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2018年05月31日(木)
* 父親の45周年忌で… 昨日は父親の45周年忌である。ここで、毎年、供養を含めて‘父親’に ついて書いてきたが、それも昨日で… ポタリングの後、近くのHCで墓花を買って、お参りをしてきた。 数日前に誰かがあげた花があった。誰だろう? 兄は当日の墓参りのはず。 すると二番目の姉? 数日前の夜半、寝室のドアの前に、黒い女性の人影が 立っていた。千葉に住む三人の姉に不幸が?と頭をかすめたが。あの黒影が…? アルツハイマーが進行中で、息子を含めた老々介護ただ中というが。 自分が定まらない若かりし頃、何時も真剣に考えてくれていた優しかった姉。 伯母が、晩年、「老いるとは無念なことじゃ」と言っていた… この3年で義兄・二人と近くに住む従兄が亡くなった。兄・姉夫婦の生存 平均年齢も80歳ともなれば、今度は誰?私たち? と不安が出てくる。 今できることは、今日を最高に生きること。 古希を超えると、「先に逝ったもの勝ち」 切実な問題だ… 。 大家族のどん尻のため、何時も気遣いの中にいた。娑婆に出ても、似た気遣い をし、そのノウハウで辛うじて生きてきた。 世間体というやつ、割切って しまえば、生きるには楽。それでもヘドロがへばり付いてくる。それもこれも 生きたいるうち。 父親にはいくら感謝しても、しきれない恩恵がある。それから、全てが派生 している。それだけで大当りだった。それにしては、他者への愛情が希薄では? ――
* コンニャク長屋問答 ・熊: 人間って奴は「縫いぐる」みたいでしょう。世間体を被ってさ。 俺ってクマというボケキャラを被ってバカぶって。寅だって、俺よりさ、 少し真ともな「突っ込み」で。 ・寅: アンタへの突っ込み役と、話がだれると、自然と俺様の出番でさ。 〆には、大家か、八つぁんだろう。深く考えたり、呆けをかまさないで 助かってはいるがね。一応、キャラは瘋癲の寅をベースにしてね。 ・八: 二人のキャラの出番で、一番助かっているのが私だが。 ・ポン督: 突然、現れて、こんな質問するのは何?だが。どうも解せないんだ。 関学側が撮った映像というが、何で、あの出来過ぎのアングルなの。自分の 後姿もバッチリ入っていて。録画の準備が周到にされていたんだろう… ・ポンコチ: あの位のタックル、何で三週間なんだ。そんなもの医者の裁量で、 何とでも書けるさ。その為に、鍛えてあるんだよ。誰も、それを言わない。 いや、言えないんだ。日大のアメフトって… いや日大って、派手なスポーツ の強さを売りにしている大学。勝ってナンボでしょう。何を今さら。バカじゃ ないか。俺もこれで終わったな。蓄えが少ないので、根こそぎ変えないと。 ・ポン督: 俺も、日大のNO/2の常務と、アメフト監督のヌイグルミを脱いで しまえば只の老人。まさか、ここまで炎上するとはね。甘かった! 良い思いは多くしてきたから、ヌイグルミに未練はないね。こんなもの。 ・ポンコチ: 鉄砲玉への追込みが間違えてしまった。まさか、単独会見とは、 想定がだったよ。それと録画。暴力団組長と若頭。私は、その若の役さ。 この騒動も、警察介入があるかどうか。 ・寅: 全国の請負監督業のオッサン達、シドロモドロだろうに。 アスリートとか煽てられた相撲バカ、野球バカなどをゼロから叩き直す。 そこにあるのは、結果だけの厳しい世界。TVドラマじゃないんだよな。 ・八: 才能だけは親がかりでないと… そりゃ、この激変の時代、特別 プログラムで、幼児の頃から育てないとね。相手は世界だもの。 最新の情報機器と、ソフトを駆使して幼児の頃から育てないとね。 今回だってさ、関学と、日大の差があっただろう。日大はさ、普通では 関学の歴史あるアメフト部に勝てないよ。コーチからして、インテリジェンス (地頭)が、違うもの。 ・ポンコチ: で、あの撮影は、関学のものだろうに。で、ここまで二人が 国を挙げて、一方的な吊し上げ。魔女狩りじゃないか。俺にだって赤い 血が流れてるんだよ。死んで抗議をしたって、誰も理解をしないし。 勝てば官軍、負ければ賊軍だよ。これだけは。これが日大だもの。これが。
・・・・・・ 2012年05月31日(木) 4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) * 孤島としての老い ≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、 どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。 どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に 崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。 すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような 感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような 出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも 掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。 だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な 敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで 怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、 悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈 してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような 不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在 だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを 見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。 その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島 となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、 わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫ ▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。 それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも 一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。 現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。 なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、 ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 それにしても暗い顔をした老人が多い。
・・・・・・ 2014年05月31日(土) 4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4 <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著 * 自分の「スイートスボット」をさがそう この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、 一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、ひたすら気持ちが落ち込まない ことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、 要所要所に配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。 この時間帯が、第一のスイートスポット。6時過ぎに、ポタリングで信濃川の 大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。そして、午前中の読書と、ネット サーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・ とつづく。 森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、 このスポットを自由に謳歌できること。 もちろん、数年、数十年単位の ライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー 《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、 自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。 つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も 感じない状況に。心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを 「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっとエネルギッシで 生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の 刺激をえられるところだ。素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分で ハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。 だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が 低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、朝昼兼用の食事に出かけ ―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べ ながら噂話をしたり、笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたは スイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める外交型の 友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい 時間は終わりを告げる。・・・ 》 ▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験。人生観が変わるほどの最高の 感激・感動体験をいう。この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら 求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、人生が豊かさに なっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送 などを楽しむことが、私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、 秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログの下書き、読書、TVの スポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、 徹底して貫いたプロフェッショナルが、私の連れ合い。これが蓄積されると、 スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ! で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を 知ったら、怒り出すぞ!」というと、「あんたみたいな気短と一緒となら、 誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、 何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? どうもしません! そういうこと。 ・・・・・・ 2015年05月31日(日) 5190,閑話小題 〜チャーチルのジョーク チャーチルは、その風貌とおりのウィットにとんだジョークと名言を残した。 毒の含んだ言葉でもウィットに富んでいれば、場を和ませることが出来る。 * チャーチルのジョーク ・ 民主主義は最悪の政治形態らしい。 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。 ・ 女性議員が皮肉を言いました。 「もし私があなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」 するとチャーチルは、平然と答えました。 「もし私があなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」と。 ・ チャーチルに仮装舞踏会にはどんな衣装で出るのがいいかと聞かれた、 そのライバル女性議員(例の『毒を盛る』発言の彼史)のコメント。 「しらふで出るというのはどうでしょう」 (チャーチルは酒好きで、国会にも酔っぱらって出てくることしばしば) ・「期待される政治家とは「明日なにが起きるか」を、国民に予告できなくては ならない。そして次の日「何故自分の予言通りにならなかったか」を国民に 納得させる能力がなくてはならない。」 ・ ある政治家を評して 「彼は羊の皮をかぶった羊」 ・ 国会の答弁にて、エリザベス女王の戴冠式の準備に際し 「行進にはありとあらゆる労働者の代表を加えるべきです!」 と主張した労働党のある議員に、NOと返答したときのコメント。 「見物客の気持ちを考えねばなりません」 ・ 完全主義では、何もできない。 ・ 極めつけは! 当時獣医は社会的に低く見られていた。チャーチルが 獣医をしていたという噂があった。野党議員が議会でそのことを質問した。 「もしそうならまず初めに貴方をみてあげますよ!」議会は大爆笑だったとか。
・・・・・・ 2017年05月31日(水) 5920,閑話小題 〜そろそろ入替りの時節ですか * 入替りの時節ですか、私も 先週末の深夜2時ごろ、小さい騒めきで目が覚める。何気なく障子戸をみると、 間接だが赤い点滅がみえた。「救急車騒ぎか」と思いつつ、そのまま寝入った。 深夜のためか、救急のサイレン無しだったようだ。 このところ年1〜2度、 ご近所に救急車が来ている。私もいつ何時、倒れて介護生活に入っても不思議で ない年頃に入っているが、ほぼ実感がない。 人生観の一つ、「その時は、その時!」の考えが染み込んでいるため、 良いか悪いのか不安が少ない。同年代を見渡すと、4人に一人の割合で鬼籍に 入っている。あと7〜8年で、半分は亡くなるのだろうが、その中に私も入って いるのだろうが。一日一日の平穏な日々を味わうことだ。
* 老いの高貴の魂とは、 曽野綾子の言葉、<「何をしてもらうか」ではなく、「何ができるか」を 考えて、その任務をただ遂行する。それが、「老人」というものの高貴な魂 だと思います」> 成る程、考えさせられる道理である。 毎日を6年前につくった計画に沿ってこなしている日々だが、少しキツイと 思わないでもないが、それでも、続ける中で、面白いことに多く出くわす。 老いるにつけ、他者の粗探しに走りがちだが、それは、自分の影を指摘している に過ぎない。公園などで物思いに耽っている老人の心の内は、過去の深い思いの 風が吹いていたことを、ここで初めて実感している。思い出すことで、その時に 気付かなかった真実に気付くことが多くある。 ふり返れば、無知無能の露わな 自分が佇んでいる。「何ができるか」は、まず、その自分を優しく慈しむこと。 決して罵倒しないことだ。やはり、人間には宗教と基礎教養が必要である。 ・・・・・・ 5555,閑話小題 〜『ルーム』 2016年05月31日(火) * シネマ、『ルーム』 http://gaga.ne.jp/room/ 先週、観てきたシネマの『ルーム』。ネットの評価は高い。内容はスリラー の恐怖ものでもなし、地味だが、考えさせられる内容だった。17歳で誘拐され 7年になる若い母親。監禁されていた納戸から、誘拐犯のタネの5歳の子供を 脱出させた結果、解放される。それまで、子供は、部屋以外の世界はTVと天窓 の光しか知らない。 映画の後半は、新しい世界を次々と知っていく子供の姿と、 犠牲になった母親の人生に対する葛藤が物語として続く。子供は、母親と二人で 過ごした納戸が懐かしなり訪ねるが、子供は、その狭さを改めて知る。 外を知らないのも人生だが。子供にとって、誘拐犯の父親に対しての思いは、 まさに、<母と子供にとって「その父の存在自体が悪」になる。評価、85点。 〜ネット上の映画解説〜 ≪・映画「ルーム」が描く、ブリー・ラーソン演じる若い母親ジョイと5歳の 息子の物語は、設定だけを聞けば随分エキセントリックに思えるかも知れない。 ある日突然誘拐され、7年間監禁され続けた悲劇の女性ジョイ。そして監禁部屋 で生まれ、外の世界を知らないまま5歳になったジャック。そんな母子がついに 解放されるのだが、目の前にあらわれた現実の世界は2人を困惑させてしまう…。 ・年にわたる拉致監禁、誘拐犯との間に生まれた息子、命を懸けた脱出劇と世間 からの好奇の目。数あるゴシップ的要素にも関わらず、レニー・アブラハムソン 監督は地に足を付けた演出で奇妙な環境で普通に生きようとする葛藤を等身大 に描き出す。
・狭い監禁部屋から出たことがないジャックは、テレビを通じてだけ外の世界を 覗いてきた。しかし息子に〈閉じ込められている〉と感じて欲しくないジョイは、 部屋の中が〈本物=現実〉で、画面の中の出来事は〈偽物=フィクション〉 だと教え込む。2人がいる部屋の外には空っぽの宇宙しかなく、出ると死んで しまうとウソをつくのだ。 ・ところが監禁部屋からの脱出によって母子の世界は一変する。実は部屋の 外には無限ともいえるリアルが広がっていて、ジャックは培ってきた認識や アイデンティティをすべてリセットしなくてはならなくなる。
・一方、ジョイが帰還を切望した外の世界は、一度解き放たれると皮肉にも 精神的牢獄になってしまう。2人だけで完結していた監禁部屋にいる限り、 社会という膨大な関係性の集積から無縁でいられたからだ。失われた7年の 重みと他者の存在が次第にジョイを追い詰めていく……。 ・結果としてジョイもジャックも生きるべき世界をゼロから発見し直さなくて はならない。痛みも喜びも伴うが、未知の物への期待感と新鮮な刺激は一歩 ずつでも前に進むことを後押してくれる。
・実はこの物語、驚くほどにわれわれが「映画を観る」感覚と似てはいないか。 われわれは映画のスクリーンと向き合い、未知の世界を探索することで世界観 を押し広げ、時に内面を見つめ直し、やがて自分自身の物語を見出す。 その〈発見〉こそが映画を観る大きな悦びだとは言えないだろうか? ・幼いジャックはさまざまな障壁にぶつかりながらも、常に世界を五感で感じ、 吸収することをやめない。その瑞々しさと観客の感覚とがピッタリ重なった 瞬間、魂に触れる小さな奇跡を起こす。≫ ――――ー ▼ 観ていて直ぐに、閉じ込められた小さな納戸が、何故か、地元の城下町に 重なって見えていた。新潟駅前の事業場と、出身地の城下町を寝ぐらに31年 を過ごしたが、これは首都圏のサラリーマンの生活形態と同じ。どうしても、 寝ぐらの狭さを感じていたが、住居は住居と割切れていた。 ところが5年前より、寝ぐら生活がメインとなる。これも、自分の厳格な? 生活習慣を守り、周りにスケジュールの壁を囲むことで、日々、生活して いるが、これも慣れれば悪くはない。 何処も住めば都になっていく。 ・・・・・・
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