| 7912,閑話小題 〜特に若いとき、老齢期に、鬱は発生しがちになる |
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2022年11月16日(水)
* 右上がり時期(若いとき)右下がり時期(老齢期)に… 10歳代半ばから後半閑話小題 〜特に若いとき、老齢期に、鬱は発生しがちになる…、そして初老時期に、鬱症に成りやすくなる。人生の いずれの時期を切り取っても避けることが出来ない壁が立ち上がるのは当然 といえば当然。 経験を振り返ると、やはり10歳代が、その何処を切り取っても、 厳しい局面になる。 急激に成長する肉体に、精神が追いつかないため、それは 厳しい!特に性的な局面は、それはそれは!この辺りは、家庭と学校の問題が、 絡むため、複雑になる。この情報化の急激な拡散もあってか、閉じ込めが不可能。 小・中・高校は、その問題が山積み。特に、この数年は、現場は…! * 何やら、世界が激変しつつあるが… 躁鬱と、分裂と、癲癇が頻発して当然だが… 時代は二倍、二倍と情報拡大が 進んでいる。それに個々の能力がついて行けずに、アタフタしているのが現状。 会社に入って、ホッとする間もなく、次年度の若い社員がついてくる。そして、 その能力といえば、如何みても、下が上とくれば、それはオカシクなるもの。 子供の良さは、大人への猶予期間として、型にはまらず遊びを通して学ぶ時節。 その頃から、ネットを通じて世界を存分、知ってしまえば、それは、変になって 至極当然! 昔は年長者が情報格差で優位だったのが、今は違い、むしろ若い方が、 知っている。 ーAmazon 書評よりー * 生まれてこないほうが良かったのか?<生命の哲学 森岡正博著> 《内容(「BOOK」より) 【「生まれてこないほうがよかった」という思想は、人類2500年の歴史をもつ。 本書では、古代ギリシアの文学、古代インドの宗教哲学、ブッダの原始仏教を ゲーテやショーペンハウアー、ニーチェなど近代の文学と哲学、「誕生害悪論」 を説くベネターら現代の分析哲学を取り上げ、徹底的に考察。人間がこの世に 生まれてくることは誤りであり、生まれてこないようにしたほうがよいとする 反出生主義を世界思想史の中に位置づけ、その超克の道を探っていく。 反出生主義の全体像が分かる本邦初の書である。
私が「生まれてこなければよかった」と心の底から思うとき、私は自分が彼らと 共有した幸せや喜びの時間もまたなかったことにしたいと願っていることになる。 これは、私と過ごすことでほんのひとときであれ幸せや喜びを感じてくれた彼ら に対する、一方的でひどい暴力のようにも思われるのだ。「生まれてきたこと」 も肯定できず、「生まれてこなければよかった」と思うことも肯定できないと したら、私はいったいどうしたらいいのか。一つの可能性は、「生まれてこな ければよかった」という暗黒をいったんくぐり抜けることによって、その先に 「生まれてきて本当によかった」という光明を見ようとする道である。 私はそれを「誕生肯定」と呼んで、哲学的に考察してきた。これについては、 本書の最後でもういちど戻ってくることにしよう。
人類二五〇〇年の歴史をもつ「反出生主義」の思想 「生まれてこなければよかった」という詠嘆は、文学で屡々表現されてきた。 日本文学においては、太宰治の「生まれて、すみません」(『二十世紀旗手』) が有名である。『斜陽』には、「ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。 生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実」との言葉がある。 二一世紀の哲学においては、「生まれてこなければよかった」という思想は、 広く「反出生主義anti-natalism」と呼ばれている。反出生主義とは、人間が 生まれてくることや、人間を生み出すことを否定する思想である。人間たちが」 この世界へと生まれ出てくるのは間違ったことであるから、人間たちが生まれて こないようにしたほうがよいとする考え方である。反出生主義にはいくつかの バリエーションがあり、一言でそれらの思想をまとめることはできない。 のちに詳しく検討することになるが、デイヴィッド・ベネターの「誕生害悪論」 もその一つである。
ベネターは、人間が生まれてくることは例外なく悪いと主張する。 生まれてきた人が、友人や家族に恵まれた人生を送り、仕事が成功して幸せに 満ちていたとしても、その人が生まれてきたことは、その人が生まれてこなかった ことに比べて悪いのだと言う。そしてベネターは、人類の段階的絶滅を提唱する。 自殺によってではなく、人類が徐々に出産をあきらめることによって全体として この世から消えていくのが良いというのである。
本書では、反出生主義のうち、自分が生まれてきたことを否定する思想を 「誕生否定」と呼び、人間を新たに生み出すことを否定する思想を「出産否定」 と呼ぶことにしたい。この二つは密接に結びついているが、私が本書で重点的に 検討してみたいのは前者の「誕生否定」の思想についてである。 すなわち、「私は生まれてこないほうが良かった」という考え方である。
実は、誕生否定の思想は、文学において、哲学において、宗教において、 古代から綿々と説かれ続けてきた。「生まれてこないほうが良かった」は、 人類二五〇〇年の歴史をもっているのであり、現代において突然出てきたもの ではない。本書ではまず、近現代ヨーロッパの文学と哲学、古代ギリシア文学、 古代インドの宗教哲学、現代の分析哲学を、独自の視点から読み直していく。 それを通して、誕生否定についてこれまで何が語られてきたのか、そしてどの ような哲学的な論点が考察されてきたのかを浮かび上がらせる。その営みの中から、 「生命の哲学」のひとつの輪郭線を描いてみたい。
それと同時に、生まれてきたことへの肯定的な視線にも目を配っていきたい。 さきほど引用した太宰治の『斜陽』には、次の言葉が続けられている。「そうして 毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生れて来て よかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます」。 生まれてきてよかったとは、いったい何を意味するのか。一歩一歩階段を登るよう にして、その問いに近づいていきたい。 】
ー ▼ 現在のプーチンの頭の中は、己は生まれてこなければ良かったの呪いの言葉の 渦の真っ只中だろう。いずれ長くはない、一生、この渦の激しさこそ、世界で あり、それが生きるということになる。その中心こそ、自らが存在しており違う 宇宙への入口と思えるのか! 自分というより、己の悪魔こそが、オノレそのもの。 老いるというのは、その悪魔と対峙すること!みたくはない、己の姿である!
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