旅行から帰ってきて、モーヴ会の友達から留守電があったので 電話をすると、先日わたしが搬入をした絵の中でHちゃんの絵が なくなっている、とのことだった。 青少年ホームか実家に置き忘れ、という疑いが強い。
私自身が結局バイトを休めなくて、当日の搬入を母に頼んだので はっきりとしたことが言えないし、 私とやっちゃんが青少年ホームから実家に運んだ中に Hちゃんの絵が確実にあったのかどうか、とっさに言える自信もなかった。
とりあえず現場に行かなくては、と思い 朝、青少年ホームが開いていることを電話で確認し、 高速を使い稲沢市に向かった。 約一時間の運転のなか、記憶をたどってみる。 私とやっちゃんが青少年ホームから実家まで みんなの絵を運んだ日のこと。
Hちゃんは、ギリギリまで絵を描く予定だったけれど 間に合わなかったらそれを出すのをやめて去年のにすると言っていた。 私が行ったときは、ギリギリまで描くといっていた絵はなかった。 「あきらめたのかな?」と思い、 去年の絵をかわりに車につんだ、つもりだった。 何度も確認したはずだったけど、 車につんだ時点では、もうひとつ大きな(?)事件があったので そちらの印象が強く、確かにつんだ、とはっきりとは言えない。 事件、というのは、 同じくギリギリまでねばって描いてたK嬢の油絵。 前日まで描いていたらしく、まだ乾いていなかった。 運んでいるうちに、私のシャツとやっちゃんのジャケットに その絵の具がついてしまったのだった。 それから、家にもって帰りすべての作品の裏側に 名前と題名そして「モーヴ会展」「青少年ホーム」と書いた紙を貼った。 その時の記憶も少しあいまい。 K嬢の絵は強烈だったのでしっかりと覚えているのに。 ・・・そうK嬢の絵は絵の具でベタベタだったので 額縁も選んで入れたのだった。 ガラスと絵がはなれているもの。 そういえば、もうひとつの額縁はガラスと絵がピッタリとくっついていた。 そうだ、それがHちゃんの絵だ。 ということは、ちゃんと実家までは運んでいるんだ。
などと考えているうちに稲沢に着いた。 まず実家。 絵を置いた部屋をみるが、なし。 そして青少年ホーム。 やはり、ない。
そして展覧会会場の荻須記念美術館へ。 すぐに小品コーナーに入りざっと絵を確認すると・・・、
見覚えのある絵と額縁が飾ってあるではないですか。 「あった・・・」 絵の題名の名札を見るとHちゃんとは全く違う名前が貼ってある。 「?」と思い額縁のウラを見てみた。 私があの日、はりつけたカードがしっかりとありました。 Hちゃんの絵です。
会場の係の人に言って名札を変えてもらい、 先生に伝言してもらうようにお願いしてきました。
間違いは誰にもあることだからおこらないようにしよう。 絵はなくなったわけではなかったし、ひと安心だ。 いつも搬入係をすることだって、 10年も先生のところで絵を描いているお礼のようなものだから。
さっき、やっちゃんがPCの前に座る私のところに来ました。 私が「今日のことを書いてるの」と言うと 「身内の悪口をいうのは天につばを吐くのとおなじことだぞ」と言う。 「そのセリフ、今日ラジオで片岡鶴太郎が言ってたよ」 と教えてあげた。
そのやっちゃんのことを、また書きます。
今日は稲沢に行ったりしていましたが、 夕飯をやっちゃん両親と食べることになっていました。 やっちゃんは、いつものように家の中のかたづけのほとんどをやり、 夕飯の支度もほとんどやってくれました。 そして、みんなで昨日のおみやげのカニを食べたのでした。
やっちゃん両親を実家に送り、戻ってきたやっちゃんとみーちゃんは 二階でどたばたと「たたかいごっこ」。 私は「のんびりと片づけしよう」と思い流しで洗い物をし始めたとき、 やっちゃんが深刻な顔で 「みーちゃんの様子がヘンだよ。見に来て」と言う。 突然、おかしくなってグッタリしているらしい。 あせって二階にいくと、グッタリとねているみーちゃんがいた。 だけど、私にはやっちゃんの言うように様子がおかしい、とは とても思えなかった。 ふつう、だった。 二人の話を少しずつ聞いているうちに、 「なんで私、二人のケンカの仲裁みたいなことしてるの?」 という気分になってきて、ブツブツと文句を言った。 自分が勝つまで何度もたたかいを挑むみーちゃんと、 ぜったいに負けてあげないやっちゃん。 へそをまげるみーちゃん。 「だけど、ほんとうに様子がおかしかったんだってば」とやっちゃん。 そうだったのかも知れないね。
だけど、ほんとうに具合が悪くなったのでなくてよかった。
そして結局、片づけはやめて流しはそのままだ。 ほんとうは片づけなんて、したくなかったし。
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