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宮沢賢治の詩に 血がどばどばでてるのに心は愉快に透明な心持ちだ、 というのがあります。先生すいませんねえ、出血多量で 言葉でないけど。とかのんきにあやまっておる。 わたくし時折その心持ちにすごく憧れるんですね。 ああ、1分、いや30秒でもいいからその『透明な心持ち』に なれないかな、と思うことがある。
でもきっとその透明な心持ちというのは 人生いろいろ生きてきて果たすべきことを果たしたことへの報酬と 存分にやったと言うある程度の自分への満足感があってこそ 訪れるものなんでしょう。 だからきっとわたくしにはまだまだやらねばならないこと、 体験せねばならないことが沢山あるのだと思う。
でもやっぱり、どうしても気分的に逃避したい時は出てくるもので、 その透明な心境でいられればどんなに冷静に事態に対処して おちついていられるだろうかとも思えるのです。
そんでもってきっとバッハのG線上のアリアとか パッヘルベルのカノンはその透明な心持ちを表わした曲なんじゃ ないかなと勝手に決めつけてます。この曲聴くとなんとなく 透明とまではいかなくても、白に近い心持ちに近付けるので。
末期の透明な心持ち。 もしかしたらその瞬間を味わうために人は生きているのかもしれない。 少なくともわたくしはそうです。
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