おひさまの日記
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2005年04月18日(月) 会いたかったよ

4月16日、17日の2日間、
また中島先生のワークショップHEARTが開催され、
そこで私は決して今までで会うことのなかった私に出会った。

ここしばらく、自分のインナーチャイルドをイメージすると、
口の聞けない無表情な小さい私が浮かんできていた。
私が好きな方法は、ドアを使うイメージなんだけど、
そのドアの向こうにその子がいるのね。

その子はドアを細く開けて顔を少し出してこっちを見ている。
何を問いかけても返事はなく、ただ押し黙っている。
辛かったね、苦しかったね、助けてあげるよ、そう伝えても、
その子は眉ひとつ動かすことなく無表情でじーっとこっちを見ている。
睨んでいるかのようにも見える。

そして、近づこうとするとドアを閉めて姿を消してしまう。
決して心を許さない小さな私。

自分の中に「癒されたくない自分」がいることは薄々感じていた。
そして、それがその子なのだろうか…そんなことを思った。
頭ではわかっていた。
「癒されたくない」んだな、その子は、その自分の部分は、と。
だからこそ、色々な試みをしたつもりだった。
セラピーもいっぱい受けてきた。
ワークショップにも参加してきた。
私はその子に、精一杯共感して味方になると言い続けた。
だから出ておいでよ、って。
でも、その子は出てこなかった。

ワークショップの2日間で出会ったのは、まさにその子だった。
そしてはっきりとわかった。
なぜその子が口もきかず無表情だったのか。
私がどんなに声をかけても反応なく消えてしまうのか。
それが一体何を訴えたいたのか。
はっきりとわかった。
私は愕然とした。

その子と出会ってみて、今、思う。

前触れがあった。
今思えば、私はその子に出会うために必要なプロセスを辿っていた。

私は少し前にある女性に出会った。

シャドー(投影)という言葉を知っている人も多いだろう。
今思えば、彼女はまさに私のシャドーだった。

シャドー、それは、自分の中にあって、自分では認めていない自分の姿。
自分が否定している自分の姿。
それを相手に見る時、人は激しく反応する。
自分で罰している自分の部分を見るので、
相手や、相手のその部分を非難したり攻撃したくなる。

私は彼女に私の中にあって「ない」と否定している自分そのものだった。
私が認識することなど全くない自分の姿だった。
見ないようにしている自分そのものだった彼女のすべてが、
とても気になるものでありながら、とても否定したいものだった。
時にいじめたくさえなっていたかもしれない。

彼女は時折無表情で心を閉ざしている。
もちろん社会人としてはしっかり機能しているし、
普段の会話なども普通にするし、人に対してとてもやさしい心遣いもできる。
ただ、自分が大きな虚無を抱えていると言う。
彼女の生い立ちは、それを彼女がどう捉えていようと、
私からするととても悲惨なものだった。
虐待よりも傷が深いと言われるネグレクトに近い扱いを親に受けてきた。
自分が存在することを認めてもらえていないような人生だった。
そして、誰よりも癒しを求めながら、誰よりも癒しを拒絶していた。
それでも何かを求めて生きていた。

私は彼女と何かを共にする時、激しく感情が動いた。
今思えば、だ。
私は自分の感情が動いていたことを認識しようとしていなかった。
いや、気付いていたのだろうけれど、
その認識にもっともな理由をつけて正当化し、
彼女に反感を感じたり、否定や批判の対象とした。
そして、無意識のうちに攻撃していたのだと今ならわかる。

それなのに、彼女に近づきたくて、好きになってほしくて、
私はあれやこれやとやりとりをしてきただのだと思う。
でも、彼女の心はそんな私から離れていったのだろう。
私はなんと不器用でつじつまの合わないコミュニケーションを
彼女にしていたのだろう。
自分でも信じられないくらいに、
彼女とのことになるといつも気持ちがぐらぐら揺れていた。

そんな矢先にワークショップの日は訪れた。

初日、色々なワークが次々と行われてゆく。
私の心がざわざわし始める。

2日目、朝のスタッフミーティングで、先生から
「今日はどんな感じですか?」
と聞かれた。

私は
「昨日のワークを終えて安堵感があるけど、まだ何かある感じ」
と答えた。

「その何かを感じていってください」
先生にそう言われて私の中に浮かんできた言葉は「助けて」だった。
私が先生に「助けてっていう感じです」とう言葉にすると同時に、
涙がどっと溢れてきた。

え?
私は驚いた。

「助けて」という感覚を泣きながら感じていくと、そこに出てきたのは、
あの無表情で口をきかない、私の中のインナーチャイルドだった。
そして、私は壊れたように号泣した。

少しすると悲しみが消えた。
そして「もうスッキリしたからいい」という言葉が私の口から飛び出した。
その時私はすでにもう5歳の私になっていた。
そう、その子は5歳の私だったのだ。

悲しみが消えると同時に、頭と肩が一気に重くなった。
先生はその重さを感じていくようにと私におっしゃった。

感じていくと、ごつごつの岩石が頭や肩にあるような感じだった。
「その岩石の中に何があるのかを感じてください」、そう言われ、
岩石の中を感じていった。

その瞬間、私はまたわーっと声をあげて泣き出した。
その岩石の真ん中には、胎児のようにうずくまって動けない、
今にもこと切れそうな5歳の私がいた。
その私の胸の辺りには、赤いキレイなハートがあった。

「その赤いハートを拡大していって中に何があるか感じて」
先生の言葉のままに中を感じていった。
すると、そこには笑っている父がいる。
そのそばには、笑う父が嬉しくて泣いている母がいる。

5歳の私は、
そのハートがあるからかろうじて命を保っているかのようにも見えた。

「お母さんの中に入ってみましょう」
先生の言葉通り、母の中に入った。
すると、田んぼの真ん中で泣いている母の姿があった。
まだ10代の頃に親の都合で無理矢理全く知らない男と結婚させられ、
嫁いだ先で虐待されている母だった。
母の初婚はそんな結婚で、私は2度目の結婚で生まれた子供だった。
母は「お父さん、お母さん、助けて」と泣いていた。
父の暴力に怯えて逃げる場所もなく
苦しみの中でただ息をしているしかなかった母の姿が重なった。

「お母さんどうしてあげたい?」
と先生に聞かれ、私は答えた。
「助けてあげたい!」

少しして私は急に冷静になり言った。
「無理、助けられない」と。

「助けられないの?」
という先生の問いに、
「だって、お父さん、怒るのやめないから無理、助けられない」
と答えた。
「だって、お父さんに何度も怒らないでって言ったのに、やめないから。
 お父さん、もう怒らないって何度も約束したのに、嘘ついてまた怒るから。
 大人は信じないよ。
 嘘つきだもん。
 絶対に信じないよ」

「大人の恵美さんがいるよ」
そう先生がおっしゃると、私は即座に答えた。
「あの人いつもこっち見てる。 
 でも信じない。
 きれいごとばかり言ってる。
 助けてあげるとか、味方だとか言って、
 全然私のことわかってない」

そこで、ワークショップが始まる時間がすぐそこまで来ていた。

先生は5歳の私におっしゃった。
「そうか、信じられないんだね。
 あのね、じゃあ今日は一緒にワークに参加してくれる?」

私は黙ってうなずいた。

ワークショップの2日目が始まり、深いワークの中に身を置きながら、
私はいかに自分が自分を虐げてきたのかを知った。

心から思った。
会いたかったよ、って。
私が会いたかったのはあなただったよ、って、
5歳の私に伝えた。
心から謝った。
無視しててごめんね、わかったふりしててごめんね、
気持ちを理解してあげようとしなくてごめんね、って。
でも、今日からは、本当の意味で味方になるよ、って。
あなたがイヤならこっちこなくていい、黙ってていい、
でも、遠くからでも見てるよ、心はそばにいるよ、って。

5歳の私になって体験したのは、私の記憶に全くない自分の感情だった。
全く、これっぽっちも、覚えていなかった。

私は驚愕した。

こんな気持ちでいたなんて。
そして、親を信じられず、誰にもどこにも助けを求めることもできず、
ひとりで頑になることで自分を守ってきたなんて。
母を守れない無力さに自分を責めてもいた。

癒されるなんてあり得なくて、
それは大人を、私自身を信じられなくて、絶望していたからで、
助けてほしいのに、助けを求めることさえイヤになっていたなんて。
それでも痛みはそこにあって、
後ろを向きながら、小さい背中から声なき声で助けを求めていたなんて。

会えてよかった。
会えて本当によかった。
会いたかったのはこの小さな私。

これから、このインナーチャイルドとのプロセスが始まる。

その第一歩として、私のシャドーだった彼女に電話をして、
私の体験と感じていることを正直にシェアし、
私がどれほど彼女を好きでいるか、必要としているかを伝えた。
そして、今までしてしまったであろうひどいことを詫びた。
そのひどいこととは、表向きは正当なことだったかもしれない。
でも、その裏に潜む私の悪意を心から詫びたかった。

彼女も私を好きだと言ってくれた。
好きなのに近づけなかったと言ってくれた。
伝えたいことが伝わらなかったと。

それはインナーチャイルドの想いと同じ。
彼女は私。

私達は、私達がなぜ出会ったかの意味を理解した。
そして、その目的のためにお互いに向かい合う関係をようやく手に入れた。
それまで、彼女の傷はあまりに深く、私の傷はあまりに遠かった。

人にすることは、自分にすること。
私は彼女に自分が気付いた本当の自分のありのままを伝え、
インナーチャイルドへのメッセージとした。

人は、愛を求めるが故に傷つき、心を閉ざし、
閉ざしながらその愛を切に求める生き物。

もうひとりにしない。
もう辛くさせない。
私は5歳の私をもう見失うことはない。
会いたかったよ。

私はイメージの中でその子にアイスをあげた。
その子はそっぽを向いて黙ってそのアイスを食べた。











長いのに最後まで読んでくれてありがとうね。

昔、高校の頃の作文の添削で、
あなたはなんでもないことをドラマチックに書く、とか、
自己陶酔している、と言われたことがある。

そうかもね!(笑)
アリや〜、アリ、アリ。


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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