てらさき雄介の日記
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| 2008年08月06日(水) |
サハリン・ユジノサハリンスク |
朝食はホテルのレストラン。目玉焼とソーセージ、そしてパンとサラダだ。ホテルは駅に併設されている。その前は大きな広場になっている。戦前樺太に住んでいた人は、サハリンに来るとまず駅を目指すという。かつての豊原駅とまったく同じ場所にあるからだ。
サハリンの鉄道路線も、約7割が日本当時のまま使用している。線路の幅も、日本のJR(旧国鉄)と同じ。一方ロシア本土の線路は、それよりも幅が広い。その為、本土からサハリンに列車を移動させるときは、駅施設で車輪の幅を切り替えるとのこと。
駅前から発している大きな道路も、基本的には日本が建設した当時のままだ。旧神社通りはコミュニスト通り、その横はカール・マルクス通り、そこを横切るレーニン通りと、名前はえらい変わり様だが、基盤の風景は日本の面影がある。札幌をモデルに建設したゆえか。
レーニン像もある。旧ソ連邦構成国のほとんどでは、既に撤去されているが、ロシアではそのまま温存している。日本の像と比べとても大きい。姿形も旧共産圏特有のスタイルだ。しかしその台座では子どもが走り回り、大人も男女問わずビールを飲んでいる。更に横には巨大テレビによる商品広告も。
また建物こそ変わったが、旧日本当時と施設の場所が同じ。駅・市役所・郵便局・他諸々が、旧豊原と同じ場所に現在もある。ソ連が侵攻し建物を接収したとき、そのまま使用したことに発しているらしい。自画自賛ではないが、機能的に街をつくることを、日本が得意としたゆえの遺産だ。
更に建物のいくつかは残っている。旧北海道拓殖銀行は、現在サハリン州立美術館に、旧樺太博物館はサハリン州郷土資料館に。そして州病院裏の林を進み、草に埋もれた旧豊原神社の鳥居台座跡を見たときは、ジーンとするものがあった。
日本時代に建設された橋もある。通訳が言う。数ヶ月前にある日本人がサハリンに来た。かつて幼少時にこの豊原に住んでいて、どうしてもその家があった場所が知りたいと言う。結果場所が判明する。その決め手になったのは、今も残っている下記3カ所の位置関係からだった。 �,海龍� �ゞ瓩�にある鉄道の踏切 ��この橋の上から左遠くに見える旧王子製紙工場のエントツ
旧王子製紙がつくった王子ヶ池にも行くことが出来た。工場で使用する水をひくために建設したそうだが、豊原公園という名前で、当時家族団らんの地として利用された。現在はガガーリン公園の一部として、そのままロシアの家族団らんの場所になっている。
そこで焼き鳥?を食べたのだが、売っていたのはキルギスから出稼ぎに来た人。サハリンには多くの国から、労働者が来ている。景気好調ゆえか、物価もとても高い。スーパでつぶさに比較したが、パン・じゃがいも、そして公共バスの料金以外は、ほどんどすべてが日本よりも高いのだ!
サハリンには朝鮮系の住民が多い。その大半が、日本時代から住み続けている人と、その子孫たちだ。戦後サハリンに残った在留日本人は、政府の方針で早期帰国が実現した。しかし韓国とソ連は没交渉となり、そのまま住み続けざるを得ない人がいた。
市内にある自由市場に行くと、キムチなど朝鮮の食材を売っている人が多い。また結果成功したとは言え、近年建設されている高級リゾートなどは、韓国系市民の手によるものが多いと聞く。
北方先住民やアイヌの問題はあるとしても、いわゆる北方4島を除いて、日本とロシア(ソ連)の間では、サハリン(樺太)について領土問題は存在しない。明治期に結ばれた�狎蘚隋Τ鯊生魎江鯡鶚甅爛檗璽張泪江鯡鶚瓩蓮△箸發帽餾歇匆颪眷Г瓩襪覆�締結された。
昭和20年8月、ソ連の一方的参戦により樺太は占領された。これについて私なりに言いたいことはあるが、結果�爛汽鵐侫薀鵐轡好街嶇他鯡鶚瓩鉢狷�ソ共同宣言�瓩砲茲蝓▲汽魯螢鵑蝋臻‥�にソ連領になった。ゆえに現在サハリンについて、日本国内で話題に上ることは少ない。
しかし上でも書いた通り、日本がサハリンで残したものは、観光対象としての建築物ばかりではない。日本政府は、在サハリン在留韓国人に対して、その存在を認め、一定の措置を行っている。しかし日本人自らが、そのことを記憶し続けることこそ、本当に必要なのことではないか。
さてサハリンは多民族地域だ。統計の分類ではロシア人8割となっているが、そのロシア人のなかにも、顔の色がそれぞれ違う人がいる。今日夕食を食べてお店の店員は、白系ロシア人とイタリア人の混血だった。ちなにみ通訳は韓国系のロシア人。
日本に関心ある人も多い。確かにロシアの首都モスクワは、遙か1万キロ以上の彼方。時差も11段階こえねばならない。一方日本は、目で見える所にある。ただ印象としては、日本自身がサハリンに関心を向けてない為、サハリンの目も韓国や中国に向き始めている。
経済構想のみを考えれば、ウラジオストックやハバロフスクの方向かもしれない。しかしサハリン北緯50度以南は、間違いなくかつて日本であった。政治形態は違っても、ここで暮らす人の生活基盤の一部は、かつての日本の影響を受けている。
何か出来るのではないか。日本とサハリンの間で、ともに有益な新しい関係を築けれるのではないか。物価高・国民性の違い・交通の不便さなど、困難な課題も多いが、一方で将来に向かって一つの夢を持つことが出来た。
【今日一日】 ロシア・サハリン州視察
 | | サハリン州郷土資料館(旧樺太博物館)
 | | レーニン像
 | | 上記日本時代建設の橋
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