世界お遍路 千夜一夜旅日記

2006年07月15日(土) 長岡空襲

子どもたちに聞かせる必要もあって、図書館から借りてきた「長岡空襲 60人の体験」という本を読んだ。
長岡空襲は、1945年8月1日夜10時過ぎより100分に及ぶ長岡大掃討戦であった。長岡は全滅した、といわれた。
当時7万と少しあった長岡の人口だったが、そのうちの1464人が亡くなった。まあ確認されている数で、実は1500人以上だといわれている。
防空壕にはいっていた人は蒸し焼き状態でだれがだれだかわからずに、野良用のフォークで遺体を突き刺して、盛り上げて荼毘に付したらしい。
一家全滅はたくさんあった。
平潟神社という市街にある神社でたくさんの方が亡くなったという話は私も小学校の時に聞いた。
しかし、当時はまだ今のように意識して平和教育が行われていたわけではなく、先生の体験談などが中心だったが。
勤務していた川崎の空襲や疎開地の子どもの暮らしなどは、教える必要もあってよく知っていた。東京大空襲などもこれまた教える必要があって本なども読んだ。
しかし、生まれたところの大空襲についてしっかと本を読んだのは、はじめてだった。
長岡祭りの花火の音、ちかちかするのはいやだ、焼夷弾を思い出す、とうちの母親がいっていたけど、この体験談にもそういう人が多かった。
生粋の長岡人が花火を何とはなしに醒めた目で見ているのはようするにこういうコトなんだ。
戦争で長らく中止だった花火大会を、慰霊と焼け野原からの復興というねがいをこめて戦後に再開したわけだけど、その原点を今の人たちはわかっているのか、という問いかけもあった。
そうだな、と思う。
それにしてもアメリカのやっていることって、今も昔も変わらない。
空から圧倒的な力で女子子ども関係なく一気に焼き尽くす。
それも、焼夷弾を落とす前に、空から重油の雨を降らして、それから爆弾を落として効率よく火の海になるようにしたんだよね。
ベトナムでの枯れ葉作戦然り、イラクでのクラスター爆弾や、なりふり構わない空襲然り、彼らは変わっていない。
野蛮だ。

JR福知山線の亡くなった方の家族のお話を文春取材班がまとめた本も読みました。
ウーン、疲れた。

朝から大雨。
ときどき止む。
今日は、父の月命日で、近所のお稲荷さんのお世話と決めている日なんだけど、朝がすごい雨だったので行きそびれて、さっきやっと重い腰を上げてしてきた。
恐かったのは、雨なのに、に日の夕焼けが異様にきれいだったこと。
なんで?
それにしても、全国的には、酷暑らしいが。


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