おひさまの日記
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| 2005年05月15日(日) |
エゴのフィルターが作り出す現実 |
私達が現実だと思っているものは、 私達が現実を見る時に通したフィルターそのものだ。
エゴのフィルター。 エゴ、と言うとヘンなイメージもあるけれど、 つまり、自我、自分自身の想念や観念。
恐れや不安のフィルターを以て現実を見る時、 それは、恐れや不安に満ちたものとなり、自分を脅かす。
この不安や恐れは、過去の体験に基づき生まれるもので、 過去に起こったなんらかの不快な体験が、 また未来にも起こるのではないかという恐れだ。
慈悲や慈愛のフィルターを以て現実を見る時、 それは、愛に満ちたものとなり、もはや自分を脅かすことはない。
この慈悲や慈愛は、癒しやなんらかのプロセスで自分の痛みを知り、 それを受け入れ肯定し、それらを体験することで、 人にもそのような痛みがあることを理解して生まれることもある 私達人間が本来持っている感情だ。
同じものを見ていても、 通すフィルターによって現実はまったく別のものになる。
例えば、だ。
誰かの悪口を言い、激しく攻撃している人がいるとする。 自分も攻撃されたらどうしようという恐れと不安の気持ちで見る時と、 この人は本当にイヤな思いをしたのだなと理解という慈愛の気持ちで見る時と、 同じ人を見ていても、前者と後者では自分が受けるダメージが違う。
想像してみよう。
自分の現実が違ってくる。 同じひとりの人間を見るという行為だけど、 見る時にはさむフィルターの種類によって現実の感じ方が変わるのだ。
仮に、慈愛の気持ちで相手を見たとしても、不安は残るかもしれない。 けれど、精一杯の慈愛を相手に送った後に、 もし、自分が攻撃され、傷ついてショックを受けこそしても、 自分が慈愛の人であることを選択したことによって、 私達は真の意味では傷つかない。
私達は、自分が多くに傷つき、多くを恐れ、多くを攻撃するように、 他人もまたそうであると知ることができる。 衝動的に湧き上がるネガティブな恐れや不安を越えて、 意志の力によってそうであると認識することができる。 そして、その認識を自分の視点として相手に与えることができる。 それを本当の痛みを知った者が心から行う時、 愛が時空を超えて相手にも必ず伝わる。
その時、私達は、 他人に与える愛に満ちた視点にもまさる、 安堵と心地よさという自分への贈り物に気付くだろう。
それもエゴによる現実の創造なのだ。
私達は自分にとってよきもののためにクリエイティブであることで、 自分達の周りにいるすべての存在に、 愛と思いやりを持って接することができるようになる。
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