| 2006年06月26日(月) |
なんだか、ニュアンスがちがうんだけど・・ |
へんろ館のくしま氏がこだわっておられた「八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」・・・ウエブマスター日記を読んでビックリ。会が設立されて顧問に四国4県の知事とはネエ。まあ、名義貸しだけだろうけど。早坂先生は、例によって人寄せパンダだろうか。 こうなってくると、なんだか申し訳ないが、あれあれ?になるなあ・・・ 知事みたいな公的な人たちって、当然名前連ねて何もしないしなあ。 徳島の鴨島町の役場は「最後まで残った空海の道」とかHPで華々しくうたっているけど実際の道のメンテナンスはほとんどしていない(ようだ・・・2005年2月現在)。やっているのは、宮崎さん達だ。人のふんどしで相撲を取るってヤツ。 私は、HPにあそこまで取り上げる以上、もっと管理をして下さいと徳島をでてくる前に役所宛にていねいな手紙をかいたけど、なしのつぶてだった。 愛媛の柏坂の道は、それなりに役所ががんばっているから、評価はできるけど・・ 話もとい。 歌先生、私も1度だけお目にかかったことがあるけれど、素朴でやさしい感じの方だった。歌先生個人はいい感じだけど、それとは別に、私はヘンロ小屋プロジェクトって基本的にあんまり賛成じゃない。 理由として 1 メンテナンス・・・ますます高齢化が進んでいるのに、この先だれがお世話するのよ、といいたい。つくる以上はそこまでの手当と見込みをもってほしい。つくって終わりって、地元には負担、と思うのだ。 現状維持だけでも、掃除、安全上の問題など、さまざま大変なはずだ。あるいは、例えば何かあったとき責任の所在は・・・ということが浮上してくるはず。そのとき、どうする?最終的に、町や村の巨大粗大ゴミ化しないようにしていただきたいなあ・・と思う。 2 ヘンロ小屋を造る目的の一つに仮眠のためとうたっているけど、今あるヘンロ小屋で仮眠所として活用されているのって、いくつくらいあるのかな? 実際は、地元の人達が夜はだれも入れないように施錠しているところが多いのではないか。こんなご時世だから、いくらお四国の方々といえど、自分の家の隣に遍路という名の見知らぬ人々がたむろうのは不安なときがあるはずだ。 地元の人が、個々に、あるいは「千人宿」のように何か思いがあっての小屋とか、ぜんこん宿だったらわかるけど 88カ所、地域性を生かしてみんなちがうくつくりたいって、建築家歌先生の仕事への業的な思いかも知れないけど、ハタメ的に見ると「構想」とか「プロジェクト」と冠をつけて進めるものなんだろうか。疑問を感じる。 遍路道の状況は、時代によって変わるのはよくわかるが、何より私は、今後、つくったものが地元のお荷物にならぬかと心配に思うのだ。 「八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」などと公共事業のごとくいわずに、細々地道に・・で、地元の声に応えていたら気がついたら88カ所になっちゃったよ・・だったらわかるし、あの歌先生の雰囲気にも合うんだけどなあ。 なんでこうなったのか。 このハデな形が歌先生の夢だったのかな? 形あるものは滅ぶ・・・21世紀は、すでにブツの時代ではなくなっているでしょ、実は。滅ぶものではなくて、お遍路さんとあいさつをする、お遍路さんと言葉を交わす、お遍路さんが困っていたら助ける、遍路道を守っていく心・・・といった目に見えないけれど、今まで遍路道を支えてきた思い(精神文化)を継承する何かを(例えば、公教育の中で、地域学習として)やれないものだろうか。 (え、もうやっているって・・・ハイ、すみません)
●遍路を文化遺産に・・の運動 仙遊寺の住職さま、私は好きだし尊敬もしていますが、この運動に関する限りウーン。だって、無理だもん。現実的じゃない。 世界遺産をまわればわかるけど、まずブツの現状維持がどれだけきちんと為されているか、なんだわ。 なりたかったら、すべての四国遍路道を地道にすればなれる可能性がでてくる。 あの熊野古道だって、実は全道が世界遺産になっている訳じゃない。 中辺路の近露あたりは指定されていない。理由は、舗装道だから。和歌山県が地元民の反対をおしきって舗装にしたところが削除されたわけ。行政の愚かしさよ、ですが、まあ世界遺産指定というのはこれほどむずかしいというか「古」が残っていることが重要になる。 ベトナムの古都フエの世界遺産なんて、ベトナム戦争の弾丸のあとなどがすべてそのままで修復されなくて世界遺産だった。あれ、修復していたら、なれなかったかも、だ。 遍路道は90%以上が舗装道で、お寺は建物を次々と更新していて、10年前と別寺のようになってしまったところもある・・・なれるわけありません。 そんなものにならなくても、遍路道はすばらしいのだし、いいんでないのと思いますが。 ・・・・ 今日は少し厳しいこと書いちまいましただ。 お休みなさい。
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