| 7145,映画評論 〜『浅田家』 ―2 家族写真、あれこれ! |
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2020年10月06日(火)
映画評論 〜『浅田家』 ―2 家族写真、あれこれ!
* 写真は1000分の1(刹那)空間の切取り! <家族写真は大事>を、昔から実感していた。街には必ずといってよいほど、 一軒は写真館があった。「7・5・3」とか、法事の記念写真の習慣があった。 この映画のテーマが 家族写真をモチーフにしているため、味わい深かった! 幼児頃から両親の膝元で、聞かされた四方山話が私の人生の基礎になっていた。 大学時代は友人に…、結婚をした直後m家内に「老成している」と言われて ドキッとしたことがある。数多の危機や節目を乗越えられたのも、このお陰。 壁になってはいたが、人生の最終場面でも、危機管理を事前に手配していた為。
父親から学んだことは、「ライン(塀)」を自分の周囲に囲んでおくこと。 これが【閑】の「【門】としての塀になっていた。とすると【木】が己! こういう知恵は誰も教えてくれない。「木」は行蔵、知識、情報。家と庭の 草木を加えて家族になる! 家族写真と、家族の集合写真は違う。この辺りを 気づいた主人公は人気となり売れっ子になる! スマートフォンで、写真、 映像を気楽に撮れ、保存可能な現在、羨ましい限りである。個々人の基礎 知識の底上げになってしまった! 20年近く、このテーマ日記を書き続けてきたが、蓄積する度に手応えが 増していった。家族写真を、家族の節目時に取り続ければ、そのまま人生の ドラマになる。魂は、その時々の集中から生まれる。相撲の立合い!そして 数秒で大部分の勝負が決する「美」を、そこにみる。 今回の家族写真の テーマは、1000分の1の瞬間に、背景にある家族事情と、個々の魂の構造が 組込込んであることを教える。
・・・・・・ 6779,閑話小題 〜今の時代に…何? 2019年10月06日(日) * 今どき、耳を疑うような汚職が 今どき関西電力上層部の汚職事件が… 。何か深い闇が広がりを感じる事件。 検察からのリークか? 内部告発か。その贈賄側の主役の当事者が、この春に 亡くなっていた。病死のようだが、事件が事件だけに、自殺か、他殺かと頭に よぎる。 韓国・闇政治の世界を他山の石と笑っていられない。これだけ露骨 な汚職をマスコミが、感知出来なかった報道関係者にも責任が? 政治家絡みもあってか、関西というと …? 反応が鈍い。 ― * ワールドカップのラグビーが面白い 昨夜、TV観戦を楽しみにしていたが、その直前、爆睡してしまい目を覚ました時 に終わっていた。快勝していたから悔しさ倍増。あまりラグビーをみなかった私が、 このワールドカップをキッカケにファンになったのだから、好い加減なもの。 自国に関わらず、強豪同士の試合が、心に余裕を持てる分、楽しめる。 世界一位をかけ、自国の名誉のため、死力を尽くして戦うのだから、面白いに 決まっている。2mもある大男が集団同士でぶつかりあう。ルールも見ている内に、 解ってくる。ルーツは、「サッカーに興じていた男たちが、我を忘れて、手に 持ってゴールに向かったのが始まりだから、ルールのベースはサッカーに。 ラグビーの選手ほど、収入面で割の合わないスポーツはない。名誉のため、 戦っているため面白さが倍増する。ハリウッドのドンパチと違うのはこの辺り! ― * 最近、このアップが遅れる訳 10日ほど前から、このアップが遅れるのは、何故かネット接続が不調に なるため。あれやこれやで、9時過ぎに、ネットの電源と配線をリセットし、 パソコンもゼロにして… そのストレスたるや。ただ、諦めず独り淡々と 粘るしかない。そのストレスの対処は、慣れしかない。慣れてしまえば…
・・・・・・ ・・・・・・ 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力 2012年10月06日(土) * ライオンの魂 「異郷日記」西江雅之著 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく 惹きつけられるものばかり。アフリカでは、今でも魔術が信じられている ところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つー ≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで 生活をしていた頃のこと。村人の話によると、雄のライオンのなかには、 死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の 姿勢を保っている状態では、ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に 吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。 ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間に ライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは弾丸並みであった。 そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。 まことしやかに話すというのではない。本気で語っているのである。 東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。 それを家に置いておいたり、携帯していたりすれば、戦争に行っても 弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・ などなど、如何なる災害からも身を護ってくれると信じられている。 ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。 直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それは どうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで結石のようになった もののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって 近所の人にそのことを話したら、なんということか、その後の何日か、 わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを 手に入れた途端に、それまでは一度もなかった害の恐しさを経験する ことになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める 人心を惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫ ▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、 購入して所有したことがあったが、何故か不幸が続いて気持ちが悪くなり、 売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に 残っている。私の高校の知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を 撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。 それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、 信じないかだけである。現在、「神は妄想である」という遺伝学者の本を 読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、 信じる者は救われるか! 逆か? ・・・・・・ 6050,「老人の壁」 〜読書日記 −2 2017年10月06日(金) 「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」 * 生まれ変わる快感! 人生とは、「生まれ変わる快感」が突き動かしている、という切口で 振り返えみると、納得する。 ・21歳の7月の30日の欧州旅行で、それまでの固定観念の壁が崩れてしまった。 「世界は広く、深い」という実感。あの時に、生まれ変わっていた。 ・翌年、武澤ゼミで、現象の中にある真理を科学的に解明する訓練を一年間させ られた。 いま流行りのオープンハウスに近い25人の寮生活。他者の私生活と 内面そのままが現われ出る中での、互いの葛藤の経験も生まれ代わりの一つ。 ・それから51回の秘異郷を中心とした旅行も、その都度、「生まれ変わって 帰ってきた」。ロッキー山脈を遠望して、「何、これ! ここは地球? これを見ないで死ぬと死なないとは天と地の差。それにしても!」と… 40、50歳代に、このような感動を数多く出来たのは、「生まれ変わる快感」 の味を知ったため。このブログの記述と公開も、日々、生まれ変わるため。 〜その辺りから抜粋〜 ≪(南)真面目な人は、お手本通りにやろうとする、そうするとうまくいかない ことがストレスになったりする。いわゆる評価じゃないものが見えてくれば、 やっている途中も、やっていること自体が楽しい。そういう、自分が楽しむ 方向を見つけられればいいですね。 (養老)自分が知らなかったところに行き着けば、自分が変わり、世界が突然、 変わってしまう。「それまでのわたしは、そのことを知らなかった」という 発見です。世界は広くて、そんなことはたくさんある。それを覚えると、 年を取らない。だってそうでしょ? しょっちゅう生れ変わってんだもの。 (南)世間で言われる正解というものがあると思うから、つい後ろの解答ページ をみてしまう。それをやると、もう楽しくなくなる。僕は「わかった嬉しい」 と思っていたけど、今までと違う人になることが嬉しいんですね。 (養老)虫なんかしょっつう見ていると「ええ?こんなふうになっているよ!」 と仰天する。病みつきになって、やめられない。1人でいて、ほっておかれ ても何も気にならない。 … (養老)本当は、勉強や学問ってそういうもので、自分が知らなかったことに、 気づくという、それだけでなんです。そういう楽しみを持たない人が増えた としたら気の毒ですよね。今の親や教師に真面目な人が多いから、その快感 を教えられる人が少ないんじゃないですか。 (南)それまでちゃんとした答えだけでやってきた人が先生になってしまうと、 それは教えられないですね。正しい答えじゃなくて、わかった!ってときの 快感ですもんね。 (養老)案外、古典なんかにちゃんとあって、ゲーテも「死んで生まれ変われ」 などと書いています。前の自分がいなくなって、新しい自分になるという ことです。確かに近代生活の中できちんと生きていたら、そういう楽しみは 妨害される可能性がかなりたかまる。学んだり発見する喜びは内面にあって 他者の評価によらないし、それが人を若々しくしたり幸福にするというのは、 当り前のことなんでしょうけど。 ≫ ― ▼ 書き続けていると、そして、同月同時の過去文を読返していると、当時の 己と、現在、読返し、時間をおいた自己対話が「自分」ということに気付く ことになる。そこに年々、生まれ変わっている「自分」が見て取れる。知らない 人からみたら、今でも内面は激しく変わっているのだから、「大変な人」だが、 それが至極当然のこと。穴倉も、岩場の外の、内海も、外海も、大して変わりは しないとはいえ… 少々、危険でも、外海も出ればこそ、何らしか、想像を 絶した世界が広がっている。
・・・・・・ ・・・・・・ 6415,読書日記 〜神さまって、そもそも何? 2018年10月06日(土) 『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦』山折哲雄:五味太郎・対談 * 神様はなぜ必要か < 五味: 神様はなぜ必要なんでしょうか? 山折: 対話者が必要なんだな。人間同士ではちょっとレベルを超えた対話者。 そういう上位のパートナーを人間は本質的に必要としている。 山折: 母親と子供、父親と子供の関係で一番大事なのは、やはり聞くこと。 それで解放されていく。仏教は、最終の重大問題にしたのではないかと。 五味: 「人というのは罪を犯すものだ」という形で、それをどう救済して いくかという感覚で立ち向かうビジョンと、初めから殺すな、盗むな、 何するなって止めていくタイプと、あります。 山折: そう、殺すな、嘘いうな、盗むなという黄金律を守る流れと、 聞いて聞いて聞くことに徹する流れと、二つあります。 山折: 五味さんの胸をすくうような次の一言、 「神さまは無神論者だと思いますよ」 これは本当に驚きました。… 無神論者の神であるなら、宇宙の秘密を読み解くなど朝飯前のこと、 ビッグバンに火を点けた張本人もまた無神論の神だったかもしれない。 ― ▼ アラブ人用に、AC/610年にモハメッドがイスラム教を立ち上げた。 その源流は旧約聖書があり、モーセの律法を行動規律とする。ユダヤ人を 神が選んだ民として考え、終末論とメシアの到来を信じる宗教。奴隷として、 エジプトに従属していたユダヤの民が脱出してイスラエルの地に帰国した、 その時からアラブの民と摩擦が生じ現在まで至っている。キリスト教は、 その亜流で、新約聖書の教えがある。仏教はインドの風土が生んだ宗教。 ― 山折: 砂漠の民は、考え抜いて手段を発見しないと死滅してしまう。 風土に圧倒されてしまう。我々は何も考えなくとも、豊かに生活 しているわけです。森と川、森の幸と、川の幸、これだけ恵まれて いるのは世界でも日本だけ。ものを考える必要が無い。 五味: 翻って、生き抜くための精神力みたいな意味での宗教と、ぼんやり している時に出てくる宗教とは、似て非なるものですか。 山折: 一神教というのは「信じる宗教」、天上の彼方に永遠の絶対神が 存在するかしないか、それを信じるか信じないかが決定的な問題。 だけど、我々の豊かな自然界が存在する世界では、そこに身をひたし、 自然に共感していけば、充分に救われる。僕は、「感ズル宗教」と 言っている。 五味: そんなことを言っていたら、砂漠では死んでしまう。 山折: ものを考える必要がない。だから感じていればいいわけ。 ー ▼ アラブ人用に、AC/610年にモハメッドがイスラム教を立ち上げた。 その源流は旧約聖書があり、モーセの律法を行動規律とする。ユダヤ人を 神が選んだ民として考え、終末論とメシアの到来を信じる宗教。奴隷として、 エジプトに従属していたユダヤの民が脱出してイスラエルの地に帰国した、 その時からアラブの民と摩擦が生じ現在まで至っている。キリスト教は、 その亜流で、新約聖書の教えがある。仏教はインドの風土が生んだ宗教。 人間は、何はともあれ孤独の存在。最期は死に直面し、絶望の中で死ぬ存在 である。死だけではない、何かを決断する時、孤独の際に立つしかない。 内なる世界で自己対話で決断するが、その時に、内なる対話の相手に、 過去の人たちの苦悩と、解決策の集約した答えを神が導いてくれるか、 どうかでは雲泥の差がある。神の代わりが、愛してくれた両親でもよいが、 熟練してる、神様が相手なら、最善に導いてくれるはず。神の魂と同化し、 その知恵なら間違いは最小で済む。私の現在の対話相手は、毎日読返す、 このブログの同月同日の、かって書いた文章。 ・・・・・・ 3846,‘よい写真を撮る’コツは ? 2011年10月06日(木) 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。 それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。私もスナップ写真を中心 に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになった のが、デジカメで写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで 済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、 自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。写すというより、 その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」 と、指示された目線で撮るとよい。その為には対象の景色に、まず感動し、 その感動をカメラに収める気持ちが必要である。また小さな花をアップにし、 その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場 の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から 構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。 だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると比較的良いのが撮れる。 それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の 女性などの撮影現場をTVでみたが、徹底的に相手をリラックスさせ、 その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること 自体を忘れさせてしまう。動物も人間も見られると緊張する生き物。 電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。 人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、 撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。今まで、デジカメは 少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、 構えて良い写真を撮ろうと、構図の選択に構えが出てしまうからである。 対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想。 その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。 何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。
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