![]() 最近画像が少ないので今日は↑コレで始めました。 昨日、Mad men S4を見終わりましたが、このドラマは「一番好き」とは言えませんが、これまでちゃんと見た作品の中で、もっともドラマツルギー(ドラマの制作手法)が優れた作品かもしれないと思いました。私は生意気にも、物書きのはしくれとして映画やTVシリーズは作り手の眼でしか見なくなって久しいです(だからなのか「素晴らしい」とか「秀逸だ」という感想ばかりいつも書いていて、それでよく自分のレビューや感想が�犇�回り�瓩靴討襪福△抜兇犬泙后法�こうと書くと「楽しんでるの?」と言われるかもしれませんが、ちゃんと面白がったり感動したりもしています。 という前置きをした後で、相変わらず「ホントに楽しめてるの?」と言われても仕方がないMad men感想です。 大人のドラマだなあ。…という基準でいけばシャビ・アロンソやマタは大人です この作品においては、今時映像作品では珍しい喫煙シーンが5分に一度くらいの割合で登場するし、女性や有色人種、ゲイといった当時はまだ�爛泪ぅ離螢謄��瓩世辰真諭垢琉靴い呂劼匹い掘�何と言っても善人、悪人と白黒つけられるキャラクターは一人も出てこない。つまり「人間なんて、人生なんて、こんなもんですよ」と言える資質が、見る側にも求められるようなドラマです。その点は、Romeも同じですよね。とりわけ、このドラマが丹念に描いているのは男女関係です。恋愛ドラマという意味合いだけではなく、社会における男と女、という意味での男女関係です 先述した通り、舞台である60年代初期は、公民権運動が活発化し始めているとはいえ社内ではセクハラ三昧。まず第一話で主人公のドンが「女なんかに指図されてたまるか」と堂々発言。またその状況を逆手に取り、男たちを色仕掛けで味方につけて社内で出世していく女たちも。男たちは新しい女秘書が入社すると、こぞって容姿を品定めに行く。 当時に限った話ではなく現代においても……人類の歴史全般を通してそうでしたが、男たちにとって、所詮女たちは客体であるという事実は変わりません。男にとって女は自己と同一視するものではなく、あくまで�狡�めるもの�瓩覆里任后8渋紊箸舛腓辰醗磴�事情があるとすれば、60年代はまだ、男たちがそのように女たちを見ていることを、誰もが遠慮なく表明できた時代でした。Mad Menはそうした風景を赤裸々に描いています。 でも社会において�狠写鬮甅爐�飾り�瓩任靴�ない女たちが見せる笑顔を額面通り受け取っていいかといえば、もちろんそうではない。人は誰しも自分の人生においては自分が主役なのであり、女たちにとって、彼女たち自身は常に主役。Mad menの優れたところは、当時の社会風景を赤裸々に描く一方で、女たちの内面を彼女たちの視点でつまびらかにしていく、そのドラマツルギーの巧みさです。 一体どれほど才能溢れるクリエイターが、何度会議を重ねればこのような深みのあるキャラクターたちを生み出せるのでしょうか? Mad menに対しては�犖沈�溢れる�瓩覆鵑動造辰櫃ど集修六箸┐泙擦鵝8充造法△海ΔいΔ笋弔い襪覆辰討いΕ織ぅ廚个�りで、そのうちのほとんどとは別に友達になりたくもない笑 でも彼らが織りなす群像劇が素晴らしい。特にドンとペギー、ドンとピートの関係には、しびれますね。 秘書として入社した頃は世間知らずの田舎娘だったのに、コピーライターとしての女性ならではの感性をドンに見抜かれ出世していくペギー。広告業界を出入りする華やかな女性たちと、ぽっちゃり体型の自分を比べて溜息をつきつつ、彼女は男社会で受けるセクハラやからかいにもめげずしだいにドンの信頼を得ていくのですが、女はとっかえひっかえのモテ男ドンが、ペギーを異性としては意識せず、困難を分かち合える理解者として認めていく過程が、実にいい感じです。端的に言うと、彼女が担っているのは�犲匆饋塀个靴討い�女性像�瓩箸いΔ海箸砲覆蠅泙垢�、その描き方がウソっぽくない。女性の解放は米国において実現しましたが、「人は皆平等であるべき! 女たちよ立ち上がれ、社会に出てバリバリ働くぞ!」などという思想の下、社会に乗り込んでいって自分の地位を確立していった女性なんて、ほとんどいなかったに違いないのです。でもペギーのような女性の試行錯誤、苦労と挫折があったからこそ、私たちはslashなんてもんにうつつを抜かしていられるし、最近じゃBLなんて言葉が世間で認知されるようにもなったわけですね笑 ピートの容姿がもうちょっとアレだったら(ハンサムだとは思うんですが…)、ドン/ピートにはもっと萌えていたと思います。いいですねえ、人としては嫌い/苦手だけど、お互いが必要な二人。snobbishなヤッピーの代名詞みたいなピートは、最初は不愉快な存在でしたが、今ではMad menにはピートがいなくっちゃ、という気がします。映画『TIME』のトレイラーに彼(役者)が出てきた時は、ニヤリとしてしまいました。ペギーもピートも、しょっちゅうドンに突き放されて逆ギレしかかってますが、ふとした瞬間にドンが彼らを高く買っていることを示す場面に出くわすと、「あ〜もうMad men最高」としみじみ思います ![]() Mad menのシナリオやセリフの素晴らしさは説明しがたいものですが、個人的に気づきがあったので、その場面について書きます。 ドンがかつて付き合っていたアーティストの女性(S1に登場)と再会するシーンがあるのですが、彼女に誘われて家へ行ってみると、家には彼女の夫がいて、彼女が都合をつけてちょっと席を立った隙に、その夫が彼女の絵を見せて「きみが買ってくれたら妻は喜ぶんだけど…」と言います。 まず家に行くなり、画面からは生活に困っているような雰囲気が伝わってくる。夫に妻のろくでもない抽象画を買ってくれるよう頼まれた時、ドンは自分が昔の女にいっぱい食わされたことに気づく。夫は「絵を買ってくれたら助かるし、彼女は好きなことをさせてくれる」とまで言う。そこへ女が戻ってきて、夫は料理を振る舞いたいから買い物に行くけど、金がない、と言う。ドンが10ドルかそのくらいを手渡すと、夫は「こんなに?」と喜び出ていく。 二人きりになると彼女はドンにヘロインをやっていてやめられない、という話をする。ドンと出会った頃はヒッピー崩れだった彼女が担っている役割は、時代背景の描写です。 ドンはその場で300ドルの小切手を渡す。この場面を見た時、私は次にどんなセリフが来るだろうと考え、おそらく感謝の言葉だろう、と思いました。ところが、女が悲痛な表情で口にしたのは、「私に小切手が換金できると思うの?」ドンは小切手を破り捨て、ポケットの有り金を渡す。そして立ち去り際、「タクシーに乗る金もない」とつぶやく。そこでまた私は、彼女がタクシー代だけ返すと思ったのですが、彼女は「通りを真っ直ぐ行けばバスが出てるから」というような事を返したのです。ドンが絵を抱えると、彼女は「その絵、どう思った?」とたずねる。ドンは「どうでもいい」と返す。 私はセリフというものを、話を進行させる道具に使ってしまうことが多いのですが、この場面でいえば「タクシーに乗る金もない」のくだりは進行上いらないセリフです。ではこの会話は何を意味してるかというと、女が置かれた立場の悲惨さ、切羽詰まった女のがめつさ・こずるさ、二人の冷え切った元には戻れない関係。でもそうしたこと以上に、このセリフが、そしてこの場面全体が伝えようとしているのは、それでも女を助けずにはいられないドンの人間性です。 何とも表現しがたい抽象画を自宅に持ち帰り、その前に座って眺めるドンの横顔のカッコよさ。ひどい女たらしで、同時進行で複数の女と付き合うような男なのに、彼に夢中になる女たちの気持ちが理解できるのは、こうした演出の積み重ねなんですよね。 もうひとついえば、夫がドンから数ドルを受け取って「こんなに?」と喜ぶシーンは、当時の物価をそれとなく視聴者に示しておいて、そのあとでドンが彼女に渡した300ドルがいかに大金かを伝えるための小憎い演出です。また、この夫の言う事なす事があまりにもヒドイ笑 でも夫は終始、丁寧な口調だし、見た目もさほど悪くない、なのにその残念な感じがこれでもかというくらい伝わってくるのも、すごいなあと思うわけです。 これは特に優れた場面というわけではありませんが、女がタクシー代さえも返さなかったことに驚いたので書いてみました。Mad menはこういう小さな演出を楽しむドラマなので、漫画文化の影響でなんでもものすごく大袈裟な演出に慣れている日本人には向いていないドラマという気もします。 ちなみに、微妙なさじ加減で人間を描いている作品を楽しみたいという方には、OZ、Breaking Bad、シックス・フィート・アンダーなどをおすすめします。逆にこんなのもあるよ、という良作がありましたら、ぜひ教えてください。少し違うけど、80年代に制作されたヘレン・ミレンの『第一容疑者』もドラマツルギーはホント、素晴らしいです。どうしても忘れられない場面があって、そのこともいつか書きたいな(…と書いて更新した5分後、Twitterでこの場面に登場する役者ジェイムズ・フレインのファンの方が、この場面について語っているところに遭遇し、えらいびっくりした!)。 OZやホミサイドの制作者が手掛けた『The Wire』はTVドラマ史上の最高傑作とまで言う人がいますが、DVD楽しみです ![]() うーんでもこんな細かいセリフの話なんて読んでも面白くないですよね。なんかもっと面白い話できないかといつも思ってるんですけど笑
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