堀井On-Line



8157.閑話小題 〜真夏の中で

2023年08月20日(日)


   * 暑いのなんのって…
 御盆も過ぎて、そろそろ初秋に入る時節になってきた。
夏は暑いものだが、この数年は異常な暑さが続いている。以前はなかったが、
風呂に入って気分が悪くなり、シャガミコムことがある。それも入院で解決済み。
とは言え、77歳の年齢からして気をつけなけらばならない。75歳から右下がりの
角度が増…。作家が数年前に書いていたとおりである。
老いるほど死に欲が強くなると言うが、成るほど面白さが、増しているのが現実。
隣の部屋〔死〕は、直ぐ隣にありそうな…
 ーーーー
   * カラスのフン返し
 一週間ほど前に、庭先の駐車場で二羽のカラスと鉢合わせ。ところが逃げないで
威嚇してくる。そこで石をぶつけたは良いが、車にフンをして反撃をしてきた。
家内が、必ず反撃をしてくるから、ほどほどにト注意されたが誤記既に遅し。車を
中心にフン攻撃。そこで100金で売れ残りの鬼の面の風車を買い、くくりつけて
置いたところ、虫を含めて、一切の生物の気配がなくなった。不思議な気配である。
 まあ暇と言うことですか…!
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2011/11/11
閑話小題 〜〜
   * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から
飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かの鉢合わせをした。
カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていったが、体制を立て直した
のだろう、30Mも行かないうちに自転車の数m先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇
してきた。それを4度も繰返したことから、怒り心頭で怒っているのが分った。
カラスにも人間のような意地があるようだ。散歩などで時おり威嚇してくる。
黒色系の服装が刺激するのだろう。鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。
それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。人間社会との微妙
な距離を守り、共存している。土鳩・カラス・雀は世界の街の何処にでもいる鳥
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2007/11/04
2406, カラスの話 −2
 「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。
ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら
(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。

先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に
(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。 
その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、
「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。

「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラスの研究
があった。彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の
「ク」の音階で聞こえるという。それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、
人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。

この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、
成る程、意思交換をしている。 カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッ
という短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。それと、朝晩
の集会での意思交換をしている。

話は少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬をからかっている場面に
出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・・
カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。
最近のカラスは、一番身近な野生?の動物である。

7827,閑話小題 〜ビッグ・フィッシュ
2022年08月21日(日)


・・・・・・
6731,読書日記 〜『サードプレス』 ー3  あぶねえ
2019年08月20日(火)
           <『サードプレイス』―― 大都会の魔界>
   * 東京ディープといえば、歌舞伎町でしょう
 日本の猥雑な『サードプレス』といえば、歌舞伎町でしょう。
学生時代に数度、路面電車で30分のところに住んでいたこともあり、年二回ほど、
踏み込んだことがあったが、当時の純朴な学生には、デープなサードプレイス。
そのドキュメントがNHKで放送していた。それは、母娘二代の目を通したディープ
な切口の歌舞伎町の物語が展開されていた。 吹き溜まりの街、歌舞伎町。
ファーストでなく、セカンドでなく、サードプレイスの街。恵まれない故に、
傷つき汚れた人たちの、行場のない人たちの集いの場所が故の味わいがある。
   〜ネットより〜

< 歌舞伎町で生きる人はどんな人たちなのか?
 ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町
7月28日(日)[BS1] 第一部 後9:00〜9:50 / 第二部 後10:00〜10:49
 アジア最大級の歓楽街、新宿・歌舞伎町。東京オリンピック・パラリンピック
を前に再開発が進むこの街に、NHKのディレクターが潜入しました。
「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」は、歌舞伎町のほど
近くで45年、新宿で一番古い麻雀店を営むディレクターの母親の姿を中心に、
この街で出会った人々の人生や、変化の波にさらされる様子を約2年にわたって
記録したセルフドキュメンタリー
  “いま”を生きている人々
──実際に歌舞伎町に足を踏み入れ、感じたことは?
母が歌舞伎町を語るとき、「毒の持つ美しさ」という言葉がよく出てきます。
悲喜こもごも合わせ、良いも悪いもごった煮ゆえの美しさ。確かに、狭くて
古くて汚い部分もたくさん見ました。でもなぜか、それがなくなるかもしれない
思うと、何とも言えない気分になりましたね。その言語化できないモヤモヤは
一体なんなのか。比較的貧困層が暮らす地域が、再開発によって高級化し、しば
しばもともといた人々を追いやってしまう現象をジェントリフィケーションと
いうそうです。番組では、その言葉を入り口にしつつ、母との会話や出会った
人々との出会い、変わりゆく街の姿を通じて、そこを探っていきます。

 「歌舞伎町には絶対に入るな」
──この番組を企画した経緯と自身のお母様を取材した理由を教えてください。
私は新宿の近くで生まれ育ちました。母は新宿で45年間麻雀店を営んでいるので、
私にとっての新宿・歌舞伎町は“母が生きてきた場所”です。同時に幼いころから
「歌舞伎町には絶対入るな」と母からキツく言われ、遠ざけられてきたところでも
ありました。ただ、NHKのディレクターとして働きはじめたころから、実は母の
店って題材としておもしろいんじゃないかなと思うところはありました。
母は、新宿・歌舞伎町が再開発で変わりつつあることを嘆き、平成が終わる
2019年4月末で店を閉めると言い出したのです。それで、“これはいまこそ
歌舞伎町に入るべきでは?”と思ったんです。

──どれぐらいの期間、撮影をされたのでしょうか?
2017年冬からスタートし、今年の7月上旬までです。スマートフォンを使って自宅
でも撮影していました。だからテレビに映せないような格好をしていたり…(笑)。
でも、娘の私だから聞けること、撮れたものもあったと思います。 〜つづく ≫

 ―
▼ 昭和40年代は、学生時代の華やかなりし頃、政治家志望が多い割には、
 学生運動には冷静な学生が多かった。25人のシェアハウス的な寮生活は、人間
観察にはもってこいの環境。全国から多種な学生が存在していた。学問に熱中する
もの。女遊ぶに狂うもの。ほぼ生活費を稼ぐに一杯いっぱいのもの。バランスの
とれたもの。など、田舎と親の臭いが、個々に違っていた。誰か、部屋に来ては、
コーヒーを飲み、議論をするのが生業のような。月に一度は酒を持ち込み、コンパ。
3月に一度は、合ハイ。バスを使うことはなく、電車移動が主。 可愛い女子大生と
胸を躍らせ… ただ、深入りには注意。何やら、変な立志を立ててしまったのが、
壁になっていた? 決めていたら、その後の女性の職場の面白さが半減していた?
 当時の日記を読返すと、第一の居場所が、実家と寮、第二が大学生活… 
クラスと、クラブと、ゼミと、軽井沢のアルバイトの…  その世界が、年々、
広がっていく面白さ、楽しさ。それは、サードプレイスの触媒が多かった。
 リタイアをした結果、自由の不自由が、まず壁になる。未来の照度が暗くなった?
ためか、エネルギーが年々、減っていく。

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6368,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー2
2018年08月20日(月)
  * 「が」と「〜すけ」の多用が特徴
「長岡弁」のキーワードでネットサーフィンをして、驚くのが多さ。
次々と限りなく出てくる。街中で育ったこともあって、比較的訛りは少ないが、
それでもあるある。必死に消し去るのに苦労した「長岡弁」を改めて凝視するのも
恥ずかしいような気がする。とはいえ、それらの言葉が、心、魂の故郷のような。
違和感もないが、親しみも何も感じない「長岡弁」。言霊は訛りの中に染みつく。
  〜以下はネット検索による〜
≪ ex: 
「そういうことでしょ?」=「そいがろ?」、
「その物体を取って」=「そのがン取って」、
「赤いのが良い」=「赤いがァが良い」、
「何をしているのだ」=「なぁしてが」、
「どういう事なのだ」=「どいがいや」
・理由を表す「〜だから」が、「〜だすけ」または「〜すけ」と使われるが
 これは関西弁の「〜さかい」、北陸弁の「〜さけ」と同じ物。
前回の他の特徴は 仝貳が濁る、上がる(がぁ〜、やぁ〜)
      語尾を強めに発音
  【初級編】
捨てる→ ぶちゃる
 投げる→ ほんなげる(ほげる)
甘いもの→ あ〜めぇ〜がん
おしゃべり→ しゃべくっちょ
あのひと→ あのしょ
だいすき→ でぇ〜すきら
おかね→ ぜん
だから→ だぁ〜すけん
そうですか?→ そいがぁ〜けぇ〜
 そうなのです→ そいがぁいやぁ〜
 やだけどさ→ やらすけさ
 めちゃめちゃ→ だいこっぱい
 【中級編】
おかねをなげるな →ぜん ほんなげんなんやぁ〜
あの人は甘いものが好きなんですよ →あのしょ あ〜めぇ〜がん 
                  でぇ〜すきらっけん
 【上級編】
あなたは何をしているんですか? →なぁ〜なぁ してるがぃやぁ〜
あの人はおしゃべりで困っています →あのしょ しゃべくっちょらすけんに 
                  やらいやぁ〜        ≫

▼ 都会でも、郷土の人を仲間にしていると、どうしても抜けきらない。
 言葉は生きていく上で重要な役割をしめるため、都会暮らしでは一度、抜く
必要がある。地方訛りとチッと違うが、社会人として、『俺』から、『私』が、
一歩目。出来たら、『わたくし』。女性の『わたくし』は、人生をアップ
スケールをしてくれる。次の言葉が丁寧になるから。  〜つづく

・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良

・・・・・・
5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定
2016年08月20日(土)
   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、助け
られたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階で、
最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを「畜群」
には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
・手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。

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