おひさまの日記
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2005年08月02日(火) 昔の私が今の私にくれた贈り物

昔、マツダの営業で車売ってた頃のことを思い出した。

すごく厳しい店長の下で、
評価の基準は勤務態度と売り上げ、甘えや感情論は抜き、
成績が落ちれば怒られ、
だらければソッコー呼び出されガツンと一喝、
言い訳抜き、女だからって容赦なかった。
上下関係も厳しくて、モロ体育会系。
お客様からクレームがあれば、どんな事情でもまずは謝罪、
玄関で土下座したこともあった。

今思えばよくやってた(笑)

でも、楽しかったんだよねぇ。

そう言えば、マツダを辞めて、主婦やって、セラピストになって、
私はそういう社会の厳しさってもんにさらされてなかった。

しかも、心理や精神の世界に入ると、
それまでされることなんてほとんどなかった共感共鳴をしてもらえて、
心は天にも昇る気分だった。
あなたは悪くないよ、つらかったね、って言われたら、
それまで自分の背後に隠れていた甘えん坊の自分がようやく顔出して、
そうなの、そうなの、って喜んだわけさ。

でも、気がつくとそれに甘んじていた自分がいた。

昔、マツダにいた時みたいに忍耐強くないし、
なにかあった時に、何クソって食らいついてくハングリーさを失ってた。
成長したいとか言うクセに、成長のためのムチを与えられると、
ひどい!とか言って犠牲者モードに入ってしまっていたかもしれない。

そして、ちょうだい、ちょうだい、の人になってた。
ちょうだいして、それをくれない人をすごく憎んだり、怒りを向けたり。

私、甘ちゃんなぬるい場所にいたなって思ってた。

それに気づいたら何かがスコーンと抜けた先月。
なんだか自分に起こっていたイヤなことがどうでもよくなった。
そして理解した。
なんだ、私犠牲者になってたんじゃん、って。
犠牲者になって、相手を責めたり、何かを要求してばかりだったかもしれない。

そんなことを思ったら。
少し前まで、ひどい!わかって!って思ってた師の、
私への思いやりや、見守ってくれている見えないやさしさ、
忍耐強く私が気づくことを信じて待ってくれてる懐の深さ、
そんなものも見えてきて、自分の非礼と未熟さを謝ったりもした。

なんだか、あのマツダにいた頃のワクワク感が戻った気がした。
やったるで!見とけよ!みたいな。
ムチにだって食らいついていきまっせ〜!負けないよ〜!
って、そんな感じ。

ああ、そうだった。
車が売れなくて店長にがっつり怒られて、
ショールームの端っこで泣きながら、
「車売って見返してやる!」とか思ってたっけ。
時にはつらくてもう辞めようなんて思いながらも、
それでも続けてたっけ。

今は、感情を扱う仕事だから、感情をとても大切にするけれど、
その感情に取り込まれ飲み込まれ、自分を見失うことがいちばんこわい。
感情を大切にするがあまり、
人としての礼儀やマナー、社会に通用する人であり続けること、
そんなことを忘れてしまってはいけない。
感情を大切にしながらも、遵守すべきルールや人としての在り方は、
確固たるものとしてそこにあるのだと思う。

取り戻そう、あの気持ち。
ボロボロだったあの頃に、今よりもっと素敵なものを持っていた。
それは昔の私が今の私にくれた贈り物。

あの頃は結構ココロ病んでたけど、
それでも夢中で生きていて、その中で私はいい経験いっぱいしていた。
それが今の私に大切なことを教えてくれる。

生きている中でムダな時間なんてきっと1秒だってないんだ。

ありがとう。
あの頃の私。
あんたは立派だったよ。
あの頃なりに立派だったよ。




私が振り返った過去は、あくまで私の過去であって、
私のような働き方とか職場の環境がいいってことじゃないんだ。
人にはそれぞれの過去があって、それぞれの体験があって、それでいい。


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