てらさき雄介の日記
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2019年03月06日(水) 秋田県議会議員大関衛先輩

訃報を聞いたのは、今日の午後である。今は夢の中か。いや、隣にいる同僚議員は選挙の話をしている。どうも現実のようだ。実感が湧かなくて、早めに自宅に戻った。過去の手帳を引っ張り出してみた。

手帳というものを持った、最初の一冊。1990年のものだ。明治大学に入学した年、そして雄弁部に入部した年だ。

4月14日、雄弁部新勧企画、1:00〜2番教室、と書いてある。恐らくここが、最初の出会いのはずだ。2学年上だった。秋田選出の国会議員の学生秘書をされていた。いつもスーツを着ていた。

いつだったか、私は言った。「国会議員に会ってみたい。」すると先輩は聞いた「寺崎はどこだっけ?」「相模原です。」と答えた。「では藤井裕久さんを紹介しよう。」すぐにそう言われたのを覚えている。

振り返ればそれが政治活動のスタートである。私は18歳だった。

その翌年、1991年の手帳を開いてみる。もう一つ、忘れるはずもないことがある。7月25日〜8月7日、NSA台湾、と記載がある。自民党の関連団体だった全国学生交流会(NSA)の主催による、学生数十人の台湾研修ツアーだ。実施の数か月前に、先輩から誘って頂いた。「おい寺崎、タダで台湾に行けるぞ。どうだ?」もちろん即答。「はい。お願いします!」

現在一緒に暮らしている息子、その母親とはこのツアーで出会った。

卒業後は、遠方だったこともあり、お付き合いはそれ程なかった。しかし秋田という単語を聞けば、先輩のことを思い出していた。何度か、超党派の議員研修会等で、ばったり顔を合わせたこともあった。

藤井裕久先生と、息子の母親。私の人生で大切な出会いが、先輩によってもたらされたことを、直接伝えたことはない。感謝している。どこかで、そう言っておけばよかった。

先輩が、死を迎える直前まで、前のめりであったことを信じて疑わない。

明治大学雄弁部OB、全関東学生雄弁連盟元委員長、秋田県議会議員大関衛先輩。享年50歳。ご冥福をお祈りする。

ありがとうございました。

●今日一日

【午前】
ともに生きる社会推進特別委員会/県庁

【午後】
行政相談対応(教育)/県庁
ともに生きる社会推進特別委員会/県庁

【夜】
事務作業/事務所
打合せ(選挙)/南区内


普段は見ない、過去を見てみた


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