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2022年09月24日(土)
両親が老いてからの子供だったこともあり、孫のような存在。 多人数家族もあり、自由放任の生活環境が日常。母親と、近い年齢の姉が、 母親代わりの、温もりを与えてもらっていた。20万都市の長岡駅前の 繁華街の衣料品販売の商売屋も有り、普段は、騒がしい雑踏の中の日常。 母親は、商売の先頭に立っていて、子供の世話は、お手伝い任せ!
何やら、自動装置が働いており、それなりの知恵が必要であった。 毎日が、何やら面白いことを探し出し、勤しむのが日課。その延長が、 現在の私のようだ。スナックなどのママが、何処から聞き及んだか、私の 個性の特長を言い当てられることがあるが… 私としては、これが一杯一杯! でも、面白かったこと…この上ない。母親が38歳の子供。何とも、複雑だった のだろう。
母親の生い立ち、その後の問題を話すと、大方が、黙って聞いたあとに、 その心、いや魂の傷の深さに、驚愕する。それだけ、キツイ一生だったが、 戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた明治生まれの、宿命でもある。 鬼のような、厳しさと、仏様のような優しさが、あふれ出ていた。
・・・・・・ ・・・・・・ 2004/09/25 1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2 十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の 「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。 そしてそのままホテルに泊まってもらった。 翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。 二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。 そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた 母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。 本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんで いたようであった。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。 「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ「すごい内容だ。 是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。 いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。
「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまった。 こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会 がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人は ふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。 森信三氏も似たようなことがあったというが。それから数年後の1992年に、 森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。
話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は 幸せな人生をおくり、下4人は?? ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。 「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の 小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。
・・・・・ 2004/09/24 1270, 母が亡くなって、まる八年!ー命日に,母の魂に捧げる
今日の9月24日が母の命日。まる八年経った。遠い昔のような気がする。 今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰に とっても共通である。父の真の厳しさと、母の優しさの深さを知るのは、 自分がその年齢になって初めて解るものだ。
世界広しといえども、母は一人である。そして、ただ無条件で愛して くれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。 真実の愛は、親の愛がその原点にある。
愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。 キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。
人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。
ー命日ということで、母のことを少し話してみる。 母は特異な家庭環境の下で育った。兄一人、姉一人の三番目に生まれた 二年後に、実父が亡くなってしまった。そこで祖母は、(後妻でなく) 後夫をもらった。(要するに男後家)
その後、後夫の子供が4人生まれた。 後夫は当然のことながら、前夫の子供を徹底的に苛めた。 特に一番幼い母が、その対象になった。 祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。
そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。 子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。 ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。
それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。 その結果、重度のノイローゼになった。私が7〜10歳の時である。 立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。 (亡くなった直後の解剖で判明) そういえば、私も子供を抱きしめる ということは一切しなかった。その苦悩・苦痛の中から、神様のような 優しさを持つようになった。そして強さも。
その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで 多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。 特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ! 23日。れ、それを勇壮な掛け声 とともに渾身の気合で搗く。そいや。 そいや。そいや。搗く時間は素材と私のむかつきの度合いにより適宜変化する。 そのようにして私は夜ごと完全密室で杵をふるい、大小さまざまな血の餅 の山
* ほんの先日、家内が… 家内が夜半…<数時間も寝たのに、数分しか経ってないの?何か変?> と宣う。ところが私も…<数日前に全く同じ経験をした>と答えた。 季節の変わり目のため?季節というより、70歳の峠の時節のなさる業か、 こういう経験が、いやに多い。一日に数回も、ライブふうのウクライナ戦争の 動画を見ているのが…何かしら時空の感覚を鋭くしているのか? 戦争は絶対に避けるべきである。ソ連邦の崩壊を経験した上に、ロシアの 神様に祭り上げられたプーチンの心の空白が、そのまま世界に配信される 現代なればこそだが!… 逆に無垢の大リーガの大谷の無心の勇姿が、 そのまま大画面に映し出されてもいる。 ーー * 人間がいちばん人間的なのは… 〜岡本太郎著 <孤独を抱け> 《 孤独を悲壮感でとらえるな。 孤独こそ人間の現実的なあり方であって、 狭い特殊な状況ではない。 人間全体、みんなの運命をとことんまで考えたら、 ひとは必然的に孤独になる。孤独なればこそ、 無限の視野がひらける。》 ーー * 染み入るような孤独感!か?’ 長兄、次兄の不幸な死に対する無念な思いが、私の人生を 支えてくれていたのか? それを良いことに私は何やら、人生を甘く 見すぎていなかったのか?だんだん、想いが底なし沼に吸い込まれていく ような。そして、亡き兄姉の深い哀しみが、 直に遭い触れるような! 何だろう、親子とは! 底なし沼には、ドロドロ 下、沈殿物がトグロをまいている。 そこには…《自分でも他人!他人でも自分という原理が歴然としている。
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