| 6778,閑話小題 〜南海トラフの大地震と津波の脅威! |
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2019年10月05日(土)
* 30年以内に交通事故が起こる割合は24% 今後30年以内に「南海トラフ」地震の起こる割合が70%に対し、 30年以内に交通事故が起こる割合は24%。火災の羅災率は1・9%。これに対し、 ほぼ100%が保険をかける用心深さに対して、あまりに楽観的過ぎる日本人。 <今後30年以内に「南海トラフ」地震の起こる割合が70%>は、実は非常に危険 な事態で、あれだけの東北大震災を経験してきたのにも関わらず一時期、マスコミ が面白おかしくつくり上げた話題としか捉えられないのが現実。私が20歳、いや 30歳代としたら、首都直下を含め、名古屋、大阪に住んでいたら、吾が身に 対する保険として、直ぐにでも引越すのが妥当… にしても何だろう、 人口の過半数が対象地区になり、報道機関も煽り立てることは良識に反する? 周囲も今さらと騒がないからである。まずは、直下型と、南海トラフが重なった 東京のど真中の○○から、行動として見本をみせるべきでは? それを推し 進めるべきが首相では? 在住のインテリと称する知識人では? 「そう言われるまで、解らなかった!」と、聞えてきそうだが、実は私も! ― * 巨人のリーグ優勝が決まったものの… 去年の同月同日のテーマが巨人の次期監督問題。原監督の復帰案には大きな 疑問を感じ、反対の立場だったが、広島の丸の移籍効果もあって、原・巨人が 優勝することに。これが果たして良かったか、如何か? 巨人は読売新聞が 後ろ盾で付いていることもあり、資金力と、ブランド力で、人材を集めてきた 反面、若手のチャンスが少ないこともあり、伸び悩みと、ハリボテ軍団の弱点が 直に露呈する。常勝を求められるが故の弱点が漂うのは否めない。 それにしても、前年の私の持論が面白い。終わってみれば、球団サイドの 判断が的を得ていたのだろうが。
・・・・・・ 6414,閑話小題 〜巨人の次期監督は 2018年10月05日(金)
* 高橋監督辞任で… 巨人の高橋監督が辞任を表明、受理された。 球団の内部環境が悪いのは 分かるが、巨人の純粋培養のスター選手の監督選定に問題がある。 座卓犬は監督にそぐわないのは自明。二度の原監督の失敗?に懲りず3度め? 同じ轍を踏まないと思うが、ギャラリーとしては、俄然、面白くなってきた。 ・内部昇格とすれば、安倍と、元投手の斎藤が考えられるが、同じ穴の貉。 やはり、外の水を飲んだ、松井秀喜、桑田、江川、中畑などが、頭によぎる。 ・現実的なのが、桑田監督。次期監督含みで松井副監督、江川バッテリーコーチが 面白い。松井も、江川も監督以外は断るだろうが… 今さら晩節を汚さないと。 ・変わったところで、野村監督の息子が如何だろう。黒子としての親父と一体と するには、無理があるか。親父が許さないだろうが。 ・もう一つ、インテリジェンス(地頭)が良いイチロウが面白い! 世界ブランドが汚れるから、断るだろうが… ・ネットニュースで、『後任に原辰徳が4年ぶりに指揮を執るのが有力(報知)』 とあるが、あまりに新鮮味がない。 等々かんがみ観ると、ヘッドコーチに川相の桑田佳祐が、的を得ている?… ドン様に実権があるなら、江川になるが、その辺の事情はどうだか? 優勝争いなど、如何でもよいなら、イチロウ監督、江川ヘッドコーチが絵になる。 ★ 他チームの監督が最も薄気味悪くなるのは、篠塚、川相、安倍。 取組み易いのは采配データー豊富の原元監督。 …まさか、ないと思うが?
・・・・・・ 5682,瞑想とは 〜3 2016年10月05日(水) <ボケない!脳が若返る「めい想パワー」SP 2016年9月28日(水)午後7時30分> * 瞑想の目的は何だろう? 瞑想とは何か、その目的とは何かについて考えるため、ネットで、 <瞑想の目的>と検索すると、明快にまとめた内容があった。 ≪ 瞑想の目的は、悟るため? いえ、そうではない。悟りたいと思って瞑想 している限り永遠に悟りなどやってこない。むしろ神経過敏になる分だけ、 ろくなことなどない。 瞑想は、ただ、「気づき」のための時間である。 「気づき」と言うと、何かすばらしいことに気づくための時間と誤解する人も いるかも知れないが、これまた誤解を招きそうである。言い方を変えてみよう。 英語で言えば"be aware of"、つまり、「〜に気付いている状態」、または 「目覚めている状態」とでも言ったほうが近い。ただひたすら、自分の周りで 起こっていることを、そのまま感じるための時間である。 「ヴィパッサナ」という瞑想法がある。自分の呼吸を見ることだけに意識を 集中させる。吸う息、吐く息をじっと見つめる。40分間くらい自分の呼吸を 見つめることができるようになれば、とりあえず合格。 しかし、時間を はかったりすれば、それは呼吸以外のことに意識が行っているわけだから 失格になる。しかし、あまりかたいことを言う必要などない。とりあえず自分 の呼吸を見つめていればよい。「無心」になろうとすることもない。 雑念がわいてきたら、それも悪くはない。そのうち色々と考えることも出るが、 それも無理に止めることもない。 ただ言えることは、瞑想をするに、最初から何かの具体的な目的は持たない ほうがよい。目的のない時間を取り戻すことが目的かも知れない。 皮肉なことであるが、瞑想状態のことを言葉で表現しうようとすると、 いつもこうなってしまう。 とりあえず40分間、ヴィパサナができるように なったら何が起きるのだろうか。 何か良いことがあるのだろうか。 これには、私はあるともないとも言えない。まずよいことなど何もないと 思っておいたほうが間違いない。少なくとも、瞑想中には99%、何も起きない。 清浄で、「目覚めた時間」を作りだすための稽古の場にすぎない。瞑想では 悟ることなどできない。特に、瞑想で悟りたいと思っているのなら、まず絶対 悟ることはできないだろう。 もしあなたに何かのお悟りがやってくるとしたら、それはSEXをしているとき かも知れないし、庭を掃いているときかも知れない。芋を洗っているときかも 知れない。金魚が泳いでいるのを見たときかも知れない。それは私の知った ことではない。そして、あなたの知ったことでもない。 Who knows it? 誰にもわからない。しかし、ひょっとしたら何かが起きる かも知れない。 たぶん、やって損はないとだけ言っておこう。何が起きるかは、 起きたときのお楽しみ。≫ ▼ この7年間、早朝のポタリング時に、大手大橋でヒキチャリをしている。 地球の芯に『球芯様』と命名し、橋の途中から、話しかけて対話をする。 幼稚だが、その会話が面白い。 <球芯様、おはようございます!> ≪ オウ、お前か。お前を通して、周囲の景色を見るのが一番の楽しみじゃ! ジックリと見回してくれ。それが私を呼起した見返りじゃ。それにしても、 ワシに命名し対話を求めるのは御前ぐらいだ。 大体が、人間は、どうでもよい 細かいことに気が向きすぎじゃ。もっと大自然に、道理に、無心になりなさい。≫ <それにしても絶景ですな> ≪ 慣れるとは、恐ろしい。この美しさを、そのまま味わいば良い。 それがワシにとっての解放になる。この川のせせらぎ。飛遊する鳥たちの姿。 遠くの山々。そして、陽光と、雲の織りなす美しさ。こうして御前が、私に 見せてくれるのは有り難い。この見返りは、世界の絶景の場に、お前を導くこと になるのさ。 ≫ この内語の対話も一種の瞑想。この景色の美しさに気づいたのだから。 世界の絶景を数知れず見てきため、地元の絶景に気づくことが可能になる。 それが次の旅に、誘っていく。あり難いことだ。 あり難いことに気づくこと こそ瞑想の目的である。感謝、感激、感動の触媒は、幾らも身近に存在している。
・・・・・・ 4210, 異郷日記 ーサンジバル 2012年10月05日(金) 「異郷日記」西江雅之著 * サンジバルの逸話 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い 続けないと人生の自殺者になってしまう。硬い殻に閉じこもり、しがみつく しかない人生こそ避けなければならない。ーその辺を抜粋してみるー ≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど 離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、多くの村が 散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物の すべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは史実虚構が入り交じる物語に 埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、 アラビア数字が消えかけている大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、 緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、 奴隷、征服者、イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの 声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、 高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた 歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、道行く人の 内部にすべり込んでくる。 (・・・中略) わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。 ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻った ばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。「アッ・サラーム・アライクム (汝の身に安らぎあれ)」。若者は老人に言った。「アッ・サラーム.アライクム」。 老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? お前のおじいさんは、海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。 それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」 若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。 あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ恐ろしがらずに 平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしは ザンジバルで、何人もの知人にスワヒリ語で何度も同じ話をした。 「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が 恐ろしいことなんだ」と、わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。 そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫ ▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、 節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。何処の道理も同じ。 著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、 すべて異郷と感じている。」と述べている。そうでなくては、流れ者のように 世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の 外側を、異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の 誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。それ以外は職場は 新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。と同時に、しがみつき、 安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている 感がする。それでも、まだまだ楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、 それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。
・・・・・・ 6049,「老人の壁」 〜読書日記 −1 2017年10月05日(木) 「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」 * 老人の壁を突き抜けて 「老人、如何に生きるべきか」を、根赤の養老孟司が御隠居で、南伸坊が 熊さん役が軽く、明るく対話した内容。数年前の葬式で、80歳半ばの従兄が 同席していた。一人は地元商人。いま一人は東京下町の何かしら特許収入を持つ 商人。 前者は痴呆症が少し入っている?と思しき愚痴と悪口を語る。 後者は、一生をカメラ・映像の撮影を趣味とした人で、「老人の壁」をとうの昔に 超えている。 その二人の姿そのままが、このテーマの答えのようだ。年々、 暗くなりがちになる古希を越えた現在、如何に面白可笑しく日々を生きるか。 地方性もあるが、周囲には暗いのが多い。他人事ではない。周りから、一人 ひとり欠けていけば、然もありなんだが! 〜Amazonの内容説明より〜 《 「明るい老人の本」 大好きな虫採りに明け暮れる解剖学者・養老孟司。古今東西さまざまな「本人」 になっていくつもの人生を送るイラストレーター・南伸坊。ともに老人になった 二人が「老人とは何か」「老人はどう生きるべきか」を、科学とユーモアで徹底 討論! 病気になったらどうしよう。死んでしまったらどうしよう。暗い気分に なってしまうのは、暗い気分になるものしか見ていないからだ。どんなに年を 取っても人生を変える発見がある。死んだ後のことは生きている人にまかせよう。 人間のことより花鳥風月に目を向けよう。養老孟司のエッセンスと、南伸坊の 笑いが炸裂する心が軽くなる対談集。 》 《 人生に“発見”があるかぎり、老後は明るい!心が軽くなる対談集。 大好きな虫捕りに明け暮れる解剖学者・養老孟司。古今東西の「本人」となって、 数多の人生を送るイラストレーター・南伸坊。ともに老人になった二人が、人生 百年時代をどう生きるべきか、科学とユーモアで徹底討論。 》 ―― 〜印象に残った個所から… (養老)「年をとって自分がなくなってくると、気が楽なんですよね」 (南)「健康で長生きするためにはどうしたらいいですか」 (養老)「だから、健康な間だけ生きてりゃいいんです」 「ちゃんとした介護なんか、誰にもできないですよ」 (南)「そうですね、それが世間の常識になったらラクなのに」 (養老)「いい老人ってどういう老人だろうね」 (南)「そうですねえ、ゴキゲンな老人でしょうね」 (養老)「にこにこしてりゃいいんですよ」 (養老)「趣味なんか、世の中の役に立たないんです。それでいいんです。修行 と同じ。修行っていうのは、自分を完成させるための作業。一番いいのは、 比叡山の千日修行。あんなのをやったって、誰も儲かりません。GDPが増える わけでなし。だけど、何が残るかって、「本人が残るですね。それをやった本人 が残るんです。それが「作品」ということです。 だから、自分が作品である ような、作品としての自分を完成させるつもりで、好きなことをやれば、老人 としての時間を本当に楽しめるんじゃないかな。」 (南)「老人の壁を越えると、作品の自分がいる。」 ―― ▼「まさか、ここまで元気で生きられるとは!」が、実感だが、老いた実感は まるでなし。だが、世の中は、そういう鈍感な人にプレッシャーを与える。 そこで、ポタリングで、身近な「風月花鳥」を、PCや、4kTV画面で世界の 「大自然の光景」を楽しむこととにあいなるが、これが素晴らしい! 〜偶然だが、また文脈が以下に続いていく。
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