馬鹿は死ななきゃ治らない なんて世間はよく言うのだけれど 残念ながら 世の中そんなに 甘ったるい言葉で 済むようにはできておらず 実際には 馬鹿は死んでも治りません 周囲がどんなに 苦言・進言を呈したところで 本人自身にその気が無いのだから 本人自身にその意識が無い以上 馬鹿の概念は 死んだところで 変わりようが無いわけで また同じ馬鹿を繰り返し 一生変わらず 馬鹿は馬鹿のまま あまつさえ 馬鹿な人間というものは 馬鹿であるが故に 他人の言う事など 耳を貸さず それどころか 馬鹿の概念で包まれているため 馬鹿主張が激しく こちらが200%正当な苦言・進言をしてやっても ときには激昂 ときには論理のすり替えで 我が身を正当化しようとし 今で言う逆ギレ 逆ギレという行為時点で 如何にこちらの苦言・進言が 的を得ているか 馬鹿自身が証明している事さえも 馬鹿は馬鹿であるゆえ 馬鹿自身は全く気づいちゃあいない そんな態度だからこそ 馬鹿は死ななきゃ治らない なんてこちらは諦めざるを得なく 挙句 馬鹿に振りまわされる 我々が泣きを見ることになり 馬鹿ではない正直者が 馬鹿を見る 馬鹿は他人を傷つけていることに 馬鹿であるゆえ気づかないまま 何も考えず それどころか 自分が馬鹿であることにすら気づかず のうのうと生き長らえるのであるが しかし逆に 馬鹿が馬鹿であることに気づけば 馬鹿にも救いようがあり 無知の知 なんて昔のおっさんは言いましてえ 謙虚に馬鹿であることを受け止め 素直に他人の苦言・進言を聞き入れれば 馬鹿は最早馬鹿ではなく かしこに成りうる事ができるのであり かしこにもなれば 周囲の苦言・進言の善悪も判断でき 同じ過ちなど繰り返さず 他人を思いやる事もでき また馬鹿を見ては 死んでもああゆう馬鹿にはならない そおゆう自信が無くとも 思う・考えるだけで 最早それはかしこになった と自信を持てば良いのであり 誰も先のことなどわからないのであり 其れよりも何よりも 1+1=2なんてものは 人間の数千年の歴史においても 証明されてはおらず 便宜上そう仮定する事において 折り合いをつけているに過ぎないわけで そう考えると 馬鹿は本当に馬鹿である かしこは本当にかしこである とは必ずしも成り得ないことにもなり 周囲は馬鹿だ馬鹿だと思っていたら なんてことはない 自分のほうが馬鹿であった ことなんてよくある話しで 世の中不確定要素があるからこそ 妙味とも成り得るのであり ここで問題なのは 自分は馬鹿だ なんて思っている人間ほど そう思っている時点で馬鹿ではなく 馬鹿な奴ほど 自分はかしこである などと何の根拠も無く そう思っていることであり 故に 馬鹿は死んでも治らない だって 自分が馬鹿だとは思っていないのですから。 幸いにして 私の場合は 馬鹿であることに気づいているどころか 努めて馬鹿になることに 日々心がけ精進し 其れよりも何よりも 女性との性行為において 毎度毎度 女性をイカせられないまま 自分だけイってしまっては もう。馬鹿。役立たず。 なんてちんこともども 叱咤されることが 何よりも そう 証明しているのです。 人は心の傷があるからこそ 人に優しくなれるもので ちんこにも 優しくして欲しい。 激しいのも好きだけど。 この馬鹿ちんこ どうぞよろしく。
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