ほんの話。とか。 - 2004年09月13日(月) 『六番目の小夜子』(恩田 陸)を読み終えた。 同時に購入した本が『魔性の子』(小野 不由美)だったからだろうか。 何でかああこれも人が死ぬ本なんだろうなぁと思っていたら 酷い目には遭うものの別段死なないのであ、良かった、と素直に思う。 それにしてもげに恐ろしきは人の観念哉。 結局恐怖って語り継がれるけれどもそれは今生きている人間が感じているもので 恐怖の対象は過去そこに存在しただけで実は生きている人間に何の干渉もしない。 読んでいてなるほど、と腑に落ちた感じがした。すとん、と填まる感じ。 ああ面白かった、と素直に言えた久々の本です。 さっきふっと思い出したが精神科を回っていた時、 ロールプレイの中で統合失調症の患者さんを演じたことがあった。 同じく学生が医師・患者の家族に扮して医療面接を行うというものだ。 患者さんの気持ちを演じるには確かに患者さんを演じてみるのが一番なので 患者さん役希望が殺到したのだがあみだ籤にて見事、引き当てたのだった。 結論から言うと、とても上手かったと監督役の先生から誉められた。 そのうちの一人は実は昔私自身がカウンセリングしてもらっていた先生だ。 先生複雑だっただろうなぁ。 当時、先生から脳波試験を受けて欲しい、と言われ受けていたのだが 最近になってそれが統合失調症のスクリーニングの一環だったと知った。 別にそれに対しては何も腹を立ててないし、むしろ貴重な経験だったと思う。 そのことを思い出して、当時の私を少し歪めて演じてみたのだった。 結局私につけられた診断は強迫性障害で、統合失調症はルールアウトされた。 確かに当時の私の中には自分を含め3人、いた。 (本当は認めたくない4人目もいたのだが) けれど統合失調症のような、幻聴でも幻覚でもない。 (幻聴とか幻覚というのは本当は語弊があって、 彼ら(患者さん)には本当に聞こえ本当に見えているものなのだけど。) 一般的な解離性同一性障害のように、一つの人格が支配するわけでもない。 私たち3人は(本当は4人は)全員で一つの『私』を創っていたのだ。 いや、本当は、私が皆を演じていただけかもしれない。 自分を肯定する為の自分、否定してきたものと向き合う為の自分、 どうしても許せなくて、殺してしまおうと抹消しようとした自分。 けれども彼らがいたからここまで生きてこられたようだ。 4人目は解らないけど、少なくとも3人でどうにか生き延びてきた。 今彼らと私の境界は曖昧で、一つに解け合ってしまっている。 私の中でずっと眠ったままだと言った方が適切かもしれない。 時々、彼らは目を覚ます。 私が呼ぶ時もあり、そうでないこともある。 昔は彼らは私の代わりに『表』に出ていたが、今はそれも殆どない。 けれども私は忘れたくないので、ここに記すことにした。 -
|
|