月の輪通信 日々の想い
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2009年05月01日(金) 落穂ひろい

Nさんがいなくなった荷造り場で、さっそく包装の仕事。
久々に包装紙やら薄様紙やら、紙の感触を味わう。
何事にも几帳面だったNさんは、裁断した紙のはぎれや使用済みの梱包材、他所から発送されてきた再利用可能なダンボールまで、きれいに仕分けしてそろえておいてくれた。当面の仕事は、彼女が整えておいてくれたシステムにそのまましがみついていれば、なんとか滑り出すことが出来るだろう。

昔、義母とともに荷造り作業をしていた頃と比べると、道具の置き場所や作業場の使い勝手が微妙に違う。Nさんが在職中、荷造り場の仕事はほとんどNさんにお任せ状態だったので、作業場自体、Nさん仕様に変化して行ったのだろう。
正直なところ、Nさんがいるときには、そのことがちょっと窮屈に感じたりしたこともあった。けれども、実際彼女がいなくなって見ると、窯場からも事務所からも毎日とめどなく「お仕事のタネ」がなだれ込んでくるバックヤードでもある荷造り場を、果たして私一人で切り回していけるのだろうかと不安になってくる。

ちょっとした備忘のメモを取ろうとして、手元にまともに書けるボールペンが一本もないことに気がついた。
いろんな人が出入りするバックヤードでは、手近においてある筆記具や小さな文房具類がしょっちゅう消える。「ちょっと拝借」がそのまま誰かの胸ポケットに収まったり、他の場所のペン立てに紛れ込んだりしてしまうからだ。
そういえばNさんも自分の仕事場のセロテープ台や鋏などが「ちょっと拝借」で移動して戻ってこないことを時々愚痴っていた。自分が定位置と定めた場所に置かれた手に合う道具が、使いたいと思ったときにそこに置かれていないということは、ごくごく小さなものにすぎないが確かに軽いストレスではある。
新しい鉛筆を数本削り、新品の事務用ボールペンを下ろして、その1本1本に小学生のように自分の名前を書いたシールを巻いた。
新しい住処の玄関に表札を上げたような気分だった。




ミレーの有名な絵に「落穂ひろい」というのがある。
セピア色の農場風景。数人の女性が収穫後の畑に落ちた麦の穂を拾っている。
初めてこの絵を見たとき、それは収穫を喜び、刈り残した小さな落穂を拾う農婦たちの勤勉を描いたものだと思っていた。
けれども実際には、この絵に描かれた女性たちは農婦ではなく、自分の労働だけでは食べていけない寡婦や貧農たちなのだという。
当時の慣例で、収穫後の畑に残された落穂を拾い集めて糧とすることは、彼らの権利として認められていて、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていたのだという。
私はそのことを、時々自宅のポストに布教誌を入れていくある婦人の手書きのメモから教えられた。

畑の持ち主が、どの程度落穂を畑に刈り残しておくかは、各個の裁量に任されていたのだという。
施しのための落穂の量は、等しく定められたものでもなく、誰かに強制されたものでもない。言わば、自分で決めた量だ。
自分の持っているもののなかから、どれだけのものを畑に残すか。どれだけのものを施しにまわすか。それは、自ら選んで決めることである。
そんな緩やかで厳しい律法で、人としての生き方を縛った古い基督教の教義の柔軟さに驚く。




結局のところ、私が抱え込んでいく仕事や役割というのは、私が収穫後の畑に残しておく施しのための落穂の量なのだろうと思う。
誰から強制されたものでもない。
どこから割り当てられたものでもない。
私がやらなければならないと思っている仕事は全て、私の持っている力の範囲内で最大限克服していかなければならない課題でもある。
なぜならそれは多分、どこかで私自身が選び、私自身が決めた仕事だからだ。

いつも長いスカートを揺らしながらやってきて愛想よく布教誌を投函していくその婦人は、いったいどのような趣旨でもって私にこの短い落穂拾いの挿話を書き記してくれたのだろう。
急に自分に割り当てられた新しい役割の重さに戸惑ったり、愚痴ったり。
まだ手をつけてもいない仕事の山にいじけたり、挫けたり。
「なんで私ばかりが・・・」と思う気持ちと、「本当に私に出来るのだろうか」と惑う気持ちと。
そんな私の意気地のない逡巡を、見知らぬ彼女が知る由もない。
それでも慌しい荷造り場の作業の合間に、彼女の几帳面な文字で書かれた落穂拾いの挿話が思い浮かぶのは、私が新しい仕事を自分自身の役割として受け入れつつあるからなのだろう。

今度もまた、やっていける。
きっとなんとか、やっていける。
真っ白な薄用紙の束に包丁をいれ、裁断する。
紙を切る涼やかな音は、愚かしい右往左往を鮮やかに斬ってゆく。









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