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2021年07月12日(月)
* 人生のドン詰まりに 後期高齢者になって、半年が過ぎ去った。半年前の境目辺りに、腰痛が出て 寝込んでしまったが、やはり甘い現象でない。連れが先に亡くなったら、独り、 住まいも、現実生活には厳しいはず。足腰が弱った事態は、何とも気力が弱る。 都会の暮らしで、独り取残された古老は、何とも侘しい気持ちになるのだろう。 同年代の3分の1が鬼籍に入ったが、それも死ぬべき時には死ぬが良かろうと… この年齢の、孤独は、甘くはない。良い悪いは別として、古来からいわれて いるように連れとは己が先に立つ方が良いみたいだ。とはいえ、少しでも残照を 味わいたいもの。 医者で、学生時代の知人を遠目で見るにつけ、その侘しさは、 何とも哀愁に満ちている。 ―― * 名古屋場所も、後半に入りつつあるが… 今年も後半に入り、大相撲も、二人のモンゴル人が優勝を競っている。 最期は、白鵬が優勝を勝取るのだろうが、序二段から復活してきた照乃富士も 可能性が大である。若手の阿炎、琴乃若、王鵬、若隆景、琴勝峰、豊昇竜など 有望力士が目白押し。何とか白鵬から、その次世代に繋がれそうだ。 照乃富士は、その繋ぎになる。 ここで、大リーガーの二刀流の「大谷翔平」が、100年前のベーブルースを超え ようとする実績を出してきた。国内外では、オリンピック以上のフィーバー? 別に国威表明が箱物建設の利益が有ったとしても、それに求める必要も なかったことになる。営々と築かれた国力も減少し… 考えることもないが!
・・・・・・ 7059,閑話小題 〜新宿ねずみ −1 2020年07月12日(日) < 歌舞伎町 ラストトーキョー はぐれものたちの新宿 2019-08-12 | ドキュメンタリー > * 新宿ネズミの母 何とも時代がかった味わい深いドキュメント。去年の今頃に一回目が放送 された続編…。歌舞伎町という歓楽街の世界を生々しく映し出す。母親も娘の 質問に生なましく本音を曝け出す。また他の店の御客の本音も含まれる。 歌舞伎町の水商売の実態が垣間見れる。行場のないハグレ者が集う街。 その底知れぬ歓楽街の生々しさが、…追い詰められた経営者の母親の本音が、 娘の撮るカメラから直に伝わってくる。デレクターの娘も本気で質問。 母親も、それに応える。 8人兄姉の末っ子で、両親に溺愛された反面、兄姉から、その分、 虐めがあった。両親の身近で本音を聞いて育ったため、この母子の本音 の対話には… 何やら既視感のような不思議な感覚があった。 3〜4年で8割の店が入替る街、歌舞伎町。そこにはドラマが生まれてくる。 恐らく、一年後には、現在進行形の店の閉店? が放送される? それが現に日本中、世界中に起きているのでは… 〜NHKの番組紹介より ≪ 新宿で一番古い麻雀店を45年にわたり経営している番組ディレクターの母。 新型コロナの感染拡大で店は開店休業状態に。もう閉店するしか道はないのか 何十年も共に働いた従業員はどうなるのか… ある夜母は家族を前にして決断を語った! 何とか生き延びようと奔走する 経営者の4か月に娘のディレクターが密着。思わず弱音をこぼし涙する母、 毅然とした態度で決断を告る母… 日記形式で記録したセルフドキュメンタリー 〜デレクターの一言〜 私の母は、新宿で老舗の麻雀店を営んでいる。ところがこの春、新型コロナ の影響で経営がピンチに!番組ディレクターが、翻弄される母の4か月を記録 した“新宿ダイアリー” NHKの30代女性、ディレクター、柏木映絵が母の これまでの人生を撮る、というちょっと珍しい、ドキュメント。100分。 母を去年と今年にわたり2年取材した。二人の会話、姿も映る。 ≫
―― ▼ 娘に母親が、「娘に自由に生きて欲しいと言っていたが、現実は縛りつけて いた。」の言葉が真に迫っていた。子供には苦労させたくないと、先生を何人 か付けて学ばせ、小中校の時に、一度も遅刻をさせなかった。それも自己満足」。 母親の語る言葉の何れも、飾りがだけ、心に響く。時どき合間にゴミ箱のネズミ を映し出すが、これが母親のイメージとピッタシ。.…確かに生き抜くのは大事業! 〜つづく ・・・・・・ 6692,閑話小題 〜つれづれに哲学 ―本当に頭が良い人とは? 2019年07月12日(金) * 本当に頭の良い人ってのは! 世の中には、頭が良い人が実に多い。それ以前に… 「それにつけても、自分の頭の悪さよ、カッパエビセン」である。 頭の良い人とは、「難しい言葉を簡単な言葉に変えて、相手も、自分に対して 理解しやすく出来る人。 自分の語彙の豊富さをひけらしたり、難しい言葉を 使って頭が良いと思いもしない人。 1、難しい言葉や言い回しを避けて 2、相手の視点を意識でき 3、例え話を多用でき 4、習慣力を応用でき、 5、努力、準備を楽しみまで持ち上げる力を持ち 6、何事にも興味を持ち得て、「日々是好日」が身に付いている その第一歩が、心の底から、ソクラテスではないが、「自分ってのは何で、 ここまで頭が悪い!」っていう自覚。 それじゃあ、あの本当に頭の良い人 ってのは、何ゆえに、自然に身に付いているのか? やはり、環境からくる ものじゃ、ないのか? 本当にバカに関しては、直ぐに自覚できるが… ー― * 中二病があるそうな… 『中二病』って言葉を初めて知った。 ネット検索によると… <中学二年頃の時節の「自分は選ばれし特別な存在」という自己愛が暴走し、 周囲の感覚を超越した自分になろうとする病。これを源として、現実的に不可能 な世界に憧れたり、逸脱的な趣味・嗜好を顕示したりする>と。誰もが心の底に、 持っているが、周囲の言動から、自己修正をせざるを得なくなり、自然消滅? するもの。今でも堂々と、「私は選ばれし者」と、公言する者がいるが… これは、存在論になる。私が此処に存在するのは偶然か、必然か? フランスでは、その中二に「哲学」の科目を与えられているとか? 第二反抗期ともいわれ、扱い一つで、人生が根底から破綻する可能志を含む、 誰もが通る道。 今では誰もがスマートフォンを手に出来る時代。それ故に、 不安程度が高まる危険性がある。そうこう考えると、親の責任は、より大きく なっている。 そこで、その具体的症例を調べると、これ面白い! それは、後でテーマにする。人生、振返ると危険な爆弾の山の繋がり。
偶然だが、脈絡として丁度良く、去年の文章に続く。 ・・・・・・ 6329,閑話小題 〜何でまた、17年もかけて… 2018年07月12日(木) * ネット社会は、小さな物語の公開から
『複数の小さな物語の作成と読返しで、内省する日々ですか…』とブツブツ、 ここで呟く日々。 毎日、TV、タブレット、パソコンなどのデジタル世界と、 現実世界?では、スポーツジムと、早朝一時間のチャリ遊覧の日々。 その合間にベッドか、居間で横たわる。『17年、ほぼ休むことなく、6300テーマ を書き続けるのは何で?』と、書いている私自身でも度々、疑問に思うこと。 このバカバカしさが面白いから、ただ、それだけのこと。 日々キャッチした情報をブログに記録し、クラウドしてしまえば、何時でも、 何れの場所でも、そこにアクセスできる上に、他者に公開することで、その利益 を共有することが可能になる。 そこは「サテライト・オフィス」そのものにも。 とすると、スマ―フォンと、ブログの普及は大きな物語の終焉を意味する。 ブログは、個々の複数の小さな物語の創作と公開そのもので、それがネット上で 地球上に公開される。このことを、リオタールは、著書『ポスト・モダンの条件』 (1979年)で、かってのマルクス主義のような近代を特徴づける大きな物語の 終焉を説き、複数の小さな物語の時代としてのポスト・モダンの到来を予告した。
《 近代すなわちモダンの時期における思想文化は、進歩や革命、あるいは 人間主体の解放といった「大きな物語」で自分を正当化できると思っていた。 しかし、そうしたイデオロギーは、歴史的にみて、ソ連の崩壊で終焉し、複数 の小さな物語が主流を占めるとし、ポストモダンの到来を予告した。 哲学や科学が目指してきたもの=自己実現、人間の解放、人類の進歩など 人間や社会を根本から変えるような「大きな物語」の終焉をむかえた。 20世紀前半の第一次、第二次世界大戦と、後半のソ連の勃興と崩壊とともに、 決定的に大きな物語そのものは凋落してしまった。現代とは、互いにバラバラで 異質のままのローカル言語ゲーム同士が、整然たる秩序に組込まれることなく、 混在しあう時代。これらの小さな物語を調停する新しい価値基準はもはやない。 むしろ必要なのは、安易に既成の価値観によりかからない、様々な異質のもの 同士のせめぎあいに堪えられる強さを持つこと。》(『世界の哲学・思想』より) ― ▼ それぞれがスマートフォンを持ち歩き、写真や、ビデオを撮影し、互いに 遣り取り出来る時代には、大きな物語より、身の回りの小さな面白い写真や、 映像に対し、人々は反応する。何事も一万時間の集中した時間の投入がベースと いうが、私は、その二倍近いエネルギーを投入してきた。で、日々の経験を そのまま飽きもせずに… 成るほど、これが私のベースであり、限界でもある。 ー―――
2018/05/04 閑話小題 〜17年書き続けると * 5月4日は、このブログ開始記念日 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。 まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、 読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。その割に、読みっぱなしのためか、 読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、 何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。 「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。 以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを 始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。 以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と 検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の 感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代 のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。 ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア」 の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に 現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、 その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。 何事も一万時間か、10年続けることですか。
―――― 2016/12/08 なぜ本を読むといいか? 〜7 <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著 * 確実によい本に出合う方法はあるのか? 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。 “どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。 あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。 それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。 〜その辺りを、第5章に具体的に述べてある。 ≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。 300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。 でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ ことなど、どだい無理だと思っているからだ。 ・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、 自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を 持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、 おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。 ・大事なので、結論を繰り返す。 本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。 予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来 起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。 本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。 本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で 1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。 外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における 偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。 本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫ ―― ▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。 文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの 認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量 の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、 ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと 気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の 情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。 この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、 記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、 それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを 二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、 かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、 思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は 私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」 と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、 人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、 <少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。 トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。 すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニヤ 娑婆! ・・・・・・・・ 3481, ライフログのすすめ 2010年10月06日(水) <ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)> ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー 人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、 そして普段は気にかけない自分の位置情報や生体情報まで、人生の「すべて」 をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。 仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャル な分身に人生を語らせることも可能だ。いいことずくめの「ライフログ」の 時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター 科学の重鎮が、その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。 ▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席 研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている70歳を超えたゴードン・ ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として 利用することの可能性や実現方法を語っている。PCの性能やストレージの容量 が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」をほぼ保存 していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。 10年近く前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、書きっぱなしだった 読書感や、毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、 ほぼ休むことなく続けてきた。ネタ探しを含めると、一日2~3時間は要している。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。 五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで生きようと考え実行 した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。 まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば私にとって黄金の習慣になる、 と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」 と思い知った。 10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、ある時点に到達 してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも深さも違っている。 当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも事実である。 「ライフログ化」というコンセプトのブログや商品も出てくるはず。特に タブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。私も10年のキャリアがある から、経験を生かせる筈だが。面倒か! 夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝 8時の顔写真でも、毎日デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、それも ライフログの一つになる。高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に 毎日、仕事、私生活を木目細かく書き続けてきたという。
・・・・・・ 2005年11月03日(木) 1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1 −読書日記 「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から 日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。 読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。 数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな 手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。 心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。 神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、 神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という 意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。 ー「書くことの秘儀」ー
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