陸橋...東風

 

 

- 2013年08月25日(日)

最近小さなものではあるが、手術を受けた。
普段仕事で出会うものとしては、正直「軽い手術」という区分に入る手術である。
というわけでそんなに深く考えずそうっすね、というノリで手術を受けたのだが。

まぁ周りに大変心配を掛けたし、今も掛けているわけである。
それもこれも手術の前にも後にも本当にびっちりと予定を詰めていたから。

麻酔は、普段自分の生業にしている仕事である。
が、自分にかけてもらうのは大変貴重な経験であった。
周術期の患者さんに何が必要なのか、少し解った気がした。

そういう仕事に活かせる経験をしたのも大変に良かったのだが。

もう一つ大きなことは、いろんな人に思いを馳せることができたことだった。

家族や、麻酔を担当してくれる友人、大事なひとたち。

もし自分が死んだら。何も遺せなかったらきっと悲しい。
無理だけど、大事なひとたちにできることなら悲しまないで欲しい。

なので手紙を書いてみたのだった。
麻酔をかけてくれる友人には、もし私に何かあったとしても、自分を責めないで欲しかった。
親には、悲しむなというのは無理だけど、実は自分が死んでもそんなに後悔がないということを知っていて欲しかった。
義理の母には、本当に良くしてもらったことへきちんとお礼を伝えたい、と思った。

あのひとには、ちゃんとさよならを伝えたかった。
いつも別れを意識していたから、実はさよならの用意は自分の中でできていた。
だから支えてくれたことや、愛してくれたことに、ありがとうを伝えたかった。

ただそれ以上に自分で驚いたのは、夫への手紙だった。

夫にもちゃんとさよならを言わなければ、と思った。
だけど思い浮かぶのは出会った頃や結婚した頃、たくさんの旅行、
数えきれない一緒に過ごした思い出で。
夫にさよならを言う用意なんて、何一つ、できてなかった。
離れることが本当に考えられなかった。
泣いて泣いて、全然筆が進まなかった。
でも私が死んだら、夫にはまた誰かを見つけて欲しい、と本当に願った。
私たちには授けて貰えなかった子供を、彼には抱いて欲しかったのだ。

結局、私は夫をとても愛しているらしかった。
あのひとのことは好きなのだけど。
離れるのが本当に辛いのは、夫だった。
こんな時に気が付くなんてなぁ、と。

これらの手紙は手術が無事に終わった段階で、
丁寧に隠滅するために、手術当日の夜に即シュレッダーにかけてしまった。
だから残っていないんだけど。
気が付いたことは大きかった。


自分の気持ちが見えてしまったのだけど。

あのひとからは短いメールが数通、来ていた。
手術前。とても短い一文。

でもまぁ心配していたのはとても良く解ったので。
手術が終わって30分くらいしてからメールを返したのだった。
すると今までになく早い返信が帰ってきた。

無事に終わったことへの感謝と、
「あなたがいるだけで十分」の、やはり短いメールだった。

痺れた。


今回、いろんなことが見えたのだ。
凄く短い期間の、短い出来事で。

さて私は今後、どういう道を選ぶのか?
それが今私にも、解らない。


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