| 2004年04月26日(月) |
��141…記憶の中の幻影 |
猫雑誌などで、自分の猫に似た猫を見つけると、それだけで嬉しくなるものだ。 リブは平凡なサバトラだから、似たような毛模様の猫はわんさかいる。 顔まで似ていると、これはもう親近感。今月号のある猫雑誌で、リブの仔猫の 頃にそっくりな猫を見つけて、ニヤニヤしてしまった。 時には、先猫来夢によく似た純白の猫を見つけて、しばし亡き愛猫を思い出す。 また時には、幼い日の遥かな記憶の中に眠る猫を思い出させるような、そんな 猫がふいに登場することもある。
あるタイプの茶トラの猫を見ると、今でも、妙に郷愁めいた気持ちになる。 記憶の底が疼くような、懐かしくてたまらないような……。昔からそうだった。 遠い日の記憶の中にいる茶トラの雄猫。ある日忽然と姿を消してしまった 茶トラのタマ。きっと、彼のことが心の奥底に今でもこびりついているからに 違いない。 私が覚えている限り、人生で初めて接した猫がタマだった。(その前、私が 生まれた頃、家にはキジトラの猫がいたらしいが、この猫についてはほとんど 記憶がない) もの心ついたとき、私の生活の中には、茶トラの猫がいた。 (エッセイ【ゆめ猫】 [��11…茶トラのタマ] を参照されたし)
柔らかいふわふわの塊を、幼い日にいつも抱いていた記憶がある。寒い夜、 猫を抱いて寝ると、暖かくて心地良かったことを覚えている。自分が小さい から、猫と同じくらいの大きさだったかもしれない。ものすごく大きな猫 だった……と思っていたのだが、母に言わせると、普通の大きさだった そうだ。自分が小さいから、そう思い込んでいたのだろう。
今も時折何かの拍子に、私の記憶の底から蘇る茶トラの猫。白の入っていない 全身茶色の大きな雄猫。ゆらりとした長い尻尾。おっとりとして気のいい猫 だった。あの猫の幻影が、なぜか時々、白猫来夢の影と重なるのは、雰囲気が すごく似ていたせいだと思う。
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