堀井On-Line



6541,閑話小題 〜北越と第四銀行の統合 −1

2019年02月10日(日)


   * 具体的店舗の統廃合が発表された
 北越と第四銀行の具体的店舗の統廃合が発表されたが、予測通りの
厳しいリストラ。200店舗のうち50店舗少ないが、主要都市の駅周辺ばかり、
取扱い金額からすると、軽く半数以上? 問題は長年かけた関連会社の統廃合。
情報化による首都圏一極化が進行する中で、地方経済の減退は加速するばかり。
県会議員の汚職疑惑も、その一連の事件になる。
 日経新聞のネット記事によると
≪ 第四北越フィナンシャルグループは8日、2021年1月に傘下の2銀行を
合併後、同年4月から3年がかりで実施する営業店統合の計画を発表した。
第四と北越の合計で約200ある店舗のうち50店が現在の建物での営業を終え、
近隣店に移転する。合併の準備作業として今年5月から10月にかけて順次、
56店舗の名称と店番号の変更に着手することも決めた。近隣にある店舗の
移転・統合準備を本格化する 営業店の統合は原則として「店舗内店舗」
と呼ぶ手法を採用する。ある営業店に別の店舗が移り、1つの建物内に複数
の営業店が併存する。顧客の中に店舗を混同する人が出る懸念はあるが、
口座番号の変更手続きなどが不要で利便性の低下を抑えられる利点がある。
 移転する50店舗の内訳は、第四銀が20店、北越銀が30店。
新潟県内の店舗が49を占め、県外では両行の東京支店が統合する。
詳細な統合の時期は未定で、具体的なコスト削減の効果も明示しなかった。
県内の統合対象のうち、移転する店と移転先の店の距離は500メートル以内が
40例と約8割を占める。最長で第四銀の小針南支店と平島支店の約1.2キロm。
過疎部など地域に1つしかない店舗は当初方針通り維持する。
50店舗のうち43店舗では、支店名に「中央」を加えるなどして名称を変える。
例えば、第四銀と北越銀両方の店舗がある村上支店では、北越銀の支店が
「村上中央支店」と名前を変え、将来的に第四銀の村上支店の建物に移転して
2つの支店が営業を続ける。一方、21年1月の両行の合併とシステム統合を控え、
今年5月から5回に分けて56店舗の店名と店番号の変更を始める。現在は店舗の
名前や番号が重複する例が多いためで、北越銀の39店と第四銀の17店で変える。≫

▼ これからすると、半数に近い?行員のリストラ? これだけ、銀行業務の
セルフ、AI化が進んでいれば、既存業務が激減して当然。 逆にいえば、まだ
リストラ可能の体質の証明でもある。新潟県は、何といっても柏崎・刈羽原発
の操業停止の影響は大きい。何が再開! その地下層には二つの地震帯の存在
があることを知りながら… 何処の誰が首を縦に振りますか。
答えはノー! 当り前でしょう。普通なら。老い先少ない人工層が主流を占める
なら、如何でも良いと頭を縦に振るかも? いや、振らないでしょう!
年1万の危険給付金を、月に1万にすれば、こっくんこっくんと… その辺り? 
でも、それが全国の原発地区に知れると、無理!    〜つづく

・・・・・・
6177,映画鑑賞 −羊の木
2018年02月10日(土)
 保守的な田舎町に6人の異物の元殺人者が住むという、不気味で異様な緊張感
が漂う物語。それぞれが深い傷を持ち、生きている。そして、それぞれの事情が
自ずと湧き上がってくる。ある意味、哲学的内容である。人殺しの過去の深い
傷口から見える、「人生、如何に生きるか、何を成すべきか、何を知るべきか、
どこまで臨むべきか」を失ってしまった絶望の底に、湧き上がってくる眼差し。
生きていれば、例えば、不注意で子供を死なせたり、大怪我をさせてしまうこと
もある。人生は不条理である。 <ご覧通り、そのまま結構> の諦念の中で、
日々、暮らすのが老年の心境である。手負い獅子であればこそ、魂が脈々と、
波打っている。
   〜あらすじ
≪ さびれた港町・魚深(うおぶか)に移住してきた互いに見知らぬ6人の男女。
 市役所職員の月末(つきすえ)は、彼らの受け入れを命じられた。
一見普通にみえる彼らは、何かがおかしい。やがて月末は驚愕の事実を知る。
「彼らは全員、元殺人犯」。 それは、受刑者を仮釈放させ過疎化が進む町で
受け入れる、国家の極秘プロジェクトだった。ある日、港で発生した死亡事故
をきっかけに、月末の同級生・文をも巻き込み、小さな町の日常の歯車は、
少しずつ狂い始める・・・。
  ー内容ー
日本海に面した富山県の寂れた港町、魚深市。
ここで、政府の極秘プロジェクトが実行されようとしていた。人口減少が著しい
地方都市へ、仮釈放された受刑囚を仕事・住居付きで移住させることで、刑務所
のコスト削減と過疎対策を実施しようという政策だ。

市役所に務める月末一は、そんな元受刑囚の新規転入者達の受け入れ担当係を
命じられた。個性的でどことなく危険な香りのする6人の元受刑囚の転入と定住
手続きを進める月末だったが、あとで調べてみると、6人ともが元殺人犯だった
ことを知り、愕然とするのだった。

ある日、月末は、市役所内でかつてのバンド仲間で、同級生だった石田文に
出会う。都会の生活に疲れて田舎へと出戻ってくるため、転入手続きをしていた
ところだった。昔から文に片思い中だった月末は、同級生の須藤も誘い、文と
再びバンド活動を始めることにした。

6人の元受刑囚のうち、月末と年が近く、一番気が合いそうだったのが、魚深市で
宅配業者として働き始めた宮越一郎だった。宮腰は、勤務中、月末や文のバンド
練習中に偶然通りかかったことで、彼らのバンド練習に加わることになった。
しかし新たに加わった宮越と急速に仲良くなっていく文を横目に、月末は複雑な
心境だった。

受刑者達が、魚深市でそれぞれの生活に馴染んで来た頃、町では「のろろ祭」
という、地元に伝わる半魚人の神様をお祭りする奇祭の準備が始まっていた。
その祭りのクライマックスは、白装束に篝火を持った男たちが、のろろ様を先頭
に練り歩く行事だが、そこへの参加者として、元受刑者が選ばれたのだった。
元受刑者同士、一触即発の場面もあったが、無事に祭りはスタートするのだった。

しかし、翌日の全国紙の紙面にて、宮腰一郎が映った写真が掲載されたことを
きっかけに、過去に宮腰と因縁があった男性が魚深市で宮腰の動向を探り始めた。
一方、宮腰は、月末の知らない間に文と恋仲になっていた。動揺した月末は、
ついうっかり文に、宮腰が過去に殺人事件を起こした重罪犯であることを告げて
しまう。一方、のろろ祭りで宮腰のことを知った別の元受刑者、杉山勝志は、
宮腰に犯罪計画をもちかけるのだった。こうして、宮腰や月末の周辺は、一気に
不穏な空気に包まれていくのだったーーー。 


▼ ある元受刑者の女性が語る心の内の告白が心にしみる。
 『監房内にトイレがある。その臭いがキツイが、それよりも、身内や恋人を
思ってか、何処かで誰かがシクシク泣くと、それに共鳴してアチコチからすすり
泣きが聞こえてくるのが哀しかった。人殺しの私が人を愛していけませんか…』
の言葉が、重く響いた。波乱万丈と一言でいうが…。人生を振返ると、よく無事
で、ここまでこれれたことに感謝の日々である。 何が悪いかといえば、無知と、
その自覚の無さ。知ってる事は知ってるが、知らないことは知らない、無知の
自覚無さ。 親鸞の『歎異鈔』に「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」
と、この思想が言及されている。阿弥陀仏の本願は、善人よりは,悪人こそ本願
により往生しうるとする考え方。この思想は,親鸞の師である法然から出ている。
 作者の意図が、そこまであったかは知らないが、彼らのためにこそ、
『南無阿弥陀仏』が必要に思えた。それは心が乾いて空から。 『空即是色』

・・・・・・
4715,閑話小題 ー時どき、10年前から現在を振り返えり
2014年02月10日(月)
  * 時どき、10年前から現在を振り返えって 見えてくるのは!
 株式のチャート見るように、その時どきから、5、10年間を振り返えると
 思いもよらない事件に遭遇していることが分る。では2004年の2月から2014年
 2月まで、何が起きたか?を調べると想像を絶することばかり。先の10年間は、
 これより遥かに大きな自然災害と経済震災に間違いなく遭遇することになるが、
 これだけは起きてから分かること。 時系列であげると!
・2004年に、中越地震とスマトラ沖地震、
・2007年に、中越沖地震、
・2008年には、ミャンマーでサイクロンで死者・行方不明は13万4千人以上。
 5月12日- 中国で四川大地震発生。M8.0、累計で4千万人以上が被災し、
 6万9千人が死亡。米国でリーマンショックが発生。
・2009年1月20日 - バラク・オバマがアメリカ合衆国建国以来、初の黒人
 大統領とし第44代米国合衆国大統領に就任。
・2010年には、チリとハイチで大地震。ハイチでは30万以上が死亡。
・2011年に、東北大地震で2万人近くが亡くなり、福島第二原子炉が破壊された。
 チュニジアのジャスミン革命が各国に波及し、アラブ各国で独裁政権に対する
 デモに発展。エジプトでムバーラク政権が崩壊、リビアでNATOが軍事介入し
 半年間の内戦の末にカダフィ政権が崩壊した。(アラブの春)アルカーイダ
 の最高指導者とされるウサーマ・ビン・ラーディンが、パキスタン・
 アボッターバードにて米国の特殊部隊との銃撃戦の末に殺害される。
▽ 東北大地震の直後、私の事業もあっけなく消滅。 時系列でみると、
 10年前に、こんな予測は誰も信じない。が、現実には次々に起きている。 
 とすると、2014/02〜2024/02年は、より大きな自然、経済災害があるはず。
 それを前提に対策を立てておく必要がある。まさか地元の中越地区に二度も、
 大地震があるなど思いもよらなかった。考えられるのは、首都直下型地震、
 南海トラフ地震、富士山の噴火の可能性が高い。また静かな世界恐慌?が
 表立ってくるのも自然の成りゆき。その中で、情報革命が劇的に進んでいる。 
 パソコンがスマートフォンや、タブレット型に収まるとは、当時は考えられ
 ないこと。次の10年は、メガネ型、腕時計、ジャケットなどの身体の一部
 になる装着式。危険な大震災の可能性と、反面、面白い時代になる。
 ブラックスワンがいるが、大部分はホワイトスワン。私個人としての
 ブラックスワンは、「死」。5分5分、いや6分が到来?で、その日のため
 の予習を楽しんでいる。一応、やりたいことは、やり終えた実感は、
 小さい範囲としても、気が楽である。 それも吹っ飛ぶのだろうが。
・・・・・・
4348, 書くことが思いつかない人のための文章教室
2013年02月10日(日)
      「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
 *「思い出」を簡素に書き出せば、それで立派な文になる!
    まずは ー内容よりー
≪「文章を書く」とは、長い間の記憶から体験を引き出し描写することだ。
 自分にはそんな特別な経験はないと考える人でも、
・うまい引き出し方さえわかれば書ける。また、伝わる文章にしたいなら、
 くどくど説明してはいけない。とにかく描写せよ。
・細部に目をこらして書けば、真に迫る。たとえばさびしい気持ちなら、
 「さびしい」と書くな。さびしさを表わす「物」を描写してそれを伝えよ 
 ―ベテラン記者で名コラムニストが、ありきたりにならない表現法から、
 書く前の構成メモ術まで使えるコツをやさしく伝授。≫
▼《「文章を書く」とは、長い間の記憶から体験を引き出して描写すること。》
 この本の要点は、この一文に要約されている。12年近く、一日に2時間以上
かけて、この随想日記を書き続けているが、膨大なエネルギーを入れ続けても、
この程度。今の私にとって、これがベストの習慣。そこで一番の難しいのが
テーマの設定。そうそう毎日、ネタは出ては来ない。全く浮かんで来ないときは、
気まま、思いのまま書いた些細なテーマの「閑話小題」が逆に面白いと言われる。
その日常のことは、もう一つのブログ「バードウォッチ」に書いているので、
更に見つからない。数度に一度は、そこの文章をカットし、閑話小題として
随想日記に書き直している。兎にも角にもテーマのネタ切れに毎日のように直面
している。そこに図書館でこの本を発見した。そこで、たまたま手元にあった
随筆集を目を通したら、全てが体験の思い出。フッと浮かんだ体験を意識し
書き出せば良かった。これまではキーワード探しに気持ちが向っていたが、
「思い出」でよかったのである。随想は、その人特有の「思い」を書くものだが、
「思い」を書こうとするとテーマなかなか出てこない。「思い出」なら、誰に
でも生きてきただけある。それを気楽に書けばよい。体験談は、自分にとって
当り前の記憶でも、第三者からみれば、これほど面白いものはない。 
著者は、「良い文章とは?」に対し、「内容があること、そして、それが的確に
表現されていること。この二つが借ものでなく、その人自身のものであること」
という。そのため、思い出を素直に具体的に書けばよい。
 経験を書くことを「ひけらかす」と思い、躊躇していたら良い文章は書けない。 
たったこれだけの事を、12年間も書き続けてきて、殆ど意識しなかった。
それぞれの人生は、唯一無二の体験の蓄積。それをそのまま表現すれば、
これほど面白く、興味深いものはない。だから、ツイッターなどの何気ない
呟きの公開が爆発的に世界中に受け入れられた。 ということは、これは、
メモ的雑記帳を総称して「随想日記」と言っているにすぎないことになる。 
随想と、他と分ければよいのである。それも12年も書き続けると、お分かりの
とおり、同じ事を、見方を変えて繰り返することになる。 続けることは大変!
・・・・・・
5810,閑話小題 〜毎日が面白い!〜このブログの書きあげ
2017年02月10日(金)
   * ブログのテーマ探しと書きあげ
 何を血迷ったか、16年前に個人HPを立上げ、毎日、公開の随想日記を始めた。
一日の主軸が書上げの完成にあるといって過言ではない。頭の中が常に、この
テーマ探しにある。それまで数十年来、読んできた書籍の内容も、毎日の行動
刻印のダイアリーにあるメモ欄とか、会社の社内報に、書いたりしていたが、
大学ノートなどに定型の記録として時系列に残してはいなかった。 
 そのメモを何とか刻印できないかと思っていた矢先に思いついたのが、個人
HPを立上げ、ネット上に公開し、第三者に晒して管理をすれば、否が応でも
持続するだろうと始めたのがこれである。21世紀に入った頃から『ブログ』
たるものが、世に出て一般的に普及を始めていた。これで万人が個人HP=ブログ
を持てるようになった。
 6千近いテーマを16年近く書き続けているが、好きでなければ到底、無理。 
続けるうちに要領も得たが、それでも「愚直に、純粋に、誠意を込め、全力を
込めて、集中しなければ、この程度の内容でも書き続けることはできない。
何度も何度も読返して修正を繰返すしかない。 書きあげて、公開をすれば、
後は一人歩きをする。問題は、数年後、読む自分の視線。 数年後に読むと、
得体の知らない当時の自分と出会うこともある。時間を置いて知る己とは、
かくあるのか?と、感慨すること屡々。 問題はネタ探し。月に一・二度は、
ネタ切れで、しばし茫然。 その緊張感が重要。その都度、何とかなることを
経験から知っている。その時、日常行動の刻印の呟き用の『バードウォッチ』
に、リアルに日常の些細なことを思いのまま書き込む。そこに何かしらヒント
が出てくる。逆に、ツアーの出発前に、10日分のテーマを考え、書上げるのは、
さほど苦にならない。「10日分を必ず書き上げる」という覚悟がなせるわざ。
テーマが見つからないのは、覚悟が薄れているとき。気力が萎えたとき。
 だから自然と、本音そのままを書いてしまう。それで、他者をキヅつける。
内なる得体のしれない心の闇を感じることが時々ある。持ち越してきた、情念
の蓄積されたヘドロからのガス?を書き出すことで、何とか落込みを最小に
している。心の闇の中を、あっちフラフラ、こっちフラフラが我ながら面白い!
 ーーー
3608, 人生には3つの坂があるというが
2011年02月10日(木)
 以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」
の3つの坂がある。この言葉は大河ドラマの毛利元就の中でも言っていた。 
この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。2001年の9・11テロから始まり、
地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。
 その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状の
タブレットパソコンに重心を移行始めた。政治ではアメリカで最初の黒人大統領
が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。
そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログのツイッターや動画サイトの
Youtubeが出現してきた。今年に入ってネット普及の結果、一瞬にして
チュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。
その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。経済面では、
2008年のリーマンショックで、世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が
何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、半導体の
「ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年に
インテル社のムーアが「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、
18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、45年経過した現在でも続いている。
これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが
地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 
私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが一センチ角に100億以上も
乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを
乗り越える技術が出来る。それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結び
つけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。10年前に、現在の姿を
誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、
どのような姿であろう。この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]