| 6797,読書日記 ー退屈なのは、世界か、自分か 〜5 |
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2019年10月24日(木)
<僕が旅に出る理由 NIPPON DREM PROJECT> 【同月同日の文章を読み返してみて、当たりと外れ日がある。 今日は当たり日!最後まで、ご覧あれ!】
* 閉じこめられた社会からのトリップ ヨガや座禅の目的は瞑想! これは現実社会からトリップすること。 アルコールや薬物でなく… 沈思黙考で。 その他の手っ取り早い方法が、 「旅に出ること」。これは非日常でトリップ出来る味なもの。 人間は、文化、 文明をつくり上げる過程で、不公平、不自由、合理的だが、不快感な共同体を つくり上げた。優劣の力のあるものにとって有利な代物だが、不快。 それが進化?するほど、ヘドロ化して、私達の脳に、重く圧し掛かっている。 時どき、そこからトリップし、ガスを抜かないと、統合失調症に陥り、 『悪魔の代弁者』に相成り街を徘徊する。映画に出てくるゾンビは、それを 象徴した生きた屍。 もう一つの手軽にトリップ可能なのが、シネマ館。 そこは別世界に私達を誘う。他にも、読書、ネットサーフィンなど、周囲 には幾らでもある。そこでストレスを殺ぎ落とす。もっとも料理の香辛料と して、これを幾つか抱えておく必要もある。(ストレスがないのも辛いもの)。 歓喜も必要だが、絶望も人生には大きな役割がある。 当然、退屈も! 飽食の上での退屈なら、まだ良いが。抑え込まれた上の退屈に問題がある。 洗脳され、押しこまれた退屈、それも自覚できない人の、ストレスである。 ストレスが最たるのがイスラエル、とりわけエルサレム。30年前に行ったが、 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地で、世界中から観光客で満ちている。 そこは、際どい緊張感が漂っていた。 この本で、その衝突に出会って しまった経験が書かれていた。 文化と文明の境目のイスラエルという国。 この旅行の全てが『瞑想』のような錯覚させられた濃厚な… 余命、半年と宣言され、動転しているなら、是非、行かれたら! 殺伐とした砂漠の景色の先に、生の輝きを垣間見ることになる。 ― 〜30年前の社内報に書いていた文章が手元にあった〜 (生の体験そのままを書き残す意義とエネルギーを感じる内容である) これでも、実感のほんの僅かしか書ききれてない。 再度言う… 自分が主人公になるしかないインドとイスラエル、是非とも! 『 今さら遅い? 生きて煉獄の一端を味わえるのだからこそ行くべし。』
≪ * 1999/0105 〜イスラエル聖なる旅〜 この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。 四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。 現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続。 その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果 となった。関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。 考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。 人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、 ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。 印象の強い順に列記してみると、
◉ まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されている といってよい。四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの 舞台となった。そして現在も続いている。 この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。 イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。 磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院 =岩のド−ムとアクサ寺院。 ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、 そしてダビデの塔。旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま 物語っている。 ◉ 次はモ−ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。 深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。 そして、その麓にあるカタリ−ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。 そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。 “マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ 四十年余り後に、ロ−マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名が たてこもった自然要塞。陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、 七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。 その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った (ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。 =「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」 =自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。 ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。 一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った 巻物を発見。壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書 等々記されていた。今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない 事が記された文書があった。
―イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあった。
“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問が でてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。 あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で 一大転機の経験となるのではないだろうか。旅行は外界を訪れるだけでなく 内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】 この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。 四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。 六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。 現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。
男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊。 一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。といってその手の事件は 一切ないという。その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのが はっきりしているからである。今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると 浮き彫りにされた旅行でもあった。 [1999.4.14〜4.24 -ryokou ]
・・・・・・ 4971,閑話小題 ー飛行機の座席にみる社会構造 2014年10月24日(金) * 人生を憎めば、人生は憎しみを返す 「あなたが人生を憎めば、人生は憎しみを返す」。 これを「人生を愛せば、人生はあなたを愛し返す」と言い直すことが出来る。 現在の私の状況は、まさに、この二つの間で揺れ動いていい筈だが、しかし・・ この状況を肯定することで何とか平静を保っている。不幸系の人は、まず憎しみ を持った受止め方をする。何でマイナーな考えを持つか? よく観察すると、 育った環境が大きく左右している。 まず、親を憎むことが、そのまま自分の 人生を憎むことなる。「相方には、両親に愛され育った上に、運がある人かを 第一にして見分けなさい」という。幼児から20歳代までに、プラス・マイナス の両極端の世界を垣間見てきた。やはり金持ち喧嘩せず。異性に惹かれるのは、 自分と違った要素を持つ人。しかし、それは短期間だけで、長い目で見れば、 その違いが性格の不一致になる。そこから憎しみが湧き出て、争いが子供に 大きく影響し、その結果、子供は両親を憎むことになる。90%の夫婦間が 実質破綻をしている?というが、子供はたまったものでない! そこで、 「されど、妻(夫)を愛す。人生を愛す!」が、人生を生抜く要諦になる。 * 飛行機の座席に垣間見える社会構造 飛行機は、集約された社会構造が、そのまま露出する場所。 見てみないふりしかない。飛行機の座席のランクには、一般的にファースト クラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがある。 ーその料金体系といえばー (欧州の場合) ・エコノミー: 12万〜50万(12万は格安、50万は割引の無い 正規運賃で、サーチャージ込み) ・プレミアムエコノミー: 20万〜50万(本来はエコノミーの正規料金 を支払っている人に対するサービス) ・ビジネスクラス: 36万〜90万(90万は割引の無い正規料金) ・ファーストクラス: 150万前後(割引料金は基本的にありません) ▼ 私のような格安パックツアーは、大型機の後部座席が主で、旅行代理店が 年間契約で3万5千〜7万円の格安で仕入れ契約をする。だから少々、窮屈を 我慢をすれば格安旅行が可能になる。ちなみにホテルも、観光シーズンのピーク を除けば、三分の一、五分の一の仕入れが可能。 だから、パックツアーに慣れ、 使いこなせば、結構、価値ある旅行が可能になっている。私は格安パックツアー もあって、エコノミーだが、たまたま満席で、ビジネスクラスを5〜6回、 一度だけラッキーなことにファーストクラスに乗ったことがある。4分1の 確率で、窓側3人席に家内と2人になるが、ほぼビジネスと同じ環境?になる。 露骨な格差を目前で見せつけられても、そこは非日常世界、瞑想には最適時空。
・・・・・・ 6433,死について考える 〜『樹海考』書評を読んで… 2018年10月24日(水) 数年前に青木ヶ原の樹海を舞台にした日米映画をTVで見た。そういえばと、 HP内検索をすると、4年近く前に、書いていた。二本とも暗く地味だが、『死』 に直結するシリアスの内容だが、TVの興味を引くだけのレポートとは一線を 隔している。死を求めて彷徨う姿を通して、自分の死の問題を考えさせる。 まず、アメリカ映画 《 樹海へ赴いたアメリカ人と、そこで遭遇した日本人との出会いを描いたもの。 自殺の名所として知られる日本の青木ヶ原樹海を舞台に、マシュー・マコノヒー &渡辺謙共演で描いたドラマ。 人生に絶望して自殺を決意したアーサーは、 富士山麓に広がる青木ヶ原樹海を訪れる。磁石が狂い携帯電話も通じない森の 中で、出口を求めてさまよう日本人タクミと遭遇したアーサーは、怪我を負って いるタクミを放っておけず一緒に出口を探すことに。過酷な状況に立たされる中、 アーサーは運命共同体となったタクミに次第に心を開く。やがてアーサーは、 自分が死を決意するきっかけとなったある出来事について語りはじめる。》 一方、邦画の『樹海のふたり』は、 《 お笑いコンビ「インパルス」の板倉俊之、堤下敦を主演に、自殺志願者を 取材したテレビディレクターたちの体験談をもとに、悩みや苦しみを抱き ながらも生きていくことへの希望を見出していく人々の姿を描いたヒューマン ドラマ。フリーの落ちこぼれテレビディレクターの竹内と阿部は、なんとしても 視聴率のとれる番組を作ろうと、富士山麓の樹海で自殺志願者を追う。 しかし、彼らの人生に触れるうちに良心の呵責を感じた2人は、自分たちの行動 に疑問を抱きはじめ、それぞれが抱えていた問題に向き合っていくことになる。》 ― あまりにシリアス過ぎた記事で休刊に追込まれた『新潮45』10月号の書評に <『樹海考』村田らむ著>があった。書評としても、なかなか的をついている。
≪・青木ヶ原樹海のイメージというと、多くの人は『自殺の名所』と答える。 実際に樹海を擁する山梨県では自殺対策事業を続けており、自殺防止として、 ボランティア監視員を多数、配置している。私などは、人工的な都会生活に 疲れた人が樹海に死に来ると思っていた。死までが管理されている都会ではなく、 野生動物がそっと消えるように自分の意思で自然に還りたいと考えると…。 ・これまで20年にわたり、100回以上樹海に入ったという著者自身も、樹海を 歩くと自然の大きさを感じ、自分が大事にしているモノ、仕事や家族や、 お金や、命などどうでも良いモノなんだと思えてくるという。大自然である 樹海を前にしたら、人間などひれ伏すしかないと。 ・だが本書で著者はいきなり、樹海はコンパスがグルグル回って利かなくなる 人外魔境ではなく、洞窟やキャンプ、名物料理まで楽しめる観光地という。 自殺スポットとして脚光を浴びたのは自動車文化で気楽に樹海に訪れるように なったためだが、それは外周部の話。その内部はディープの内容で満ちていた。 風光明媚な観光地であり、同時に死と隣り合わせた異界でもある。美しさと 怖さの陰陽を兼ね備えた場所、それが青木ヶ原樹海だ。本書はガイドブックと ノンフィクションを兼ね備えた‘樹海’のような一冊といえよう… ・864年の貞観大噴火の溶岩が湖を埋めてできた樹海。たかが1200年しか 歴史がない。地面は溶岩のため、木々は値をはれず、成長すると倒れて しまうため、生命の種類が少ないという。それが異界の不気味さを増す。≫ ― 写真をみると、ヤクザの死体の捨て場という噂が、然もありなんと思わせる… 自然に還りたいという本能が、樹海で野垂れ死の願望になるのか…
―――― 5060,閑話小題 ー樹海のふたり 2015年01月21日(水) * 映画「樹海のふたり」 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。 富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、 WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。 〜ネット検索の内容より〜 ≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き 出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は 高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち 掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、 そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫ ▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと 接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、 「自殺は、自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」 ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、 思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・ ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画は国内の製作は無理! 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。 (陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。 そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先 と高をくくっていられるうち、これは長年の蓄積が必要。』と答えていたが。 「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を 続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、 9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、 妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ! ―――― 503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ 2013年07月15日(月) 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様 なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。 軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、 初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、 インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、 死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、 決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が 痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。 生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが 迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が 水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、 このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して 浮かび上がってくる。 ーウィキペディアによるとー ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。 観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の 様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に 向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、 映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、 橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、 遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。 中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか 語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが その中で分かる。≫ ▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、 それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が 河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人 がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、 シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
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