のりすけの日記
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予感というか、うすうす感じていたことが的中したようだ。 私は地雷を踏んだ。 今朝、相手方からそのことを報告するメールが届いた。 やり取りは奇しくも私の36回目の誕生日に始まり、その約2週間後に私が地雷を踏むことにより終了する。 あまりにも推測可能な言葉過ぎて拍子抜けしているが、メールのやり取りもさほど盛り上がりを見せなかったので、こんなものなのだろう。 しかし、この2週間はケータイを携帯した。いつ返事が来るか気になった。相手の名古屋弁とか声とか立場的なものなどに違和感を感じながらも。 習慣ってそういうことなのだ。
相手方へ、事の了承(お別れと謝辞を含む)を伝えるメールを返信した後、私は色々と考えた。 将来のパートナーをどう得るか。どのように歩もうか。
相手に対して違和感を感じた場合、しかもその数が多い場合は特に、それを打ち消すくらいの相手の良いところを何とか見つけようと気持ちが動く。そうすることで自分が安心したいのだ。 境遇が似ているからと言って分かったふうに同情などすべきでないのと似ているかもしれない。 側にいる人をよく思いたくて、私はしばしばこのようなことをやらかしては疲弊しているが、こうした行為は、相手を本当の意味で受け入れることにはならないのではないかと思う。 今回反省すべき点は、まずそこにある。とかく私は自己主張が強くない。相手がそう言うならそうしようと思う。あんまりしたくなくても求められればしてしまっていたりする。相手が喜ぶならいいか、と思ってしまう。 たとえ、それが私の本質であったとしても、過去に経験したような絶対的な安心感を得られる相手を求めるのならば、もうそんなことはせずして出会うのが適切なのである。元来、気が合う、肌が合う相手とはそうした感じで見つかる。つまらない駆け引きなど邪道なのだ。
色々考え事をしたり本を読んだりしている間に、K氏から体調を気遣うメール、T先生から画像添付のちょっかいメールがたくさん届いた。 メールが苦手でやり取りも上手くない私によくメールなんかくれるなぁ。優しい人たちに囲まれているおかげで、今日はこの淋しさを紛らわせられているのだとしみじみ思う。
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