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2020年09月25日(金)
* 裏 これは、面白い作家ならではの内容! 怒り、愚痴を人知れずに書きだし (掻きだし)デドックスる。紙に一度、言葉にだして、破るのが一般的処方。 人間は己に甘く、他人には厳しい! そこに、四苦八苦が生まれ出る! それを活きる糧にする輩が加わるため、複雑の様相になる。 『裏』岸本佐和子著 <ベストエッセイ2018 日本文芸家協会>…P348 【 私が私の裏垢でしたのは、悪態だった。 当時の私はやさぐれていた。世界に対する黒い呪詛が腹の中に溜まって、 口からあふれ出る寸前だった。口を押えれば、鼻や耳や目から漏れそうだった。 だから口で言うかわりにツイッターで匿名で言うことにした。 電子板「王様の耳はロバの耳」だ。 作った裏垢は、自分とフォローを許可した人以外は閲覧できない「鍵付き」 アカウント、しかもフォロー数ゼロ・フォロワー数ゼロとして完全密室。そこで 私は腹に溜まった真っ黒な呪詛を吐いて吐いて吐きまくった。 特大の頑丈な臼に、思いつくかぎりのむかつく人モノ組織出来事現象その他 その他を投げ入れ、それを勇壮な掛け声とともに渾身の気合で搗く。そいや。 そいや。そいや。搗く時間は素材と私のむかつきの度合いにより適宜変化する。 そのようにして私は夜ごと完全密室で杵をふるい、大小さまざまな血の餅 の山を築いた。 それがいつどのように終わったか、記憶が定かではない。 体内の毒を吐き きってデドックスが済んだからなのか。気がつくともう、その裏垢には行かなく なっていた。 そのうち、そこに入るパスワードも忘れ、アカウントも忘れ、 とうとうアクセスの術は完全に失われてしまった。 ついこの間の飲み会で、 たまたま人に話すまでは。すると、一人が目を輝かして言った。え、それって、 まるで現代アートじゃない。 たしかに。誰にも、それを発した本人すら見ることなく自己完結した呪ソは、 入ってみれば純粋呪ソ。観念としての呪ソだ。そして私が裏垢の存在を忘れる ことによって、それはアートとして完結したことになる。 時どき、ネット空間の何処かに存在している筈のあの裏垢のことを考える。 誰にも聞かれることのなく小部屋にいつまでも反響しつづける自分の言葉は、 さぞかし孤独だろうなと思う。 もしも何百光年かかけて宇宙空間を旅した悪態が、たまたま近くに通り かかった高度な知的生命に受信され、解読されてしまったら。そして、 地球人が凶暴で危険な種族であるとみなされ、宇宙の平和のために駆除された 方が良いとされたら。 そうなったら、本当に死んで御詫びするしかないが、 たぶん私もとっくの昔に死んでいるし、もしかしたら人類も滅亡しているかも しれない。 】 ―― ▼ 個々の日記帳には、この要素が色濃くあるはず。だから、殺人も、争いも 最小で済んでいる。過去の内部検索をかけると、以下のような文章などが、 数多出てきた。まさかパンデミックが、世界を覆うとは! これで、初っ端。 10年前に会社清算をしたと同時に、当然ながら、多くが掌を反して、それは それは、怒り心頭の状態に。そこで、長年の知恵が、この裏垢の業! これを遣っておくと、精神の根底が崩れてしまう。 …その日の内に、 対象の首を全身全霊を持って、叩き落とす。これで、怒りの三分の二は、 消滅する。後の三分の一は、一週間以内に再フラッシュ時に、全霊を持って 落とす。対象者は、何となく変だが何が起こったのか理解不可能。上記と 同様なことを人生の際で、やっていたことになる。20年近く、毎朝、そして 午前中に、一日一文を書き続けていたのは、書き続ける秘儀があったから。 後で読返すと、何とまあ、そこには、自分であって自分でない得体のしれない 何かを見出す。
―――― 3608, 人生には3つの坂があるというが 2011年02月10日(木) 以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」 の3つの坂がある。この言葉は大河ドラマの毛利元就の中でも言っていた。 この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。2001年の9・11テロから始まり、 地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。 その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状の タブレットパソコンに重心を移行始めた。政治ではアメリカで最初の黒人大統領 が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。 そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログのツイッターや動画サイトの Youtubeが出現してきた。今年に入ってネット普及の結果、一瞬にして チュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。 その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。経済面では、 2008年のリーマンショックで、世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が 何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、半導体の 「ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年に インテル社のムーアが「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、 18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、45年経過した現在でも続いている。 これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが 地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが一センチ角に100億以上も 乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを 乗り越える技術が出来る。それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結び つけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。10年前に、現在の姿を 誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、 どのような姿であろう。この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・ ・・・・・・・・ 3243, 新・欝の時代 2010年02月10日(水) 去年暮れの週刊朝日に、作家の五木寛之と在日韓国人の政治家カン・サンジュン との対話‘まだ続く「鬱の時代」’が考えさせられた。「これからはすべての分野が 鬱の方向に進んでいく」と、前回の2008年の二人の対談で、そう語った。そして リーマンショックが起こり、世界、そして日本は先の見えない不安に覆われている。 ここで二人の対談の要旨を纏めてみると、 ・グリーンスパンが100年に一度の危機といったが、そんなものではない、今起きて いるのは300年〜500年に一度の恐慌である。現在の世界を支配しているのは キリスト教的文化圏。その基盤にある人間至上主義からぬけださないとー五木寛之 ・我われの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、 現実は格差社会。この問題は、格差があることが問題ではなくて、格差が固定化 されていることが問題である。 ー五木 ・2010年を予感してみると、一瞬、小康状態の年になる。嵐の前の静けさです。 でも、その後、暮れから11年にかけ、二番、三番の、大恐慌がやってくる。 平安末期から鎌倉への変動のような大変な時代がくるだろう。 戦後の預金封鎖や円の切り替えなどを思い出す。 ー五木 ・こういう不安の時代、人間は「個人」を再発見することになる。 平安期から 鎌倉にかけての飢饉のとき、人々は身分に関係なく、こころの闇を見つめた。 それが一連の現在の宗派の教祖をうんだ。 ・2010年の明るい兆しといえば、いろんな関心の中心点が変わってくる。 これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心に おかれて、新しい光を浴びることになる。 ・そういう時代の中、「諦める」ことからスタートしなければ。 諦めるは、 「明らかに究める」という読み方をする。今の日本の有り様や自分自身の心や 地位を「諦める」ことで、新しいスタートをきる。 ・「人生とは荒涼たるものだ。人間が生きていることは凄惨なものだし、 死ぬことは荒涼たるものだ」と五木は『人間の運命』で書いている。 ただ、そこを超えると、光が見えてくると! ―― 以上だが、二人とも暗い性格でマイナーになるが、 こういう鬱の時代だからこそ彼等の見方も必要になる。どうみても、 現象面では21世紀に入ってから変であるのは周知のこと。最後の打撃だった 9・11テロと、リーマンショックで、これまでの価値観を根底から破壊した。 ソ連が破壊した時は、700年来のロシアそのものが崩壊したとの見方があった。 それに続いた欧米資本主義の崩壊は、世界にとっても日本にとっても、 近代資本主義=欧米主義の 終焉と五木は言うのである。 その辺のところを押さえてないと、目先の楽観論に惑わされる。
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