てらさき雄介の日記
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戦争責任は大きく2つに分類できる。外国に対するものと、国内に対するもの。ここでは国内に対するもの、つまり日本人に対して負うべき責任について書きたい。
まず、どんな責任を負っているかということ。国家とは、国民の生命と財産を守る主体である。であるにも関わらず、多くの国民を死に至らしめ、家財を焼失させた責任だ。
もうひとつ重要なことを忘れてはならない。�倏圓譴伸瓩海箸寮嫻い澄�戦争とは存在自体が悪であるが、それを行うのは勝利した結果によって得られる‘何か’の為だ。�倏圓譴得嫻い覆鍬瓩聾生貽暫如�
さて責任を負っているのは誰か。第一は政治家である。特に昭和16年12月から同20年8月までの総理以下閣僚は、結果としての責任を全員が負うべきだ。また実態として、軍部が国政全般に影響を与えていた以上、3軍の参謀以上は、これも結果としての責任を負わねばならない。
さて今‘結果’としてと書いた。主体的な責任はどうか。これは個々人によって異なる。戦争の企画立案にどれだけ深く関わっていたか。また国民の生命と財産を守るという視点で、その職責をしっかり果たしていたか。そこが問われる。
罰については、実はその先の話。戦争を二度と繰り返さないという意味で、戦争責任を問うのは重要だ。しかし責任者個人を追及するのは、罰を背負わせるためではなく、そこに至る原因をはっきりさせるためだ。
SMAP中井君主演の、‘私は貝になりたい’を見た。涙があふれた。すべての日本人に見て欲しい。アメリカのオバマ新大統領にも見て欲しい。いまだ‘連合国’である、国連の総会でも上映したい。
この主人公をはじめ、BC級戦犯は外国に対する責任を問われた。勝者が敗者を裁いたことについて、「敗けたのだからしょうがない」と一部は言うだろう。いや実は日本政府自身も、そのスタンスから脱しきれない。
しかし忘れてはならない。BC級戦犯と言われた人たちは、日本人に対して責任を負っていない。戦争の企画立案に携わらず、戦争を終結させる権限もない。また罪に問われた事件の多くも、上官の命令によって行っている。
BC級戦犯に関する再調査を行うべきだ。まずは一人一人の裁判について、過去の資料を点検し関係者の話を聞くのだ。そして日本政府として改めて総括したうえで、アメリカなどに誤りを認めさせるための努力をすべきだ。
まさに戦争の犠牲者であった人たちを、犠牲者であると認識することが必要だ。それは結果として、本来あるべき責任の所在を、より明確にすることにも繋がる。
無実の罪で死に至らしめられた人たちと、そのご家族に対して改めて弔意を表すものである。そして政治家として、二度と戦争を起さないという決意を新たにする。
【今日一日】 11:00 少年鼓笛バンド連盟大会/下九沢 11:30 挨拶まわり(数軒)/市北部〜中部 13:30 友人結婚パーティー/富士見
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