| 7314,閑話小題 〜例年なら胸躍る桜開花が待たれる頃だが… |
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2021年03月03日(水)
* コロナ禍で気が晴れない日々が続いている。 例年なら胸躍る桜開花が待たれる頃だが… この十年来、毎日が巣籠りのような日々だが、丁度良いタイミングに、 スポーツ・ジムがオープン。 月、火、水、木、土曜日の午後、1〜2時間、 通っている。 このブログと供に唯一の社会の窓だが、何とか孤高を守り、 巣篭り生活を過ごしている。メールも全く見ることもなく、携帯電話さえ、 視ることがない。何やら陸に上がったカッパか… それでも、地元の中学校の 同級会も、意識のヅレが大きくて、75歳を目途に…と考え出した矢先、この パンデミックである。自らを「離れ野犬」を、標榜し始めて10年近くになるが、 このパンデミックは、3密の禁止が、何やら一匹狼的野犬に重なってくる。 どんな状況でも、直に適応できる人生を過ごしてきた生き方そのままが、老化 してきた自らを助けてくれる。としても、
・・・・・・ 6928,閑話小題 〜センテナリアン 2020年03月03日(火) * 百歳まで生きる 久々に会った友人から、先日、聞いたセンテナリアンとは、 < 100歳以上の人物のことである。センテナリアンの人数が世界最多で推計 70,490人となっている。これは国民4,400人につき1人に相当。 日本はアメリカ 合衆国に次いで2番目にセンテナリアンの数が多く、2012年9月現在、推計51376人。 なお、調査が始まったのは1963年だが、この時は153人であった。その後、1998年 に1万人、2003年に2万人、そして2009年には4万人と、短期間のうちに数が倍増。 多くの文化で、100歳まで生きることを願う旨を、祈りの言葉に取入れている。 ヒンドゥー教徒の間では、高齢者の足に触れた者は「100歳まで生きますよう」 と声を掛けられることが多い。 スウェーデンの伝統的な誕生日の歌に「100年間生きられますように」との 一節がある。ユダヤ教で祈りを捧げる際、「100歳まで生きるかもしれない」 と言うのが一般的である。 去年の暮、日本橋で毎年、第一土曜日恒例の学生時代の同期会に出席。 それぞれが3分程度で近況を語るが、最近、出席を始めた男が、 『私は110歳まで生きると決めた!』と、驚くべき言葉。それも本気に。 現在が健康なればこそ言えることだが… 10数年前に、75歳をゴールと心の中 で決めて、ここまで生きてきたが、その制限時間が、あと一年まで迫ってきた。 ならば、そろそろ寝たきりになる筈が、その兆候は全くない。宣言したことも あってか、もう攻撃を始めて大丈夫と、卑しいのが露骨に… ? それもジャレか。 で、先日、会った人が真面目な顔で、『百歳まで生きるとしたら、現在の預金で 少し足りない!』と心配顔。 内心でハッとしたのを隠して、「大丈夫、そこまで 生きはしないよ!』と受答えた。 私は『生きると宣言した75歳まで、あと一年。 その兆候は、今のところ全くなし!』と答えると、『実は、このセンテナリアンの 言葉でハッとして、生活態度を変える切っ掛けとなった。そのコーナーもネット上 にあるし、少し深耕してみた方がいい!』と… 問題は、年々落ちていく肉体と、 生活の質。 ―― [総合] 2020年1月16日(木) 午前0:55〜午前1:45(50分) ニュース/報道>定時・総合 番組内容認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん(90) が、自らも認知症であることを公表した。その姿を一年に渡って記録。 専門医が当事者になって初めて気づいた大切なものとは。詳細自ら認知症である という重い事実を公表した医師がいる。認知症医療の第一人者、長谷川和夫さん (90)。「長谷川式」と呼ばれる早期診断の検査指標を開発、「痴呆」という 呼称を「認知症」に変えることを提唱するなど、人生を認知症医療に捧げてきた。 認知症専門医が認知症になったという現実をどう受け入れ、何に気づくのか。 誰もが認知症になりうる時代。長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための 手がかりや希望をつむぐ。 〜 丁度良いテーマが、去年に書いてあった… 〜
・・・・・・ 6562,閑話小題 〜「老い」という名の「病」 〜1 2019年03月03日(日) * 老いるほど病は重くなっていく 古希を超えると、娑婆世界が違って見える経験を日々味わっている! 年には勝てない自分を冷笑している小さな違った視線がある。 なかにし礼が、黒柳徹子との対談で80歳を超えた心象風景を、 「70歳超えとは、まるで違い、あの世からの目線の感が強くなった」と。 もの心がついて70年以上が経過したが、10人家族の末っ子の立ち位置で、 比較的冷静に周囲、例えば家族など身近な濃厚な生活環境で育ったことが、 強み弱みになっていた。その中で生きるに、鳥瞰する本能が身に付いていた。 子供ながら、「冷静な目線と、気持ちをおさえ息を潜め、トリッキーにある こと。秘密を守ること。」を必要とした。末っ子の立ち位置もある。 このブログの最後の捻りは、その持味の名残り。コテコテの捻り? これを哲学的にいえば、「捻らずにいられない「発語」になる。 発語といえばを下ネタ表現なら「発情」。 黙って第三者の対話や、会話を 聴いていると、世間話は『発話』でばなくて『発情』かと… 。 有名人が進行ガンをブログで発するのは『発語』。 恐怖の際なればこそ、 直に伝わってくる。 当事者の本人は悲劇の主人公だが、格別、変わった絵に なる物語ではないことを初体験の本人は知らない。そこに、当事者と傍とは、 大きな溝がある。 「老いという名の病」への怒りが他に向かうのが老醜。 その事例は幾らでも周辺に転がっている。これにアルツハイマーなどが絡み 周囲を巻き込む。「長生きすれば、それで良し」も、考えもの。 「生老病死」の問題。特に『老病』の『老=病』の解釈。 成人病は、青年が、成人になって罹る病。特殊の事例を除くと、50歳超えの初老 からの病。「がん」「心臓病」「脳卒中」… 現在では「糖尿病」「高血圧症」 「動脈硬化」 などとあわせて『成人病』と言われる。同世代で3割が、これで 亡くなっている。ストレスで、飲酒過剰、喫煙などの生活習慣が病の元になる。 生真面目で、現実社会にドップリと浸かり、トリップが出来ない人に多い。 何が悪いかというと、ストレス。日々、週間、月、年単位で、毒出しを習慣化 して措かないと、死に至る病を誘発する。 ストレス管理が「老いという病」 の予防になる。計画的トリップが、これ。 このブログの維持と管理が、私の 『ライフワーク』の一つ。作成中は、完全にトリップ状態。 それと他に…
・・・・・・ 6198,閑話小題 〜知識と所得 −7 2018年03月03日(土) 『クラウド時代の思考術』パンウドストーン著 * 知識のプレミアム <多くの種々雑多な知識を知る者がたくさんの金を稼いでいた> 自分を振り返ると、どうだろう。一時期に稼いでいたが、ブラックスワンで 消滅しただけで、背景に数知れない雑多な知識があった分、一時的にしろ 稼いでいた? いや15年の用意周到の自己配転など準備や計画的知識習得や、 雑多の経験があればこそである。計画をたてる前提に豊富な知識が必要。 その知識にはプレミアムが組みこんである。問題は、雑多な知識を、如何に 組みこむベースがあるかどうか。以下は、リアルなアメリカ的実証主義の内容… 問題は形而下の現象を、文章などで形而化する能力。それもこれも思い詰めて ないと、機会は知らぬ間に通り過ぎている。深く穴を掘ろうとすれば広い幅が 必要になる。その為には純真な好奇心と、それを追及できる条件が必要となる。 ―― ≪「事実を知ること、覚えておくことになんの価値があるのか?」という問いに 対して、第二章では、より直接的にわれわれのモチベーションを引き出して くれそうな回答が提示される。 パウンドストーンの調査によれば、 「より多くの種々雑多な知識を知る者がたくさんの金を稼いでいた」というのだ。 知識の豊富な人々はたくさんのお金を稼ぐ。それは教育や年齢が一定に保たれた ときでさえそうなのである。 (……)そこには知識に起因した大きな所得の格差がある。そしてそれは、 教育や年齢に起因するものではない。(p162-164)
教育レベルや年齢という要因を排除したうえで、なお"一般常識"クイズの 点数は所得の多寡と強い相関関係があった。 興味深いのは、所得との相関関係がもっとも強く見られるのは広範囲な一般常識 クイズにおいてであり、科学知識やスペリング・文法、文化的知識、スポーツに 関するマニアックな知識と、所得とのあいだには何の関係も見られなかったと いうことだ。言い換えれば、専門的ではない事実的な知識の多寡が、所得と 大きな相関関係を持っていたのである。
これは何を意味するのだろう? ・“一般常識"と所得の相関関係はすでに明らかだが、これは因果関係なのだろうか。 我々はクイズ本を読み漁り"一般常識"を身につけることで所得を増やすことが できるのか? ・あるいは所得が増えた結果として我々は物知りになるのか? ・それとも、第三の因子が"常識力"と所得のどちらとも正の相関を結んでいるのか? (たとえば記憶力とか、好奇心とか、保護者の資力とか?)
パウンドストーンの推測は、これらすべてがそれぞれある面で正しいということだ。 そして生まれもった記憶力や両親を取り替えることはできないが、自ら学ぶことは できる。外界に対し注意を払い、より多くのものを吸収していく態度が所得の上昇 につながるのである。 ≫
― ▼ この問題と教養の問題は別問題だが、「恒産あって恒心あり」か? 「恒心あって恒産あり」か? 両方相まってこそだが、好奇心がまず必要になる。 <売り家と唐様で書く三代目>というが、他人事の話ではない。その意味といえば 【創業 ー「初代が汗水たらして財を成した」さらに二代目までは家「会社」は 苦労して栄えたが、三代目は苦労知らずで育ち、遊びごと芸事「習字も唐から 伝わった書体文字の書き方」にうつつを抜かしたので家「会社」も没落し家を 遊んだ時に覚えた唐様の書体で「売り家」と書いて売りに出しているということ。】 このブログも「唐文字」のようなものですか。知識のプレミアムが「稼ぎ」だけ でない。知識単独だけでも、管理さえ怠らなければ、それで充分プレミアムになる。 〜丁度よく、4年前の文章に�壓がっていく。
・・・・・・ 4736,<つまずき>の事典 〜 ー4 2014年03月03日(月) <つまずき>の事典> 中村邦生編著 * 言ってはならぬ、闘いが無益などと 人生の終盤に、あまり良い結果ではなかった?が、自分の人生を 全面否定する気持ちは最小である。気持ちは「天気晴朗なれど、波高し」。 この詩は、誰にでも訪れる人生の終焉で、励ましを与えてくれる。 《 言ってはならぬ、闘いが無益などと 努力も傷手も無駄などと 敵はなお息絶えず、怯むこともなく 事態は相も変らず元のとおりだ、などと。 ーアーサー・ヒュー・クラフ「言ってはならぬ、闘いが無益などと」P-44 アーサー・ヒュー・クラフはイギリスの詩人。ラグビー校でトマス・アーノルド に習い、その息子マシューと生涯にわたる親交を結んだ。マシュー・アーノルド の追悼詩の傑作「サーシス」はクラフを悼んだもの。「言ってはならぬ、 闘いが無益などと」は窮地にあってなお不屈の心をうたった詩として知られる (引用は冒頭の一節)。また第二次大戦中にチャーチルがルーズベルトへの放送 の結びにこの詩を引用し、イギりス国民を励ましたという逸話を持っている。 クラフには「一度も闘わないよりは、闘って敗れた方がましである」 という有名な言葉もある。 》 ーネットで、調べたところ、以下の訳があった。 【 悪戦苦闘しても無駄だ、 骨折り損だし、怪我をするだけだ、 敵は一向に怯(ひる)まないし、逃げる気配もない、 結局元の木阿弥だ、などと言ってはならない。 希望を抱いて馬鹿をみるなら、心配が杞憂に終わることもある。 もしかしたら、ここからは見えない戦場の一隅で、 まさに今、君の戦友が逃げる敵を追っているかもしれない、 君さえいなければ、勝利は味方のものかもしれないのだ。 疲れきった様子で浜辺にうち寄せている波も、 いくら苦労しても一歩も前進してはいないように見える。 それでも、ずっと彼方の湾や入江では、じわじわと、 そして、黙々と、大きな潮がみちかけているのだ。 夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、 光が射してくるのではない。 東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、 西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。 ー平井正穂編『イギリス名詩選』より 】 ▼ 現在の私に、一言一言が実感として響いてくる。 何もしない人ほど、 いや出来なかった人ほど、「闘いが無益で、努力も痛手も無駄」と言い張る。 闘いもない、さしたる努力もない人生ほど、毒が溜まり、精神を腐らせている。 その毒を、他人に?に向け、吐き出すしかない人々の哀れさを、この節目で タップリと見せて貰った。「世界は広い。そして深い!」人類は成功によって 導かれてきたが、その背後には99%の失敗と挫折がある。それが人生だ。
・・・・・・ 5831,閑話小題 〜しまった! ー「しまった!」の総括ー 18 2017年03月03日(金) 「失敗の心理」しまった!」ジョゼフ・T・ハリナン著 * 「しまった!」の総括 ランダムに印象に残ったところからテーマにしてきた。どれもこれも思い当る ふしがあるテーマ。須らく、さんまの「アフォ違いまんねん、パーなんねん」 ―― ・人は(90%は)間違るもの。 ・手ごわいのが「あと知恵バイアス」〜更に危ないのは当人が気づてないこと。 ・専門家によれば、視野のなかで高解析度をもつ範囲は角度にすれば親指の幅の 僅か二度だけ。「見たつもり」「知っていたつもり」で、実は何も知らない。 ・都合よく無意識でつくり変えた話でも、二度三度繰返すうちに、いつしか 「記憶」そのものになってしまう。 ・人はみな「意味」を探す だから物語化をして問題整理が必要となる。 ・意外と大事な「色」の問題。黒いユニフォームのチームは、ペナルティを 取られる可能性が高くなる。 ・ギャンブラーは、なぜ自信満々なのか? 買った局面を度々、思い出すため。 ・ドイツの音楽をBGMで流すと、ドイツワインの売り上げが上がる。 ・状況は「偉大な杖」の如し〜ハロウィンで、首つり自殺を見逃しがちになる。 正月に起こったことは、正月、思い出すことが多い。 ・人間は「嘘つき」である。何故なら、情報伝達の間に、ほぼ歪んでいく。 ・人間は、自分を人並み以上と思う。〜自分が無知蒙昧など微塵も思わない。 ・馬鹿の一つ覚え。 〜一度覚えた方法を知ると、改善、改革しようとしない。 ・人は馬鹿である。 〜学生と教員に単純なゲームさせ、洒落た服装の教員と、 冴えない教員とでは、前者の場合は自信をなくし、後者には自信満々だった。 〜さらに、コインの裏表を当てるゲームで、八百長で数回、当てるように 仕組んだ方は自信過剰になり、裏表を当てる能力を持っていると信じるように なっていた。賭博場が、素人を誘い込むのは、これ。背後にある組織の力に 気づくことなく独立をして失敗するのは、このパターン。 ・人は自制しない。 〜いや、「出来なくなる」というのが、正しい。 ・焦点幻想。 〜人は焦点をしぼる的を間違える。複雑の問題の場合に、 簡単な方に注意の的を絞りがちになる。 ・人生の資産は、時間をどのように使うかにある。 ―― 目次を見ながら、抜粋したが、どれも、これも、思い当たるふしがある。 基本は、志村けんと加藤茶のコントの『呆け老人の対話』が、その要約。 突っ込みも、呆け役も、その要領を得ないで、遣り取りをしている。 あれが実は日常の真実の姿。 他人同士の中では、鮮明に見えるが、 これが自分のこととなると、全く見えなくなる、人間の悲しさ。 追)馬鹿に「楽観」も「悲観」もないが、再び、去年の内容の文脈に つながる。心底、人間そのものが「失敗の塊」と思う。 特に私は!
・・・・・・ 5466,人生で最も大切な技術 ー24 楽観主義と悲観主義 2016年03月03日(木) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 楽観主義と悲観主義、この二つの世界観 楽観だけではモノゴトは上手くいかないし、悲観主義だけでは、面白くは 生きていけない。この年齢になると、「もう○○歳」と「まだ・・」と考える かで、大きく違ってくる。『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志 のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ』 と、アランが『幸福論』でいうが、やはり意志が受止め方を変えていく。 〜その辺りから〜 ≪・楽観論者とは、この問題は一時的、制御可能、特定の状況と関係している、 というふうに考える人。「そのような些細なことで大騒ぎするのは理に 適っていない。すぐに片づく。自分で解決できる。いずれにせよ、これまで 常に解決できた」をモットーにする。 ・一方、悲観論者は、問題は長引くだろう(この種の問題は簡単に片づかない)、 やることなすことが裏目に出る(私には期待しないでほしい)と考える人である。 また、生まれつき精神的な欠陥があると思い込み、「何をしても結果は同じ」 と冷めていて、「生まれつき幸せとは縁がない」と結論づける。 現代人の多くが不安感に苦しんでいるが、これは悲観論と密接に関係している。 悲観論者は常に災難を予想し、慢性的な不安症にかかっていて、疑い深く なっている。不機嫌で、苛立ち、神経過敏になり、世の中や自分への信頼感を 失っていて、常にいじめの犠牲になっている、捨てられる、無視されている、 などと取り越し苦労する。≫ * 楽観論に対する論外な非難 ≪・心理学の世界では長年にわたり、多少抑うつ的な人のほうがものの見方が 「現実的」で、楽観論者は、苦痛の伴う状況よりは、愉しい出来事に長々と 思いをはせ、過去の実績や達成を過大評価する傾向がある、と信じられてきた。 仮にそれが真実なら、楽観論者に比べて、悲観論者の方が目を大きく開けて、 状況をより明快に評価する傾向がある、という理屈になる。また、その説が 正しければ、悲観論者は、「現実は必ずしも、笑えるほどに愉快なことばかり ではないだろうが、物事はあるがままに見るべきだ」と考える。 ・一方の楽観論者は、たしかに愛想は良いが、救い難いほど世間知らずで、 無警戒な夢想者で「夢から現実世界に戻されるのが落ちだ」という議論になる。 どうやら、以上が正当化されてきたのは、単に偶然が重なっただけらしい。 各種の研究が進展中だが、その結果、客観的で超然としていて用心深い、 と考えられていた悲観論者の判断は不適切、ということが立証されたのである。 日常生活で起こる、現実的な状況に注目すると、楽観論者のほうが悲観論者 よりも現実的かつ実用的なアプローチをとることが実証されている。≫ ▼ 明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけでまるもうけ」という。 「生きてるだけでまるもうけ」は、「死」が視座にあればこそ言える言葉。 長門裕之の妻の故・南田洋子が晩年、この言葉を口癖にしていた。ならば、 生きているうちに楽しむだけ楽しまなければ!
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