おひさまの日記
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| 2005年06月30日(木) |
まだまだ感じてなかったんだ、自分の本当の気持ち |
苦痛のある人間関係を目の前に、 与えるということはなんと難しいことだろう、そう思った。
少し前の日記にも書いたけど、 私は「人に愛をもって接する」とコミットした。 宇宙ってとってもクイックレスポンスで、 私がそうコミットしてすぐに、難題を投げてきた。 ある不愉快な人間関係。
私の頭には「愛をもって接する」という言葉が浮かんだ。 相手にそれをしなくちゃ、って、私は思い続け、葛藤した。
相手の言動で傷ついて、感情は揺れ、心は乱れ、 とても愛や思いやりを与えていくような気分じゃない。 けれど、私は自分のコミットをなんとしてでも守りたかった。
私はぐるぐるぐるぐる考えた。 ひとつだけわかったことがあった。
それは、コミットのもと葛藤していた自分のふたつの気持ちが、 どっちもエゴだってことだ。 「愛をもって接するなんて無理だと思う自分」も 「愛をもって接していこうとする自分」も、 どっちもエゴ、嘘っぱちの自分、ねつ造されたインチキな自分だということ。
そして、それに気付いた途端、なんだか目の前が晴れた気がした。 なんだかよくわからないけど、どっちも自分じゃないや、そんな感覚。 きっとこの答えの続きはまたやってくるだろう、そう思っていた。
案の定、翌日に答えが来た。
私の携帯が鳴った。 その電話の声は言った。
「ずっと辛かったんだね。 ガマンしてたんだね」
私は一気に泣き崩れた。
そう、そうなの。 それを知ってほしかったの。 ずっと辛かったの。 ずっとガマンしてたの。 だって、そういう立場だと思ってたから。 でも、ずっと辛かったの。
私の中にそんな想いがわき上がってきた。
ずっと押し殺してきた想い、感情。 そうか、これが私の本当の気持ちだったんだ。 これを知らんぷりしてたんだ。 まだまだ感じてなかったんだ、自分の本当の気持ち。
ここ3ヶ月近く、私はひとつの「ねばならない」を自分に課せてきたことに気付く。 それはその相手を「愛さねばならない」ということだった。 「愛してあげなければならない」という気持ちに近かった。 そして、それはある意味相手への侮辱でもあったかもしれない。
けれど、本当は、相手に愛をもって接する前にもっとすることがあった。 それは、私が相手の言動で不快になったり傷ついたりしていることを認めることだった。 そして、そんな自分の中をもっとよく感じ、 自分を理解し、その理解の元に相手とコミュニケーションをし、 相手を理解し、その理解の元にお互いの中にある溝を埋めることだった。 その結果、自然に自分の中から自然に相手への慈愛が生まれるだろう。 そして、礼節をもってそれを相手に与えていけばよかったのだ。
もし、それをしていたら、 「愛さねばならない」のではなく、 自然に愛おしい気持ちが湧いていたはずなのだ。
ここ最近になって相手との間に浮上してきたごたごたが、 実は3ヶ月近く私の中で起こっていた葛藤の象徴だった。 一見いびつながらもなかなかうまく運んでいたかのように見えた私とその人のと関係は、 実は薄氷の上を歩くようなあやういものだったのだ。
そんな私の心は、本当は辛かったこと、腹立たしかったこと、悲しかったこと、 それを全部認めてしまってとっても穏やかで、 その上で、今あらためて相手のことを遠くから見つめて考えている。 自分の痛みを受け入れたことで、相手の痛みも容易に受け入れられた。
今なら私は自分がコミットしたことをようやくできるのかもしれない。 もしもう遅くても、間に合うとしても、もうどちらでもいい。 それはきっと流れが決めることなのだろう。 私はただこの流れに身を任せることにした。 私が素の自分になった時、真実が明らかになるはずだ。
その相手との関係において、 無意識のうちに相手にとってのいい人になりたくて、 自分ではない自分で過ごしてきた私は、何もかもわからなくなった。 どうしていいかわからなくなった。 当たり前だ。 本当の自分の感情を無視していたのだから。 たとえ無意識にでも。
なんてシンプルなんだろう。
本当の自分の気持ちを無視しているとすべてが滞っていく。 たとえ滞らずしても、流れは本来の目的とは別の方へと流れてゆく。 それだけのことだ。
一体何度同じあやまちを繰り返すのだろう。 そんなことを考えた。
けれど、こうして何度も同じあやまちを繰り返すことで、 次にまた同じあやまちを犯した時、 私は今日の日を思い出し、もっと早く抜け出すことができるだろう。 その次はもっと早く、そのまた次はもっともっと早く、 きっと抜け出すことができるだろう。
そして、このごたごたの行く末は大きな流れにゆだねた。
「愛をもって人と接する」というコミットも大切だけど、 その前にもっと大切なのは、やっぱり自分の本当の気持ちを感じることなんだな。 それなくしてはそんなコミットもただのキレイごとにしかならない。
自分を感じること、なんてシンプルで、なんて難しいことだろう。 でも、あきらめたくないのだ、それだけは。 自分のために、すべての大切なもののために。
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