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2021年06月13日(日)
* やはり、家霊に護られているような感が… 振返り考えると、世の中には、あらゆる処に悪い人間が虎視眈々と隙を 狙っているとみてよい。それが性欲、金銭、請判だったり、何かのセールス だったり、その時に気づかなくとも、後あと、気づかされることが多々ある。 起業など聞こえは良いが、これがまた様々の要素が絡み、余程のことがない限り、 やるものでない。やるなら、失敗をした時に後悔をしないと、事前に覚悟をして 取組むべきである。ハッキリ言って、明確なモデルを探し、その全てを真似る 覚悟が必要である。駄目と判断した時の対応が事前に考えてあるか否か… 問題は立つ鳥跡を濁らずの引際である。事前に、その最悪の事態を想定して 置くこと。連合いと、自分の通帳を別にして、給料を支払い厚生年金を掛けて おく形式なら、規模の大小に関係なく可能。基本は長期投資と行っておくか… 失敗した時、思わぬ事態に遭遇した時に、その基本構造の梁が太くしてあるか? 最後に護ってくれるのは、その構造である。
世の中は、思いしない事態が突然に襲いくる。その時には、誰も助けては くれない。見事なくらいサァ〜と周辺から引いていく。それだけでない、血の こびり付いた血刀を上段に捧げて襲いくる。 その中で、護ってくれるのは、 長期投資していた塊りだけ。当たり前と思っていたが、そうでもないのが娑婆! 武士はくわねど高楊枝。 貧すれば鈍する。両親から、そのことを教わってきた。 空襲で貸家、貸布団、骨董の大部分を失った。 貸布団の経験から、古着を高く仕入れて、安く売る着想を得てベースをつくり、 何とか急場をしのいでいた。 両親にとって太平洋戦争と、長岡空襲がブラックスワンだった。振返って心底 思うことは、このブラックスワンが、否応もなく私たちの人生を大きく左右する。 〜つづく ・・・・・・ 2020/03 02 閑話小題 〜新型コロナの現状と、行方は? 〜6
* このブラック・スワンは、思いの外、大きい? 先日、「小・中・高校の一斉休暇を英断」と書いたが… 英断でも何でもない。 この騒ぎ、「実は最高権力者にとって神風では?」という疑問が、数日前から わいてきた。この騒ぎ、トランプ大統領、習主席、文大統領、阿部首相の時の 最高権力者にとって、目先の難題から大衆の目を逸らすには絶大な効果。 トランプはロシア疑惑やウクライナ疑惑。 習は、台湾、香港騒ぎ。 文は、娘婿の汚職問題。 安倍は、桜見の私的利用と籠池問題、検察権力への介入問題。 <新型コロナのパニック?が、各権力者の些細な問題どころではない>と、 これ幸いのイベントに問題がすり替えられてしまった。 少しオーバーぎみに、 「これはパンデミックから、恐慌の瀬戸際!」まで発展しそうな勢いと… 赤色(アラブ系)のイスラム教にとって、白色系資本主義世界が混乱すれば、 プラスだが、アラブも、聖地巡礼は宗教色が強い観光? 世界各地から人々が 集まり、コロナ菌にとって、最も適した媒体になる弱点がある。 おまけに、 何事もアッラーの思し召しのため、出たとこ勝負のため、健康に対する システムは劣悪。彼らの細菌テロも有効だが、その反撃に対するテロにも、 全くの無防備。彼らの頭は、まず現状の隠ぺい。
欧州では、アラブでの内部抗争と、中東・アフリカからの難民問題と、 EUからのイギリス離脱問題で大混乱。 ここに中国のコロナ騒ぎ。 思いの外、静かに収束してくれるといいが。この一週間が、一ヶ月が見もの。 こういう時には、自然災害が追討ちをかけるように起こるから要注意! その時は、その時だが… リタイアをした身としても… どうなるのか? 問題発生直後に、朴訥とした細菌研究所の識者が、開口一番に宣った 「この細菌は、人間に譬えると、殺傷力は小さいが、性格が悪いのが特徴! 潜伏期間が長くて、感染力が非常に強い奴」と… …で結果は、全体像からして、そのとおり!
老人と、重篤な病持ちには20数%死亡率。青少年には、ほぼ問題ない。 しかし、大家族には健康弱者と、老人が含まれるから、始末が悪い。 『老人外出禁止令』でも考えても、いいのでは。観客のいないプロ野球の オープン戦も、慣れてしまえば、それは、それ。観客が居ない大相撲も面白 そうである。競馬場にあるような超大型のモニターを所どころに置いて、 そこに芸者などの観客姿を映し出し、雰囲気を盛り上げる位のショーアップ を考えてもいいだろう。今からでも遅くない。いや、時間的に無理ですか… あの理事の面々からしても無理ですか! 本来は、NHKと広告代理店の出番 でしょうが! Tv放送なら、何か盛りたてる加工が可能なはずだが。
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5830,閑話小題 〜しまった! ー「印象操作」ー 17 2017年03月02日(木) 「失敗の心理」しまった!」ジョゼフ・T・ハリナン著 * 嘘つき それとも「印象操作」が人間の常 人間は、嘘つきで、印象操作をあたかも事実のように捩じ曲げる。問題は、 それに怖れて慄いて、自分の自由を束縛すること。 地方、とりわけ城下町は、 固定社会である。小さな世界で、互いに監視し合い、良くいえば相互信頼、 悪くいえば、相互依存で生きるしかない。で、体裁を繕うためにまず、己の 「印象操作」に精を出す。それが結果として城下町精神とかのバケモノになる。
≪ 何処の地でも、「うわさ」という世間人の嘘がまかり通っている。 何人かの学生に対し、数週間、他人に話した内容を記録するように依頼。 話題の多くは社交行事のことで平均2・7回は再話された。これは意外でなかった。 意外だったのは、話の婉曲の程度だ。学生たちは真実を曲げたばかりか、予想 以上に歪めていた。 ・全談話の61%に情報の追加、省略、最少化をおこなっていた。それでも、 その程度そうしたかと尋ると、全体の42%しか認めなかった。この差は大きい。 ・改変の最たるものは重要なディテールの省略、36%もの話にあった。 ・ついで誇張と最少化が26%。 ・そして13%がまったくの捏造―もとの出来事と関係ない情報を占めていた。 その上に、学生は話を聞き手の好みに合わせただけでなく、さらに重要なことに 自分の目的に合わせていた。特に面白い話題には、更に嘘を付け加えていた。 ・・・(略) 人間はなぜ、このような嘘をつくのだろう? トヴァンスキーの 考えでは、一つの説明としては、語ることの目的の設定という。…(略) 談話は、事実を語る手段ではなくて、ある目的を達するための手段にもなる と彼女は主張する。そしてその目的の一例をあげた。 <たとえば相手に何かを思わせ、自分へのアクションを起こさせるため。 自分を好きに思わせるため、頭がよい、しっかりしていると思わせるために> その意味では、対話の目的とは事実を伝えることではない。印象をつくりだす ことだ。だから話の正確さが二の次で、印象操作が優先されがちになる。 …(略) 要するに、私たちは自分の嘘を本気で信じるようになる。に関らず、 このプロセスが自分の中で進行していることには気づかないのである。≫ ―― ▼ バケモノはバケモノ。とって喰われないための自己防御に一生を費やし、 人生を終える。それも人生。決して、非難は出来ない。世間人の世間話とは、 所詮は、こんなもの。地区内炎上が日々、漫画的に行われている。 カルフォルニアのロスの中華街の中国社会を例にとると解りやすい。 中華街の常識は、そこだけの世界のこと、街を一歩出れば、それは非常識。 コスプレのような「印象操作」で、娑婆と競い諂うのも、面白いが…。 後記)偶然だが、4年前の文章に文脈が丁度良くつづく。そういうこと! ・・・・・・ 4368, 歳を取りそこねる人たち ー2 2013年03月02日(土) 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦 (著) 「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち 受けている」というのが本当のところ。そして最期は死ぬのである。 その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。 * 幸福のふたつの文脈 ≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。 ・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日 である。それは往々にして退屈に感じたり、無価値に映る。だが、大病を 患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】 の有難さに気づく。現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに 淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人にとって 手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。 ・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、 楽しいこと、満足感を得ること―― そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象 との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分喜ばしい ことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを 告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とが まったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、 学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、 そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズ をしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を 感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた (へいや、今でも信じている)。… ≫ ▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、 満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。自虐的な性格もあり、 倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、 これは最適。 ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー 《 老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生の なかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、小説に描かれた味わい深い 老人たちを参考にしながら、その探求の過程において示されるのは、著者の 考える素敵な老いや適切な「年寄り」のかたちも若干はあるが、ほとんど、 みっともなかったり、哀しかったり、ときには常識をはずれさえするグロテスク な老いの姿。他者と生き別れ死に別れた孤独のなかで、死の可能性が充実した ゾーンへと入っていく時、空間の戸惑いのなかで、人間が抱えている厄介な ものが唐突にあらわになる。老いるとは、あらゆる出来事に対する達観した 精神の獲得といったようなものではなく、人生が与えてくる難儀さに傷つけ ながら、なんとか過ごしていくことではあるまいか。》 肉体も精神も老いぼれ朽ち果て、無になる。それで良いではないか。 ただ、噂話や愚痴を言い合う老人の群れに入らないことだ。
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