夏目久美の生きてりゃ上等!



夏目久美の生きてりゃ上等!


BACK INDEX NEXT

●KUMI NATUME●
2003年04月27日(日)    欠落と孤独と治療法



 ずっと昔から考えてた事があるなあ。



 生きてる世界は、案外狭いものだから。

 会社なら会社。友達なら友達。家族なら家族。学校なら学校のクラスだけとか。

 決まっている人間とは、比較的顔をつき合わせて行くけども。

 その中では色んな事があって。

 自分が悪いこと。相手が悪いこと。

 相手がいいこと。自分がいいこと。

 いっぱい有るけども。

 時々。知らない世界があるのを忘れてしまう時が。

 良くも悪くもある。



 その狭い中で。(どんなに行動範囲広い人だとしても限度はあるから)



 お互い悪い訳ではないのに。

 「理解出来ないこと」は人それぞれの体験の違いの数だけ。

 大小問わずお互いあって。

 触れるだけで傷つく場合とかあるから。

 それは皆たった一人で立って治して行くしか無いのだけれど…。



 時々。その中の欠落した部分で。

 「これは周囲の人の中では。現時点では判らないだろうな」

 という事は。確かにお互いあって。

 (未来は判りあえる事だとしても。)

 
 まるでゼネレーションギャップのように。
 嫁姑問題のように。

 理解出来ないのを承知だからこそ。

  一人になりたい時がある。


 それを早く癒せる方法は。

 同じような重さの想いを体験している人と「会う」だけでいい事があって…。

 「空気で伝わる」感じ。それを実感出来るだけで。

 早くその欠落が治ったりするんだけど。



 同じような想いを抱えたままの他人と、長く会えないままだと。

 「会える」まで凄く長い部分的な「孤独」を抱えてしまわざるをえなくて。


 (ただ救いなのは。ずっと願ってたら。

  未来でそんな人には、確実に会えるんだけどね。)



 そういう孤独って。大小なり皆ある。


 

 だけどその「欠落」がまだ今はあまり無い時は。

 それは本来は「若い」って事なんだけど。

 あとは。よく似た問題の枠中だけで泳ぐという事の、日常の安心感とか。


 体験によるから、本当は歳は関係ないけど。一般的に平均として若いという事。
 
 




 ちょっと「ヤラレタなあ」と思った文章が。

 ずっと前に読んだ、吉本ばななの本にありました。「N・P」


 主人公が過去を振り返るところ。



『 その時の私はまだ知らなかった。

  遠い砂漠の物語のように、はるかにかすんだ哀しい世界で昔起こっても、

  決してありえないつらいおはなしなのかと思っていた。

  そういう楽園に、自分だけは住んでいるつもりでいた。     』




  思ったまま、つらつらと。意味なく書いてみた今日。




MAIL HOME BBS



My追加



Design by shie*DeliEro
thanks for HTML→HP WAZA !
thanks for HTML→CHIPS!