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ずっと昔から考えてた事があるなあ。 生きてる世界は、案外狭いものだから。 会社なら会社。友達なら友達。家族なら家族。学校なら学校のクラスだけとか。 決まっている人間とは、比較的顔をつき合わせて行くけども。 その中では色んな事があって。 自分が悪いこと。相手が悪いこと。 相手がいいこと。自分がいいこと。 いっぱい有るけども。 時々。知らない世界があるのを忘れてしまう時が。 良くも悪くもある。 その狭い中で。(どんなに行動範囲広い人だとしても限度はあるから) お互い悪い訳ではないのに。 「理解出来ないこと」は人それぞれの体験の違いの数だけ。 大小問わずお互いあって。 触れるだけで傷つく場合とかあるから。 それは皆たった一人で立って治して行くしか無いのだけれど…。 時々。その中の欠落した部分で。 「これは周囲の人の中では。現時点では判らないだろうな」 という事は。確かにお互いあって。 (未来は判りあえる事だとしても。) まるでゼネレーションギャップのように。 嫁姑問題のように。 理解出来ないのを承知だからこそ。 一人になりたい時がある。 それを早く癒せる方法は。 同じような重さの想いを体験している人と「会う」だけでいい事があって…。 「空気で伝わる」感じ。それを実感出来るだけで。 早くその欠落が治ったりするんだけど。 同じような想いを抱えたままの他人と、長く会えないままだと。 「会える」まで凄く長い部分的な「孤独」を抱えてしまわざるをえなくて。 (ただ救いなのは。ずっと願ってたら。 未来でそんな人には、確実に会えるんだけどね。) そういう孤独って。大小なり皆ある。 だけどその「欠落」がまだ今はあまり無い時は。 それは本来は「若い」って事なんだけど。 あとは。よく似た問題の枠中だけで泳ぐという事の、日常の安心感とか。 体験によるから、本当は歳は関係ないけど。一般的に平均として若いという事。 ちょっと「ヤラレタなあ」と思った文章が。 ずっと前に読んだ、吉本ばななの本にありました。「N・P」 主人公が過去を振り返るところ。 『 その時の私はまだ知らなかった。 遠い砂漠の物語のように、はるかにかすんだ哀しい世界で昔起こっても、 決してありえないつらいおはなしなのかと思っていた。 そういう楽園に、自分だけは住んでいるつもりでいた。 』 思ったまま、つらつらと。意味なく書いてみた今日。 |
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