みょうの日記
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2010年06月08日(火) 朝鮮半島の歴史

というほどの話ではないのだが、某塾の教材をつくっていてふと気がついたことがある。
『新羅』をどうやら今学校では『シルラ』と韓国の言葉で教えているらしいのだ。もちろん日本の学校での話だ。全国的にかはわからないが。

さてそこで問題なのだが、朝鮮半島の古代の歴史書というものは、実は中国と日本に残されたものが元になっているらしいということだ。もちろん、自国の都合のよいものをピックアップした上での歴史書らしいのだが。
つまり、古代の発音としての『新羅』『百済』『高句麗』はあちらには残っていないのだ。
つまり『シルラ』(どうやら『百済』『高句麗』なども(ペクチェ)(コグリョ)と朝鮮読みで教えているのだとか)と言う言葉は、あくまで現代読みなのだ。
さらにいえば、今に残る古代の日本語はそもそも文字ありきではなく、そのものの発音に当てはまる字、つまり当て字を使ったのだと言われている。
『新羅』と書いて、今普通に日本でも韓国でも『シラギ』という発音は出てこない。なぜ『新羅』が『シラギ』なのかと考えれば、かつて『シラギ』という発音に近い文字が『新羅』であったと、つまり発音ありきの、この文字なのだとは考えられないだろうか。
長い歴史の流れの中で、日本語自体も発音母音が淘汰されて今に至っているので、現代の感覚で『新羅』となるのは不思議かもしれないが。
それと知らず脈々と受け継がれてきた古代の発音(かもしれないもの)を捨て、現代語(しかも外国語)にすり替える意味がいったいどこにあるのだろう。
「しらぎ」も「くだら」も「こうくり」も、あくまで日本の言葉であり、外国語を強要される筋合いのないものなのだ。


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