いわんや、臓器をや。 それをやるだのやらないのだの違うんじゃないかと思う。 やらない、というのも僭越なのだが、それでも、いまやほおっておくと勝手されそう。 といっても、私は声高に反対はしない。 たとえば、自分の親族に臓器移植すれば助かるという人がいたらさて、どう思うか。今必要としている人たちのお気持ちを思うと、神の分野云々とは大きな声ではいえない。 なんだか申し訳ないが、でも、私は、賛成できないのだ。 本能がノウ、といっている。 この、本能の言葉を私の理性は越えられない。 申し訳ない・・・・ 私は、献体をしたいと思っている。 その手続きをしようと思いつつ、まだしていないのだが。
本日も暑し。 しかし、風は変わっている。 秋っぽい。
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