Kenyu日記
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音楽とチャネリング by KENYU/ケンユー
よく音楽はチャネリングで作られるといいますが、ぼくもそのとおりだと思います。クラシックなんかも演奏するジャズピアニスト、キースジャレットも30年前に「創造主なる神が私をとおしてこの音楽をもたらした」などと言ってました。 バッハもベートーベンもモーツアルトもラベルもドビュッシーもみ〜んなそうだと思います。
じゃチャネラーだったらだれでも作曲とかできちゃうのかという疑問がわいてきます。レアなケースではそういうのはあります。以前音楽の素養のないあるチャネラーにモーツアルトが入って未完成の交響曲を完成させたなんてことがありました。
しかし基本的にはその人の、音楽家としての能力を極端に超えたものは出てこないというのが一般的なところでしょう。
たとえば、和音を3つ(ドミソ、ドファラ、シレソの三つとか)しか知らない人は、チャネリングしてもそれを三次元に表現するとき和音を3つしか使えません。だから、その範囲でインスピレーションを表現しようとします。すばらしい作品が出来ることもあれば、ちょっと…という作品の場合もあるでしょう。しかし、その和音3つの限界をを超えたものは基本的には出てこないということです。
そこに僕たちの努力とか精進の意味があるのだと思います。沢山の知識や技術があれば、その分だけ、あちらの世界の音楽に近いものを三次元に具現化することができます。 ちなみにプロが使用する和音はざっと数えても600種類以上はあります。その分だけ表現の幅が広がるというわけです。(もちろん和音を使用しない音楽的手法も、とても大切ですが)
よく「これはチャネリングで作りました」と言っているのを聞きます。確かにそうかもしれません。しかし前述の理由で、その作品がどの程度素晴らしいかということとは、それほど関係ないようです。(素晴らしいものも、そうじゃないものもあります) さらに、どの辺りの高次とつながっているかということもあるようです。それに、だいたい、ポップスだってロックだってジャズだってみんなチャネリングで作ってますから〜!(なぜかギター侍風!)ぼくが思うには、サザンやミスチルは絶対そう。
時として、あちらとつながって、とてもすごい作品ができることがあります。それは、しばしば自分の能力をはるかに超えているものです。そんな時はほんとうに涙が出てきます、というか、実は涙を流しながら創っているんですが。…恥ずかしいから内緒。(*^^*) それは嬉しいとか感激とかいう実存レベルの感情を超えた、至高体験に近いものです。(感謝!) たったひとり、窓のないスタジオで何故か涙を流し作曲している姿、端から見ると絶対変(^^;
自分でも、後で聞いて「すごいなあ、いったいどうやって作ったんだろう?」って思う作品も少なからずあります。(変だけどほんとにそうなんですよ)そんな作品はまちがいなくとても高いところと繋がってできたものだと思います。 みなさんが聞いて、あっこの曲きっとそうだ、と思ったあの曲も、あの曲も、もちろんそうです! 不断の努力と天に全てをゆだねること…、あれ?「人事を尽くし天命を待つ」ってまんまじゃないですか。 ここまで来るのにうん十年もかかったのに…。昔の人は全部知ってたのね。
ここで一句
どこからか また聞えてる だから言ったでしょ (超字余り)
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