てらさき雄介の日記
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��ヒトラー最期の12日間�瓩鬘庁孱弔埜�た。ドイツ映画だ。そう言えば、歴史映画などでも、ヒトラーは余り登場しない。
この映画でも、演じた俳優は、「演じて良いのか迷った」とコメントしていた。存在自体が、タブーなのかもしれない。この物語の語り部も、ヒトラーを全面否定するナレーションだ。
かつて、学生時代最後の旅は東欧に行った。政治家を目指すキッカケともなった、東欧革命の現地が見たかったことと、もうひとつある場所に行きたかったからだ。
そこはアウシュヴィッツだ。ポーランドのクラクフから数十キロの所にある。そこで見たものは、人生のなかでの、かなりの衝撃だったのは間違いない。
よく、怖い夢を見て、途中でハッと起きることがある。いまだにそのシーンで、アウシュヴィッツが出てくることがある。深層に残るインパクトを与えられたのだろう。
ルーマニアのブカレストから、クラクフに向けて列車に乗った。途中別の国を通過するが、確か丸1日位で着いた記憶がある。2月だったので、当然寒く、朝方の木などは凍り付いていた。
クラクフに着くと、白タクおじさんが声をかけてきた。英語でないので何を言っているかわからないが、確かに「アウシュヴィッツ」と言っている。
50ドル支払ったのを覚えているが、そのままその白タクで連れてってもらった。1時間くらいだろうか。全く通じない言葉同士で会話をしながら、郊外へと走っていった。
到着した。原野のなかに風化した昔の施設があるという感じだ。言われなければ、工場跡か、大きな大学の跡地と言った感じだ。
以下をクリックし、HPを見ていただきたい。 アウシュヴィッツ収容所
ここには、見学者らしき人が大勢写っている。しかし私のときは誰もいなかった。(正確には後から、中でほんの数人見かけた。)リメイク版の白い巨塔で、唐沢寿明がアウシュヴィッツへ行き、ひとりたたずんでいるシーンがあるが、まさにあんな感じだ。
白タクおじさんは外で待っているので、誰もいない敷地内を、ただ一人歩いた。多くの建物のなかには、多くの展示物があった。ライトも暗いので、入って展示物にびっくりすることもある。
ある建物では、義足と毛髪があった。ガス室で虐殺する前に、義足を付けている人は外されるのだ。それが大きなガラス箱(水族館の大きな水槽くらい)に無造作に積んである。毛髪については、同じく事前に刈り取られ、布などをつくるのに使われるのだ。
日本の博物館のように、過大な解説や作り物はない。当時の‘遺品’が、ただ置いてあるだけだ。それ故迫るものがある。地下のガス室に至っては、長居は出来なかった。今でも庭を掘ると、人骨がたくさん出てくるとのこと。
アウシュヴィッツの隣には、ビルケナウという、より大規模な収容所があった。ここは撤退時に、ドイツ軍が破壊していったので、残骸しかない。しかしユダヤ人を運んできた、列車の引込み線は今でも残っている。
ヒトラーが、独裁者としての天才であったことは、事実だろう。しかしそれ以上に、ナチスという政党のあり方が、結果悲劇を生んだと思う。理念と組織形態が、悪いほうに連結してしまったのだ。
ナチスの指導者は、多くが敗戦で自殺するか、あるいは逮捕後処刑されている。加害者の側から、当時を語れる人は少ない。だからこそ、多少でも見聞きする機会のあった者が、それが過ちであったことを伝えなくてはなるまい。
ナチスドイツと、大日本帝国は、いわゆる共同戦線を張るには至らなかった。しかし同盟国であったという事実が、かの戦争の日本の誤りを世界に証明してしまっている。外交の、後世に与える影響が大きいことを、今の政府も認識すべきだ。
ある司祭の話だ。「ナチスが、共産党を弾圧したとき、何もしなかった。次に社会党を弾圧したときも、何もしなかった。ユダヤ人を弾圧したときも、何もしなかった。そして教会の弾圧が始まった。抵抗したが、この時はもう遅かった。」
陰に陽に様々な規制が強まる現在、政治家は党派こえて、言論の自由を守るための行動しなくてはなるまい。
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